合角ダム

「塚越の花まつり」を見学した後は、先ほど薬師堂境内から見えた「合角ダム」に向います。
このダムは今回の散策の第2の目的と前述したのですが、それは秩父にある4つのダムで訪れていない最後のダムだからなのです。
プチダムファンとして「花まつり」以上に期待感が高まります。

合角漣大橋

米山薬師から見えるくらいですから、車で向うには10分ほどですが、途中「吉田元気村」に立ち寄ります。
いわゆるコテージやキャンプができるアウトドア施設なのですが、まだ8時を少し過ぎたばかりですから、何事も無いかのようにまだ静寂が支配しています。
「ハナモモ」でしょうか、こんな綺麗な光景を目にできました。
吉田元気村 吉田元気村
そして左側が合角ダムの放水路なのです。 子供やファミリーがキャンプするには良いところでしょう。
それでは合角ダムに向います。

合角ダムに到着し、まずは管理事務所に向いますが、まだ8時半過ぎなので管理事務所が開いていません。 仕方ないので先にダム湖周辺を巡ってみます。
ダム湖を反時計回りに進むと2つのトンネルを通ります。
トンネルにはそれぞれイラストが描かれており、「日尾峠トンネル」は“魚”、「昭和トンネル」は“花”です。
日尾峠トンネル 昭和トンネル
湖ならではの自然と生物を象徴しているのでしょう、ダムにもホスピタリティは必要ですから。
そしてダムの反対側に差し掛かると見事な吊橋にを渡ります。「合角漣大橋」です。
合角漣大橋
「合角漣大橋」といえば、4月に【権現堂堤の桜】で訪れた“外野橋”が斜張橋として珍しい橋だということを知り、その“外野橋”と同類の橋がこの「合角漣大橋」であるということを知りましたが、まさか、こんな早く実物を見る機会が来るとは思いませんでした。
以前は、写真でしたが実際はかなり大きな橋です。
橋脚には“魚”をイメージしたものでしょうか、彫刻がデザインされています。
合角漣大橋
こんなところもお洒落です。 そしてなんと言っても斜めに張られたワイヤーが印象的なのです。
合角漣大橋
さらに橋を渡り終わって振り返ったフォルムもまた美しい橋なのです。
合角漣大橋 合角漣大橋
ダム湖と樹木の緑に青い空の中であればなおさら映えるのでしょうが、今日は致し方ありませんね。
最後にダム湖に灌ぐ湧水なのでしょうか、自然溢れる光景も堪能できました。
滝
そろそろ9時近くなってきたので、ダムに戻ることにします。

西秩父桃湖

合角ダムに戻ってまずは天端周辺を散策します。 いつ見てもダムのフォルムは魅力的です。
合角ダム提体 合角ダム天端 合角ダム提体
中央にあるのが天端で、その横に「合角ダム」と「西秩父桃湖」と刻まれた石碑が並んでいます。
石碑
まず気になるのがダムの名称で、全国的に難読なダム名としても知られており、“かっかく”ダムと読むのです。
そして一方のダム湖の名称もいわくつきで、「西秩父桃湖」という名称は、土屋義彦元埼玉県知事の長女である市川桃子に由来するのではないかと憶測されているそうです。
改めて秩父のダム湖の名称を確認してみます。
三峯神社】で訪れた、一番最初にできた“二瀬ダム”は、1961年竣工という古い時代だったので、秩父宮妃より「秩父湖」と命名されたのです。 【荒川のそば】で訪れた二番目の“浦山ダム”は、1998年竣工で一般公募によって名称が募集され、春には湖畔に桜が咲き乱れることから“さくら湖”が第1位となり、この地域を表す“秩父”をつけて「秩父さくら湖」となったのです。 そして同じ【三峯神社】で訪れた“滝沢ダム”は2008年と一番新しく、やはりこちらも一般公募により、文字通り中津川などの周辺の紅葉が有名なことから「奥秩父もみじ湖」と命名されたそうです。

2001年に3番目として竣工したこの“合角ダム”もまた完全なる一般公募ではないのですが、一応地元の2町の命名委員会300名から165作品の応募を受けたのだそうです。その結果、2位10票の「西秩父湖」をダントツで離した「桃湖」が71通を獲得したのだそうです。
こういったことからこの“桃湖”は当時の知事の娘である市川桃子に由来するのではないかと憶測されているのですが、流石にこれは穿った話ではないかと考えられます。
先に見たように吉田元気村周辺は“ハナモモ”の里であり、更にダムから北上する道は「カイドウ街道」といわれるほど“カイドウ”という樹木が有名なのだそうです。
カイドウ
この“カイドウ”とは中国産のリンゴの仲間なので桃とは何の縁もありませんが、20年前に地域の発案で植えられたものでもあり、樹木自体はあまり一般的では無いこともあり、見た目がピンクであることから“ハナモモ”と一緒にして“桃”湖と命名し、町興しの一環として活用したとしてもおかしくは無いでしょう。
ここは純粋に桃の里と納得しましょう。

合角ダム

まずはその天端を歩いてみます。
凡そどのダムでも同じなのですが、無機質さが良いのですね。
そしてダム提体を上から眺めるのもまた、建造物の大きさを実感する一つの儀式みたいなことです。
合角ダム
天端に埋め込まれた方向パネルが秩父3ダムや秩父郡の下久保ダムを指しています。
合角ダム
そして下流方向に先ほど来た米山薬師方面が、そして上流方向に西秩父桃湖と合角漣大橋を見ることができます。
下流方向 上流方向
また、天端の上流側の柵にはデザインが施されています。
手前から秩父市吉田の“龍勢まつり”と“塚越の花まつり”があります。
龍勢まつり 花まつり
更に中央から先には秩父郡小鹿野町の“鉄砲祭り”と“小鹿野の春まつり”になっています。
鉄砲まつり 小鹿野春まつり
流石に秩父市吉田と秩父郡小鹿野町をまたがる西秩父桃湖だけあって、両者の著名な祭りを表現しており、地元を大切にしたホスピタリティにあふれています。
このうち【鉄砲祭り】【龍勢まつり】と塚越の花まつりは訪れたわけで、是非機会があれば小鹿野春祭りにも行ってみたいものです。

合角ダム提体周辺を散策して、9時になったので管理事務所を訪れます。
こちらが合角ダム管理所で、1階が合角ダム展示室となっています。
展示室
まずは受付けで、この日の第2の目的である合角ダムの“ダムカード”をいただきました。
合角ダムダムカード
これで「浦山ダム」「滝沢ダム」「二瀬ダム」とゲットして、最後の4ダムカードのうちの1枚をゲットして、4枚すべてを集めました。
4ダムカード
この4枚を集めて「二瀬ダム」に持ち込むと“二瀬ダムオリジナル手作りダムカード”をいただけるのです。しかしながらこれから二瀬ダムに行くのは無理なので、一旦帰ってから郵送する予定です。
2009年11月に浦山ダムを訪れてから約2年半かかってやっと揃ったのですから、喜びもひとしおです。
その喜びもそこそこにして展示室にはいりますが、ダムカードと一緒に頂いた合角ダムのパンフレットをいただき見学させていただきます。
それ程広い展示室ではなく、休憩室も兼ねたといったほうが良いかもしれません。
展示室
先ほどこの合角ダムは多目的ダムといわれていましたが、改めて事業の目的を記載します。

事業の目的
合角ダムが建設された吉田川は、荒川水系赤平川の支川で、群馬県境の二子山(標高1,166m)に源を発して、埼玉県西部の西秩父を東に流れ、途中で支川の石間川、阿熊川を合わせて赤平川に合流する一級河川です。
流域面積78.8k㎡、流路延長25kmで、その流域上流部は小鹿野町に、下流域は秩父市と皆野町に属しています。
合角ダムは、吉田川総合開発事業の一環として秩父市上吉田と小鹿野町にまたがって建設されたもので、洪水調節、河川環境の保全及び上水道用水の新規開発という複数の目的を持つ多目的ダムです。
洪水調節
ダム地点において、460㎡/sの洪水に対し最大400㎡/sを調節し、吉田川下流の洪水被害の軽減を図ります。
河川環境の保全
流域の漁業、景観、動植物の保護などのため、渇水時においても維持しなくてはならない流量と、ダム下流の吉田川及び赤平川で取水しているかんがい用水・上水道用水のために必要な流量を確保します。
上水道用水の新規開発
水需要の増大化に対処するため、埼玉県・深谷市川本・寄居町・小鹿野町の水道用水として新たに1.O㎡/sの取水を可能にします。
(合角ダムパンフレットより)

1970(昭和45)年に実施計画調査が始まってから、2001(平成15)年の完成まで凡そ30年の年月をかけて造られたダムなのです。
展示室の入口付近に合角ダムのジオラマが置かれています。
ジオラマ ジオラマ
ダム付近をクローズアップすると、先ほどの米山薬師堂や吉田元気村などの位置関係が理解できます。
また、展示写真には興味深いダム工事前の写真なども掲出されていましたが、これについてはパンフレットにもその写真が掲載されているので、そちらをスキャンさせていただきました。
ダム工事前 ダム工事後 《写真:(C)埼玉県合角ダム》
よく判る写真ですが、それだけ大変な工事だったことも理解できますが、その分補償なども随分と掛ったようです。

