上尾・さいたま市荒川流域散策

“サイクリング・ヴギ”~上尾・桶川荒川流域散策~】の第2弾となる、荒川流域散策の上尾・さいたま市編です。
2013年9月23日の祝日、雨天ではないものの曇天といった天気です。
今回もまた上尾市の丸山公園をスタートします。

県央ふれあいんぐロード

丸山公園を出発です。
上尾丸山公園
前回は気がつきませんでしたが、公園を出た道路には「サイクリングロード」標識があり判りやすくなっていました。
サイクリングロード標識
前回と同じ交差点で、今回は右折ではなく直進の南コースを進みます。
サイクリングロード標識
ここからが「県央ふれあいんぐロード南コース」のスタートです。
県央ふれあいんぐロード南コース
地蔵様に安全を祈願していざ出発。
お地蔵様
堤防の下を通る自転車専用ロードです。
県央ふれあいんぐロード南コース
右手に「西野橋」という冠水橋が現れます。
西野橋
ゴルフ場へ行くための橋で、以前も桶川に冠水橋がありましたが、河川敷に施設が多いのでこのようなことになるのでしょう。
そのゴルフ場のハウスがこちらで「リバーサイドフェニックスゴルフクラブ」というネーミング共々オサレなクラブです。
リバーサイドフェニックスゴルフクラブ
ゴルフ場の駐車場を抜けると先に長い橋が見えてきます。
開平橋
「開平橋」という荒川に掛る大橋です。

旅歴メモ 「開平橋」は上尾市と川越市の市境を結ぶ大橋です。
現在の橋の付近に“平方河岸”があり渡船場を兼ね、上尾宿と川越の城下町を結ぶ道だったのです。
1883(明治16)年、初めて架かった開平橋は、杭につないだ10艘の船の上に橋を乗せた全長92.7mの橋だったそうです。
そして現在の橋は、長さ816.8m、幅10mの橋として1977年に架けられた、この初代から数えて6代目となるのです。

開平橋を潜り抜けると田園風景が広がります。
開平橋
ここからしばらくはCR(サイクリングロード)に埋められたタイルが道案内となります。
県央ふれあいんぐロード 県央ふれあいんぐロード
季節は既に秋模様で、堤防沿いには所々に綺麗なヒガンバナが咲いています。
堤防のヒガンバナ
CRはここから田園風景が望めるこの堤防の上を走ります。
堤防の上のCR
途中こんな小さな社に出会いますが、それでも綺麗にされているところを見ると、結構地元の方には親しまれている社なのでしょう。
社
堤防から見えていた煙突のある建物が「西貝塚環境センター」で所謂ゴミ処理場です。
田園風景と西貝塚環境センター
その前には案内板があり、この堤防は“上尾地区高規格堤防”といいう、所謂スーパー堤防ってことになるようです。
上尾地区高規格堤防
ちょうどこの辺りが上尾市とさいたま市(西区)との市境となります。
市境
しばらくは気持ちの良い堤防の上を走りますが、ただしここは自動車も走れる公道となります。
CR 田園風景
右手には区のグランドです。
堤防上のCR グランド
その先の右手には河川敷2つ目のゴルフ場「大宮国際カントリークラブ」があります。
大宮国際カントリークラブ

荒川自転車道

ゴルフ場を横目に進むと今日3つ目の橋「上江橋」に差し掛かります。
上江橋
橋の手前に「さいたま市滝沼川排水機構」があり、ドーム状の屋根の建物が印象的です。
さいたま市滝沼川排水機構
小さなトンネルをくぐって「上江橋」を抜けます。
上江橋
ここから先は「県央ふれあいんぐロード」から「荒川自転車道」に変り、ここからは再び堤防上のCRとなります。
荒川自転車道
するとその先に小さな踏切が現れます。
踏み切り JR川越線
この踏み切りは大宮駅から川越駅を経由して日高市の高麗川駅を結ぶJR川越線の踏切です。
このあたりで海(東京湾)まで44kmだそうですから、一般的なサイクリストなら一っ飛びなんでしょうね。
海(東京湾)まで44km
右手にあるグランドは、今や全国的に有名となった「埼玉栄高校」のグランド。
「埼玉栄高校」のグランド
遠め(望遠)で見える妙に風情のいい光景は、3つ目のゴルフ場「大宮カントリークラブ」です。
大宮カントリークラブ
この辺りのコースは非常に気持ちの良い場所で、祝日とあって多くのサイクリストが走っています。
多くのサイクリスト
右手に見える施設は「西遊馬公園」。
西遊馬公園
公園といっても野球場2面、サッカー場2面、テニスコート10面もあるのですから、総合運動場といった規模ですね。

CRはこの西遊馬公園沿いに右折し、堤防上から離れ、しばらくは公道となります。
CR右折
突き当たりを左折すると右手には田園風景が広がります。
CR左折 CR
その先に4本目の橋「治水橋」が見えてきます。
治水橋
この治水橋の下には野球場が広がっているのですが「橋の下球場」とは、まさに言いえて妙のネーミングです。
野球場橋の下球場 橋の下球場
治水橋を抜けた先から再び専用のCRとなります。
専用道路
右側が4つ目のゴルフ場「ノーザンカントリークラブ錦ヶ原ゴルフ場」で、左には「大宮けんぽグランド」が広がります。
大宮けんぽグランド ノーザンカントリークラブ錦ヶ原ゴルフ場
樹林が一瞬北海道かとも思わせる光景ですね。
一瞬北海道
そしてCR沿いもススキで秋の装いです。
秋の装い
「大宮けんぽグランド」を抜けるとCRは左折します。
田園風景の中に浮かんだ都市空間は“さいたま新都心”方面です。
田園風景の中に浮かんだ都市空間
更にCRを右折すると、今度は田園の中を一直線です。
真っ直ぐな道
この辺りも「でっかいど~、北海道。」(古っ!)の風情ですね。
その先が「荒川総合運動公園」。
荒川総合運動公園
CRを直進すると、こんな風情のコースとなります。
CR
その先に5つ目の橋「羽根倉橋」が見えてきますが、なにやら自転車が立ち往生しています。
羽根倉橋
先の運動公園に行くためのバスがCRコースを通り抜けようとしているところで、結局はバックして事なきを得ました。
この立ち往生したカーブを左に進んだ左手にあるのが「サーキット秋ヶ瀬」。
サーキット秋ヶ瀬 サーキット秋ヶ瀬
都心から最も近いサーキット場として、おもにカートの走行が行われています。
元に戻って「羽根倉橋」の袂に出ますが、左手にはCRが整備されているようです。
「羽根倉橋」の袂 工事中の荒川自転車道
ここが本来の「荒川自転車道」なのですが、現在は整備中なので「大宮けんぽグランド」から田園地帯を走るコースとなっているのです。

旅歴メモ 羽根倉橋は埼玉県さいたま市桜区と志木市を結ぶ荒川の橋で、さいたま市浦和区から所沢市まで続く、日本一長いケヤキ並木の通りではあるのですが、このあたりが一旦途切れている場所となっているのです。
こちらも開平橋同様、かつては羽根倉の渡しとして渡船場や河岸場があり、河川交通の要として栄えた場所なのです。その後、1938(昭和13)年の仮橋が架けられたのが最初で、現在の橋は1985(昭和60)年の4代目です。

そして埼玉県の指定している「荒川自転車道」は、この羽根倉橋のある県道483号線(所謂、「日本一長いケヤキ並木」)を進んで、県立近代美術館のある北浦和公園までを公式としているのです。
しかしながら一般的に呼ばれている「荒川サイクリングロード」とは、羽根倉橋から荒川の右岸を東京湾まで走るコースを呼んでいるようです。
橋の袂をUターンして橋沿いを進んで橋をくぐった先にある公園が「秋ヶ瀬公園」。
羽根倉橋沿い 羽根倉橋沿い 秋ヶ瀬公園
昭和46年に開設された公園で、野球場などのスポーツ施設と、芝生広場などのファミリー施設、そして野鳥の森などの自然保護ゾーンのある約100haの広大な公園です。
スポーツ施設 バーベキュー場 自然保護ゾーン
しばらく公園で休憩の後、そのまま南下します。

秋ヶ瀬公園の公園出口の先に見える6つ目の赤い橋が「秋ヶ瀬橋」。
秋ヶ瀬橋 秋ヶ瀬橋
今回のコースはこの「秋ヶ瀬橋」を渡って復路としています。
秋ヶ瀬橋
秋ヶ瀬橋から見る秋ヶ瀬公園です。
秋ヶ瀬公園
荒川の上流を見ると「秋ヶ瀬取水堰」が見えます。
秋ヶ瀬取水堰 秋ヶ瀬取水堰

旅歴メモ 秋ヶ瀬取水堰は荒川で最も下流の堰で河口(東京湾)から凡そ30km辺りです。
この堰で取水された水は、東京都用は朝霞浄水場で、埼玉県用は大久保浄水場で浄化されて水道水となるのです。
そしてもう一つの目的は“塩水くさび”で、これは海水が遡るため、その海水を止めるための堰でもあるのです。
海無し県の埼玉県ですが、実はこっそり海があったのですね。

