みつまめ みはし

東京都台東区上野4-9-7  2016.01.16訪問

店舗概要

『みつまめ』は和風のスイーツで、もとは夏の食べ物で夏の季語にもなっていますが、現在では四季を問わず食べられています。
原型は江戸時代末期ぬ売られていた“しん粉細工”の船に赤エンドウマメを入れて蜜をかけた子供向けの菓子であったそうだ。
ゆでた赤エンドウマメ、さいの目に切った寒天、求肥、白玉だんご、ミカンやモモなどのフルーツなどを器に盛って、黒蜜や糖蜜をかけた現在の形態となったのは、1903(明治36)年に浅草の《舟和》が売り出したものが最初と云われています。
そして《舟和》は、当時流行していた「ビアホール」「ミルクホール」に肖った「みつ豆ホール」と名付けた西洋風喫茶で販売し、大人向けのスイーツとして人気となったのです。

そんな“みつまめ”で、常に行列のできる有名店が上野にある『みつまめ みはし』です。
元々は上野寛永寺への参道に川が横切っており、3つの橋が架かっていたことから三橋と名付けられた旧町名を付けて昭和23年に創業したのが『みつまめ みはし』なのです。
小豆や砂糖などが少ない戦後間もない頃のお汁粉やみつまめは当然人気となり、大繁盛したのだそうです。

0003_mihashi_ueno_large-e693f0ffcf4b8288906d3d01f6d8b1bc.jpg

0004_mihashi_ueno_DSC_1216+.jpg

メインメニュー

小倉あんみつ 610円

0002_mihashi_ueno_DSC_1214+.jpg

白玉クリームあんみつ 700円

0001_mihashi_ueno_DSC_1213+.jpg

感想

《小倉あんみつ》は、自社工場で作られている小倉アイスがトッピングされたあんみつで、昭和の時代に最中に挟まれた小倉アイスを思い出すような懐かしい味わいがあります。
特に蜜と餡子が濃くかなり甘いのですが、これだけ甘い方があるべき姿かと思うほどです。ある意味、サッパリした甘さは昭和のスイーツには似合わない気がするのは私だけでしょうか。

同様に《白玉クリームあんみつ》もサッパリと云うよりは、昭和の甘みの薄いアイスクリームと、ベタ甘の蜜と餡子が程よいハーモニーになっています。
素材そのものを活かした素朴なみつまめだからこそ、常に人気で行列の絶えない店なのでしょうね。

2016.01.21記
スポンサーサイト

入谷朝顔まつり

はじめに

季節の風物詩として全国的に知られている「入谷朝顔まつり」に7月8日の日曜日に訪れました。
誰が言ったのか“恐れ入谷の鬼子母神”という入谷鬼子母神を中心とした言問通りで毎年7月6日~8日の3日間行われているものです。
オフィシャルサイトによると、この入谷の朝顔が有名になったのは江戸末期の文化・文政(1804~30年)の頃だそうで、現在の御徒町に住む下級武士であった文字通りの“御徒目付”が栽培したことが始まりのようです。何故武士が、という疑問が湧かないことも無いのですが。。。
しかし明治となり朝顔の栽培は、その御徒町から入谷に居た十数件の植木屋に伝わっていったようです。まあ、本職が作るのですからそれは見事な朝顔が出来上がったようで、明治中期にはこの朝顔をお金を取って見せるようになったのだそうです。
その当時の真骨頂が「変わり咲き」と呼ばれる朝顔で、ある時は“桔梗の花”、またある時は“牡丹の花”といったように様々な咲き方をする、まるで怪人二十面相(古っ!)のような朝顔だったのだそうです。そしてそのピークは明治24、5年で、入谷の通りは毎朝通行止めになるくらい人気だったのです。
しかしながら世情の変化もあり、大正2年にはすべての植木屋が廃業したため入谷から朝顔が姿を消し、いつしか変化朝顔も忘れられ、現在のような円形の朝顔が主流となったのです。
そして戦後の昭和23年、戦後の復興とともに入谷の朝顔が「朝顔市」として復活したのです。そういわれると彼是60年以上の伝統のある“まつり”といえるわけで、夏の風物詩といわれる所以となるのも頷けます。
ということで、下町情緒の残る入谷の夏の風物詩を初めて見ることになったのです。