補償概要
土地:宅地5.2ha、畑21.3ha、山林69.8ha、その他4.7ha 合計101.0ha
移転世帯:水没72戸、付替道路3戸 合計75戸
家屋:家屋及び工作物220棟
付替道路:県道藤倉吉田線2.5km、小鹿野町道4.9km、吉田町道3.4km、吉田町林道0.5km 合計11.3km
(合角ダムパンフレットより)

また、同じパンフレットには水没地域の歴史として巨岩のことが記載されています。

伝説の巨岩「天狗岩」
昔、日照り続きで吉田川(藤倉川)の水が枯れ、村人が水争いを始めたとき、怒った天狗が山の上から岩を投げ落とし、水の大切さを村人に教えたという伝説が伝えられています。
故郷の思い出を残すためにと、保存の声が上がりましたが、あまりの大きさに実現しませんでした。
(合角ダムパンフレットより)

その天狗岩の写真がこちらです。
天狗岩 《写真:(C)埼玉県合角ダム》
今ひとつ大きさはわかりにくいですが、灯籠のようなものもあり、地元の方からは親しまれていたのでしょう。
無くなってしまったのは残念でしょうが、こうして伝承だけはキチンと残されているのですから、これからも語り継がれていくのでしょう、町の民話として。
奥にはもう一つダムの種類の模型が展示されています。
ダム種類ジオラマ
中央が引き出せるようになっていて、ダムの内部の構造がわかるようになっています。

ダムの種類
ダムには大きく分けると三つの形があります。造る場所の地形や地質によって、一番適したものを選んで造ります。
重力式コンクリートダム
コンクリートの重さで水を支えているダムです。最近ではこの形のダムが最もたくさん造られています。
アーチ式コンクリートダム
水の圧力を両側の岩盤で受け止められるように、形を弓なりにしたものです。このため、重力式コンクリートダムよりコンクリートの量を少なくすることができます。
フィルダム
土や石を積み上げて造るダムです。
●ロックフィルダム:石を積み上げて造るダム
●アースダム:土を積み上げて造るダム
(合角ダムパンフレットより)

重力式はここ合角ダムや秩父・浦山ダムなどがあり、アーチ式には秩父・二瀬ダムがあります。またロックフィルには飯能・有間ダムがあり、埼玉県で一通りのダムが見られるのです。
こうしてダムの知識も少しながら吸収し展示室を後にしました。

展示室を出ると薄らと陽射しもでてきて、雨も止みそうな気配となってきましたので、ダムを見下ろせる展望台に上がってみました。
こちらが左から元気村・米山薬師方面、中央がダム提体、左が西秩父桃湖・合角漣大橋です。
元気村方向 ダム提体 西秩父桃湖
陽がさしてきたので靄が立ってきていますが、クローズアップするとこの辺りの赤い屋根が米山薬師堂のようです。
米山薬師堂
更に東側には名称不明ながら赤い橋が掛っており、その先のトンネルが先の昭和トンネルです。
昭和トンネルと橋
いつ見てもこの巨大な建造物はその付帯施設と共にいくら見ても飽きないものです。
こうして久しぶりの大型ダムを堪能して、合角ダムを後にしたのでした。

最後に集めた4ダムカードを5月6日に郵送し、5月8日にオリジナル二瀬ダムカードをいただきました。
二瀬ダムオリジナルカード 二瀬ダムオリジナルカード
非常に貴重な写真を使用したカードなのだそうです。
現在、合角ダムには“合角”=“ごうかく”=“合格”という読みから、受験生のお守りとして求めてくる方が、多いとか少ないとか・・・。
受験生の人も気分転換にダム巡りも良いかもしれませんね。勝手ながら…(汗)

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紅葉狩り

再び国道140号線を進んで、先ほど見えた中津川橋の袂を右折して渓谷とトンネルの連続である県道210号線に入ます。
この県道210号線は正式名称は埼玉県道210号中津川三峰口停車場線で先に進むと秩父市道大滝幹線17号線(旧中津川林道)とに分かれているのです。この分かれた秩父市道大滝幹線17号線(旧中津川林道)は長野県との県境にある秩父市中津川三国峠まで達する埼玉県と長野県を結ぶ唯一の道路なのだそうです。埼玉県と長野県の県境が10kmしかないと知ればそれも無理からぬことと理解できますし、また別な意味では非常に貴重な道路ともいえるでしょう。
それはさておき、進むにつれて紅葉も濃くなっていくといった感じです。

中津峡

中津峡は、中津川沿いの約10kmの渓谷で、埼玉県の指定名勝で奥秩父を代表する紅葉のポイントなのです。本来、中津川沿いなのですから、中津川峡とか中津川渓谷と呼べばよいのでしょうが、一般的に中津川渓谷は福島県の猪苗代町の方が定着しているため、こちらは中津峡と呼んでいるようです。
さてその紅葉の名所である中津峡の中でも、持桶トンネルの手前にある紅葉がことさら綺麗で有名とのことなので、まずは持桶トンネルを目指します。

紅葉の綺麗そうな場所には路駐が多いのでそれと判ります。
国道140号線から県道に入って彼是2、30分ほど走ったでしょうか、やっとその持桶トンネルに到着です。確かにトンネルの手前右側には綺麗な紅葉を見ることができます。
持桶女郎もみじ 路肩に車を止めて紅葉狩りです。

持桶女郎もみじ トンネルの手前に県道から右に分岐する小道がありますが、その小道沿いに「持桶女郎もみじ」と記載された看板が立っています。

持桶女郎もみじ 持桶女郎もみじ 右を流れているのは当然中津川でまさに秋の渓谷美の醍醐味といっても過言ではないでしょう。

低スペック、低スキルですがとりあえず紅葉三昧です。

それにしても「女郎もみじ」とは大胆なネーミングです。どちらかと言えばネガティブなイメージになりがちな女郎という言葉の響きで、「太夫」とか「花魁」とでも言えば、少しポジティブに聞こえるかもしれません。
いずれにしてもこの名前の由来はわかりませんが、パッと咲いて散ってしまうという紅葉の習性からでしょうか。桜と同じ習性ですが、桜はこれから春・夏という光を向かえ、紅葉は秋・冬と星を迎えるといった明と暗、陽と陰といった対照的な花です。 女郎もみじVS左近の桜といえばそのイメージが理解できるでしょう。
しばし「持桶女郎もみじ」の景色を堪能し、折角なので先に進んでみることにしました。隠れた紅葉の名所があるかも知れないという邪な気持ちもあって。
しかし、その野望も悉く打ち砕かれました。殆ど見るべき紅葉もなく、前述した通り林道に繋がっており林道のあのリスキーな風情が漂ってきたので、今回は無理をせず引き返すことにしました。

少しの間「持桶女郎もみじ」を離れただけですが、戻ってみると路駐の車で道路は溢れていました。もう駐車スペースは無いようです。そのまま通り過ぎて国道140号線に戻るべく道を進みます。
紅葉 国道140号線の途中でも車が停車している場所がいくつもあり、大体それなりに紅葉の綺麗そうな場所です。

大分、見物客も増えてきたので車の量も多くなってきたようですね。

途中、「持桶女郎もみじ」が記載された立て看板と同じ看板が川沿いに立っていたので車を止めて見ました。
するとその看板には「市子岩の奇縁」と記載されていました。
市子岩の奇縁 解説も無くまたまた判りにくいネーミングですのでとにかく調べてみますが、その前に当然その風景を眺めて見ます。

市子岩の奇縁 看板の先は中津川が流れており、爽快な渓谷美を形作っています。

市子岩の奇縁 その中で一際目立つ大きな岩があります。

市子岩の奇縁 そこから少し上流に目をやるとなんとも美しいエメラルドグリーンの水の流れを見ることができます。否、エメラルドグリーンよりペパーミントグリーンといったほうがイメージ的にも近いかもしれません。とにかく綺麗な渓流です。

市子岩の奇縁 下流も渓流が美しいながら、山との構図がまさに渓谷たらんとしているところに感動すら覚えます。

もう少し紅葉が色づいていればパーフェクトな渓谷ですね。

ここでもじっくり自然の美を堪能しましたが、「市子・・・」の謎が・・・。
という事で調べては見たものの何も手掛かりは無し、という事であとは推理しかありません。
まずは「奇縁」が不思議なめぐり合わせの意味であることを理解するとして、昔々市子という村娘が何の因果か川で溺れて岩になってしまった実に不思議な・・・、なんて訳ないですね。もう少し脚色して・・・
古来、神の言葉(神託)を得て他の者に伝えることが役割としたものに巫女がいます。この巫女は、柳田国男・中山太郎の分類によると、概ね朝廷の神和ぎ系巫女と民間の口寄系巫女に分けられ、神和ぎ系巫女は、関東ではミコ、京阪ではイチコといい、口寄せ系巫女は京阪ではミコ、東京近辺ではイチコアズサミコというそうなのです。
とするとここで云う「市子」というのは巫女をイチコと呼んでいたのがいつの間にか「市子」の漢字が当てられたと無理矢理考えます。そしてこういった大岩は古来で考えると天岩戸の前で巫女が舞をまったという故事から、アニミズムからこの岩は神そのもので、これを巫女が祀ったところ、神のちからによって美しいペパーミントグリーンの渓流に変わったという実に不思議な・・・、ありえませんな!!!
といううことで、どうような由来なのか全く判りませんが、まあ、綺麗な渓谷を見られただけでも良しとしますか。