秋ヶ瀬橋を渡ると埼玉県志木市となり、ここからが復路の始まりで、ここからは通称「荒川サイクリングロード」といわれる荒川右岸を進むのです。
市境

荒川サイクリングロード

秋ヶ瀬橋を渡って“秋ヶ瀬橋”交差点手前を右折して堤防上のロードを走ります。
堤防ロード
間もなく秋ヶ瀬取水堰の横を通過。
秋ヶ瀬取水堰
その先にあるのが「志木市立秋ヶ瀬運動公園」のグランド。
志木市立秋ヶ瀬運動公園田園風景
それ以外の景色は田園風景です。
その先に見慣れない鉄塔がありますが、何の鉄塔でしょうか。
鉄塔・・・
秋ヶ瀬橋を振り返れば、曇天にも関わらずスカイツリーをみることができます。
スカイツリー
晴天なら左手に富士山も見えるところですが。。。
再び見えてきた施設が「志木市立秋ヶ瀬総合運動場」なのですが、今一つ違いが判りません。
志木市立秋ヶ瀬総合運動場
運動場に隣接して綺麗な芝生のサッカー場が広がっています。
サッカー場
堤防の反対側を見ると大宮アルディージャのロゴの入った建物が見て取れます。
大宮アルディージャのクラブハウス
大宮アルディージャのクラブハウスだそうなので、先ほどの芝生の練習場はアルディージャの練習場ってことでしょう。
往路の際、秋ヶ瀬公園の北東に浦和レッズのレッズランドがあるのですが、ちょうど荒川を挟んでレッズとアルディージャの練習場が向かい合っていることになる訳です。
流石にかつてのサッカー王国埼玉の面目躍如といったところです。

このグランドの先に見える橋が「羽根倉橋」。
羽根倉橋 羽根倉橋
羽根倉橋を横切り先に進んで見えるグランドが「富士見市運動公園」と「ふじみ野市荒川運動公園」です。
「富士見市運動公園」と「ふじみ野市荒川運動公園」
二つの市営公園が並んでいるのですが、実際に「ふじみ野市荒川運動公園」がある地番は富士見市なのです。

旅歴メモ 似たような名称の市が隣接して出来上がった理由は平成の大合併政策にあるのです。
そもそもこの周辺の町の発展は現在の東武東上線に大正3年に“上福岡駅”が開業しその周辺が上福岡市となり、平成5年に開業した“ふじみ野駅”の開業で入間郡大井町が発展したことに始まります。
この頃から富士見市、上福岡市、入間郡大井町、そして隣接していた入間郡三芳町の2市2町で合併協議が進められ、この際に合併後の新市名として「ふじみ野市」が決定していたのです。
しかしこの合併はそれぞれの住民投票の結果、富士見市は賛成、上福岡市は賛成票が上回っていながら法定投票率に届かずに不成立、大井町は不成立の上、反対票が上回り、三芳町は成立したものの反対票が上回るといった結果で破綻してしまったのです。
その後、改めて上福岡市と入間郡大井町とで合併協議が進められ1市1町の合併が決定し、その際、合併前の名称を利用しないという取り決めと、都市化の進むふじみ野駅周辺のイメージが良いことから「ふじみ野市」を新市名とすることに決め、富士見市とふじみ野市が隣接する結果となったのです。
因みに新市名の“ふじみ野”の由来となった「ふじみ野」駅は現在富士見市にあり、この駅名は開業当時富士見市民の公募で選ばれただけに複雑な思いがあるようです。

ここからの堤防上のロードはより広くなり、実に気持ちの良い景観となります。
堤防上のロード
グランドの隣には大宮カントリークラブのゴルフ場が広がっているのですが、この辺りは河川敷が狭いので、荒川をまたいでコースが作られているのです。
大宮カントリークラブのゴルフ場
その先の右手には水門があり、荒川からの放水路には多くの太公望で賑わっているようです。
荒川からの放水路 荒川からの放水路
堤防の反対側にある大きな建物が「南畑排水機場」で、荒川の西に並行する新河岸川の治水施設です。
南畑排水機場
こちらの放水路にも多くの太公望がいますので、この放水路はよほど漁場として良い条件なのでしょう。
新河岸川放水路
そしてここからまた厄介なことに、この放水路沿いが市境となっていて、西側が富士見市、東側がさいたま市となるのです。
ということでここからはさいたま市を走ることになるのですが。ここから先は堤防上の道は未舗装(舗装中)なので、堤防下を走ります。
堤防沿いもヒガンバナを見ながら走れます。
堤防下
そして橋の下をくぐるのですが、この橋が「治水橋」で、あの“橋の下球場”があった橋です。
治水橋
しばらく進むと再び堤防上を走りますが、基本的には公道です。
堤防上の公道
そしてこの辺りがさいたま市と川越市の市境となり、この後はしばらく川越市を走ることになります。
やがて荒川にかかる鉄橋が見へ、再びJR川越線の踏み切りとなります。
鉄橋 JR踏み切り

踏み切を超えると堤防の左手に5つ目のゴルフ場である「川越グリーンクロス」のクラブハウスがあります。
川越グリーンクロス
クラブハウスは堤防の左手(河川敷の外側)にあるのですが、コースは河川敷、しかも荒川の左岸にあることからゴルファーはクラブハウスから河川敷を通って小船で荒川を渡ることになるのです。
流石に小江戸・川越、まさに平成の渡し船といった風情、でしょうか。。。
平成の渡し船 平成の渡し船
渡し船の先は荒川が分かれているのが見て取れます。
荒川と入間川の分岐
右側が荒川で、左側が入間川です。
その2本の川に掛っているのが「上江橋」で、今回のコースはこの橋を東方向のさいたま市方向へ渡るのです。
上江橋
荒川と入間川に挟まれた中間の地点に橋から下りる道路ができています。
荒川自転車道 荒川自転車道
ここから再び「荒川自転車道」に戻るのです。
荒川自転車道
当然専用道路で、左に入間川、右に荒川を見ながら気持ちよいサイクリングができますね。
堤防上の荒川自転車道
しばらく進むと土埃が俟っているのが見て取れます。
土埃!?
「何だろう、この土埃?」と進むと右手にあったのが川越のバイクショップ「ウエストポイント」が運営するモトクロス場でした。
ウエストポイント・モトクロス場 ウエストポイント・モトクロス場
土埃と爆音がすさまじいところです。
ここにある荒川自転車道の案内板によると、この自転車道は正式名称「浦和武蔵丘陵森林公園自転車道線」と言うそうです。
浦和武蔵丘陵森林公園自転車道線

旅歴メモ 現在の正式名称は「埼玉県道155号さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線」で、さいたま市浦和区にあるJR北浦和駅西口の国道17号から荒川沿いを通り、埼玉県比企郡滑川町にある武蔵丘陵森林公園までの45.6kmの県道(自転車歩行者専用道路)なのです。
スタートから羽根倉橋までは国道と併走する狭い歩道で、羽根倉橋からは荒川沿いを上流に向う専用道路となります。
因みに羽根倉橋から荒川沿い下流の緊急用河川敷道路を荒川CRと呼んでいるのですが、正式にサイクリングロードとはなっていないのです。
羽根倉橋から荒川沿いを北上し、上江橋から荒川の右岸に移るのですが、その対岸(左岸側)を県央ふれあいんぐロードが平行しています。
そして荒川自転車道は入間大橋で狭山市へ向う入間川自転車道と分岐し、比企郡川島町では比企自転車道と分岐しており森林公園まで続いているのです。

モトクロス場の先に2本の橋が見えます。
このCRを真ん中に左手には入間川を渡る「入間大橋」と右手には荒川を渡る「開平橋」です。
入間大橋 開平橋
入間大橋の交差点の直進が荒川自転車道となるのですが、ここからは右手の「開平橋」を渡って上尾市に向かうのです。
荒川自転車道 荒川自転車道開平橋
荒川を越えるといよいよ上尾市。
荒川 市境
橋の上から眺めるとスタート直後のサイクリングルートが下に見ることができます。
県央ふれあいんぐロード
ここが県央ふれあいんぐロードです。
そして橋の右手にはやはりスタート後の土手ルートを見ることができますね。
田園地帯
開平橋を下りて左折して進むと【橘神社】があり、これを真直ぐ進んで丸山公園に到着となります。
橘神社

今回の散策は、「サイクリングロード」を“ポタリング”するという、多くのサイクリストに言わせれば下衆の極みのような所業でしたが、これもまた一興とお許し願いたいものです。
歴史的に見るべきものはそれ程多くありませんでしたが、心技体には非常によいサイクリングかなあ、などと勝手に自画自賛しておいて終わりにしておきます。
次はどこのCRをポタリングしようかしら。

≪サイクリング・ルート≫


より大きな地図で 荒川CR 上尾~浦和 を表示
2013.10.04記
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埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)丸山駅前に一つの案内板があります。
案内板
史跡・伊奈氏屋敷跡の説明で、かつてこの地は伊奈氏支配の地であったことを物語っています。 地番は北足立郡伊奈町で、隣接市は上尾、桶川、蓮田市となります。 この町名は案内板にもあった江戸時代初期の関東郡代で利根川東遷事業を行った伊奈忠次を輩出した伊奈氏の屋敷があったことにちなんでいます。 と、言うことで、今回は隣接町と言うこともあり、ルートは駅前にある「ふるさと歩道案内図」を基にノンビリとポタリングしてみました。
ふるさと歩道案内図

代官屋敷跡コース

代官屋敷跡コースは、丸山駅を起点とし主に代官屋敷とそれに関連する歴史を散策するルートです。
本来は「無線山・代官屋敷跡コース」ですが、ここでは丸山駅の東側の“代官屋敷跡”を中心に散策します。

