歴史を尋ねる散策記。歴史の必然、偶然を楽しんでいます!!!!
旅のサイト【たびねす】に掲載された『ぜ~んぶ無料!巷で噂の小平市サブカルチャースポット5連発』のフルバージョンです。
概要は記事をご参照ください。
文字通りながら見事なネーミングの『ふれあい下水道館』とは!
1990年度に下水道普及率が100%を達成したことを記念してつくられた展示館で、下水道の役割や水環境の歴史の全国でも初めての施設。
この手の施設にありがちなチープ感は建物の外観からは全く感じられない。
むしろ、その規模もさることながら、円形の建物がオシャレですらある。
建物の前にあるオブジェも、なかなかの味を出しています。
下水を掘るためのドリルもさりげなくオブジェ化しているところなどは、何とも言えず微笑ましい。
水との関連が深いことから、自然との共生もそこはかとなく演出されています。
エントランスもなかなか中世風の石造りを演出しており、水琴窟の綺麗な音色がお出迎え。
この施設の興味深いところは、外観上は2階建てですが、地下に下がっていく構造となっており地下5階までつながっています。
それゆえ、階段には高度が表示されており、標高83mを0m地点として、以降マイナス表示となっています。また高度表示はそのまま地層の展示となっているのも見事な展示です。
更に踊り場にある工夫を凝らしたディスプレイも見逃せないところです。
階段を降りた地下2階が展示室で、「くらしと下水道」というテーマの展示室です。
これほど端的に下水道を表すことはできない、と思えるほど素敵な展示物ですが、もはやアートと言っても過言では無いかもしれません。
下水道網の説明と共にある、汚泥を利用した作品などは、なかなか興味深いものです。
ハーフミラー技術を利用した“マジックビジョン”による下水道の歴史には、内容と共に、その展示方法に驚かされます。
更に地下を降りれば地層の様子も変わってきます。
地下3階は、「小平の水環境」がテーマ。
武蔵野台地特有の“まいまいず井戸”は覚えておきましょう。
地下4階は、所謂、企画展示室でこの日は「下水道の歴史」で、江戸時代から明治までの下水を紹介しています。
そして最後の地下5階、-21m地点に到着します。
ここがこの施設のメインともいえる展示室で、ある意味ふれあいたくない「ふれあい体験室」です。
ここは実際に下水道に使用されているものが展示されています。
そして最後のメインゾーンが“体験コーナー”
現在、実際に使用されている小平市の下水道管の中にはいります。厳重なハッチが未知の世界に誘うかのようです。
見た目は、まさにトンネル。
まるで昔あったTVドラマ“タイムトンネル”をほうふつとさせるのですが、その強烈な臭いには閉口です。
見学に来られた方は、ほぼ10秒で退散していましたが、何とか5分ほどいましたが、それが限界でした。
確かに悪臭なのですが、このおかげで私たちの生活が快適なのですから、じっくり参拝して頂きたいものです。
最後は綺麗なものを見て帰るとしましょう。
2015.6.7記(完)
旅のサイト【たびねす】に掲載された『ぜ~んぶ無料!巷で噂の小平市サブカルチャースポット5連発』のフルバージョンです。
概要は記事をご参照ください。
『東京都薬用植物園』は、昭和21年に設立され、危険ドラッグや健康食品の指導・取締りに向けた植物鑑別等の試験検査、調査研究を行うほか、薬用植物の正しい知識の普及を行っています。
噛み砕いていえば、所謂“薬草”に関する植物園ということで、私達の身近な医薬品のもとである有益な植物や、一方で有害である植物などを知ることのできる珍しい植物園。
このにある温室はちょっと珍しく、勿論、亜熱帯植物を栽培していいるのですが、一部冷房室になっているので、寒冷地の植物も見られます。
ウパス、バオバブ、カカオノキなど樹木も興味深いものがたくさんあります。
温室の前のエリアが“漢方薬原料植物区”と幾分仰々しいですが、ボタンやベニバナなど漢方に配合ざれる植物です。
“水生植物区”では、ガマやウキヤガラなどの水辺に生息する薬用・有毒勅物がみられます。
“民間薬原料植物区”は、ドクダミ、ゲンノショウコなど民間薬として用いられる植物を植栽されています。
所謂、おばあさんの知恵ですね。
こんな可愛らしい花もとっても有用なんです。
まさに才色兼備!?