若干、消化不良気味ですが帰路を進みます。
永世戸山の紅葉 ホンの少し進んだところに、またまたあの看板です。「永世戸山の紅葉」とあります。

ここは素直に考えておきましょう。そう、ここは永世戸山という場所にある紅葉なのです。イエイ!
永世戸山の紅葉 永世戸山の紅葉 ということで、真っ赤な紅葉が1本だけ存在感を示しています。
山肌は黄色が多いようで今ひとつの感はありますが、それなりの紅葉と云っておきましょう。

きっと他にも見所はあるのでしょうが、できたら簡単でも良いので由来なり意味なりを記載していただけるとありがたいのですが、観光協会の方いかがなものでしょうか、折角綺麗な紅葉なのですから・・・。
この後、国道140号線との交差点に戻り右折して来た道とは反対の方角に進みます。

栃本関跡

国道140号線は、先ほどの中津川大橋を渡ると大峰トンネルに入ります。この大峰トンネルは全長2200mある長いトンネルで、これもダム建設に伴って造られたトンネルで1997年に完成した比較的新しいトンネルです。
このトンネルを抜けて少し進むと、滝沢ダムのループ橋へいたる国道140号線が2又に分かれた一方の140号線と合流し、この先は国道140号線・彩甲斐街道の一本道となり、その先は埼玉県と山梨県の県境を抜ける6,625mの雁坂トンネルとなるのです。一度通行してみたいものです。
国道140号線を合流後、まもなく右折というよりはUターンに近いイメージで秩父往還を走ります。今度は秩父湖のある二瀬ダムに戻る感じです。
かなり細い道路で基本的には片側1車線しかないような道ですが、一応それでも140号線です。それでも結構集落があるのは、やはり歴史ある秩父往還だったからでしょう。

細い道を暫く進むと左側に大滝歴史民俗資料館で知った「栃本関跡」があります。とても路駐ができるスペースはないので、少し先のT字路の角が少し広いので無理矢理停めてしまいました。
栃本関跡 実にひっそりとしたところに「栃本関跡」があり、紅葉が見事なほど見ごろを迎えているようです。

国指定史跡 栃本関跡 昭和45年11月12日指定
江戸幕府は、関東への「入り鉄砲」と関東からの「出女」を取締るため主要な街道に関所を設けた。
栃本関は、中山道と甲州街道の間道である秩父往還の通行人を取調べるため設けられたもので、その位置は信州路と甲州路の分岐点になっている。
そのはじまりは、戦国時代、甲斐の武田氏が秩父に進出したとき関所を置いて山中氏を任じたと伝えるが、徳川氏の関東入国以後は天領となり関東郡代伊奈忠次が慶長19年(1614)大村氏を藩士に任じたという。以後、大村氏は幕末まで藩士の職を代々つとめた。
しかし、藩士一名のみでは警備が手薄であったため、寛永20年(1643)、秩父側の旧大滝村麻生と甲州側の三富村川浦とに加番所を付 設して、警固を厳重にした。したがってその後、栃本関を通行の者で秩父側から行く者は、まず麻生加番所で手形を示し印鑑を受けて栃本関に差し出すことに定められた。
関所の役宅は、文政元年(1818)と文政6年(1823)の二度にわたって焼失し、現在の主屋は幕末に建てられたもので、その後二階を建て増しするなど改造されたが、玄関や上段の間、および外部の木柵などには、関所のおもかげをよくとどめている。
平成10年11月 埼玉県教育委員会・秩父市教育委員会
(現地案内板説明文より)

内容は資料館で知りえたこととそれ程変わるところは無いようです。
当初は武田氏の物資輸送のための軍事道路として開発された秩父往還の関所だったのですが、江戸時代に入り一般道となってから
この栃本関は東海道の箱根、中仙道の横川の両関所の中間にあり、当然江戸から甲州・信州への交通の要所にあるため厳重な警固となったようです。
現在はこの近くに住んでいる方の所有物ではあるのだそうですが、国指定になったため住んでいられなくなり引越しをされたそうです。したがってこの関所跡の建物の鍵はその所有者の方が持っているそうですが、一々開けるためには連絡をしなければならないので面倒なため開けていないそうです。一般の方が管理されているのですから確かに大変ですよね。
栃本関跡 栃本関跡 この外縁の辺りがなんとも関所の面影が残っている感じです。

それにしても紅葉と歴史的建造物のマッチングがなかなか良い風情です。

二瀬ダム

「栃本関跡」前の秩父往還を進んでやがて秩父湖沿いの国道140号線と合流します。
合流後少しすると妙な信号で停車させられます。
駒ヶ滝トンネル 初めて見るこのような補助信号のついた信号機です。「トンネル信号に付き待ち時間が長くなっています」と注意書きがあるので、待ち時間用の補助信号機です。

まあ、確かに長い待ち時間でおおよそ5分くらいではないでしょうかね。
駒ヶ滝トンネル 所謂工事用の信号と同じ原理で、トンネル内が片側一車線しかないため交互通行のための信号ということです。

このトンネルは駒ヶ滝トンネルといい、トンネル内が片側一車線である上、途中T字路になっているとい名物トンネルのようです。
駒ヶ滝トンネル 地図上ではこのような位置関係のトンネルです。

信号が青に変わったので進み本来の国道は左にカーブするのですが、このまままっすぐ進むと二瀬ダムの管理事務所となります。
二瀬ダム・ダムカード こちらの二瀬ダムではいの一番にダムカードをゲットです。

通算5枚目で、秩父4ダムロマンでは3枚目でリーチとなりました。あとは「合角ダム」を残すのみですが、「合角ダム」のある吉田地域方面は10月に訪れていて次に行く予定は来年の5月です。それまでお預けということになりますね。
まあ、楽しみは後まで残した方が良いタイプなので・・・。

ダムカードをチラと見ると、なんと着工が1954年で完成が1961年という50年も経過している歴史あるダムのようです。ダムにあったパンフレットにもグッドなコピーが書かれています。「昭和レトロ 国産インフラ技術のルーツに出会う」と。
ということでダムの概略です。

荒川源流を見守り続ける二瀬ダム
荒川と二瀬ダム
荒川は、水源を埼玉県、山梨県、長野県の境である甲武信ヶ岳(EL2,475m)に発し、奥秩父の深い谷を流下して秩父盆地を北流し、長瀞を経て寄居付近から関東平野をほぼ南に流れて東京湾に注ぐ河川です。
荒川の流域は東京都、埼玉県にまたがり、河川延長173km、流域面積2,940k平方メートル、人口約930万人が暮らしており、首都圏にとって利水(水供給)上欠かせないばかりでなく、大洪水を引き起こせば甚大な被害を及ぼすことから、治水(洪水防御)上からも極めて重要な河川と言えます。
二瀬ダムは荒川の水源から約23km、河口から約150kmに位置しています。
埼玉県内最初の多目的ダム 二瀬ダムは、荒川水系本川上流の埼玉県秩父市大滝地先に洪水調整、かんがい、発電を目的とした埼玉県内最初の多目的ダムとして、昭和25年に策定された「荒川総合開発計画」の中心事業として昭和36年12月に完成しました。
二瀬ダムは、高さ95m、天端幅288.5mのアーチ式コンクリートダムで、長年にわたり、荒川流域の安全・安心の確保を図るために、その重要な役割を果たしています。
(「二瀬ダム」パンフレットより)

規模や能力などは、比較的新しいダムには叶わないものの、当時の先端技術が現在のダム建設への血となり肉となっているといったところでしょう。 最近【いわき散策記 vol.12】で訪れた福島県いわき市では経済産業省の近代化産業遺産群33をもとにいわき市内にある遺産群をめぐる「いわきヘリテージ・ツーリズム」などが行なわれていますが、現実的に中部電源の大井ダムなどは、近畿の経済や中部のモノづくりを支えた中部山岳地域の電源開発の歩みを物語る近代化産業遺産群の一つとして挙げられています。
確かに大井ダム自体1924年に完成した86年の歴史を持つダムですから、遺産群としては十分貴重な建造物でしょうが、いずれこの二瀬ダムも荒ぶる川、荒川水系最初の多目的ダムとして認定される時が来るのかも知れません。
パンフレットには昭和レトロの所以たるところが記されています。

二瀬ダムに今も息づく「昭和の技術」
昭和36年に完成した二瀬ダムには、あの「戦艦大和」を建造した呉海軍工廠の流れを汲む呉造船所の技術が今も活きています。巨大なコンジットゲート、船のハッチのような扉、機械式の計器類など当時の製造品が持つ重厚なたたずまいに満ちています。また、ダム内の通路の壁や天井には、合板の型枠にはない木目や釘の跡がくっきり残されています。
(「二瀬ダム」パンフレットより)

戦後の昭和20年、旧呉海軍工廠跡に播磨造船所が呉船渠を開設し、昭和27年アメリカの海運会社であるナショナル・バルクキャリア(NBC)が同じく旧呉海軍工廠跡に呉造船部開設します。船渠はドックのことです。
そして昭和29年、播磨造船所から呉造船所が分離独立し、昭和37年にはNBCから呉造船部の営業譲渡を受けたのです。
遡って昭和35年に播磨造船所を合併した石川島重工業は石川島播磨重工業となり、昭和43年に呉造船所はこの石川島播磨重工業に合併させられたのでした。
二瀬ダムは昭和36年完成ですから、この当時は播磨造船所が工事を請け負ったということでしょうか。
オフィシャルサイトにこれらの写真が残されていますが、見学会で是非本物を見たいものです。