朝顔市

7月6、7日と雨に降られ今年は雨中のまつりと思っていたのですが、何とか8日の日曜日は晴れとなりまつり日和となりました。
一番アクセスが良いのは日比谷線の入谷駅で下車するのですが、JRを利用することから鶯谷駅から向かうことにしました。
鶯谷駅の跨線橋を渡って言問通りに出るのですが、このあたりはついさっきまで雨が降っていたように路面がぬれています。
鶯谷駅の跨線橋
そして言問通りを東方向に進むと、目指す朝顔まつりの始まる“根岸1丁目”の交差点に到着です。
言問通り
写真の言問通りの右側が朝顔商の露店で、左側がいわゆる祭りでの露天商です。先に見えるスカイツリーも一部雲がかかってちょっと幻想的な光景を見ることができます。
“根岸1丁目”交差点 スカイツリー
早速、朝顔まつりに突入です。
朝顔市
6、7日が天気が悪かったことから、その分今日にされた方も多いのでしょうか、とにかく人、人、人の群れです。 一部には昨今のデジカメブームから写真の撮影をされる方も多くなっているので、余計人通りも多いのかもしれません。
実際に私も殆ど写真を撮る余裕も無いほどで、更に写真を撮ろうとするとNGを出すお店もありました。確かに写真だけ撮られて、本来の購入者が近づきにくくなっているので、お店の方の気持ちもわかりますね。

まずは一般的な朝顔らしい朝顔です。
あんどん作り
朝顔はそもそも現在から1,100年以上前の奈良時代に、中国から遣唐使によって伝来したといわれているそうです。当時は朝顔の種子が下剤として効果があったことから、漢方薬として重宝されたのです。最初は薬として伝わった朝顔が観賞用となったのは前述したように江戸時代からです。
そして朝顔の種のことを中国名で「牽牛子」(“ケンゴン”または“ケニゴン”)と呼び、和名を「阿佐加保」と書いたそうです。ここから後に朝咲く花であることから「朝顔」といわれるようになったのです。また、中国名の「牽牛子」が七夕の牽牛につながることから、この朝顔まつり(市)が七夕の前後3日間開催されるようになったのだそうです。
こじつけではあるのですが、実に下町らしい粋な演出です。

当然朝顔にも種類は沢山あるようですが、ビジネスとしてはこの様に販売されています。
価格表
「あんどん造り」とは先の朝顔にあった、円筒形に組んだ鉢に仕立て上げるモノのようです。
また、「ききょう咲」とあるのがこれのようで、文字通り“桔梗の花”のような形からのようです。
ききょう咲
これって、いわゆる「変わり咲き」の朝顔で、明治時代入谷で人気のあった朝顔ですね。
変わり咲きには他に「牡丹咲き」のほか、采咲き、台咲き、車咲き、獅子咲きなどがあるそうで、一般的に変化朝顔といわれています。しかしながら、これらの変化朝顔の中でも特に希少なものは“出物”と呼ばれ、種子が出来ない、或いは非常に出来にくいため、次の変わり咲きを育てるには、その遺伝子を持つ兄弟株の種を蒔いて、じっと出現するのを待つしかないのだそうです。品種を維持していくのは並大抵の努力ではすまないことから、主流が円形の朝顔に移行したのも判る気がします。