薬用や食用とされる有用な樹木を植栽しているエリアが“有用樹木区”で、ウメ・アケビなどがあります。
そしてこの植物園でしか見られないが、“ケシ・アサ試験区”です。
当然と言えば当然ですが、ケシ・アサの栽培は違法ですから、二重柵によって囲われています。
更にセンサーやモニターやら厳重なセキュリティーが施されています。
植物そのものは、極めて一般的な緑濃い植物なんですが、気持ちは緊張感に包まれますね。
その緊張感を解くほぐしてくれるのが“ふれあいガーデン”。
食用になる身近なブルーベリーなどが植栽され、また植物苗などの販売もあります。
ちょっと一息の休憩にもよいでしょうね。
一区画囲われたエリアが“ロックガーデン”で、平地では育ちにくい山地性の薬用植物を植栽しています。
ニリンソウやリンドウなど可憐な植物が多いですね。
この植物園のもう一つの見どころが“有毒植物区”です。
頭では理解できても、実際に見るとこんな可愛らしい花を咲かせる植物がね。。。
そして標識の数々にちょっとビビるのです。
したがってここでは拾ったり、触ったりしてはいけないのです。
最後は“薬草資料館”を見学しておきます。
「生薬」とは、天然に存在する薬効を持つ産物から有効成分を精製することなく体質の改善を目的として用いる薬のことです。
見た目はキモイ物がありますが、1本ン十万するようなものもあるそうです。
漢方もその一つで、カッコンやケツメイシなど、名前はおなじみですね。
そして最後はやはりケシ・アヘンに関する展示です。
興味本位目線も仕方ないのですが、この“ケシ”からは、痛み止めとしてなくてはならない【モルヒネ】が作られるのですから、これはこれで有効に使用すれば世の役に立つことは覚えておきましょう。
滅多にみられる機会のない薬用植物園で、少し見聞を広めておきましょうか。
2015.5.20記(つづく)
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概要は記事をご参照ください。
『ブリヂストンTODAY』は、文字通りゴム、タイヤ、ブリヂストンの情報を紹介する展示館で、小平市にある東京工場内にあります。
垢ぬけた建物にあり、まさに時代の先端と云った雰囲気が窺えます。
ブリジストンと云えば、何をおいてもこの方に尽きるでしょう。
歴史的に面白いのが、もともとは正二郎氏が父から引き継いだ「志まや」という、シャツやズボン下、脚絆に足袋といった仕立物業が始まりです。
1907年に足袋専業となり、「志まや」から「日本足袋」になり、安売りの“20銭足袋”が大成功し、足袋に底ゴムを付けた地下足袋が爆発的に売れ基盤をなしたのです。
そしてゴム靴への進展を経て、日本足袋タイヤ部により国産の第1号タイヤが誕生し、1931(昭和6)年に「ブリッヂストンタイヤ㈱」となったのです。
当時、タイヤにはダンロップ、ファイアストン、グッドイヤー、グッドリッチなど、発明者や創業者の名前が付けられる例が多かったことから、石橋の姓を英語風にもじって「ストーンブリッヂ」ではどうかと考えたのですが、語呂が悪いので「ブリッヂストン」と並び替え社名、商標名と決めたことは有名でしょう。
その後、輝かしい業績を上げ続けているのは承知の通りです。
ここでも、様々なトロフィやコンセプトタイヤなどが展示されています。
因みに、この一族の恩恵に最大限甘受しているのが、石橋正二郎の孫の鳩山由紀夫・邦夫で、正二郎の娘である二人の母・安子の“実母からの献金問題”で一時、ニュースなどで話題になりましたね。
きな臭い話は、ここまでにしておいて、早速、館内を見学です。
1Fは、モータースポーツとタイヤに関する基礎知識についての展示です。
目に飛び込んでくるのが、MotoGP、Super GT、F1、などのチャンピオンマシンとテストカーです。
更にレース用タイヤなどの展示があり、モータースポーツファンには、余り機会のない貴重な展示かもしれません。