ここから二瀬ダムを散策します。
二瀬ダム 二瀬ダム アーチ型の堤体がなんとも言えず綺麗です。

二瀬ダム天端 そして天端が一般の道路となっており、先ほどの駒ヶ滝トンネルからこの天端を通過して三峰神社に向かう道となっているようです。

滝沢ダムを通過する国道140号線ができる前は、彩甲斐街道はこちらがメインのため観光シーズンともなるとこのトンネル付近が大渋滞だったそうです。
二瀬ダムと秩父湖 さすがに天端を歩くのはちょっと怖いため、秩父湖はホンの気持ち程度の写真です。この秩父湖はこのダムができた時に秩父宮妃が命名されたそうです。 それでも水の青さが非常に綺麗に映えています。

紅葉はそれほど見られませんが、それでも十分楽しめます。
下流側には散策道があるようで、じっくり楽しめるようすですが、大分時間も経過したことから早めに引き上げることとなりました。 もう少しじっくり秩父湖の周辺も散策したかったのですが、次の機会としておきましょう。
先ほどの駒ヶ滝トンネルを通り、二瀬ダムの天端を通過して最後の三峯神社に向かいます。
二瀬ダムと秩父湖 天端を抜けた先から見た二瀬ダムと秩父湖、そして紅葉とのコントラストが実に見事でした。


奥秩父もみじ湖

道の駅を出て国道140号線を荒川沿いに進むと、やがて道は二手に分かれます。どちらの道路も国道140号線ではあるのですが、右の道路は通称「彩甲斐街道」で文字通り彩の国・埼玉と甲斐の国・山梨を結ぶ道路で滝沢ダム方面に向っています。
一方、左側は通称「秩父往還」(旧道ではない)で、当然山梨へ向うのですが、とりあえず二瀬ダム方面に向う道路です。
さらに道と同じくして(というより道が同じ!)荒川もこのあたりで2本に分かれます。
本流の荒川は左方向で、右側は中津川と名前を変えます。この先にはこの中津川がダムによって作られた「奥秩父もみじ湖」がありますので、ここはまず右側の中津川沿いに彩甲斐街道を進みます。

暫く進むとチラッとダムの提体が見えたので、国道を左に外れて中津川沿いに車で下りてみました。
滝沢ダムとループ橋 まさに威風堂々たるシルエットです。人類の建造物の中でも最大級の大きさを誇る建造物であるダムの美しい姿が見て取れます。

自然破壊の最たるものとして物議をかもし出す建造物ですが、竣工までの是非はともかくダムを見てこれほど自然とマッチする建造物と感じる私は病んでいるのでしょうか・・・。
手前に見える高架橋がループ橋のようですが、この風景、恐らく1時間くらい見ていても飽きないと思いますね。

蛹沢不動滝

蛹沢不動滝石碑 道沿いの右側に小さな建物があるので先に進んで近づいて見ると、何と右側の崖に滝が流れていて、その手前に「蛹沢不動滝」と刻まれた石碑があります。

蛹沢不動滝 それ程大きな滝ではありませんが、それでも落差は20m位あるでしょうか。

大滝地域は山間の町ですから当然ながら滝が多く、それらが一つの観光資源となっているようです。まあ、町名からもそれとなく想像できることですが。
案内マップによると、先ほどの道の駅までの国道140号線沿いの強石・大輪地区には、白滝、龍門の滝、清浄の滝の3つの滝があります。 そして小双里・栃本地区では、この蛹沢不動滝、と不動滝の2ヶ所。さらに中津川地区に勘兵衛の滝、方円の滝の計7ヶ所が案内されています。
特に栃本地区の不動滝は落差およそ50mといわれるスケールの大きい滝で人気もあるようですが、見るためにの努力はそれ也に払わなければならないようなので、私にはお目にかかれない滝かもしれません。また、この大滝には三十槌の氷柱という観光名所もあるくらいですから、いかに自然溢れる地域なのかが窺えます。

雷電廿六木橋

「蛹沢不動滝」を後にして先ほどのループ橋に差し掛かると、途中休憩所があったので車を停めて眺望を楽しみます。
ループ橋 この橋、正式には「雷電廿六木橋」といい、「らいでんとどろきばし」と読む、一体どんな場所だったのと思わせるような名前です。

雷電廿六木橋
雷電廿六木橋は、滝沢ダムの建設によって付け替えられた湖畔の道路と、ダム直下の道路との間に生まれた高低差約120mを結ぶ道路の愛称です。
1つの橋に見えますが、正確には、下流側の大滝大橋と上流側の廿六木橋、それらをつなぐ中間部で構成されています。
この橋の建設は、「ダムにより大きな影響を受ける水源地・大滝村に美しい構造物を」との思いで、基本形状から細部のデザインに至るまで様々な工夫を試みました。
●細く美しく見えるよう、陰影をつくる凹凸を橋脚側面に配置した。
●優美なループ形状が強調されるよう、橋梁部の高欄と同一のデザインを中間部の側面にも連続させ、側面外側は「く」の字形にし、2m間隔に縦スリットを配置した。
●夜間運転の安全性、生態系への影響、そして夜の景観に配慮して照明を高欄に埋設した。
●時間の経過に伴うコンクリートのエイジング(黒ずみ)をあらかじめ予測し、設計に反映した。
●橋全体の安全性を高めるため、固い岩盤まで達する深い基礎(最大直径約11m、深さ約30m)を埋設した。
周辺道路、展望台など、眺める場所により、また、太陽の位置によって、この橋の表情が様々に変化することに気付かれたでしょうか。
工事で手を加えた山肌の復元も進めています。少しずつ山に木々がよみがえり、若葉の季節、青葉の季節、紅葉の季節、ダムと橋と四季の彩りが一幅の絵になるよう樹木を育てていきます。
水資源開発公団・埼玉県・大滝村
(現地案内板説明文より)

雷電廿六木橋 案内板の地図で見ると中津川に架かる左側が「廿六木橋」で、右側が「大滝大橋」で、その2つの橋を直角に結ぶのではなく円弧で結ぶことにより、景観の美しいループ橋として生まれたということです。

廿六木橋 大滝大橋 左の写真が廿六木橋部分で、右の写真が大滝大橋です。

そして、現在いる展望台の直ぐ前の部分が中間部なのです。

橋桁 また橋脚の部分の凹凸と側面外側の縦スリットがよく分かります。

側面外側の「く」の字形はよく理解できませんでしたが、これらの工夫によっていつまでも美しく強固な橋として後世に残されるといった具合なのでしょう。
ただ、残念ながらこの展望台位置からループ橋とダムと山を私のデジカメで一緒に撮れるアングルはありませんでした。
因みに大滝大橋は理解できるとして、廿六木橋の廿六木とは余りにも由来ありあり臭い名称ですが、そのあたりも抜かりはないようです。

廿六木集落図
ループ橋をはさんだ対岸には、廿六木という集落があった。地名の語源については小双里集落との境にある不動滝の水音が勢いよく「トドロキ」わたることに由来するという説や、集落北西の白岩にあった大木が倒れた際にその音が谷底にとどろいた「トドロキ」に由来する説などがある。
この集落は、滝沢ダム建設に伴う付替国道建設のため移転することとなった。
(現地案内板説明文より)

一般的に我々のよく知っているトドロキといえば世田谷区の等々力を思い浮かべます。この等々力も等々力渓谷に流れ落ちる「不動の滝」の轟く音に由来する(都内にも渓谷があったのですね)などの説があるようなので、たしかに由来としては同じようなものですが、この廿六木という漢字はまた別な意味もあるのではないかなと考えてしまいます。単純に考えれば16本の木ということになりますが、一体どのような意味が隠されているのでしょうかね。
この案内図には当時の集落の世帯主が記載されていますが、全世帯で10世帯ありそれぞれに屋号がついていたようです。
例えば千島一男宅はセド、加藤貞一宅はオゥチ、山中貞雄宅ではイドバタ(敬称略)といった具合で、全10世帯につけられていたようです。
現在でも一緒の集落で生活をされているのでしょうか、10世帯しかないので全てが縁者といった具合なのでしょう、長閑で楽しそうな集落が想像できます。

判らないことだらけのついでに雷電についても調べてみました。
雷電といわれれば思いつくのは、伝説の横綱「雷電」ですが、ここでのこの雷電の名称は秩父地方に伝わる「でえだんぼう」伝説に基づいて1998年に創作された『雷電坊物語』という物語に由来するのだそうです。
「でえだんぼう」という名称は初めて聞く名前ですが、どうやら我々のよく耳にするダイダラボッチ伝説のことのようです。
ダイダラボッチとは、日本の各地で伝承される巨人のことで、「でいだらぼっち」、「だいらんぼう」、「だいだらぼう」、「でいらんぼう」、「だいらぼう」、「だだぼう」等など、数多くの類似の名称が存在するようで、秩父の「でえだんぼう」というのもその名称の一つのようです。つまりダイダラボッチの方言ということになるでしょうか。
そしてこの伝説の内容も多義に亘っているようですが、山や湖沼を作ったという内容や、何かをしようとするが失敗し、悔しがって去って行くという内容が多いようです。イメージは概ね小型で身長10m程度、一つ目とされることもあるようです。