しばし、垣間見れる朝顔の数々を眺めていきます。
朝顔 朝顔

そのような中で非常に興味を魅かれた朝顔がこちらです。
団十郎朝顔
この渋い色を持った朝顔は「団十郎」という名の朝顔で、朝顔としては珍しい茶色です。
そもそも二代目市川團十郎が、歌舞伎十八番の内「暫」で用いた衣装の色が海老茶色であったことにちなんでつけられた名前だそうで、江戸時代では団十郎の茶色ということで一世を風靡したのだそうです。
しかしながら、この朝顔も種子の確保が難しいことから徐々に生産量が減り、戦後生産が途絶えたものだそうです。それゆえ“幻の朝顔”といわれたのですが、東京都農林水産振興財団で復活され、現在では東京のご当地朝顔として人気を博しているのです。
その団十郎の茶色がこちらです。
団十郎の茶 団十郎朝顔
撮影した写真では茶色がわかりにくいのですが、実際にはこの様な茶色のようで、まさに“団十郎”たる由縁を感じます。
ここからまた垣間見れる朝顔を眺めますが、いよいよ混雑もピークなのでしょうか立ち往生する時間が長くなってきました。
朝顔まつり 朝顔まつり 朝顔まつり

鬼子母神

まるで“牛歩戦術”のような歩みで先に進むと、右手に瓦のつけられた塀があり、その先の一画が「入谷鬼子母神」となります。
鬼子母神
それほど広くは無い境内ですが、さすがに今日は多くの参拝客が詰掛けています。
鬼子母神
山門脇には「福禄寿」が祀られており、ここは下谷七福神の一所であることを知りました。
福禄寿

入谷鬼子母神の由来(真源寺)
入谷鬼子母神は満治2年(1659年)静岡県沼津にあります大本山光長寺の第二十世高運院日融上人が、本山に勧請してございました一寸八分の御木像の鬼子母神様を持ち、江戸に出て、現在の地に仏立山・真源寺を建立し開基と成ります。この鬼子母神像と言いますのは大本山光長寺の開基である彫刻の名手、中老僧日法聖人が彫られ、師匠でございます日蓮聖人が開眼せられたと伝えられています。
またこの鬼子母神様は俗に「恐れ入谷の鬼子母神」と言われ、その由来については當山にあります縁起に、「さる大名家の奥女中が腰に腫れ物ができてしまい医者に見放されてしまったが、入谷にある鬼子母神が大変御利益があると言うので、21日間の願をかけ毎日お参りをしていたところ、満願の日の帰りに、橋でつまづき欄干のえぼしに腰を打ち付けてしまった事で、腫れ物の口が破れて膿が出てしまい、時をへずして全治した」とあります。
これを江戸の中期に活躍しました狂歌師でございます太田蜀山人が聞き付け、その御利益に恐れ入ったと言うことで「恐れ入谷の鬼子母神」と洒落言葉で言ったのが江戸っ子の間で流行になり現在までも使われています。
(朝顔まつりオフィシャルサイトより)

縁起もさて置き、洒落言葉についての由来も面白いものですね。
この洒落言葉は江戸時代当時は「地口」といわれ、駄洒落の一種の言葉遊びなのですが、発音が似た単語を使用するため、比較的簡単に創造性の富んだ「地口」が出来るのだそうです。 いくつかのパターンに分けてみます。

1.有名な文句をもじったもの
・「舌切り雀」をもじって、「着たきり娘」
・「お前百までわしゃ九十九まで」をもじって「お前掃くまでわしゃ屑熊手」
2.韻を踏むことによってリズムをつけるだけで、特に意味のないもの。
・驚き桃の木山椒の木
・結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ(映画「男はつらいよ」の寅さんで有名。)
3.掛詞の技法を使い、後に意味のない言葉をつなげたもの。
・恐れ入谷の鬼子母神
・そうはいかのキンタマ
・その手は桑名の焼き蛤
などがあるのです。
特に鬼子母神同様、地口で知られている寺社もいくつかあります。
・びっくり下谷の広徳寺(台東区から練馬区へ移転)
・情け有馬の水天宮(日本橋蛎殻町の水天宮)
・なんだ神田の大明神(千代田区外神田の神田明神)
などがあり、いずれも下町で庶民に親しまれている寺社が詠まれているようです。