伊奈氏屋敷跡

スタートは丸山駅です。
丸山駅
見慣れた光景で特になんと言うことも無いのですが、伊奈レンタサイクル<忠次号>は以前から良いアイディアですね。
丸山駅レンタサイクル
サイクリングの街を標榜する我が上尾市にもあるのでしょうかねえ。
東北・上越新幹線の高架下を進むと、左手にニューシャトルの車輌基地がります。
ニューシャトル車輌基地

旅・歴メモ ニューシャトルは通称で、正式には「埼玉新都市交通伊奈線」といいタイヤで走る新交通システムの鉄道です。
大宮駅から内宿駅までの12.7kmの短い鉄道ですがさいたま市、上尾市、伊奈町の2市1町を通る路線で、途中「鉄道博物館」駅があるといえば見知った方も多いでしょう。
1983年に部分開通し、1990(平成2)年に全線開通した比較的新しい鉄道です。

車輌基地を先に進むと高架下は沼に被われます。
原市沼 原市沼
こういった光景も珍しいかもしれませんが、この沼を原市沼といい、この原市沼の南方向に文字通りの「沼南駅」があるのです。
道はここで行き止まりですので、ここからはUターンします。
ニューシャトル
ちょうど、シャトルが通過しているのが見えますね。

高架下を戻った右手にあるのが「伊奈氏屋敷跡(入口)裏門跡」です。
伊奈氏屋敷跡(入口)裏門跡
とは言っても、だだっ広い空き地が残されているだけですが、実際は案内板にあるように障子堀などの遺構があるのですが、調査後保存の為に埋めもどされたようです。
遺構(空撮写真) 遺構(空撮写真)

旅・歴メモ< 関東郡代・伊奈忠次が1590(天正18)年、ここに陣屋を構えて幕府直轄領約30万石を管轄する拠点としたところで、1629(寛永6)年に三代忠治が川口市赤山に陣屋を移すまでの間、この地が地方支配の中心となった場所なのです。
屋敷跡の大きさは東西350m、南北750mという広大なもので、ここがその屋敷の裏門に当たると考えられているところです。

この裏門跡の周辺もこのように鬱蒼としているのですが、このような立て看板が立てられていました。
遺構 立て看板 立て看板
どんな経緯があるのかは知りませんが、行政側と住民(地権者)側が対立していることは間違いないようです。
まあ、それぞれの考え方があるのでしょうから、第三者はおとなしく見るだけですね。
遺構と宅地
裏門跡から東へ進むと案内板と石碑があります。
伊奈氏居館跡碑
このあたりは二の丸があったところのようです。
傍らの碑は「伊奈氏居館跡碑」とあり、少なくとも戦前以前のものでしょう。
この案内板にも注意書きがありますので、よほど争いが酷いものなのかもしれません。
何れにせよ、ここまで書かれていると奥に進もうとする気はおきないでしょうね。
二の丸跡 二の丸跡

カーブミラーにある標識の「表門跡」に進みます。
案内標識
ここにも案内板があり、お決まりの注意書きもキチンとあります。
案内板の航空写真での位置関係によれば、この辺りが表門跡ということでしょうか。
遺構空撮 表門跡周辺
ちょうど、この案内板近くに流れている川が原市沼川で、以前来たときにはここに橋があったのですが、震災でしばらくは通行止めとなり、その後仮の橋が掛けられているようです。
原市沼川 原市沼川
このように伊奈氏屋敷跡は関東支配の中心地として広大な敷地を誇っていたようです。

願成寺・法光寺

代官屋敷跡から少しばかり東に進むと「願成寺」があります。
願成寺
住宅地の一画に参道入口があり、参道を進むと白亜の壁とコントラストを成す山門がなかなか印象的です。
願成寺

旅・歴メモ 願成寺は1505(永正2)年に当時の小室藩(鴻巣領)に阿弥陀堂を建てたのが創建と言われており、その後、1594(文禄3)年、伊奈忠次が現在地に移し、寺号を願成寺ときめ鴻巣市の勝願寺末寺としたのです。
伊奈忠次との関わりの深い寺院なのです。

山門を入ると本堂が改築中のようで工事用の塀で囲われています。
願成寺境内
したがってお参りはこちらの仮設の堂宇をお参りするようです。
太子堂
本尊は阿弥陀如来ですが、こちらに祀られているのは聖徳太子像ですので太子堂かもしれません。
聖徳太子像
そして何よりも伊奈氏との関わりを残しているのが町の指定文化財ともなっている「伊奈熊蔵忠勝の墓」です。
伊奈熊蔵忠勝の墓

旅・歴メモ 伊奈家は伊奈忠基が松平広忠・徳川家康父子に仕え三河国小島城を居城としたのがはじまりで、その次男・忠次が徳川家康に仕え、家康の関東入国とともに代官頭(関東郡代の前身)となるのです。
その後譜代大名として武蔵小室藩の初代藩主となり、忠次没後、忠次の長男・忠政が小室藩並びに関東郡代を継ぎました。
そして伊奈忠政の死去により、忠政長男の忠勝が跡を継いだのですが9歳で早世したため、武蔵小室藩は無嗣改易、つまり没収となったのです。
しかし忠次の功績を重く見た幕府は忠勝の弟の忠隆に1186石の所領が与え、明治維新まで旗本として存続し、一方の関東郡代も忠次の次男である忠治が川口市に【赤山陣屋】を移し世襲し、1792年の伊奈忠尊まで続いたのです。
そしてこの忠勝がこの願成寺に葬られたのです。
因みに鴻巣市の【勝願寺】には、忠次・忠治の墓所があります。

まさに伊奈氏との関わりが深いことが理解できる寺院でした。

願成寺から北上すると「法光寺」があります。
法光寺
道沿いにある寺号標を曲がってしばらく進むと左手に境内を見ることができます。
法光寺
こちらも立派な山門が鎮座していて、その正面に本堂があります。
法光寺

旅・歴メモ 791(延暦10)年にあの“坂上田村麻呂”により創建されたという由緒ある古刹です。
面白いのはこの寺の宗派で、元は天台宗に属し泉福寺(桶川市)の末寺だったのですが、1563(永禄6)年に徳星寺(上尾市)と所属宗派を交換して真言宗となったのだそうです。
宗派変えと言うのは結構聞く話ですが、交換というのは初めて知りました。
どのような理由、経緯があって交換するものなのでしょうか。

古刹だけあって文化財も豊富で鎌倉時代の名工・運慶二十八歳の作といわれる御本尊阿弥陀如来像・仏像画・十三仏板石塔婆があります。
十三仏板石塔婆
本堂も新しくなり緑濃い綺麗な境内で、埼玉県のふるさと散策コースとなっているそうですから、昨今のパワースポットとでも言うのかもしれません。

森と田園コース

ここからは市街地を離れて伊奈町の郊外を走ります。
田園風景
元々伊奈町は梨やぶどうなどを栽培する農村だったのですが、町の中央を走る埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)をはじめとした交通路の整備、教育施設の誘致を発端に宅地造成が急速に進んでいるのです。

八幡堰

法光寺から更に北西に向って走ると風景は一気に田園風景となります。
左に見える高架線が“東北新幹線”で、スタート時の丸山駅までは東北・上越新幹線は並行し、丸山駅から先で二股に分かれ、北東の蓮田市方面に東北新幹線が、北西の桶川市方面に上越新幹線が走っていくのです。
田園と高架線
その東北新幹線の高架近くにあるのが「八幡堰跡」です。
八幡堰跡

旅・歴メモ 八幡堰は灌漑の目的で綾瀬川に設けられた堰で、水量の少ない川や底の低い川の水を堰き止めて、水面を上昇させるための施設です。
記念碑文によれば、元々このあたりは見沼代用水から灌漑用水を利用していたのですが、充分な量が確保できないため文政年間(江戸時代1818~1830)に水量の補充分として堰が造られ、後に石や煉瓦などで補強されたのだそうです。
昭和初期まで完全なものが残っていたのですが、昭和7年の綾瀬川上流の改修で消滅したのです。

これらが堰の名残でしょうか。
八幡堰跡 八幡堰跡 八幡堰跡
江戸時代の名残はありませんが、思いを馳せることはできそうです。

建正寺・氷川神社

東北新幹線高架をくぐって西方向へ向かい、ここからは社寺めぐりです。
住宅街の奥にある寺院で、かつての参道入口であったであろう路地の角にはこんなものが置かれていました。
建正寺参道 建正寺参道
このあたりはかつては田園だったのでしょうが、宅地化によりこのような光景となったのでしょう。
山門は1854(嘉永7)年の建立で、寺院自体が江戸時代の息吹を残している古刹なのです。
建正寺山門 建正寺山門
山門を抜けた正面が本堂です。
建正寺本堂

旅・歴メモ 建正寺は寿永年間(1182~1184年)の平安時代に現在の丸山辺りに創建され、慶長年間(1596~1615年)伊奈忠次が丸山に築城するため、この地に移ったのです。
本堂堂宇は1786(天明6)年に再建され、その後昭和59年に大改修が行われたものです。
また、薬師堂は1844(天保15)年の建立で、昭和62年に改修され堂内の薬師如来の鉄仏像は町指定の文化財となっています。

こちらは薬師堂です。
建正寺薬師堂
伽藍は見た感じは比較的古さを感じませんが、平安時代からの古刹のある伊奈町は侮れないこところでしょう。

「建正寺」から歩いても数分のところにあるのが「氷川神社」です。
一の鳥居の先はタイムトンネルのように長い参道です。
氷川神社参道
タイムトンネルを抜けた先に1対の狛犬が鎮座している境内と社殿です。
氷川神社境内氷川神社社殿

