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上尾市の隣接市であり、かつ県庁所在地である“さいたま市”にある「染谷花しょうぶ園」は、現在さいたま市見沼区ですが、かつては県庁所在地であった旧浦和市にある菖蒲園です。
この菖蒲の開花する時期にしか開園しないというしょうぶ園ですが、以前から一度行ってみたいとは思いつつ機会がなかったのです。
以前【加藤保男】で見沼区片柳にある見沼自然公園や旧坂東家住宅見沼くらしっく館といったすぐ近くまで行ったのですが、季節外れもあって寄る事はなかったのです。
前日の6月9日(土)は福島県いわき市にトンボ帰りだったので休養に当てるつもりだったのですが、今日10日の日曜日があまりにも上天気だったので、ついフラッと行ってみることにしたのです。
買い物ついでに行ったのが昼少し前の11:30頃で、ほぼ12:00にはしょうぶ園に到着となったのです。

染谷花しょうぶ園

到着してまずは入口で入場券を買い求めますが、その前に入口前にある解説から。
染谷花しょうぶ園

片柳歴史散歩コース 地名”染谷”と花しょうぶ園
地名”染谷”は、染屋を職とする人たちが住んでいたことに由来するとの説が有力です。一方次のような言い伝えもあります。
その昔この地に住んでいた美しい娘を男たちが見染めたので「見染めヶ谷」というようになり、それがいつの間にか”染谷”になったという伝承です。
作物や植木が育ちにくい低湿地帯を活用した花しょうぶ園は、昭和58年に開園しました。以来各地の花しょうぶを集め、300種以上が園内8,000㎡の谷間を染尽くし、染谷の新たな地名のイメージを生み出しています。6月1ヶ月間だけ開園され、多くの方が花しょうぶを楽しんでいます。
さいたま市教育委員会 生涯学習部文化財保護課
(現地案内板より)

15年ほど前まで10年間居住していた旧浦和市ですが、全く知りませんでした。まあ、当時の私にとっては目の前の見沼たんぼですらほぼ知らないと言ったあんばいですから仕方ないでしょう。

では早速、その花しょうぶ園に入場しますが、一人500円の入園料です。
染谷花しょうぶ園 チケット
入園してすぐ右手に“茶屋”や“休憩所”があります。この時期だけですから風情を楽しむのにも一役買っていそうです。
染谷花しょうぶ園 茶屋 休憩所
このあたりは高台となっていて、花しょうぶはここから一段低い場所にあります。
こちらがその遠景ですが、木橋がまたいい情景を構成しています。
染谷花しょうぶ園
ここから園内を一回りしてきますが、今回は特に解説することもないので、拙い写真を掲載しておきます。

順路にしたがって進みます。
順路
園の西側です。
染谷花しょうぶ園 あじさい
そろそろあじさいも楽しむことができそうです。 四阿もあって風情はなかなかです。
四阿
こちらは中央の園のシンボルであろう木橋です。
染谷花しょうぶ園
非常に品種が多いので様々なしょうぶが楽しめるところです。
染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園
品種名をチェックするのを忘れたので、名称は判りません。まあ、今回は調べるというのはやめにして、風情だけ楽しみます。(これって、手抜き・・・!?)
はっきり言ってカメラのスペックもスキルもかなり低いのですが、一応ベストショット・・・!? 
染谷花しょうぶ園
それにしても結構広いのに驚きです。
染谷花しょうぶ園
そのとき突如家内が、「ああ、昔ここ来たわ・・・」と。「来た事あるんかい!」と染谷のしょうぶ園と言ったら知らないといってたくせに、昔浦和に居住していた頃、近所の友人達と来たそうです。
まあ、どうでも良いことですが・・・。

この辺りが一番北側(奥)です。
染谷花しょうぶ園
先ほどの四阿もかなり小さく見えるので、それだけ広いことが理解できるでしょう。
それにしてもこう色とりどりの花しょうぶが見られるのも、しょうぶ園としては珍しいかもしれません。
染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園
花と一緒に写真を撮れというので、どうせ花に勝てるわけが無いのだから、影で顔が見えないようにしてやった。
染谷花しょうぶ園染谷花しょうぶ園
ガハ・・・。花に勝とうなんて200年早いんじゃ。

この辺りから東側ですが、紅葉と花しょうぶの競演というのもまた一興かと。。。
染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園
所々に休憩所があり、のんびりするには非常に良いロケーションです。
染谷花しょうぶ園
この日は天気がよかったので、こんな水路もすっかり初夏の雰囲気出しまくりです。
染谷花しょうぶ園 水路
この辺りが園の東側で、中央の木橋がこのように見えます。
染谷花しょうぶ園
そしてこちらでも色とりどりのしょうぶが見られます。
染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園
南側に来ると案内板が掲出されていました。