閑話休題
鬼子母神といえば【雑司ヶ谷七福神彷徨】で訪れた雑司ヶ谷の鬼子母神を思い出しますが、この真源寺(入谷鬼子母神)は法妙寺(雑司ヶ谷鬼子母神)と法華経寺(市川市中山鬼子母神)とともに特に霊験があらたかということで江戸三大鬼子母神といわれているのです。
鬼子母神については雑司ヶ谷の鬼子母神を参照していただくとして、今日は特別の日ということでしょうか、本堂の前に鬼子母神が安置されています。
鬼子母神

本堂と福禄寿の中間に「入谷朝顔実行委員会」が設置されています。
入谷朝顔実行委員会
その前でインタビューが行われていました。
インタビュー
インタビュアーの背中には「ニッポン放送三宅祐司サンデーヒットパラダイス いま生放送中」と書かれています。 さすがに夏の風物詩で、注目度は高いようですね。
本堂の左手には朝顔のお守りが授与されていました。今回は小さな方のお守りを授与していただきました。
お守り授与 お守り
授与していただくときには、手目にある火打石を叩いていただけるのですが、タイミングが合わず写真が撮れませんでしたが、下町らしい粋な演出です。
最後にそして境内の左手ある朝顔を見ながら入谷鬼子母神を後にしました。
朝顔市 朝顔市

朝顔まつり

鬼子母神を後にして再び朝顔まつりに戻りますが朝顔の露店もあと僅かとなりました。
ここでも先のインタビューが行われていました。
インタビュー
またこんな色鮮やかな朝顔もありました。
オーシャンブルー
「オーシャンブルー」というハイカラなネーミングですが、沖縄生れの朝顔だそうです。
言われてみれば沖縄らしい空と海の色といえるでしょう。

そして今回は折角来たのですから朝顔を買い求めました。
朝顔「団十郎」
1つは前述した「団十郎」で、一般的にあんどん朝顔が2000~2500円のところ、一鉢3000円という奮発をして珍しく母に贈っておきました。
そしてもう一つは「紅ちどり」という品種で、何と1鉢1000円ながら秋まで咲き続けるという、打算的なとってもコスパに優れた朝顔なのです。
朝顔「紅ちどり」
これからしばらくは夏を楽しめるのでしょう。

最後まで朝顔を楽しんで、ここからは言問通りを横断して反対側の車線に移ります。
朝顔まつり
この辺りが地下鉄入谷駅に近いことから、ここに入場ゲートが設えてありました。
朝顔まつり
そして再び、食べ物の露天をとおって鶯谷駅方面に戻りました。
朝顔まつり
天気も回復し、再び“根岸1丁目”交差点から見るスカイツリーはくっきりと見ることが出来ました。
交差点でのスカイツリー
いよいよ夏本番を間近に控えて、一足早い夏を先取りする「入谷朝顔まつり」は一服の清涼剤として癒されること請け合いです。 夜は交通規制も行われ、盆踊りなども行われるようですので、更に楽しめるのでしょう。


 

はじめに

1月2.3日恒例の箱根駅伝は、トップ争いもさることながら、シード権争いも熾烈を極め、今年くらい火花を散らし的な展開の大会もそう多くはないでしょう。
結果として早稲田大学の総合優勝に落ち着いたのですが、東洋大学の3連覇か、早稲田大学の3冠か非常に興味の尽きない大会でした。
2日は成田山への初詣、そして3日は箱根駅伝という正月の風物詩を堪能した後の4日、TVも飽きたし、ごろ寝も返って疲れるといったところで、正月休みの最後の日はやはり巷に出かけようと、新春の風情を味わいに出かけることにしました。

昨年は仕事や日程の関係から浅草寺への初詣だけでしたが、一昨年「くりはし八福神」が非常に面白かったことから、今年の4日は七福神めぐりをしてみようと思い立ちました。
七福神めぐりは、全国津々浦々に存在していて、現在では昔よりも手軽に行なえる信仰というよりは、ある意味でのイベントです。
そのような数多ある七福神めぐりから今回選んだのは、「谷中七福神」でした。およそ250年前に始まったと言われる江戸最古の七福神めぐりが選択のキーワードでした。さらに、他の七福神には神社も入っているのですが、谷中七福神は寺院だけであるということが余計興味を惹かれました。
更にモチベーションが挙がる理由に、この谷中七福神はこの期間(1月1日から10日位まで)しか、七福神を拝めないと言うことです。1年でこの時期にしかできないことと言われれば、飛びつかない手はないでしょう。
希少性にとんだ七福神めぐりで、江戸情緒を味わうには、これほど適したものはないでしょうから。