旅・歴メモ 勧請されたのは1248(宝治2)年で鎌倉時代です。
当時は素戔嗚尊の男体宮と稲田姫命の女体宮の2社あったのだそうですが、いつの間にやら合祀されていたのです。
その後、南北朝時代に再建され、江戸時代には小室郷八か村の総鎮守となりました。
当時、伊奈家の家臣であった大河内家は男子に恵まれず、この氷川神社に参詣したところ男子を授かったと伝わっており、このような故事から夫婦円満、子授祈願の鎮守として信仰されているのです。
また、江戸時代において時の老中で忍・川越城主の松平伊豆守信綱に庇護されたことから、境内にある天神社は“知恵伊豆”と称されていた松平信綱にちなんで「伊豆天神」と呼ばれているのです。
この後、明治6年村社、明治40年には旧小室村内の39社が合祀され、昭和19年に郷社となり現在に至っているのです。
絵に描いたようなエリートコースで出世してきたサラリーマンのようです。

その風格が社叢と遇いまった境内でしょうかね。
氷川神社社叢
そのシンボルが文化財でもあるこのスギでしょう。
氷川神社「スギ」
そしてこちらがひっそりとしていますが「伊豆天神」です。
伊豆天神 伊豆天神 伊豆天神
総鎮守らしく「力石」が残っているのは、庶民に親しまれた名残でしょう。
力石

清光寺・小貝戸貝塚

氷川神社から途中「伊奈町役場」を横目で見て再び北上すると「清光寺」があります。
伊奈町役場
こちらも住宅街の一画にあるのですが、やはり参道はかなり長いです。
清光寺参道
しかも参道口にはこのような庚申塔があるので、かつては交通の要所だったのでしょう。
庚申塔
こちらも長い参道を進むと正面に朱色が鮮やかな本堂を見ることができます。
小室観音

旅・歴メモ 新編武蔵風土記稿及び古記録等によると、創立は応仁(1467~1469)年以後慶長(1596~1645)年以前といわれ、天台宗岩槻慈恩寺末寺となるのですが、その後の途中経過は不明です。
明治維新当時は相当の規模の本堂を有し、付属建物等も数多く存在したのですが諸事情(無檀家等)のため本堂等を取り壊し、隣接境内地にある観音堂を本堂に充て現在に至っています。なお、観音堂は聖徳太子の作と伝えられる聖観音像を主尊とし、1702(元禄15)年には足立板東33ケ所観音霊場第5番寺となります。
1778(安永7)年建立の六間四方の堂宇を1911(明治44)年に茅葺屋根を瓦葺に改め、その後昭和46年の改修後現在の堂となったのです。

現在では通称「小室観音」と呼ばれて広く親しまれているようです。
小室観音
境内には幾つかの石像・石塔などがありますが、これは1701(元禄14)年作の伊奈町で一番大きい地蔵で250cmあるそうです。
地蔵
氷川神社同様、寺叢と共にその由緒を誇っているかのようで、由緒ある空気が漂っているようです。
社叢

この小室観音の裏手にあるのが「小貝戸貝塚」の碑ある貝塚跡です。
小貝戸貝塚
埼玉県指定の史跡となっています。

旅歴メモ この小貝戸貝塚は縄文時代前期(約7000年前)のもので、ヤマトシジミを主として、アサリ、ハマグリ、ハイガイなどがあり、大正13年に指定史跡となったのです。

記念碑自体も文化財であるかのような風格です。
そしてここには清光寺の本坊があり、傍らには不動堂があります。
清光寺本坊 不動堂
現在では観音堂、本坊、不動堂が点在しているように見えるのですが、実際には結構広い境内を持っていることになるのです。
この周辺は丸山周辺よりも更に古い歴史をもったエリアと考えても良いのでしょう。

2013.09.21記
(後編につづく)


上尾市の「大山灯篭行事」を知ったのは昨年のことでした。
しかしながら知った時点で既に終了していましたので今年の行事を待つこととなり、満を持しての散策となったのです。とはいってもそれほど大げさなものでもなく、ある意味ではサイクリングがてら、という軽いノリなのです。
散策の前に少しだけこの行事の説明をしておきます。

大山灯籠行事の“大山”とは神奈川県伊勢原市にある、752(天平勝宝4)年に創建された「大山阿夫利神社」のことで、雨乞いにご利益があるといわれる“大山(別名:雨降山)”にある神社ゆえに農民達から五穀豊穣、雨乞いの神として信仰され、日照りが続き飢饉が多くなると多くの農民が参詣に訪れ、江戸時代になるとこの大山を信仰する人々が関東地方各地で「大山講」を組織したのです。 しかしながら大山阿夫利神社は、本来、山開きの期間のみしか参拝のために登ることができませんでした。この期間が旧暦の6月27日~7月17日で、現在では月遅れの7月27日~8月17日にあたるのです。
そしてこの期間、大山講のある地域では各講の代表者が集って大山詣でをする“代参”が行われたのです。そして残った人たちによって、それぞれの地域で灯籠を立てて山開きの安全を祈願したのです。大山講の代参者が多く通る街道沿いでは、道明かりとして灯籠を立てたと言う説もあるようですが、いづれにせよ地域の人々が交代でその期間中毎晩灯火したのです。灯火する灯籠は木造の組立式のもので、多くはこの期間中だけ立てて、期間が終了すると崩して保管したのです。
現在、こうした大山講の代参は少なくなったのですが、灯籠行事だけは関東各地でも比較的残されているようで、上尾市では今や風物詩として行事が行われているようで、現在この行事は上尾市登録文化財 となっているものなのです。

大山灯籠行事

現在、上尾市内でこの行事が行われているのは16ヶ所に及びます。
比較的市の中心部に集っているのは、やはり当時の幹線道路である“中山道(国道17号線)”があったからなのでしょうか。 江戸時代開けていた“原市”“上尾”“平方”という3エリアの内の上尾宿に近いところと考えても良さそうです。
と言うことで、今回のコースはこうなります。

サイクリングルート大山灯籠行事ルートマップ】http://goo.gl/maps/LPx16

自宅近くの「ガンセンター入口」交差点から出発して、全16ヶ所をグルッと廻ると約28kmのサイクリングとなるのですが、左上の赤いアイコンの場所だけ通っていないのは、実は当日忘れてしまったため、後日車で訪れたためです;;
なお、説明は上尾市オフィシャルサイトからの引用です。

1.二ツ宮の大山灯籠行事

二ツ宮地区では古くから二ツ宮にある家で構成されている農家組合で大山灯籠行事を行っている。大山灯籠のほか、お獅子様や獅子講、ふせぎなどといった行事も、農家組合で行っている。
現在5年に1度、大山講の行事として大山阿夫利神社を参拝しているが、参拝する年に大山灯籠を立てている。灯籠を立てる場所は、二ツ宮公民館の敷地内である。元々、二ツ宮公民館は観音坊と呼ばれるムラ持ちの坊であった。
灯籠は、木製の組立式で、周囲に4本の竹を立てる。この4本の竹には、複雑に縄を張るが、この縄を途中でつなぐことなく1本で仕上げる。また、この縄には注連をつける。灯籠を立てるのは、大山の山開きである7月27日で、この日のことを灯籠立てという。この日から、毎晩灯籠に火を灯す。現在は電灯を灯すことになっている。灯籠を片付けるのは、8月17日で灯籠返しという。
(保持団体:二ツ宮農家組合)

5年に一度とのことなので確率はかなり低いのですが、奇跡的に今年に当たっていたようです。
二ツ宮集会所の一隅に立てられていましたが、日中でも点灯されていました。
二ツ宮の大山灯籠行事 二ツ宮の大山灯籠行事
興味をひかれたのは周囲の竹で、説明には注連縄を張る竹は4本=四角形と記載されていましたが、何故か5本のペンタゴン(五角形)になっています。何か意味があるのでしょうかね。
二ツ宮の大山灯籠行事
いたってシンプルな木造の灯籠ですが、桟のデザインが素敵です。
二ツ宮の大山灯籠行事
5年に一度とは言いながら、いまだに代参をしているのですから貴重な行事で、スタートから興味深さを覚えました。

2.西門前の大山灯籠行事

西門前地区では、古くは原組、中原、上組でそれぞれ大山灯籠行事を行ってきた。現在では、原組(現在の西門前の1班)を中心とした家々のみで行っている。この大山灯籠行事では、庚申塔の隣に灯籠を立てることから「庚申様」と称している。
7月26日を灯籠始めといって、全構成員が集まって灯籠を立てる。灯籠を片付けるのは灯籠じまいといい、同様に全員が集まって片づけを行う。灯籠を立てている間は、順番を決めて毎晩点灯している。
(保持団体:西門前大山灯籠保存会)

庚申塔等との雰囲気が実に幻想的です。
西門前の大山灯籠行事西門前の大山灯籠行事
柱以外は鉄製の灯籠で、素通しのガラスがはめ込まれています。
西門前の大山灯籠行事 西門前の大山灯籠行事
ここは電球ではなくロウソクを立てるようです。
夜の表情はこのような雰囲気です。
西門前の大山灯籠行事 西門前の大山灯籠行事
夏を楽しむかのような、風情ある灯籠でした。

