はじめに

きっかけはネットサーフィンでした。
5月のとある日、リンクさせていただいている“お父さんの旅”ブログで何気なく見つけた【水玉バス】という記事を見て「草間彌生」というアーティストを知りました。
思わず目を見張るようなそのイマジネーションに驚き、そのアートに興味を惹かれたのです。
ブログでは長野県の松本市美術館でしたので、とても見に行きことは難しいので非常に残念な思いながら「草間彌生」のサイトを確認したところ、なんと4月14日~5月20日まで埼玉県立近代美術館で展覧会が開催されているではないですか。
20日までといえばあと2週間という時でしたので、これは何とかしなければと予定をやりくりして向うことにしたのです。

埼玉県立近代美術館は最寄り駅がJR京浜東北線・北浦和駅ですから、自宅からも30分ほどですからほぼ地元に近いところです。
以前からその存在は知っていたので、一度訪れたいとは思っていながら、何となくの敷居の高さが行動に移せない状況だったのですが、この展覧会が背中を後押ししてくれました。
会期も終了に迫った5月18日、美術館のあるさいたま市浦和区に向かったのでした。

mapさいたま市浦和区オフィシャルサイト】http://www.city.saitama.jp/index_urawaku.html

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はじめに

「長谷川かな女」 はジャンルDで6,276票を集めて第7位にランクされました。
本書の説明です。

『近代女流俳人。東京都日本橋生まれ。浦和住民になったのは1928(昭和3)年11月。すでに高浜虚子の門下として活躍夫零余子が主宰する『枯野』でも能力を発揮、女流俳人としての名を高めていた。1929(昭和4)年に句誌『水明』を創刊主宰。このほか句集『龍胆』『雨月』『川の灯』などを手掛ける。1963(昭和38)年浦和名誉市民、1964(昭和39)年埼玉文化功労賞、1966(昭和41)年紫綬褒賞、1969(昭和44)年勲四等宝冠賞を受賞。1969(昭和44)年81歳で死去。
代表作に「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」「生涯の影ある秋の天地かな」などがある。』

「長谷川かな女」といわれても全く名前すら聞いたことの無い方です。
その方の好事家なら知っていて当然でしょうが、素人の私に「せめて名前くらい知っているでしょう」と言われたとしても、知らない私に責任は無いでしょう。しかし、折角のこのような機会ですからしっかり埼玉の偉人を知りたいと思っています。
とはいってもあまりディープな世界にまで入り込めるとは思っていませんので、あくまで素人の分かる範囲でのリポートです。

「長谷川かな女」は日本橋生まれながら、埼玉県浦和市(現在・さいたま市浦和区)に在住し、終生を過ごしたそうです。
今回は特にここといって訪れるところもありませんが、かな女の縁のある場所である浦和等を若干訪れながら、かな女の足跡を追ってみたいと思っています。どんなリポートが出来上がるか自分自身楽しみです。

map浦和区マップさいたま市浦和区オフィシャルサイト】 http://www.city.saitama.jp/index_urawaku.html



はじめに

「浦和のうなぎ」はジャンルE 特別推薦で2位にランクされています。
基本的に5,000票以上獲得しながら選外となったもので、5,709票獲得しました。

ウナギのかば焼き発祥の地として知られる浦和市。江戸時代(宝永年間)に中仙道を行き来する旅人に出したのが始まりとされ、今でもウナギの消費量は日本一といわれる。
かつては60店以上あった専門店も今では20店余り。昔ながらの炭焼きにこだわる老舗では、ホームページを開設したり、天然ウナギを復活するなど工夫を凝らしている。
(本書より)

「浦和のうなぎ」が有名であることを知ったのはホンの3,4年前です。
私自身の生まれは埼玉県川口市で浦和市とは当時蕨市をはさんだ極近くの街で、そこに30年在住していました。川口の後は、まさに当時の浦和市に10年在住し、現在は浦和市(現在のさいたま市)の隣の上尾市に13年在住しています。にもかかわらず「浦和のうなぎ」を50年近く知らなかったわけです。 30年くらい前までは、浦和といえば「サッカー」(レッズのことではなく高校サッカー)の街としては、全国的に有名でしたが…。
浦和市近隣に住んでいる者としては浦和市は「浦和高校」を初めとした受験としてのイメージが強く、文教都市と昔から言われており、それゆえに街としてはあまり楽しそうなイメージはありませんでした。
それが変わりだしたのがやはりレッズだったでしょうか。ちょうどレッズが発足(というよりJリーグが)したときは浦和に住んでいましたので、熱狂的な光景だったことは憶えています。ただ我々の年代は「野球小僧」の時代ですから、ちょっとさめていた感はありました。最も全国的に「野球小僧」の時代でも浦和だけはサッカー人口が確かに多かったと友人から聞いた覚えがあります。
そのような中で、「浦和のうなぎ」が有名であったことはついぞ聞いたことがありませんでした。親戚も浦和に住んでいて、高校時代の友人にも浦和在住(当時)でよく遊びに行き、更に10年浦和に住んでいたにもに関わらず知らなかったのです。
確かに浦和に在住していた時代に「鰻屋」が多いなとは感じ、実際に食べてみましたがはっきり言って美味しくなかったために、それ以来特に食べに行くことはしませんでした。個人的に「うなぎ」に関しては思い入れと、独自の尺度を持っていますのである意味、天邪鬼かもしれませんが…。
そのような意味で今回は期待半分といったところですが、私の間違った記憶が正されるかもしれないわけですから、モチベーションを上げていかなければならないでしょう。

そうと決まれば行かねばなるませんが、ただ「うなぎ」を食べに行くだけも余り芸がないので、丁度5月30日にさいたま市役所で「さいたま市浦和うなぎまつり」が開催されているとのことで、この日に行くことにしました。。
30日の土曜日は朝から雨模様。荒天の場合は翌日に延期とあったので、一応電話で確認すると予定通りとの事。 電車でと思っていたのですが、雨でもあったので車で出かけました。どこをどのように行っても間違いなく浦和には到着します。
さて一体どんな一日になるのでしょうか。

さいたま市浦和区オフィシャルサイト】 http://www.city.saitama.jp/index_urawaku.html