「染谷花しょうぶ園」の由来
敷地の北側に東方から入り込む低湿地があった。雨期には周囲の水を集めて沼となり、冬期には凍結して終日溶け出さない。そのため、どんな作物も、植木も生育不良なままに、荒地として打ち捨ててあった。生業である植木の生産販売を営むかたわら、何とかこの土地を有効に利用することはできないものかと苦心していたが、たまたま、花菖蒲の栽培を思いつき、調査を依頼したところ、幸い、好適であるという結果を得た。
苗床としての整備をはじめながら各地の先輩達を訪ね、花菖蒲園を見学しているうちに、こんなに美しいものを、苗をふやすためだけ栽培して花を咲きすてにするのは如何にももったいない。施設のお年寄りや、老人クラブの方々にでも見ていただいたら、さぞ喜んでもらえるのではないか。そして、いろいろな方々に見てもらうならば、いっそう、各地の各菖蒲園のように、池や八つ橋、あずまやなどの施設を整えて本格的な花菖蒲園にしようと思いたった。設計を依頼し、生業の閑な時期を見ては準備を進め、力と知恵の限りを打ち込んで、ようやく一応の完成にこぎつけた。
市長に趣旨を説明して、園の命名をお願いしたところ、快く承諾されて「染谷花しょうぶ園」という素晴らしい名を頂いた。
染谷とは、元来この里の地名であるが、いかにも谷間を紫色に染め上げる花群のあでやかな風情を思いおこさせる。まさに花菖蒲園にふさわしい名だと思う。看板も、市長の揮毫された文字を元にして構成した。
施設の材料は全て日本人になじみの深い木や竹を用い、鉄やコンクリートなどの鉱物質の材質は、原則として使用しない。
現在、約8,000㎡の敷地に300種余の名花は美しさを競っているが、将来はもっと面積を増やし、さらに新品種を導入して内容を充実させるとともに、わき水を利用してホタルを飼育したり、四季折々の花木を配してお茶の野立てや、歌会や句会、種ゝのイベントなどにも利用できるよう、年間を通しての市民のオアシスに造り上げて行きたいと願っている。
園主
(現地案内板より)

その看板がこちらです。
染谷花しょうぶ園
ビジネスだけに囚われれば出てこない発想によって、現在の我々が楽しめるわけなのです。
染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園
資金、人材など様々なハードルがあるのでしょうが、是非年間通じて楽しめる楽園をお願いしたいものです、勝手ながら・・・。

最後はやはりその木橋、八つ橋からの眺めを楽しみます。
染谷花しょうぶ園
南側の景色です。
染谷花しょうぶ園
そして西側。
染谷花しょうぶ園
さらに北側。
染谷花しょうぶ園
そして東側です。
染谷花しょうぶ園
久しぶりにあでやかな空気を満喫して、スタートの茶屋あたりに戻ります。
一画に気付かなかった建物があります。「紫染庵」という茶室です。
染谷花しょうぶ園
申し込めば茶室として利用できるようです。
この入口の小ささ、そしてこじんまりとした部屋が、まさに茶室の佇まいを感じさせます。
染谷花しょうぶ園 染谷花しょうぶ園
茶屋でちょっと一休みしてしょうぶ園を後にしました。

花しょうぶ園の向こう側に直売所があるので立ち寄って見ました。
染谷花しょうぶ園 直売所 染谷花しょうぶ園 直売所
温室のようになっていて、季節の花々が販売されていました。
多くはあじさいです。やはり季節柄でしょう。
染谷花しょうぶ園 直売所
ちょっと珍しいものもありました。
“ミッキーマウスの木”です。ピンボケなのでわかりにくいのですが、言われてみれば・・・。
染谷花しょうぶ園 直売所
まあ、それよりも、著作権を意識しているところが妙にカワユイです。
さらに“ハナイカダ”という木で、葉の上に実がなる不思議な気なのだそうです。
染谷花しょうぶ園 直売所
写真では黒っぽい実ですが、現在はまだ若く緑色の実になっています。
そしてちょっとそそられたのが“ワンコイン胡蝶蘭”で、500円で買えるミニ胡蝶蘭です。
染谷花しょうぶ園 直売所 染谷花しょうぶ園 直売所
なかなか面白いもので、折角なのでなにか一つ買って行こうということで買ったのがこれです。
なんで、産直の“だいこん”なの? 
染谷花しょうぶ園 直売所
家内曰く「安い!」、ということで当然翌日我が家の食卓に乗ったのは言わずもがなです。
まあ、結局、最後は“色気より食い気”というオチになってしまいましたが、近くであり、かつ県庁所在地にあるしょうぶ園ということで、また、何年かした後に訪れ変貌しているのを見るのも楽しいかもしれませんね。
少しばかり遠くから来ても、充分堪能できるでしょう。

2012.06.16記
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はじめに

「加藤保男」はジャンルDにおいて得票数4,868票を集め、第10位にランクされました。

大宮市出身の登山家。1966(昭和44)年に初渡欧しアイガー北壁のダイレクトルート初登頂に成功。その後、マッターホルン北壁、グランドジョラス北壁にも新ルートを開拓。1973(昭和48)年秋には、日本エベレスト登山隊長として同山東南稜から秋季初登頂に成功。凍傷で手足の指を失いながらも、1980(昭和55)年春にはチョモランマへ。1982(昭和57)年末、エベレスト冬期登山隊長として登頂を目指したが、登頂後南峰のピーク付近で消息を絶つ。
1983(昭和58)年、こうした彼の勇気と生きる希望を人々に与えた功績が称えられ、第1号の市民栄誉賞受賞となる。
(本書より)