3.菅谷の大山灯籠行事

菅谷地区は、上組、北中地、下組、新田の4つの組から構成されるが、大山灯籠行事は、その年の当番組が行っている。当番組は当番中ともいわれ、大山灯籠行事のほか、氷川神社の春祭礼や秋祭礼、祇園、十王様の灯籠といった菅谷地区全体の行事を担当している。
大山灯籠は、「灯籠」と呼ばれ、木製の組立式の灯籠を北中地交差点の北にある庚申塔の傍らに立てる。この灯籠は、普段は八雲神社に保管している。灯籠を立てるのは、灯籠始めといって7月26日、灯籠を片付けるのは灯籠仕舞いといって8月16日である。この作業は、当番組の班から選出される祭典委員が中心になっている。
(保持団体:下組区・北中地区・新田区・上区)

ここも庚申塔とのセットです。
菅谷の大山灯籠行事
交差点なのでバリケード看板で区切られていますが、若干の無粋さは否めませんが、まあ、仕方ないでしょうね。
こちらは木造で、朱塗りの灯籠がなかなか雅な雰囲気を醸し出しています。
菅谷の大山灯籠行事 菅谷の大山灯籠行事

4.須ケ谷の大山灯籠行事

須ケ谷地区では、大山講が大山灯籠行事を行っている。大山講は、神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社を信仰する講で、毎年代参を行ってきたが、近年では代参は休止している。講の構成員を講中といい、現在10数名である。以前は、この講中でくじ引きをして代参者を決めていた。
大山灯籠は、毎年7月26日に灯籠立てといって須ケ谷の鎮守である第六天神社の境内に灯籠を立て、8月17日に灯籠倒しといって灯籠を片付ける。この立てたり倒したりするのは、講中で行っている。古くは灯籠が立っている期間内は講中が順番で毎晩ろうそくの火を灯してきた。現在は電灯を自動点灯させている。
(保持団体:第六天神社)

それほど広くは無い第六天神社の境内にあります。
須ケ谷の大山灯籠行事 須ケ谷の大山灯籠行事
神社社殿同様、小振りな木造の灯籠は素朴な感じです。
須ケ谷の大山灯籠行事 須ケ谷の大山灯籠行事
現在でも講中の管理がまさに伝統を感じさせてくれますね。

5.箕の木の大山灯籠行事

箕の木地区では、現在町内会である箕の木区で大山灯籠行事を行っている。箕の木には、箕の木全体で祀る神社として山王様とその境内に浅間様がある。この山王様の境内に、木造の組立式の灯籠を立てる。立てるのは、灯籠立てといって7月1日で、その後灯籠を倒す8月7日までの間、毎日午後7時から9時の間、電灯の明かりを灯している。7月1日は浅間様の祭りである初山であり、8月7日は山王様の祭礼日である。実際に立てるのは7月1日前の土曜日か日曜日、倒すのは8月7日後の土曜日か日曜日に行っている。
灯籠を立てたり倒したりするのは、1年交代で選出される祭典委員である。祭典委員は1班から7班から3人、青葉台団地から3人、箕の木住宅から3人の合計12人である。
(保持団体:箕の木区)

箕の木集会所の前にあり、近くには山王社もあります。
箕の木の大山灯籠行事 箕の木の大山灯籠行事
こちらの灯籠は彫刻などがされていて実に美麗です。
箕の木の大山灯籠行事箕の木の大山灯籠行事 箕の木の大山灯籠行事 箕の木の大山灯籠行事
近くにいた方から教えていただいたのですが、NHKも先日取材に来ていたそうで注目なのかもしれません。
元は極彩色だったのでしょうが、花鳥風月のような雰囲気のある灯籠でした。
箕の木の大山灯籠行事 箕の木の大山灯籠行事 箕の木の大山灯籠行事
因みにこの裏手の雑木林は、なかなかクールスポット的な気持ちのよい通路で、まさしく自転車でなければ見つけることのできない場所ですね。
箕の木の大山灯籠行事

6.上新梨子の大山灯籠行事

上新梨子地区では、古くから上新梨子に住む25軒ほどの家だけで大山灯籠行事を行っている。これは農家組合の範囲内であり、実際には上新梨子区農家組合の行事のようになっている。
大山灯籠のことは「灯籠」といい、上新梨子集会所の敷地内に立てる。毎年7月25日前後の土曜日に灯籠を立て、翌日の日曜日が灯籠始めとなる。その後、8月中旬の盆明けの休日に灯籠納めといって灯籠を片付ける。灯籠を立てている期間中は、灯籠の電球を点灯しておく。昭和50年代には、農家組合員(古くから上新梨子に住む家の人)が毎日順番でろうそくを灯して献灯していた。灯籠を立てたり片付けたりするのは農家組合長1人と副組合長2人が行っている。
(保持団体:上新梨子区農家組合)

上新梨子集会所ですが、敷地はかなり広く子供の広場になっているようです。
上新梨子の大山灯籠行事 上新梨子の大山灯籠行事
灯籠はその入口付近にあり、こちらも木製のシンプルな造りです。
上新梨子の大山灯籠行事
灯籠の窓が少し凝っていて風雅さを感じます。
上新梨子の大山灯籠行事
時代の流れでしょうが、こちらも電球なのですね。

7.町谷の大山灯籠行事

町谷地区では、現在町内会である町谷区で大山灯籠行事を行っている。大山灯籠のことを石尊様といい、木製で組立式の灯籠を町谷集会所に立てる行事である。毎年7月26日を石尊様といって灯籠を立て、8月17日の朝に石尊講仕舞いといって灯籠を片付ける。
立てている間の夜間、灯籠には自動点灯で電球を灯している。古くは町会の役員が交代で点灯していた。
(保持団体:町谷区)

こちらも町谷区公民館の前に建てられています。
町谷の大山灯籠行事
どっしりとした重量感ある灯籠に見えます。
町谷の大山灯籠行事町谷の大山灯籠行事 町谷の大山灯籠行事
シンプルながらも、細かいところに彫刻が入っている奥深い灯籠です。

8.藤波の大山灯籠行事

藤波地区では、現在、鎮守である天神氷川八幡合社で、大山灯籠行事を行っている。7月27日が灯籠始めで、組立式の大山灯籠を立て、灯籠仕舞いの8月17日に倒す。大山講の関連行事とされ、大山阿夫利神社を石尊様ということから、石尊様の灯籠ともいう。
藤波の組立式灯籠は、灯籠部分が金属製の枠にガラスをはめた街灯風である特徴がある。神社の氏子総代4人は、5日単位で毎晩灯籠に火を灯し、この期間内、火を絶やさない。古くは、藤波のすべての家に順に油が回ってきて、一軒が一晩火を灯したという。
(保持団体:天神氷川八幡合社)

ここは今年の正月に餅つき踊りを見に来た天神社です。
藤波の大山灯籠行事
見ての通り注連縄も何もない、実に合理的な灯籠で、古の伝統と現代の文化を融合させたともいえる灯籠です。
藤波の大山灯籠行事
見た目は合理的、近代的でも伝統を継承していくには良いことなのでしょうね。
藤波の大山灯籠行事
その一方で電球ではなく、ロウソクを立てているのはとっても素敵な光景です。
藤波の大山灯籠行事 藤波の大山灯籠行事

9.浅間台の大山灯籠行事

浅間台地区では、現在町内会である浅間台区が大山灯籠行事を行っている。7月26日の「灯籠始」に浅間台地区の神社である氷川神社境内に木製の組立式の大山灯籠を立て、8月17日の「灯籠終」に倒す。この間、灯籠に火を灯す。また、周囲には四本の竹を立て、これに注連縄を巡らす。
浅間台のことを古くは沖の上といい、当時は薬王寺境内に立てた。また、もともと浅間台に住んでいた30軒ほどで組織する共有会が行っていたが、共有会と浅間台区が協定を結び、運営は浅間台区で行うようになった。区では祭典部が担当している。
(保持団体:浅間台区)

それ程広くない境内ですが、綺麗にすっきりとした社殿、境内に気持ちも洗われるようです。
浅間台の大山灯籠行事
鳥居と同じような朱塗りの屋根がマッチしていて風情ある光景です。
浅間台の大山灯籠行事浅間台の大山灯籠行事 浅間台の大山灯籠行事
社殿の行事にも「大山祭」と記載されていて、すっかり氷川神社の祭礼になっています。
浅間台の大山灯籠行事

10.弁財の大山灯籠行事

弁財地区では、古くから弁財に住む12、13軒ほどの家だけで、大山灯籠行事を行っている。おおよそが農家組合の構成員であり、弁財浅間神社の氏子でもある。7月27日の灯籠立ての日に年当番2人が浅間神社境内に、木製の組立式の大山灯籠を立てる。周囲には4本の竹を立て、これに注連縄を巡らす。また灯籠を立てた土には、白い御幣を挿す。この御幣や注連は神社の神職からいただく。
大山講の関連行事とされ、大山阿夫利神社を石尊様ということから、石尊様の灯籠ともいう。また、灯籠立て終了後、石尊講といって簡単な宴席を設けることもあった。
 その後8月17日まで灯籠は立てておき、その間、灯籠に毎晩火を灯す。古くは、油で火を灯していたので、灯すための油を家並み順に回していたという。8月17日に灯籠を倒すが、この作業も年当番が行う。
(保持団体:弁財浅間神社氏子会)

そもそも住宅街の中にポツンと浅間神社があること自体驚きであるとともに、結構わかりにくい場所でした。
弁財の大山灯籠行事
浅間神社と言うよりは古墳のような神社の手前に灯籠が立っています。
弁財の大山灯籠行事
灯籠の窓枠がちょっと素敵な三日月で、心和みそうな風情でした。
弁財の大山灯籠行事 弁財の大山灯籠行事
そして支柱の下に挿された御幣もまた伝統と言うことでしょう。
弁財の大山灯籠行事