2011年1月4日天気も良好で、自宅をAM9:00前には出発しました。
世の中、今日から始業する企業もあるでしょうが、電車はまだ空いていて多くの企業が5日からの始業であろう事を教えてくれます。
今回は大宮駅経由で、JR京浜東北線で田端駅に向かいます。この谷中七福神めぐりは、田端駅から廻るコースと、上野駅から廻るコース(単純に逆周りということですが)の2種類があるようで、この日は田端駅から南下するコースをたどります。
この谷中七福神のコースは結構広く、北区にある田端駅から、荒川区にある西日暮里駅と日暮里駅、そして台東区にある鶯谷駅、上野駅という、3区5駅にまたがるエリアにある七福神なのです。
結構、距離もあるようですが、新春の1日を下町情緒に触れながら散策できるのも興味深い限りです。


はじめに

謹賀新年

いつの間にやら2010年を迎えました。
今年も例年通り大晦日から元日にかけて仕事のため、正月気分にひたれるのは2日以降となりました。
しかし今年は正月明けが4日からと正月気分もわずか2日間だけ。しかも例年2,3日は箱根駅伝をTVで見ながら食っちゃ寝、食っちゃ寝三昧。あっという間に正月は終わってしまうなあ、との危機感(何故?)からせめて3日はぶらりと世間の正月風景でも眺めようかと、例年にないアクティブな行動を思いつきました。

昨年来から家内が国際フォーラムの「大江戸骨董市」に行きたがっていたので、調べてみるとちょうど新年3日が今年の最初の開催とのことだったので、ぶらりと行ってみることにしました。
どうせ、都内まで出るのなら初詣でもと浅草の浅草寺で仲見世の正月風景でも見ようかと、浅草~日比谷の正月散策をすることととなりました。
さすがに正月なので若干のんびり気分でAM9:00過ぎに自宅を出て、いつものようにニューシャトルで大宮駅へ、そして大宮駅から高崎線で上野駅にでます。上野駅からは銀座線で浅草までホンの5,6分です。10:30前には浅草に到着しました。
残念ながら3日の箱根駅伝はほとんど見られませんが、たまには違った正月も結構なものでしょう。
今年も良い年となりますように、新年最初の散策です。


「光の天才画家とデルフトの巨匠」を招いた男

フェルメールの人気

噂の”フェルメール展”かなりの人気で、相当な待ち時間が必要との事。
試しに待ち時間を教えてくれる展覧会ダイヤルというものがあるので通話してみると、平日の午前中にも関わらず何回掛けても通話中で掛からない。意味があるのか無いのかわからないダイヤルサービスですが、「常に通話中ということで、どれだけ混雑しているかは察ししろ!・・・」とでも言いたいのでしょうか。

それにしても異常なほどの人気です。オフィシャルサイトには”11月11日(火)、開催87日目で来場者数が60万人を突破しました。”とあります。単純計算すると1日に約6.900人ですから、異常といえば異常です。
まあ、一つの人気のバロメーターとしていつの間にか上野駅構内にフェルメールグッズの販売ブースが出来ていたことからも推測できますね。
フェルメールグッズ店舗 【上野駅構内のフェルメールグッズ店舗】

今回の展覧会、「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」と付けられたとおり、フェルメール研究者の小林頼子目白大学教授は、フェルメールの人気の理由を「作品に光学画像を思わせる特徴があることも現代人の心をとらえるのかもしれない」と分析しています。更に、作品数が少なく、希少性が高いことが人気の理由でもありそうで、一挙に7点もの作品が集まった今回は、人気が出るのは当然なのかもしれません。
因みに以下の年表は、これまでに日本に来日したフェルメール作品と展覧会です。出典はウィキペディア。