印象的なディスプレイがあるのが、タイヤに関する基礎知識のコーナーです。
タイヤの基礎知識のコーナーでは、タイヤの構造や役割が分かりやすいです。
特に興味深いのは“ハガキ1枚の世界”で、タイヤ接地面がはがき1枚分の大きさでしかないことを紹介しています。
このあたりは、やはりオタク的に楽しい展示です。
2Fは、大きく分けると“ブリヂストンのタイヤ生産コーナー”と“環境への取り組みコーナー”にわかれます。
ここでは、結構、専門的な内容ですが、一般人に取っては新鮮な情報なので、丹念に見ていくと面白いかもしれません。
そして注目は地下1Fでしょうか。
一時、他のメーカーで注目された“免震ゴム”についての展示、、、と云うより実物です。
このビル自体が、免震ゴムを使用したビルなので、その様子がそのままライブで見られるのです。
万が一、見学しているときに地震があれば、その様子が手に取るように理解できる、幸か不幸か良く分からない展示です。
どちらかと云えば、量より質、と云った感じですが、企業の真摯な姿勢が感じられる、とても素敵な展示館でした。
2015.05.15記(つづく)
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概要は記事をご参照ください。
ガスミュージアムは、明治初期にガス灯がともって以来の歴史と、東京ガスの事業と私たちの暮らしとの関わりを紹介する博物館。
一般の博物館以上に、その光景だけでも一般的な博物館以上に目を見張ります。
ペープメントの先に2棟ある煉瓦造りの建物に目を奪われます。
明治時代を彷彿とさせるレンガ造りの建物は、左側が歴史を紹介する『ガス灯館』で、右側の建物が東京ガスの事業を紹介する『くらし館』です。
無料施設にありがちなチープ感が微塵もないことがわかりますね。
建物の手前は『ガスライトガーデン』で、綺麗に整備された庭苑も美しのですが、注目は設置されたガス灯です。
イギリス“ウェストミンスターのガス灯”
イギリス“ロンドンのガス灯”
“横浜のガス灯”
“浜離宮のガス灯”
“湯島のガス灯”
世界のシンボリックなガス灯が、実際のモノや復元されたモノが、贅沢にも使用されているのです。
昼間でも点灯しているのですが、夜見ると更に素敵な光景となるのでしょう。
『ガス灯館』は、明治42年建築の東京ガス本郷出張所の建物を移設復元されたもので、これだけでも十分見るに値する建造物です。
ホールの中央がプレゼンスペースで、
その両側にガスの歴史が、貴重な黎明期の資料などで紹介されています。
一角の“ガスライトギャラリー”です。
鹿鳴館で使用されていた壁掛けランプをはじめとして、約30点のコレクションが展示されています。
明治のレトロ感と荘厳な灯りが見えてきそうです。
最後は、ガス灯に関連する展示で締めくくりです。
2階への踊り場には、錦絵が飾られていて、明治初期の錦絵にはガス灯が似合うのです。
2階はギャラリーで、通常は約400点所蔵する錦絵が展示されているのですが、この日は「ノエル・ヌエット」展が開催されてましたが、ここは撮影禁止なのでここまでですが、かなり見ごたえがある素晴らしい作品なので、サイトからお借りして1点だけ掲載させて頂きます。
2015年6月まで展示されています。
(C)ガスミュージアム
ここでの見どころは、実際にガス灯の点灯を行う事。
『くらし館』は、明治45年建築の東京ガス千住工場計量器室の建物を移設復元されたものです。
館内は所狭しと展示の数々があります。
エントランス前には、明治37年(1904年)に発行されたカタログ「瓦斯営業案内」に掲載されている明治後期の洗面用ガス湯沸器や、大正期の英国製1Gストーブなど、代表的なガス器具が展示されています。
東京ガスの広告にも懐かしい方々がいらっしゃいました。
東京ガス一世紀の歩みも、興味深いものがあります。
古いガスコンロなど、中々の迫力を感じます。
このような面白いガス器具もあったようです。