11.柏座の大山灯籠行事

柏座地区では、神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社を信仰する講として石尊講がある。この石尊講で大山灯籠行事を行っている。現在は柏座の鎮守である春日神社に大山灯籠を立てている。古くは火の見のあった場所に立てていたが、第2次世界大戦後に火の見が現在の柏座集会所に移り、灯籠もここに立てた。その後、昭和30年代以降は、春日神社に立てるようになった。
灯籠は、7月26日に灯籠立てといって組立式の木製の灯籠を立て、8月17日の灯籠倒しまでの間、毎晩灯籠に火を灯す行事である。これは「大山阿夫利神社の山開きの間、お参りをする代わりに立てる」とされた。
(保持団体:柏座石尊講)

明治期に芝宮社、春日社、氷川社が合祀された春日神社だそうですが、それぞれ由緒ある社だったようです。
柏座の大山灯籠行事 柏座の大山灯籠行事
そして境内にある灯籠はかなり傾いているのですが、大丈夫でしょうかねえ。
柏座の大山灯籠行事 柏座の大山灯籠行事
こちらもある意味オーソドックスな灯籠といえますね。

12.谷津の大山灯籠行事

谷津地区では、谷津1丁目と谷津2丁目で構成される谷津町内会で、大山灯籠行事を行っている。大山灯籠は、現在、谷津町内会で管理している観音堂の境内に立てている。古くは谷津1丁目7番地付近にあった火の見やぐらのあった場所に立てた。
木製の組立式の灯籠で、毎年7月27日に灯籠立てといって灯籠を組立て、8月17日に灯籠倒しといって灯籠を片付ける。この作業は、町会役員や顧問が行っている。
(保持団体:谷津町内会)

ここも以前訪れた谷津観音堂の境内地にあります。
谷津の大山灯籠行事
屋根の形状や壁面の彫刻など、かなり凝った灯籠です。
谷津の大山灯籠行事 谷津の大山灯籠行事 谷津の大山灯籠行事
更に圧巻なのが支柱で、壁面と同じように龍が彫られています。
谷津の大山灯籠行事
伝統の重みを形で表したような灯籠でした。

13.向山新田の大山灯籠行事

向山の新田地区では、古くから住む人々で組織する氏子会の新田の人たちだけで大山灯籠行事を行っている。
大山灯籠のことは、一般に「灯籠」といい、木製の組立式の灯籠を高橋八七男氏宅付近の庚申塔の隣に立てる。灯籠を立てるのは灯籠立てといって7月25日であり、片付けるのは灯籠倒しといって8月17日である。氏子会の都合のつく人が集まって行っている。
灯籠を立てている期間には、氏子会の会員が戸別順に毎晩灯籠の電球を灯している。
(保持団体:向山氏子会(新田地区))

住宅地の一角にある庚申塔の手前に灯籠が立っています。
向山新田の大山灯籠行事向山新田の大山灯籠行事
木が新しそうなので、比較的最近作り直されたのかもしれません。
弁財の大山灯籠の三日月ならぬこちらは満月のようです。
向山新田の大山灯籠行事 向山新田の大山灯籠行事
夜になると昼とは違った風流な光景を見ることができます。
向山新田の大山灯籠行事 向山新田の大山灯籠行事

14.向山本村の大山灯籠行事

向山の本村地区では、本村に古くから住む人々で組織する氏子会の人たちだけで大山灯籠行事を行っている。本来は、代参講として知られる大山講の講中と呼ばれる人々の行事であった。現在は代参は休止しているが、お札だけは毎年いただいている。代参講の代参者は、初午の際にくじ引きを行い、代参者を決めている。
大山灯籠のことは、一般に「灯籠」という。7月25日から8月17日に、木製の組立式の灯籠を稲荷神社の境内に立てる。古くは、稲荷神社に向かう道路沿いに稲荷神社の幟枠があり、灯籠を立てる場所は幟枠の付近であった。稲荷神社には、昭和40年代以降立てるようになった。
灯籠を立てるのは、灯籠立てといい7月24日の朝で、灯籠を倒すのは、灯籠仕舞いといって8月18日の朝である。これを行う灯籠番は、旧大山講の講員の家を家並み順に5軒ずつが一年交代でこの任に当たっている。灯籠は、稲荷神社に分解して保管されている。灯籠を立てると、周囲に四本の竹を立て、これに注連縄を巡らす。また、完成すると御幣(幣束という)を灯籠の中に納める。この注連と御幣は、7月中旬の日曜日に行われる夏祭りの際に、神職から大山灯籠用にいただいておく。
7月25日から8月17日は、夕方に灯明を点灯し、翌朝に消灯する。この点灯と消灯を行うのは、灯明番である。灯明番は一晩交代で、灯籠番と同じように旧大山講の講員の家を家並み順に行うことになっている。灯明番の家には、「大山阿夫利神社 御燈明番」と墨書された板が回ってくる。
(保持団体:向山氏子会(本村地区))

こちらも稲荷神社の境内に立てられています。
向山本村の大山灯籠行事
灯籠もオーソドックスな灯籠です。
向山本村の大山灯籠行事向山本村の大山灯籠行事 向山本村の大山灯籠行事
灯籠には行事の説明が掲出され、知らない人でも理解できる工夫がうれしいですね。

15.地頭方の大山灯籠行事

地頭方地区では、神社や寺の祭事を実際に行う年番が担当して、薬師堂の境内で大山灯籠行事を行っている。大山灯籠のことは石尊様と呼び、木製の組立式で毎年7月22日から8月15日に立てる。年番は4人で1年交代の当番である。現在、灯籠には自動点灯する電球が設置されており、立てている間は暗くなると点灯するようになっている。
地頭方地区では、毎年4月半ば、大山阿夫利神社代参者を出す大山講があったが、平成18年ごろに休止した。大山灯籠行事は大山講の関連行事で、立てる灯籠は大山阿夫利神社の方角に向ける。
(保持団体:氷川神社)

この場所も地頭方公民館でありながら意外とわかりにくい場所でした。
地頭方の大山灯籠行事
薬師堂の前に灯籠が立っていて、暗くなると自動点灯するようですが、日陰で暗くなっても当然点灯していました。
地頭方の大山灯籠行事地頭方の大山灯籠行事 地頭方の大山灯籠行事
こちらも割とオーソドックスで、灯籠らしい灯籠といえるかもしれません。

16.堤崎の大山灯籠行事

堤崎地区では、神社などの祭事を実際に行う年行事が担当して、堤崎の鎮守である愛宕神社の境内で大山灯籠行事を行っている。大山灯籠のことは石尊様と呼び、木製の組立式で毎年7月24日に立て、8月10日に片付けている。年行事は5人で1年交代の当番である。石尊様の灯籠を立てている間は、この年行事の手によって毎晩点灯している。
(保持団体:堤崎愛宕神社)

最後の大山灯籠行事です。
堤崎の大山灯籠行事
広い境内の一隅に灯籠が立っており、簡素な作りながら三日月でも満月でもない“半月”のような明り取りが印象的です。
堤崎の大山灯籠行事 堤崎の大山灯籠行事 堤崎の大山灯籠行事
この愛宕神社は、「堤崎の祭りばやし」が上尾市無形民俗文化財に指定されており、伝統ある文化を継承している神社ですから、大山行事もまたその一つとなっているのでしょう。

こうして16ヶ所全てを廻ってみました。
サイクリングの意味合いが強い今回の散策でしたが、廻っているうちに非常に興味深いものであると感じさせられました。
夜の点灯は僅かしか見れませんでしたが、来年は夜は制覇したいものです。
大げさな行事ではありませんが、しっとり素朴に江戸時代を偲ぶとっても素敵な行事でした。

≪今回の散策ルート≫


より大きな地図で 上尾大山灯篭 を表示
2013.08.15記

以前から欲しいと思っていた自転車を購入しました。
以前いわゆる“ママチャリ”と呼ばれる家庭用自転車はあったのですが、自分用の自転車が欲しくていくつかの種類を検討しました。その結果街中などでの散策に活用できる自転車として“ミニベロ”といわれる小径車をチョイスしたのです。しかしながら街中の散策によいとしてもちょっと離れた街では、その街に行くだけでも一苦労でもあり、ここは効率を考えて自動車に乗せられる「折りたたみ」式にしたのです。(決して電車で、とは思わないのです;;)
幸いにも自家用車が1ボックスなのでスペースは充分確保できることから渡りに船ということもありでした。
調べてみるとミニベロ、特に折りたたみはその構造から耐久性や運動性能に劣るようですが、その中では「BROMPTON」や「DAHON」製の信頼性が高いようです。
BROMPTON DAHON
しかしそれに比例してコストも高いので、三日坊主に終わる可能性にある私にその賭けはリスキーでした。
単にコスト面から見ると10,000円を切るような折りたたみミニベロもあるのですが、流石に信頼性もさることながら、幾ら車載といえども重量の軽い車種を絞り込むと、アルミフレームの車体の折りたたみミニベロが両者の条件をを最低限満たすことができるようでした。