主だったダイダラボッチの伝説です。
●山を作る・運ぶダイダラボッチ伝説
・富士山を作るため、甲州の土をとって土盛りした。そのため甲州は盆地になった。
・上州の榛名富士を土盛りして作った。掘った後は榛名湖となった。
・浅間山が、自分より背の高い妹の富士山に嫉妬し、土を自分にわけろといった。富士山は了解し、だいだらぼっちが自分の前掛けで土を運んだ。しかし浅間山は土の量が足りないと怒り、彼を叩いた。その際にこぼれた土が前掛山となった。怒りだした浅間山はついに噴火してしまった。
●足あと・手のあとを残すダイダラボッチ伝説
・上州の赤城山に腰掛けて踏ん張ったときに窪んで出来た足跡が水たまりになった。木部の赤沼がそれである。
・現在、東京都世田谷区にある地名「代田」やさいたま市の「太田窪」はダイタラボッチの足跡である。
・小便をしようと飯野山(香川県中部)に足をかけた際に山頂付近に足跡が付いた。なお、その小便の際に出来たのが大束川といわれる。
●休む・洗う・食べるダイダラボッチ伝説
・榛名山に腰掛けて、利根川で脛を洗った(ふんどしを洗ったという説もある)。
・羽黒山 (栃木県)には人間がまだ誕生しない大昔、でいだらぼっちが羽黒山に腰掛けて鬼怒川で足を洗ったという言い伝えがある。
・「常陸国風土記」によると、茨城県水戸市東部にある大串貝塚は、ダイダラボッチが貝を食べて、その貝殻を捨てた場所だと言われている。その言い伝えから、近くにダイダラボッチの巨大な石造が創られている。

このように各地に伝説が残されているようで、これは生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っていて、各民俗の神の概念は人格を投影して擬人化したものというアニミズムの基ずく伝説なのではないかと推測されます。
いずれにしても、意外な歴史・伝説・由来等を知ることができた場所でした。

滝沢ダム

ループ橋を渡って少し先に行けば直ぐ「滝沢ダム」に到着です。
奥秩父もみじ湖石碑 ダムの左岸には「奥秩父もみじ湖」と刻まれた石碑があります。
文字通り紅葉が美しいことから付けられたようですが、この名称も一般公募によるものだそうです。

少しでも地域住民に親しみを持っていただこうとする昨今の風潮から、浦山ダムの秩父さくら湖も公募だったはずです。桜に紅葉と季節ごとに綺麗な風景の見えるダム湖といえるでしょう。

ダム提体へ向かいます。
滝沢ダム 滝沢ダム 左がが下流側からの提体で、右が秩父もみじ湖側からの提体です。この迫力がなんともいえないのですね。

ここで簡単に「滝沢ダム」をおさらいしておきます。
かつて1961(昭和36)年に荒川総合開発事業に基づいて荒川に二瀬ダムが建設されたのですが、その後の首都圏の急激な発展から水害危機が高まったため、1969(昭和44)年荒川支流の中津川に滝沢ダム、そして1972(昭和47)年浦山川に浦山ダムという大規模なダム建設を計画したことからはじまったのです。
その後、1998(平成10)年に浦山ダムは完成したのですが、滝沢ダムは補償交渉の長期化により、2008(平成20)年にやっと竣工したのでした。2年前の竣工といってもダムの耐用年数からすれば出来立てのほやほやといっても過言ではないでしょう。日本で最も古い日本初のコンクリートダムが作られたのが1900年の布引五本松ダムで、リニューアルされているものの現在でも当然使用されているので、彼是100年以上経過しているということです。
ちなみに日本最古のダムは大阪府の狭山池ダムで、大化の改新前の616年飛鳥時代に作られたものだそうです。
この「滝沢ダム」は、湖からの水圧をダムの重さで支える重力式コンクリートダム方式の比較的一般的なダムで、ダムの左右岸方向の長さである堤頂長が424m、ダムの高さである堤高が132mという規模で、堤高は浦山ダムの156mには及ばないものの提体積では167万という県内最大規模のダムなのです。

早速、堤体の上の天端に向かってみます。
滝沢ダム 滝沢ダム この天端の幅を見ただけでもダムの大きさを実感することができます。

ダム天端 424mの天端を進みます。

滝沢ダムとループ橋 下流に見えるのが先ほどのループ橋です。一部分欠けてしまいますが手前側が廿六木橋で、向こう側が大滝大橋となります。

こちらからのアングルの方が、ある意味橋とダムと自然が一つのアングルに収まった形になります。なかなかオシャレな風景ではないですか。
奥秩父もみじ湖 反対側を望むと「奥秩父もみじ湖」が一望できます。
下流のループ橋の風景とはまた違った癒される風景です。

中津川大橋 遠くに見える白い橋は、彩甲斐街道(140号線)にかかる中津川大橋です。
140号線はここで中津川を渡って甲府方面に向かうわけですね。

ちょうどこの辺りが天端の中央付近です。

浦山ダムでは、堤体内の見学ができたのですが、滝沢ダムでの見学は不定期のようです。

しばらく眺望を楽しんで引き上げますが、最後に忘れてはならない管理事務所に向かいます。
紅葉 管理事務所の手前の石碑のもみじは真っ赤に紅葉しています。

滝沢ダム・ダムカード そう最後に管理事務所でダムカードをいただいて終了なのです。

ダムカードも児玉郡神川町の下久保ダム、秩父市の浦山ダム、飯能市の有間ダムに続いて4枚目となりました。特に秩父にある「浦山」「滝沢」「二瀬」「合角」の4つのダムを「4ダムロマン」といって、この4つのダムカードを集めると、幻の手作りダムカードがいただけるとのこと。あと2つですが、いつになることでしょうか。
兎にも角にも「滝沢ダム」カードをゲットして気分上々で先に進みます。


浦山ダム #2

「ダムサイト左岸広場」は休憩所だけですので、人もほとんどいません。
しばし休憩所で一休みして「ダム天端公園」を戻ります。

ダム提体内部

エレベータ入口「ダム天端公園」の中央付近にあるエレベータで提体内部へと向います。


エレベータ入口案内図によればこのエレベータで水面下121mの地点に下りるようです。


エレベータ階数表示エレベータの階数表示は「B1」と「1」の2階しかありませんが、間の通過点の表示が多いことにエレベータの長さが伺えます。また、「B1」には0m、「1」には132mとかかれています。
結構長いことエレベータに乗っていたような気がしますが、それでも30秒とか1分でしょうね。
いよいよ水面下121mの「B1」地点に到着です。
ここの案内板によればエレベータの一番高い地点が標高400.10m地点で、一番低い地点が標高267.50m地点にあるので、その差の132.60mがエレベータ昇降行程となり、エレベータ内の132m表示となるのです。


水圧実験装置エレベータホールには「水圧実験装置」なるものが置かれています。


これは水面下100mの水圧を体感する展示物です。スタートボタンを押すと加圧された水が1cm2の穴から吹き上がり、円形の10Kgの錘を押し上げるものです。
そして水が引いた後、ケースの外の支柱の白色の突起の部分を手で押したり引き揚げたりできるようにしてある体験装置ですが、ガラスケースのついた霧状の水滴で何も見えませんでした。きっと興味深いものなのでしょうが…

ここからが浦山ダム提体内部の展示ギャラリーです。

浦山ダムの姿まずはちょっと長めの階段を上ります。
車椅子用のリフトがついている、とってもバリアフリーな配慮です。家内は何か体験施設と勘違いして乗ろうとしていましたが、おいおい!
階段の壁伝いに写真パンルが展示していある「浦山ダムの姿」というコーナーで、様々な浦山ダムの表情が展示されています。


展示ギャラリー水平になった通路は「浦山ダムのできるまで」という展示コーナーで、浦山ダムの概要がパネル展示されています。


この浦山ダムは元々ロックフィルダムとして計画されたそうですが、事業費削減と地質調査の結果から重力式コンクリートダムに変更されたそうです。
ダムの形式は大きく分類すると土や砂、岩石を積み上げて建設される「フィルダム」と、コンクリートを主原料として建設される「コンクリートダム」の二種類に分類され、各々細分化された形式がありアルファベットの略号で表されているそうです。

●フィルダム
1.アースダム(E):台形状に盛り土を行って建設されるダム型式。
2.ロックフィルダム(R):土砂と岩石を主体として建設されるダム型式。遮水壁の位置・種類によって種類が細分化される。
●コンクリートダム
1.重力式コンクリートダム(G):ダムの自重と重力を利用して水圧を支えるダム型式。
2.中空重力式コンクリートダム (HG):ダムの堤体内が空洞になっている重力式コンクリートダム。
3.アーチ式コンクリートダム(A):河川両側の堅固な岩盤に水圧を分散させて支えるダム型式。
4.重力式アーチダム(GA):重力式とアーチ式の両型式の特性を備えたダム型式。
5.マルチプルアーチダム(MA):複数のアーチが連なるダム型式。
6.バットレスダム(B):水を遮る壁(遮水壁)を垂直に扶壁で支えるダム型式。
このような分類になるそうですが、これ以外にコンバインダム(GF):重力式と、アースまたはロックフィルダムが複合したダム型式と台形CSGダム(CSG):日本で近年開発されたダム型式といった形式があるようです。

