東京オリンピックへの道

「幻の東京オリンピック」をご存知ですか?
1896(明治29)年にアテネで始まった第1回近代オリンピックは、その後の第2回のパリ大会から第11回のベルリン大会までオリンピックは欧米でしか開催されていませんでした。
そこで当時世界で力をつけつつあった東京(日本)がオリンピック開催に立候補したのが、1940年開催予定の第12回オリンピックでした。

旅歴メモ -オリンピックの開催- 現在の近代オリンピックは、古代ギリシャのスポーツの祭典にならって、フランスのクーベルタン男爵が提唱してアテネで始まりました。
オリンポスの古代競技場の眺め

オリンポスの古代競技場の眺め

「オリンピック」という名称は、ゼウスの神殿のあったオリンポス(オリンピア)の名前を冠したもので、アテネの地で開催されたことから命名されたのです。
当時からスポーツは国家権力や人種、宗教の枠を超えた自由なものであるべきで、国の影響力を抑えてオリンピックを開こうという考え方があり、五輪憲章に「オリンピックは選手の競争で、国家の競争ではない」と明記され、開催は都市で行うものと決められたのです。
したがって現在でもオリンピックでは開催国とは言わずに開催地と呼んでいるのです。

1930(昭和5)年、当時の東京市の永田市長が第12回大会招致の意向を表明しました。この時に名乗りを上げたのがローマ(イタリア)、ヘルシンキ(フィンランド)などでしたが、一番の強敵といわれたローマに対して、当時のムッソリーリ首相に立候補辞退を求め説得に成功したのです。
また、1936年にはロンドン(イギリス)が突如立候補したのですが、評決の直前に立候補を辞退したことから開催招致は東京、ヘルシンキの一騎打ちとなり、東京が開催権を獲得したのです。 しかし、1937年7月に日中戦争が勃発し戦火は拡大する一方だったため、政府内でも開催の是非についての議論が始まり、組織委は大会開催の返上を決定したのです。
東京の大会返上により開催地はヘルシンキ(フィンランド)となったのですが、第二次世界大戦により結局、第12、13回のオリンピックは中止となったのです。
因みに当時は夏季大会と冬季大会は同じ年に開催され、冬季開催は、夏季五輪開催国の都市に優先的に開催権が与えられていたことから、第5回冬季オリンピックは札幌で開催されることが決定していたのです。

戦後、1952年サンフランシスコ講和条約により日本の独立が果たされると、国際舞台への復帰として当時の東京都、安井知事が第17回(1960年)の五輪誘致を開始したのです。招致活動も順調に進められたのですが、結果として第17回大会はローマが圧倒的な支持を得て開催権を獲得したのです。
これは当時、ブランデージIOC会長が来日の際、「第16回がメルボルン(オーストラリア)で、第17回が東京だとヨーロッパ各国が承知しない可能性がある」と言っていたことと符合することになったのです。

ローマに惨敗した東京は、次の第18回大会も招致を目指すことが東京都議会で決定しました。
招致成功への鍵は「1958年のアジア大会の成功と、IOC総会の東京招聘実現」として、1957年には政府も参加する形で「東京オリンピック準備委員会」が設立されたのです。
1958年にはIOC総会も東京で開催され、アジア大会も成功裡に終了したことから、東京は万全の体制で1959年のIOC総会に臨んだのです。

開催地決定を報じた読売新聞(1959年5月27日付)

開催地決定を報じた読売新聞(1959年5月27日付)

プレゼンテーションのポイントは、開催能力の高さと、アジア地域でオリンピック未開催という点をアピールし、得票数は東京が過半数を超える34票、デトロイト(アメリカ)10票、ウィーン(オーストリア)9票、ブリュッセル(ベルギー)5票という圧勝で開催権を獲得したのです。
開催決定した東京では「東京オリンピック組織委員会」が組織され、国家予算として施設整備に約164億円、大会運営費94億円、選手強化費用23億円を計上した(現在の価格換算で約1200億円)国家プロジェクトとして1964年10月10日~24日に開催されたのです。

こうして開催された東京オリンピックも今年10月10日で50周年を迎えることになりました。奇しくも2020年東京オリンピック開催も決定された今、1964年の東京オリンピックの遺産をめぐり、当時の息吹を感じて見ることにします。
今回は東京オリンピックレガシーとして、東京を中心とした競技場や関連施設などを中心に散策します。
最初はなんといってもメイン会場である国立競技場のある神宮外苑エリアです。

2014.05.10記(つづく)

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