6月16日、輸入車専門の店が久喜市菖蒲にあったことから、買い物のついでに立ち寄ってみたのです。
特に対象としたのが自動車メーカーブランドのミニベロで、「ジープ」「シボレー」「ルノー」などがあります。
ネットで検索すると自動車メーカーブランドの自転車は・・・、云々とあまり良い評判は見られませんでしたが、速さや距離を目的とする本格的な自転車を求めているわけでもなく、オッサンのポタリングには見た目が重要ですので、これらの手ごろなブランド車が一番いいんです。
更に目移りしそうなミニベロが数々あったのですが、その中で選んだのが「ローバー」ブランドでした。
ROVER
アルミフレームで車体重量も12kgを切り説明によれば、まあそこそこの耐久性ということで、あとは好みの問題でブリティッシュグリーンのローバーを選択したのです。
価格も30,000円程度と手頃なことから購入を決定したのですが、なんと嬉しいことにちょうど父の日でもあったことから、二人の娘がプレゼントしてくれることとなったのです。
実にラッキーなタイミングでした。
早速テスト走行をしたのですが、実際に本格的に乗るのはその一週間後となったのです。

サイクリング・ヴギ

このところ優れない天気が続く中、6月22日土曜日は前日までの天気予報がはずれ、朝から天気も良く初サイクリング日和でした。ルートは以前から計画していた上尾市から桶川市にかけての荒川流域のサイクリングです。
何十年と運動らしき運動もせず、ましてここ2~30年ほどは自転車に乗ったことも無いのですからサイクリングと言ってもどれだけ走れるのか全くわかりません。確かに最近はジムのエアロバイクで30分ほど走ることもあるのですが、何と言っても機械と自然の中でのサイクリングは環境が全く違います。
そんなこともあって自分の体力を把握するためにも今回のサイクリングは良い試走となるのです。

先に今回の予定コースを見ていただきましょう。
予定サイクリングルート
当然ながら折りたたみの特徴を活かして、まずは自宅から自動車で15分くらいの上尾丸山公園に向かい、丸山公園で自転車に乗り換えて西方向に進んでサイクリングロードを目指します。
荒川沿いの「県央ふれあいんぐロード」(上尾エリア内では「上尾サイクリングロード」)を北上し、途中、樋詰橋で荒川を渡り桶川市に至り、途中から右折して北上し一気にホンダエアポートに向かいます。
ホンダエアポートで一休みして更に北上し、県道12号線を右折して太郎右衛門橋を渡り、川田谷に出てから再び右折して「県央ふれあいんぐロード」を南下します。
途中、泉福寺で休憩し榎本牧場でジェラートを食べる定番をしてから丸山公園に戻るという、凡そ12~3km程度のサイクリングです。
15km程度とは言ったものの、実際に走って見なければ完走できるのか未知数です。途中リタイアしたらどうやって戻ろうか、などなど不安はかなりあるのですが、まあ、なんとかなるのでしょう。
ということで、いよいよ出発です。

上尾サイクリングロード

到着した「上尾丸山公園」では“しょうぶ祭り”が開催中でした。
上尾丸山公園
少し散策とも思ったのですが、気持ちは彼方に馳せていますので帰りに廻ってみることにして自転車の組立を始めます。
ROVER組立 ROVER組立 ROVER組立
組立といっても中央で折れている部分を延ばし、やはり折られているハンドル部分を立ち上げるだけですので、ものの5分も掛らない作業です。
ROVER組立 ROVER組立
一応、サイクリングビギナーとして位置や動力・制動部分のチェックをしてから、いざスタートです。

一般道を西へ進むと“サイクリングロード”の案内板が出現します。
スタート サイクリングロード入口 サイクリングロード入口
南北のコースがあるようですが、予定したコースは方角的に北に向いますので“北コース”へ向います。
ホンの少し走ると小高い丘の上に四阿が現れます。
アッピーお休み処
「アッピーお休み処」と言うことなので、上尾市がサイクリングロードの休憩所として設置したものだと思われます。
見晴しは良いのですが、自転車を担いで上がるのでちょっと面倒です。
アッピーお休み処
ここからは河川敷を走るサイクリングロードに相応しい光景となります。
サイクリングロード
舗装されたサイクリングロードは片側1車線といった感じで難なく対向車とすれ違う余裕はあるのですが、他の方とは圧倒的なスピードの差がありますので、ビギナーとしてはすれ違うだけでも緊張ものです。
対向車
そして周りが静かなので意外と自転車のロードノイズが大きいのをはじめて知りました。後から追いついてくる自転車がそのロードノイズで追いつかれるのが判るのです。そう考えるとiPodで音楽を聴きながらというわけにはいきませんね。
そんな初めての体験をしながら走ると右手に榎本牧場が見えます。
榎本牧場 榎本牧場
榎本牧場】は上尾グルッと名所図会で訪れましたが、裏にサイクリングロードがあるのですから、休憩がてら立ち寄って名物のジェラートを食べる気持ちがよく判りますね。
今回は帰りに再び寄ってみるつもりです。

風景は益々河川敷らしい長閑な雰囲気の中を進みます。
県央ふれあいんぐロード
自転車は“私なりに”順調で、相変わらず対向車と追越車に多少の緊張を覚えながらも、実にウキウキさせられる気持ちのよい体験を満喫します。自転車、あるいはサイクリングが流行っているのも納得ですね。
そして見えたきたのが「樋詰橋」という小さな橋です。
樋詰橋
いわゆる洪水が起きると水浸しになる“冠水橋”で、大型車は無理ですが一般車は通れる橋でこのあたりはもう桶川市となります。 橋の下を流れるのが荒川です。
“荒ぶる川”荒川がこんなに長閑なのも良いものですね。
荒川 荒川
ここからはサイクリングロードと別れ、樋詰橋を渡って最初の目的地であり「ホンダエアポート」を目指します。
光景は水田のある河川敷の風景に変わります。
水田風景 河川敷
この辺りはちょうどエアポートの南方向に当たるので、盛んに上空を飛行機が飛交ってくのを見ることができます。
エアポートからの飛行 エアポートからの飛行
いよいよサイクリングも佳境となります。

ホンダエアポート

本来はここから右折して畦道のような道を進むのですが、昨日までの雨のため道はぬかるんでいて水溜りが沢山できています。ま、クリーニングすれば済むことですが、やはり“おニュー”の自転車をあまり泥だらけにするのは、という心理からとりあえずもう少し先に進んで舗装道路を行こうと決めたのです。
河川敷を進む
しかし行けども行けども畦道ばかりで、ちょっとの不安を感じ始めた矢先にやっと右折のできる道に到着しました。
道路の左側には「さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道」と言う標識が現れました。
さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道
ネットで調べてみるとなんと、江戸川区の葛西臨海公園から埼玉県の熊谷市までの約90kmにも亘る壮大なサイクリングロードだったのです。
ゆっくり走っていると何台かには追い越しの際に注意喚起のベルを鳴らされるので、迷惑になるのも申し訳ないのでサイクリングロードと並行する土手の上の道を進むことにしたのです。
土手上の道 サイクリングロードと管理用道路
少し先には「海まで52.0km」の標識があり、さすが海無し県だなあ、と再認識させられたのでした。
標識

しばらくサイクリングの爽快感を味わいながら進んでいきます。
まさに田園風景です。
河川敷を進む 田園風景
しばらく進むと左手にコンクリートの大きな建物が現れます。
埼玉県防災航空センター
「埼玉県防災航空センター」と言うようです。
ここは防災ヘリによって消防活動を行うための拠点で、ヘリコプターなどの機体の購入は埼玉県が行い、ヘリに搭乗して活動するのは埼玉県市町村内の消防隊員、そしてヘリの操縦・整備を民間の本田航空㈱に委託するという官民一体の施設なのですが、建物的には本田航空の社屋なのです。
ヘリコプターの姿は見えませんでしたが、セスナの機体が格納されているのを見ることができました。
格納庫
そしてこの施設の反対側が「ホンダエアポート」なのです。
ホンダエアポート
滑走路に近づいて見ます。“吹き流し”のある空港らしい光景です。
ホンダエアポート 吹流し
このホンダエアポートは1964年3月にホンダによって開設された軽飛行機専用の飛行場で、、おもな業務は以下の通りです。
●本田航空による遊覧飛行、ライセンス取得スクール、航空写真、広告・宣伝飛行の機体の発着
●埼玉県、栃木県防災ヘリコプターの運航
●飛行船の発着
滑走路の全景です。
滑走路全景
当たり前ですが、こんな小さくてもちゃんと管制塔があるのです。
管制塔 管制塔
タイヤの着いた移動式の管制塔って言うのもなかなかお目にかかれないでしょうね。
多くの軽飛行機がありますが、中にはこんな機体も。
軽飛行機
やはり小振りでも飛行場と言うのはそそられるものです。
エアポート
しばらく飛行場を眺めていると南の方角から落下傘部隊が。。。
スカイダイビング スカイダイビング
ここホンダエアポートの滑走路の側には東京から最も近いドロップゾーン(降下地点)があり、首都圏におけるスカイダイビングのメッカとなっているのだそうで、それを運営しているのが「東京スカイダイビングクラブ」で、1回に10人とか15人とかがダイビングするようです。
ちょうどダイバーを乗せた飛行機が戻ってきたようです。
着陸機 東京スカイダイビングクラブ
このように身近なエアポートとして、1日中見ていても飽きることはないホンダエアポートなのです。