前述されたように浦山ダムの高さは156mで日本で2番目とありましたが、世界で一番高いダムはタジキスタンの「ヌレークダム」といわれるアースダム形式のダムですが、堤高は300mあるそうです。ほぼ浦山ダムの2倍ですから恐ろしいほどの高さです。なお、同じタジキスタンのロックフィル形式の「ログンダム」は現在建設中ですが、完成すると堤高335mの世界一となるようです。これは東京タワーより2m高いという恐るべきものです。ダムマニアは見たいのではないでしょうかね。
因みに重力式コンクリートダムで世界で一番高いのはスイスの「グランド・ディクセンスダム」で285mあるそうです。これもまた恐ろしいほどの高さですね。

さてこの「重力式コンクリートダム」についてもう少し詳しく調べてみます。
主にコンクリートを主材料として使用し、コンクリートの質量を利用してダムの自重自体で水圧に耐える構造のダムです。したがって膨大なコンクリート量が必要で、基礎岩盤が強固な地点でないと建設できないものです。
ダムとしては最も頑丈な形式で地震や洪水に強いので、地震や降水量の多い日本ではもっとも適した形式と言われています。
近代以降では日本で建設されたダムではもっとも多く用いられた形式だそうで、重力式ダムの建設技術の発展がそのまま日本の土木技術発展の歴史でもあるといえるようです。そんな技術史の一つにこの浦山ダムが寄与しているのだそうです。 それは「ベルトコンベヤによるRCD工法」といわれる方法を採用したことだそうです。
これはダム本体建設に当たって原石山から採取する骨材、セメントなど全てをベルトコンベアで輸送し、超硬練りのコンクリートをブルドーザーで敷きならした後ロードローラーで水平に薄く何層も締め固めるという工法で、Roller Compacted Dam-Concreteの略でRCD工法といわれています。
この工法はコンクリートの量を少なく抑える他、ブロック工法のように継ぎ目を設けないので亀裂を起こさず、安定性と経済性で従来の工法よりも優れるそうで、この工法を世界で初めて本格的に手掛けられたのが1972年から施工された山口県の島地川ダムだったそうです。
そして浦山ダムではその工法による大規模ダム建設の有効性を確認し、更に超硬練りのコンクリートをベルトコンベアでの大量輸送が我が国で初めて行われたケースで、更なる経済性と工期短縮が図れRCD工法の完成がされたという意味で浦山ダムの果たした技術的な意義もまた大きいようです。
因みにこのベルトコンベアで運んだ原石山の採石場跡地は、ネイチャーランド浦山として整備され、デイキャンプやバーベキューなどが楽しめる施設となっているそうです。このあたりも「地域に開かれたダム」たる所以でしょうか。

展示ギャラリーまた、ここではダムの歴史についてもパネル展示されています。


浦山ダムの建設事業は荒川総合開発の一環として、建設省は昭和42年予備調査を開始し、昭和51年10月1日水資源開発公団に事業が承継され、滝沢・浦山ダム建設所として発足したものだそうです。
そして約30年の歳月を要して完成し、平成11年4月から管理を開始しました。その間の出来事です。

昭和42年04月01日 予備調査開始
昭和47年05月01日 実施計画調査開始
昭和49年12月24日 荒川水系を水資源開発水系に指定
昭和51年10月01日 水資源開発公団がこの事業を承継
昭和53年03月28日 水源地対策特別措置法に基づく「ダム指定」を受ける
昭和55年10月01日 付替県道工事に着手
昭和58年04月01日 浦山ダム建設所発足
昭和62年04月24日 損失補償基準妥結調印
平成02年12月03日 本体掘削開始
平成05年08月12日 付替県道工事竣工
平成07年04月10日 「地域に開かれたダム」に指定
平成08年06月25日 本体コンクリート打設完了
平成08年10月29日 試験湛水開始
平成11年02月23日 試験湛水終了
平成11年04月01日 管理開始

実に長い年月と相当な計画・準備が必要なことがうかがわれますね。是非はともかくとして計画・工事を中断・中止するのもそれなりの決意・責任は非常に大きいものがありますね。

浦山ダムと自然の恵みその先は「浦山ダムと自然の恵み」というコーナーで、ダム周辺の自然がジオラマ風に展示されています。


浦山ダムのオフィシャルサイトには「猿もダムから落ちる?」というタイトルで猿が150mを滑り落ちたエピソード(何事もいなく無事だったようですが)などが掲載されていましたが、そういったところにも自然や動物との関わりを示す事象でしょう。
こういった巨大な建造物の建設は、やはり自然とどう共生していくのかが昨今の建設における大きなポイントの一つですからね。

ダム下流広場

ダム下流広場の石碑提体内部ギャラリーを過ぎるとダム背面に出ることができます。
そこは駐車場と植林された植木にベンチのある「ダム下流広場」で、可愛らしい天使が乗っている石碑があります。建設に係わった方たちの顕彰碑のようです。


ダム提体目を転じると下から見上げるダムは圧巻です。この迫力はそうそうないでしょうね。こう言った迫力にダムマニアの方々は惹かれるのでしょうかね。


洪水吐ちょうど中央にダムの水を放流する口が見えます。


正式には「洪水吐」(こうずいばき)というそうで、洪水の流入に対してダムと貯水池の安全を確保するために設けられた放流設備の総称で、河川管理施設等構造令では、ダムには洪水吐を設けることになっているそうです。
洪水吐は上流から、流入部、導流部、減勢工に区分されます。そして洪水調節を目的とするダムでは、常用洪水吐と非常用洪水吐を持つものが多いようです。
常用洪水吐は通常時に水を放流する際に用いる洪水吐で、非常用洪水吐はダムの設計洪水流量のうち、常用洪水吐の放流量を上回る部分を放流する洪水吐を言い、一般に越流式(水が堰や堤防の上端を上流側から下流側へ越えて流れること)の放流設備により構成されるそうです。
浦山ダムの場合は、常用洪水吐の上の「ダム天端公園」の下の部分です。
なお、洪水調節用のダムでは洪水吐と呼びますが、発電用ダムなどでは余水吐と呼んでいるそうですが、浦山ダムは洪水調整用ダムですから、やはり「洪水吐」です。

この浦山ダムの常用洪水吐は372.0mのところにあり、このEL=372.0mこのダムの基準となる数字なのです。
このダムの天端までの高さはEL=400.10mで、利水目的に使用するため、ダム湖に貯める事が出来る最高の水位である「平常時最高貯水位」はEL=393.3mです。これは渇水と洪水の時期以外は常時この水位に保たれるそうです。
また、一方、「最低水位」はEL=304.0mで、貯水池の運用計画上の最低の水位のことで、ダムの堆砂容量を水平であると仮定し、その堆砂上面の水位の事です。この堆砂容量とは、およそ100年間にダム湖に流れてくる土砂のためあらかじめ設けられた容量のことだそうですが、どうやって計算しているのでしょう。つまりいずれEL=304mまで土砂で埋まるということですが、一体100年後、以降はどうするのでしょうかね。
そして重要なのが「洪水貯留準備水位」と呼んでいるもので、一般的には「洪水期制限水位」といわれているようです。これがこの浦山ダムではEL=372.0mなのです。
浦山ダムのように洪水調節を目的としたダム(全てでは無いが)は、洪水期に洪水調節のための容量を大きくとるために、洪水期に限って常時満水位よりも水位を低下させる方式を採用しています。この設定された水位が「洪水貯留準備水位」なのです。当然ながら夏期がこの水位となるようです。

そして洪水時において、このダムの主目的である洪水調節が行われるのです。
この洪水調節の基本的な考え方は、通常ダム地点では河川の流入量と同量、或いは感慨などのため、それ以上の放流を行います。これはダムの無い場合の河川の流れとほぼ同じです。
しかし、豪雨などで河川の流入量が極めて増大したときには、洪水という災害が起きるわけです。したがって流入量が増大してもダムから下流にその流入量を下回る量を流し、一旦その流入量と放出量の差分をダムに貯めておけば、下流に置ける洪水や水位上昇を防ぐことができるという考え方です。

その一般的な方法は以下の通りです。
1.通常の降水時はダムの水位上昇量から河川流入量を計算し、流入量と同量となる(ダムの水位変動がない)ように放流量を制御する(貯水位維持のための放流)
2.雨量とダム水位変動および放流量を記したグラフなどにより、ダムに一定量以上の流入が見込まれる状態になったとき、関係機関および住民に洪水調節を行う旨を通知する。
3.ゲート操作などにより放流量を一定量以内に調節し、洪水調節容量内に水を貯留する(洪水調節の開始)。
4.雨が止むなどして流入量が減り、流入量が放流量を下回った時点で洪水調節の終了となるが、その後もダム水位が低下し、洪水調節容量内に貯留した水の量が0になる(常時水位までダム水位が低下する)まではそのままの放流量を保つ(洪水調節後におけるダム水位の低下のための放流)。
5.洪水調節容量内に貯留した水の量が0になったら、放流量を流入量と同量まで減らす(一連の操作の終了)。