1.1968年・・1969年「レンブラントとオランダ絵画巨匠展」国立西洋美術館、京都市美術館
《ダイアナとニンフたち》
2.1974年「ドレスデン国立美術館所蔵 ヨーロッパ絵画名作展」国立西洋美術館、京都国立博物館
《窓辺で手紙を読む女 》
3.1984年「マウリッツハイス王立美術館展」北海道立近代美術館、国立西洋美術館、愛知県美術館
《真珠の耳飾の少女》《ディアナとニンフたち》
4.1987年「西洋の美術 その空間表現の流れ展」国立西洋美術館
《手紙を書く女》
5.1999年「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」京都市美術館、東京都美術館
《手紙を書く女》
6.2000年「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」大阪市立美術館
《聖プラクセディス 》《天秤を持つ女》 《リュートを調弦する女 》《真珠の耳飾の少女》《地理学者》
7.2000年「アムステルダム国立美術館所蔵 17世紀オランダ美術展 レンブラント、フェルメールとその時代展」愛知県美術館、国立西洋美術館
《恋文》
8.2004年「フェルメール《画家のアトリエ》 栄光のオランダ・フランドル絵画展 ウィーン美術史美術館所蔵」東京都美術館、神戸市立博物館
《絵画芸術》
9.2005年「震災復興10周年記念 ドレスデン美術館展 世界を映す鏡」兵庫県立美術館、国立西洋美術館
《手紙を読む女》
10.2005年・・2006年「オランダ絵画の黄金時代 アムステルダム国立美術館展」兵庫県立美術館
《恋文》
11.2007年「フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展」国立新美術館
《牛乳を注ぐ女》

1968年からのおよそ40年間で、展覧会は11回開催されており、今回が12回目となります。
60年代、70年代、90年代に各1回、80年代に2回の計5回開催されてますが、2000年以降は6回開催されており、今回で7回目となります。つまり40年のうちこの10年間に開催された展覧会が多いということが何を意味するかと考察すると、1つには最近日本でもフェルメールの人気が上がってきている。つまり芸術やアートの底辺が広く厚くなっている傾向であるのではないか。もう一つは、それだけフェルメール作品を日本に借り入れられる何かのパワーが上がっている結果であるとか。
この様なことが考えられますが、要するに、人気が出たから展覧会が多くなったのか、展覧会が頻繁にあるので人気が出たのか、ということで結局は”卵と鶏”になってしまうのですね。そして、人気があるから多くの客を呼ぶという論理でしょうか。

確かに、これだけの人気ですから多くの方が来場するのも無理ない話ですが、そのうち本来のアートやフェルメールなどに日頃から親しんでいる所謂、好事家がそれ程多いとは考えられません。恐らくPR効果による動員パワーが上がったという結果は容易に想像できます。
自分自身を考えれば正にパブリシティ効果ということは明白でしょう。
よくよく考えれば、私自身のアートや芸術への興味自体は悲しいくらい希薄なものです。思い起こせば、小、中学校の見学などは別として、比較的有名な作品や展覧会などと言うものは皆無に等しい位のもので、恐らく(これ以前は記憶が定かでない)初めての絵画鑑賞は、あの《モナリザ》だったはずです。

モナリザ初公開(後にも先にも)の時に上野の国立博物館へ行きました。確か高校生だったと思います。平日、授業を抜け出して3.4人の友人と共に行きました。それでも1、2時間は待たされたのではないでしょうか。
モナリザ展 【当時のモナリザ展ポスター(c)荒木淳一の庭】
博物館内に入っても、展示されている部屋は大変広く、その中で1点だけ展示されていて部屋の中を来場者が2重3重に渦巻き、《モナリザ》の前では立ち止まれない、っといった情景だったような記憶があります。(なにぶん30年以上前の話ですから・・・)