最後は恐らく日本にここ一台かもしれない“ガスオルガン”というのも珍しいものです。
物々しい割には、優しい音色に驚きでした。
チープ感など微塵もないどころか、「本当に無料で良いの?」と思うくらいアカデミックな施設でした。
2015.05.14記(つづく)
旅のサイト【たびねす】に掲載された『ぜ~んぶ無料!巷で噂の小平市サブカルチャースポット5連発』のフルバージョンです。
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小平市にあった歴史的建造物を移築・復元した『小平ふるさと村』。
江戸時代から明治時代までの建物と、昭和の香りを漂わせる風情が特徴で、まさに市民のための憩いの場です。
ふるさと村の出迎えは“丸ポスト”
小平市では、市内36か所に丸ポストが設置され、「丸いポストのまち こだいら」として日本一の保有数を誇っているらしい。
ふるさと村の入り口には、懐かしさの漂う建造物が早くも見られます。
赤い屋根の建物が『旧小平小川郵便局舎』で、明治41年(1908年)建築の和風建築で、現存する郵便局舎の中でも、古いものの一つで、市指定の有形文化財です。
内部に入れることができ、業務用の部屋と住居用の部屋に分かれている。
外から見れば、ごく普通の日本家屋で、このような造りが明治ではあたりまえだったのでしょう。
隣には火の見櫓が立っています。
この下には『消防小屋』があり、昭和3年のポンプ車をはじめとして。明治から昭和初期制作のものが保存されています。
ふるさと村のメインエリアには、いくつかの建物があります。
一番大きな建物が『旧神山家住宅主屋』
江戸時代後期と推定される建物で、小金井から小平に移築されたものです。その際に間取りの変更がされましたが、当時の農家の特徴をよく表している市指定の有形文化財です。
内部は広い土間になっていて、炊事場が残されています。
なかなか風情のある光景、といえそうです。
一角には『管理棟』があり、レトロ感を醸し出していますが、昭和の建物を改修したものです。
ここを拠点として観光案内や、懐かしい子供の遊びを再現しています。
多くの子供や学生たちが、懐かしの玩具で遊ぶ姿は微笑ましいものです。
小さな建物は『旧鈴木家住宅穀櫃』で、大地主として財力のあった秋山家が、明治維新の動乱期に備えて建てたものと考えられているものです。
流石に金持ちは時代に敏感ですね。
ここから先に進むと大きな『かきの木公園』があり、その先には『旧小川家住宅玄関棟』があります。
小平発展の原点である開発事業の中心的役割を果たした、名主の小川家に継承されてきた建物で、1805年に建築され、この玄関から他の名主宅の形式とは異なる、格式の高さが窺える市指定文化財です。
その右手には『開拓当初の復元住居』があります。
先の小川家に残る文書から、江戸時代初期の開発当初における住居を復元したものです。
何とも小平の原風景的な景色が見られます。
茅葺と共に内部も土間や囲炉裏、そして虫よけに燻された建材が情緒を醸し出しています。
その復元住居に続いて開拓当初の『水車小屋』が復原されています。
玉川上水から分水された水で、多くは商業用に脱穀・製粉に使われ、1788年ころには33か所あったそうです。
最後に旧神山家住宅主屋では、当時の小平のソウルフーズ『小平糧うどん』をいただくことができます。
小平糧うどんとは、田んぼがほとんどなかった小平では穀類が耕作され、ハレの日には、畑で収穫した地粉で手打ちうどんを打つ習慣がありました。
このうどんを継承し、不定期で当時の味を提供しているのです。
所謂、武蔵野うどんの系統でゴムのような強い触感を楽しむことができます。
この雰囲気で、味わう手打ちうどんは格別な味わいです。
手作りのような小平ふるさと村ですが、故郷を味わうには十分すぎる施設と言えそうです。
2015.05.10記(つづく)
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