浦山ダムのオフィシャルサイトに洪水調節が実際の事例として記載されています。
それは平成17年7月の台風7号での洪水調節効果で、7月26日9時現在の流入量は42?/Sで、17時では87?/Sまで流入量が増えたのですが、下流へ流す水の量は、12?/Sに抑えられたそうです。
また、平成19年9月の台風9号では、最大流入量が328?/Sに達し、最大放流量68?/Sの放流を行い、最大毎秒317?/S及び貯留量13,176千?の調節効果を発揮したとあります。
文字で書くと非常に簡単そうですが、様々な予測や計算、そして準備など実際には大変な作業があるようですし、これらのことに備えた検査・テストなども常に怠れない日々の研鑽の結果なのでしょうね。

アーチ型のデザインちょうど天端の下側はアーチ型の橋のようなデザインが施されているのですが、これは秩父市内の文化財である「秩父橋」をイメージしたものだそうです。細かいところにも地元意識を高揚させる仕掛けが練られているようです。


両サイドから階段そしてアーチ橋の両サイドから階段が作られています。階段の高低差は124.5mだそうで、点検も含めて職員の方はこの階段を毎日のように上り下りしているそうです。
地獄の特訓のようなもので、まして、私にとって昇るなどということはまさに自殺行為に等しいものです。


提体内ギャラリーの出入り口そして階段下には先ほど出てきた提体内ギャラリーの出入り口があります。


減勢工「ダム下流公園」のすぐ右手には、上から見ていたときから美しいコバルトグリーンの水を湛えた放水路が見えます。


綺麗な宝石のような水を湛えたこの部分も実は放流には重要な施設なのだそうです。
ダム(洪水吐)から流れ落ちる水のエネルギーはとてつもなく大きいものだということは如何に素人でも推測できます。もしそのまま流した場合、様々なダム施設は勿論のこと、ダム下流の路や橋、或いは人家などにも被害が出る恐れが考えられます。
そこでこの膨大な流下する水のエネルギーを弱める働きをするモノが必要となります。それがこのコバルトブルーの水が溜まっている場所で、ダム用語では「減勢工」というそうです。所謂、落下してきたものを受け止めるクッションのようなものですね。
この「減勢工」にも種類があるようで、ダムのタイプや、地質、地形・環境などに適合するよう考えられています。
●跳水式
最も一般的な形式で、導流部に連続して設けられた減勢池の水叩き上で跳水を発生させ、エネルギ-を減勢する方式。
減勢池の水位を上げるために下流端に副ダムを設けることが多く、洪水吐の減勢方式として最もよくみられる形式です。
●スキ-ジャンプ式
スキ-ジャンプ式は、流れを空中に放散し構造物から離して落下させ、それによって出来たプールで発生する跳水現象を利用するものです。
ダム下流の河床の洗掘をある程度許容できる地点で、洪水の放流が人家や公共の施設に支障を与えない場合に適用します。
●自由落下式
アーチダムのように、流れをなめらかに導くことが困難な場合に利用するもので、ダム下流の空中を自由落下させた水脈のエネルギ-を、下部にある水のクッション効果により急速に減衰させます。
という種類があるそうですが、浦山ダムの場合は「跳水式」だそうです。そうなるとこのコバルトブルーの水が溜まっている場所が減勢池ということですね。

副ダムまた、この先にある段差の所が副ダムなのでしょうかね。あえて副ダムということで写真を撮ったわけではないので違っているかもしれませんが。


いずれにしても様々な形で人やモノや環境に与える影響が強いダムだからこそ、細かいところまで計算しつくされた設備・体制が組まれているのですね。

当たり前のことでしょうが、実際に目の当たりにすると驚きは隠しえませんし、何となく感動すら覚えてしまいそうです。
以前に見た「下久保ダム」以上に魅了されたダム散策で、これは特に浦山ダムが「地域に開かれたダム」であることが余計身近に感じられたからでしょうか。
まさに静と動を感じさせるダムで、改めてダムの持つ魅力を存分に感じさせられました。

ダムカード最後に「うららぴあ」に寄って貰い忘れた「ダムカード」をいただきました。
下久保ダムでいただいた記憶があったので聞いてみたらやはりここにもありました。2枚いただき浦山ダムを後にしました。


下久保ダム~城峯公園

三波石峡を堪能した後はいよいよ冬桜です。
一路、城峯公園に向かって車を走らせます。結構な山道で久しぶりにワインディングロードを走ることになりました。 家内は結構これに弱く、車酔いをよく起こしますが今回は何とか無事のようです。
結構な距離を走っていると次第にどこを走っているのか判らなくなります。判っているような迷っているような、所謂、”感”ナビですから。

そうこうしている内に山道から急に展望が開き湖が見えます。と同時に「神流川と三波石峡の資料館」とかかれた看板が目に留まり車を停めました。 どうやら下久保ダムの管理事務所らしいです。
下久保ダム-城峯公園 【資料館を兼ねた下久保ダム管理事務所】

正式には、【独立行政法人水資源機構 下久保ダム管理所】という名称です。折角なので資料館に入館してみます。

入館しようと入り口を入ったところで、外から職員の方がいらっしゃってカードを渡されました。私と家内の分2枚いただきました。見ると下久保ダムのダムカードとあります。「へえ、こんなカードがあるんだ」と思いながら御礼を言って入館しました。
後で調べると、このカードは全国的規模なんですね。ウィキペディアで調べてみました。
下久保ダム-城峯公園 【下久保ダムのダムカード

ダムカードは、国土交通省及び独立行政法人水資源機構が管理するダムなどで配布されているカード。
通常のトレーディングカードと同じサイズのカードで、表面にダムの写真、裏面にダムの所在地、型式などの情報が記載されている。
2007年度(平成19年度)の森と湖に親しむ旬間(7月21日 - 31日)に、国土交通省及び独立行政法人水資源機構が管理する111のダムで配布が始められた。無料であるが、ダムの管理所などのみで配布されており、収集のためには現地を訪れる必要があるため、ダム愛好家などの人気を集めている。なお、管理所などでは平日のみ配布しているところも多いため、注意が必要である。
当初、配布を行っていたのは、国土交通省及び独立行政法人水資源機構が管理するダムのうち完成済みのダムのみであったが、その後、建設中のダムや埼玉県営ダムでも配布を開始しており、ダムカードを配布するダムは増加しつつある。

- 規格-
作成部数は各ダムで検討されるため異なるが、字体、紙、印刷、コーティングなどが統一規格である。サイズは、R=2.5mm、縦63mm、横88mmである。

-記載内容-
《表面》 ダム名・ダム写真(ダム放流の模様で利水放流か常用洪水吐)・ダムの目的記号・ダムの型式記号・ バージョン情報
《裏面》 ダムのデータ(所在地、河川名、ダムの型式、堤高、堤頂長、総貯水容量、管理者、本体着工/完了年)・QRコード対応サイトHP(無い場合はHPアドレス)・ こだわり技術・ランダム情報スペース(ダム自慢話、洪水調節の実績、地域観光情報など) 』

という内容です。ズバリ・・・宅ちゃん用!? ですかね。
男としては全く興味が無いとは、といよりも理工系としては興味はあるのですが、全国のダムを回るというのはちょっと無謀のような・・・ということで、記念にありがたくいただいておきます。

入館すると中はこじんまりとした資料館です。

当然ですが、ダムに関する歴史やスペック、Q&Aなどがパネル展示されています。また、三波石峡と下久保ダムというテーマで三波石の箱庭風や流木のオブジェ等は結構面白いですね。以前、東京電力関係の仕事をしたときに調布にある店舗で流木が販売されていました。やはり東京電力でも発電関連での兼ね合いで流木を整理しているのでしょう。
イスとかテーブルとか上手に作るとなかなか味のある家具になりますが。
下久保ダム-城峯公園 下久保ダム-城峯公園 【資料館内の展示】
因みに、この下久保ダムはちょうど40周年を迎えるそうです、11月23日ですから私の訪れた翌日に記念行事が開催されたそうです。 ダム提体開放や流木による寄せ植え体験などのイベントが組まれているそうで、オフィシャルサイトによりますと4~500人の人が集まったそうです。

ダムというイメージは洪水調節、かんがい、発電程度のイメージしかないのですが、”オフ・ストリーム・ダム”と言う発想には興味深いものがあります。 オフ・ストリームとは「流れの外」と言う意味だそうで、”オフ・ストリーム・ダム”とは土砂の流れや魚類の遡上、降下を分断しないダムを示すそうです。所謂、三波石峡の復活に見られるように、河川環境をなるべく自然に近づける良い環境を目指すと言うことです。
下久保ダム-城峯公園 【ダム提体】
自然や歴史と近代化はどちらかと言えば、相容れない部分が多く、かつそれによる争いも古からあったでしょう。しかし、現在、国や地方自治体、そして企業が環境問題に取り組もうとしている中で、我々市民が何をしなければいけないのかを、問いかけているのではないか、などと考えさせられます。しかし、単純に神流湖の美しい景観を楽しむのも結構なことだと思います。
下久保ダム-城峯公園 下久保ダム-城峯公園 【神流湖】

参考:「神流川380情報局」 http://www.water.go.jp/kanto/simokubo/

  

ダム管理事務所を出て、いよいよ最後の目的地、城峯公園に向かいます。
若干、ここでも”感”ナビの調子が悪くダムを半周する羽目になりましたが、何とか城峯公園にたどりつきました。 時刻はPM3:00少し前だったでしょうか。
さすがに人気スポットで、華は見頃の三連休とあっては観光バスも3.4台乗り込んでいましたし、駐車場もそこそこ満杯です。