確かに本文での説明を知ると埼玉県の偉人であることは理解できますが、はっきり云って今まで全く存在を知りませんでした。特に登山となれば生まれてからこの方、私とは一番縁のないスポーツの1つともいえるものですから、興味もあまり湧かないわけです。
しかしここは折角の機会で、加藤保男氏とその生まれた故郷を知る良いチャンスとばかりに今回の散策を計画したのです。
旧大宮市は現在のさいたま市で、さいたま市の中での旧大宮市街は、大宮区、西区、北区、見沼区、そして中央区の極一部に分割されています。
大宮区は【大宮氷川神社】、西区は【青葉園の藤】、北区は【若田光一】で訪れており、今回で4回目(旧与野市、浦和市を含めれば、さいたま市を訪れる回数はもっと多いはずです)となります。
となればやはり今回は残った見沼区となるのですが、本来「加藤保男」氏の生まれは現在の大宮区のようなので大宮区を散策すべきなのですが、ここは不確かな生家周辺を散策するより、実際に墓地のある周辺という確実な事象を捉えれば見沼区になると言う、やや強引ではありますが、今回の散策はさいたま市見沼区を中心にとなったのです。

散策の前にやはり概略でもプロフィールを確認しておきます。
加藤保男 《写真:(C)山と渓谷社「エベレストに消えた息子よ」より》
加藤保男(1949年3月6日-1982年12月27日?)は、日本の登山家でエベレストを始めとする地球上にある標高8000メートルを越える14の山の総称である「8000メートル峰」に4度、エベレストに3度の登頂を果しました。特にエベレストをネパール、チベット両側から登頂したのは世界初で、大宮市市民栄誉賞第1号を受賞しました。

略歴
1971年(昭和46年)、日本大学文理学部体育学科を卒業。兄で登山家の滝男の影響で登山を高校時代に始める。在学中に大学の山岳部には入部せず、滝男が主催するJECC(ジャパン・エキスパート・クライマーズ・クラブ)で登攀経験を重ねる。
1969年(昭和44年)から1972年(昭和47年)にかけて、アルプスの三大北壁(アイガー、グランド・ジョラス、マッターホルン)を登攀。
1973年(昭和48年)10月26日、第2次RCC登山隊で、石黒久隊員とともに、エベレスト(サガルマタ)のポストモンスーン期(秋季)初登頂を果たす(ネパール側、東南稜)。日程上、強行軍であったために、サウスコル(7,986m)のキャンプからの一気の登頂であり、8,650m地点でのビバークを余儀なくされ、翌日、長谷川恒男隊員に救出される。奇跡の生還と言われたが、この時、凍傷で足指すべてと右手の指3本を失う。
1975年(昭和50年)、インドヒマラヤ最高峰(7,816m)のナンダ・デビ登頂。
1980年(昭和55年)5月3日、エベレスト(チョモランマ・珠穆朗瑪)にチベット側の北東稜から登頂。
1981年(昭和56年)10月には、尾崎隆ら三人による遠征隊でマナスルに無酸素登頂。
1982年(昭和57年)12月27日、厳冬期エベレストに登頂を果たす(東南稜)も、下山中に小林利明隊員と共にビバーク。消息を絶つ。
1983年(昭和58年)、大宮市(さいたま市)から市民栄誉賞第一号が贈られた。
1990年(平成2年)、小惑星(5743)が加藤と命名された。

チベット側からチョモランマ登頂に成功して春・秋の2冠を達成した後、チャレンジしたのは当時世界中で誰もいなかった冬のチョモランマでした。
そして、冬のジェット気流が吹き荒れるチョモランマに挑戦して見事に頂上にたったのでした。しかし、下山は難しく8,763m付近でビバークに入ったのでした。
その晩のジェット気流は凄まじく、第2キャンプのテントですら吹き飛ばされたほどだったようで、最初のチョモランマと同じように、ようやく座れる程度の場所を作っただでビバークをしたそうです。
そして「非常な寒さです。…明日の朝、また交信します。おやすみなさい」という言葉を最後に消息を絶ったのです。

壮絶な生と死をイメージさせるのですが、本来の加藤保男とはを訪ねるために、今回は近いこともあって7月23~31日の休みにかけて何回かに分けた散策です。
壮絶な生と死をイメージさせ、死と隣り合わせに生きてきた人の心中を理解することは出来ませんが、本来の加藤保男とは…、を探しに、この散策で一端でも知ることができれば幸いだと思います。


この後、2013年9月に加藤保男氏の実姉の古沢智美様にお会いすることができ、いろいろな思い出話をお聞きすることができました。
その模様は【“大宮盆栽だー!!”と天才クライマーの関係!?】に掲載していますので、あわせてお読みいただければ幸いです。
筆者より


mapさいたま市見沼区】オフィシャルサイト:http://www.city.saitama.jp/index_minumaku.html





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