その次に見た有名な絵画は、やはり《モナリザ》でした。
ちょうど日本で見てから約10年後、ルーブル美術館で再び対面することが出来ました。まだ、今のように《モナリザ》だけ特別な空調施設の展示ではなかったと記憶しています。
当然、ミロのヴィーナスとか他の展示物も見ましたが、如何せん半日くらいだったので、それ程多くを見ることは出来ませんでしたし、あんまり憶えていないのですね、恥ずかしながら・・・。
それから4.5年後に山梨で《種まく人》、ミレーでしたか鑑賞した記憶があります。ただ、間違いなく言えることとして、これは決してミレーを見るために行ったのではないということです。何のために行ったかはっきり憶えていませんが、恐らく会社の社員旅行か、あるいは家族旅行で行った先に偶然あったので、的な話だと思います。

このような人ですから、別段絵画に特に感心があった訳でもなく、さらにフェルメールに特別な興味があった訳でもないのです。それでもあえてフェルメール展に行く理由は・・・ズバリ、”ミーハー”です。そう、”みーちゃん、はーちゃん”なんです。
きっかけは”フジテレビ”ではなく”TBS”。
11月3日に文化の日スペシャル・世界芸術ミステリー「フェルメールの暗号」という番組です。見られた方も多かったかもしれませんが、簡単に言ってしまえばこんなところでしょうか。

「フェルメールが絵画に残した謎・・・暗号を3人の男が読み解く」という触れ込み。
その3人とは、
1.フェルメールを発掘した男(・・・金儲けが出来る!秘密)
2.フェルメールの贋作男(・・・自尊心からの復讐劇)
3.独裁者ヒトラーがフェルメールに魅せられた理由(・・・単に世界の名画を集めたかっただけ)
といったら面白そうですか。全く面白そうだとは思いませんでしょう。
でも、こんな内容でも、

『光の天才画家「ヨハネス・フェルメール」のその美しい絵画は野心溢れた男たちの人生、そして歴史をも動かしたのだ。 透明な光、その美しさの裏側に画家・フェルメールが託した、物言わぬ暗号の意味とは・・・!
・・・フェルメールが絵画に残した謎の暗号/メッセージが、ついに明らかになる!』

と書かれたら確かに見ますよね、TV。【全文掲載はこちら(c)TBS】

恐らく番組を見られた方の多くは多分こう言うでしょう。「言うよね?」(By 大西賢示)
突っ込みどころ満載の番組で、いちいち突っ込んだら紙面がいくらあっても足りないといっても過言ではないでしょう、って言うくらいトンデモな番組。
イントロ部分からいきなり、2枚の《モナリザ》の件。えっ、ええー、最初からパクリ!?
一気に途中省略して、極めつけは「独裁者ヒトラーがフェルメールに魅せられた理由」・・・
ゲストの山田五郎氏さえ見終わって「強引だね?」と感想を漏らしたくらいだから、一般視聴者にとっては”鼻から牛乳””とんでも八分”。地獄の隅で小さくなっているヒトラーがみたら、おそらく「アホか!」の一言。馬鹿馬鹿しいにも程があるほどの内容。
”マクダラのマリア”の二番煎じ、或いは二匹目の鰌かもしれないが、それにしてはチープ、チープ、チープすぎる!

「視聴者なめたらあかんで・・・」 やはり落ちるところまで落ちてしまったかTBS的なところでしょうか。
かつては”ドラマのTBS”と言われ、「私は貝になりたい」から始まって「岸辺のアルバム」や「金妻」「ふぞろいの林檎」などをへて「渡鬼」まで話題作や問題作などかなりクオリティの高いドラマを制作していたと記憶します。 それが今や、数字の取れるのは発言に興味のある”アッコにお任せ”と大量投入の”感謝祭”くらいなもの。ドラマだって”渡鬼”と”黄門様”のダッチロール。最近では二進も三進もいかず、挙句の果てに”私は貝・・・”のリメイク。
イベント宣伝なら、それでも良いから、せめて見ていて楽しい番組を制作して欲しいものです。 感動とか啓蒙とか無関係のチープで胡散臭い番組はもう結構です。
と、これだけ局・番組批判しているにもかかわらず、それに乗ってしまう私は・・・恐らく最低なミーハーなヤツなんです。