城峯公園の入り口付近に来るともう、紅葉のお出迎いです。
下久保ダム-城峯公園 【城峯公園入り口付近の紅葉】
一旦、順路とあるとおりに進んで行きますと、赤や黄色の紅葉に混じって薄ピンクの冬桜が見えます。
下久保ダム-城峯公園 【冬桜】
春のサクラが”ゴージャス”なら冬のサクラは”キュート”と言う表現が似合いそうな感じです。

さて、この冬桜ですが、城峯公園(神泉サイト)に説明によると、

『「冬桜」の別名は「十月桜」です。城峯公園の冬桜は、昭和43年頃に当時の埼玉県植物見本園長が、秩父にある「天覧桜」から苗をとり改良したものを約100本植栽したもで、現在は約500本植栽されています。 秋になると葉が落ち、下の枝から少しづつ薄紅色の花を付けます。寒い北風に吹かれると咲きそびれたつぼみはそのまま冬眠してしまいます。そして、春暖かくなる頃につぼみが開き、花が咲き始めます。このように冬桜は1本の木で二度花を付ける二度咲きの桜なのです。 』

と説明されています。 また、城峯公園の近くの群馬県側の桜山公園でも冬桜が咲いているそうです。
All Aboutからの記事を引用します。

『冬と春の2度花を咲かせる桜山公園の冬桜
桜山公園の冬桜。ソメイヨシノなどと比べると花が小さいのが特徴です。冬と春の2度、花を咲かせます。
桜山公園は、首都圏からほど近い群馬県南部の藤岡市鬼石(おにし)地区(旧 鬼石町)にある山間の公園です。
ここでは冬と春の2度花を咲かせるという冬桜を見ることができます。桜の品種は「フユザクラ」で、日本の国内でよく見かける代表的な桜「ソメイヨシノ」と比べると、花の大きさは少し小さめ。
秋を迎えて葉っぱが落ちた後に花を咲かせ、寒さが強まる時にいったん花がしぼみ、厳しい冬を越して春を迎えると改めて花が咲くのだそうです。 桜山公園には、この冬桜が約7,000本も植樹されていて、国の名勝・天然記念物の指定を受けています。
冬桜の見頃は、例年だと11月中旬~12月初旬。また春では4月が見頃です。秋から冬にかけての時期は、冒頭の写真のように「紅葉と冬桜を同時に楽しむ」という贅沢なことも可能。また桜山公園は高台にあるので、眼下に鬼石の町並みを見下ろすこともできますよ。』

そうすると「十月桜」は「冬桜」の別名であるらしいです。因みに十月桜で調べて見ると面白いことが見いだされました。

【(c)季節の花 300】というサイトにはこのように説明されています。

十月桜 (じゅうがつざくら)(「冬桜(ふゆざくら)」という品種とともに広く「冬桜」と呼ぶこともある)

下久保ダム-城峯公園 【十月桜(c)季節の花 300】
・薔薇(ばら)科。
・学名 Prunus × subhirtella cv. Autumnalis (十月桜)
 Prunus:サクラ属、subhirtella : やや短い剛毛のある、autumnalis: 秋の、秋咲きの
Prunus(プラナス)は、ラテン古名の「plum(すもも)」が語源。
・開花時期は、10/20頃~翌1/10頃。 (二度咲き→ 3/25頃~ 4/10頃)。
・花弁は八重で、白、または、うすピンク色。
・全体のつぼみの3分の1が10月頃から咲き、残りの3分の2は春に咲く。2回楽しめる。春の花のほうが少し大きいらしい。 冬に「季節はずれに桜が咲いてるな」というときはこの十月桜であることが多い。
・冬、春ともに、葉があるときに咲くことが多い。
・同様に秋から冬にかけて咲く桜が「冬桜」。 似ているが、花弁は、十月桜は”八重”で、冬桜は”一重”。 群馬県藤岡市鬼石(おにし)に冬桜の名所がある。
十月桜も含めて、秋から冬にかけて咲く桜のことを総称して「冬桜」と呼ぶこともあるようです。
・秋冬に咲く「桜」には 子福桜 もある。

参考:【(c)季節の花 300】 http://www.hana300.com/index.html

と言うことは、「十月桜」と「冬桜」は別品種ということになるようです。更に”遺伝研”で同様に調べて見ました。

”遺伝研”とは、正式には大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構”国立遺伝学研究所”と言うのが正式名称で、さらにその下部組織に”財団法人遺伝学普及会”という団体があり、その中のデータベースの一つに【(c)遺伝研の桜】というデータベースを公開しています。これについては以下の説明があります。

『遺伝研の構内には,染井吉野の起源の研究で有名な故竹中要博士(元遺伝研細胞遺伝部長)が全国から収集された桜の品種260種余りが植えられており,日本の桜の貴重な遺伝資源になっています。それらの桜の一般向け解説書として,小冊子「遺伝研の桜」が1995年に国立遺伝学研究所から刊行され,その後1997年に財団法人遺伝学普及会の手で再版されて現在に至っております(1997年版序文参照)。
小冊子「遺伝研の桜」は,今も桜の愛好家の間で好評を博しております。しかし,21世紀の電子情報化社会の到来に伴って,より多くの人々に貴重な遺伝研の桜を知っていただくために,今回小冊子の画像および文字情報をデジタル化して,画像データベースとしてWeb上に公開することにしました。』

そこで、早速【(c)遺伝研の桜】で調べてみると、そのデータベースの中には、「ジュウガツサクラ」と「サンパガワノフユサクラ」の二種類しか有りませんでした。
残念なことに「ジュウガツサクラ」は”所在不明”といことで何の説明もありませんでしたが、「サンパガワノフユサクラ」には、以下の説明がありました。

●サンパガワノフユサクラ (三波川の冬桜)

サンパガワノフユサクラ ( Prunus × parvifolia Koehne cv. parvifolia )
下久保ダム-城峯公園 【三波川の冬桜(c)遺伝研の桜】

『群馬県多野郡鬼石町櫻山にあった桜。明治41年三波川の村長、飯塚志賀氏が植えたと記録され、広く知られていたが、最近焼失したと伝えられる。この桜は毎年、春と晩秋から初冬にかけて2回咲くので「フユザクラ」「フダンザクラ」などとも呼ばれる。「マメザクラ」と「ヤマザクラ」の雑種で、「コバサクラ」と同じものと考える。果実を付ける。四季咲性遺伝子をもつ桜。』


参考:【(c)遺伝研の桜】http://www.genetics.or.jp/Sakura/index.html

これらをふまえて、花の形が現実的に八重と一重があるという現実から品種的には2種以上あると考え、「冬桜」は冬(及び春)に咲くサクラの総称で、品種では「十月桜」と「三波川の冬桜=冬桜」があると素人なりに考えるのが無難なようです。
余談ですが、【(c)遺伝研の桜】のサイトのトップページに面白いことが記載されています。

『桜に関する問い合わせ
国立遺伝学研究所には、現在桜の研究者がいないため、栽培方法、同定依頼、所在情報など、お問い合わせいただいても、お答えすることができません。』

・・・フム!?

学術的なことは置いといて後は、冬桜と紅葉のハーモニーを楽しむことにしましょう。其処かしこで、美しさを競い合っているようです。

下久保ダム-城峯公園 【いたる所にこの幟が立っています】

下久保ダム-城峯公園 【ケイトウの赤と黄色のアンサンブル】

下久保ダム-城峯公園 【これは一重だから三波川冬桜?】

下久保ダム-城峯公園 下久保ダム-城峯公園 【公園のメインエリアの冬桜】

下久保ダム-城峯公園 【紅葉にありがちなレタッチをしてみた、ありがちなサイト素材】

下久保ダム-城峯公園 【途中でお土産を買った農産物直売所。素朴で絶品でした”干し芋”】

下久保ダム-城峯公園 【わんぱく広場での森の緑と紅葉の赤、黄、それにピンク、だけと思ったほど写真は綺麗ではなかった。】

下久保ダム-城峯公園 【これぞ紅葉!?】

下久保ダム-城峯公園 【帰りがけの最後のハーモニー。赤と黄と白が混ざったグラデーションがHIP!】

こんな写真はともかく、実際に見に行ったほうが何十倍も感動すると思います。是非、行って見てください。

最後に、城峯公園を出てすぐ左手にある山の上のカフェレストラン・陶芸茶房”宇那室”でコーヒーとケーキをいただき一息つきました。
下久保ダム-城峯公園 下久保ダム-城峯公園 【宇那堂店頭と店内】
陶芸茶房と言うとおり店舗内には様々な陶器などが展示・販売されていましたが、主は”ふくろう”みたいで、 ランプにもなる”フクロウ型の照明スタンド”などが所狭しと並べられています。どうやらご家族でやっていらっしゃるようです。
(現代仕様のアンティーク風)蓄音機でレコードがジャズピアノを奏でています。脇には暖炉に木がくべられて若干熱いい程度に 室温が保たれています。
ちょっと山小屋風な雰囲気もあって、ホッとつかの間の一時でした。

PM4:30頃からライトアップとは聞いていたのですが、帰りの渋滞等を考えると、ここで帰ることにしました。 折角のライトアップですが、十分堪能しましたし、また、楽しみを残しておかないと再び訪れるきっかけがなくなりますから、と、さも最もらしい、言い訳をして帰路につきました。

2008.11.29記