南側からは大きな爆音が聞こえるので行って見ます。
こちらは「桶川スポーツランド」のサーキットで、様々なフリー走行が楽しめるサーキットなのだそうです。
桶川スポーツランド 桶川スポーツランド 桶川スポーツランド
エアポートに戻り帰り際、別の爆音が聞こえるので行ってみると、こちらはラジコンバギーのサーキット場です。
ラジコンコース ラジコンコース ラジコンコース
これも結構見ていても飽きないものですね。
楽しみ方一杯で、これで横の荒川でボートでもできれば陸、海、空を楽しめるエリアになるのですが。
ホンダエアポート
ちょっとオジサンには楽しい場所でした。

桶川分教場

ホンダエアポートを後にして、再びサイクリングロードに戻り北に進みます。
土手の上のサイクリングロードですからとても気持ちが良いです。
サイクリングロード
しばらく進むと県道12号線と交差します。
交差点
標識にあるとおり、真っ直ぐ進むとサイクリングロード、左が川越方面、右が桶川方面となります。
標識
ここからは海まで53.9kmですから、このサイクリングロードを約2km走ったことになります。
標識

もう一つ看板があり、ここには「熊谷陸軍飛行学校 桶川分教場」と記載されています。
案内板
どうやら桶川には訓練場のようなものがあったようで、それも特攻隊に関連しているようです。折角知ったので立ち寄って見ることにします。
まずは県道12号線を桶川方面に進みますが,右に見える大きな橋「太郎右衛門橋」を渡ります。
太郎右衛門橋
人の名前らしき橋名ですが、もともとここには“渡し”があり、その運営者の名前をとって名付けられたものだそうです。
かなり長く大きな橋です。
太郎右衛門橋
元々歩道はなったのですが、交通量が増えたことから上流側だけに歩道が付け足されたので、下流側にある先ほどのホンダエアポートは道を挟んでしか写真を撮ることができないのです。
太郎右衛門橋

太郎右衛門橋を渡って橋の袂を側道に沿ってUターンすると看板があります。
案内板
案内のまままっすぐ正面に進むと道の両側には「境界杭 陸軍」と説明された杭がところかしこに立っています。
境界杭
かつてこの辺りが陸軍の敷地だったことを物語っているのです。
「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡」と書かれた看板のかかった古い建物が眼に入ります。
熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡 熊谷陸軍飛行学校桶川分教場跡
奥に入ると一回り大きい建物があり、そこには「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場本部兵舎跡」と書かれています。
熊谷陸軍飛行学校桶川分教場本部兵舎跡熊谷陸軍飛行学校桶川分教場本部兵舎跡
ここが主要な建物だったのでしょう。

この桶川飛行学校とは、昭和10年に開設された熊谷陸軍飛行学校の桶川分教場として昭和12年に開設された学校で、当初は下士官、その後少年飛行兵や学徒動員の大学生などが教育を受けたのだそうです。
今日は土曜日なので一般公開されていて、建物内を見学することができます。
兵舎内 建物
建物の造りはまさしく学校の造りで、こういった当時のトイレなども残されているのです。
トイレ
戦後は大陸からの引揚者などの住居として使用され、敷地は国、建物は桶川市の所有だったそうです。平成19年に最後の住民が転出した際、当初は更地になる予定だったのですが、「NPO法人 旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」が署名活動を行い、平成22年桶川市がこの土地を購入し存続されることになったのです。

当時の建物や様々な展示物も大変興味をひかれるのですが、特筆すべきは会の名称でもある“語り継ぐ”ということでしょう。
展示品 展示品
先の通り当初は飛行兵を育てるための教育の場であったのですが、戦況が険しくなってきた頃の昭和20年2月以降は特攻隊の訓練基地として使用された事なのです。
その特攻機にかかわった元整備員の方が、ここで当時の話をしてくださいます。
現在北本市に在住の柳井氏によると、特攻攻撃の訓練は現在のホンダエアポートの滑走路から本田航空社屋に向かう途中の、堤防上に立っていた吹き流しをめがけて急降下、急上昇を繰り返し行ったようです。 先程見たあの“吹き流し”が当時のイメージを伝えていたものだったのかも知れませんね。
そして昭和20年4月、この桶川の特攻隊員12名が鹿児島県の知覧基地から出撃することとなり、整備のため柳井氏を含めた整備員5名が同乗することとなったのだそうです。
その12名がこちらの“第79振武隊”と呼ばれる部隊で、柳井氏はこの中の山本少尉の特攻機に同乗したのだそうです。
第79振武隊
振武隊とは、特攻部隊のうち九州から出撃した部隊の名称で、台湾から出撃した部隊は“誠飛行隊”と呼ばれていたのです。
何故このような事になったのかと言えば、この当時は特攻をするにも機体が少ない為、陸軍として初めて練習機を塗り替えて特攻機に使用したためだったのです。したがって柳井氏は、ここ桶川を離陸し岐阜県にある陸軍各務原飛行場で一泊し、下関市の小月飛行場に向かったのだそうです。
途中、特攻隊員の山本少尉の出身地である京都では、超低空飛行で実家の辺りを2,3回周り、翼を大きく振って別れの挨拶をしたのだそうです。
そして小月飛行場に着くと翌日試運転を行い機体を隊員に引き渡したのです。その際山本少尉からは労いの言葉をかけてもらい整備員は列車で帰ったそうです。
4月7日特攻隊は知覧に到着し、昭和20年4月16日第79振武隊として沖縄の海に散ったのです。
この時の12人の寄せ書きは現在、知覧特攻平和会館に残されているそうです。
因みに山本少尉の隣の高橋少尉は戦死月日、戦死場所などが記載されていませんが、この方の機は敵機の攻撃に遭い小島に不時着し、一旦知覧に戻り再出撃するはずだったのですが、飛行機が無く再出撃の機会がなく存命されたのです。
第79振武隊
今の時代からしてみれば生きてて良かったということになるのでしょうが、当時は逆に生きているがためにつらい思いもされたとのことでした。
まだまだ興味深いお話をいくらでも聞くことができるのですが、すでに1時間以上たっていますのでこの辺りで失礼させていただきました。
平和そのもののようなホンダエアポートがこの様な歴史を持っていたとは思いもよらぬことで、驚きと感動のひと時を過ごさせてもらいました。

泉福寺

桶川分教場を後にして、太郎右衛門橋をくぐってここからは再び県央ふれあいんぐロードを南下します。
同じようにここでは河川敷を走り、振り返ればこのような光景となります。
太郎右衛門橋 県央ふれあいんぐロード 県央ふれあいんぐロード
しばらく進むと高台(土手上)に到着します。
ここからはホンダエアポートを荒川越しに見ることができます。
ホンダエアポート ホンダエアポート
そして反対側に重厚感ある仁王門を見ることができます。
仁王門
ここは「泉福寺」です。
開基は平安時代まで遡り、天長6(829)年淳和天皇の勅旨によって慈覚大師円仁によって開山されたのです。大師自らが薬師如来、地蔵菩薩、阿弥陀如来の三尊を刻み本尊として祀ったと言われているようです。
しかし源平の乱により伽藍を含め全てを焼失したのですが、鎌倉時代の文暦元(1234)年、信尊上人とその4人の弟子によって中興され、その弟子の4人の内の一人尊海は、川越の喜多院、中院などを復興したことにより、関東談林が開花したことからこの泉福寺が関東天台の祖山といわれているのです。
その後、戦国時代再び焼失するのですが江戸時代になって朱印地5石と不入地4万坪を受け、宝暦2(1752)年には山門、鐘楼を除いて殆ど完成され、現在の建物は概ねこの時代のものなのだそうです。

さてその仁王門ですが、左右の阿吽の仁王像はなんと石像です。
仁王像 仁王像
もしかしたら石像で見るのは初めてかもしれません。結構珍しい部類なのでしょうか。
そしてその奥が「阿弥陀堂」です。
泉福寺阿弥陀堂
縁起にあったように薬師如来、地蔵菩薩、阿弥陀如来の三尊を祀って開山されたのですが、そのうちの木造阿弥陀如来坐像だけが奇跡的に現存しているのです。
木造阿弥陀如来坐像 《案内板より/(C)桶川市教育委員会》
そしてその胎内には弘長2年(1262年)の銘文が刻まれていて鎌倉時代の作であることが判明したのです。
現在は重要文化財に指定されていて、阿弥陀堂の前の耐火収蔵庫内に安置されているのです。
耐火収蔵庫
最後に本堂をお参りして後にしたのです。
本堂
こんな身近に名刹があったとは大変驚きました。

泉福寺を後にして、ここからは大分疲れも出始めたことから若干ショートカットして一般道を進みます。
一般道にも見どころは結構あるのですが、ここは一目散といった感じですが、やはり上尾サイクリングロードの名物榎本牧場のジェラートは食べないわけには行かないでしょう。
榎本牧場 ジェラート
以前にも一度食べて美味しいことは保証付きですので、今回は「プリ・・・」、名前を忘れてしまいましたが、キャラメルとアーモンドとミルクを混ぜたジャラートをいただきました。
サイクリングの途中で食べるのは、一層美味しさがアップと言う感じです。
ここからは一気に飛ばして上尾丸山公園に戻ってきました。
最終的には15kmほどのサイクリングで本格的な方には鼻で笑われるくらいの距離ですが、私的には目一杯でした;;。

《今回のサイクリングルート》


より大きな地図で “サイクリング・ヴギ” ~上尾・桶川荒川流域散策~ を表示

それでも爽快感と心地よい疲労とともに気持ちはヴギ・ウギのリズムで、ちょっと病み付きになりそうな初サイクリングでした。
上尾市もサイクリングの街として活性化を図っているようなので、これからもローカルブームに載ってしまおうと目論んでいます。

2013.07.01記