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はじめに

「白岡の梨」はジャンルCで8,863票を獲得し、第3位にランキングされました。

白岡町内には大山地区を中心に100軒を越える梨の生産農家がある。出荷量は年間3500tと県内1位。品種は「幸水」と「豊水」が主流で全体の約90%を占める。「幸水」は果汁が多く、甘くて柔らかな歯ごたえが特徴。「豊水」は甘みに酸味がプラスされた爽やかな味が特徴。
秋の収穫は8月上旬の「幸水」から始まり、収穫された梨は共同選果場(町内新井新田)で選果されて市場に出荷される。選果場では直売もしている。9月になると「豊水」の収穫の最盛期を迎える。
栽培が広がったのは明治時代。菖蒲町出身の五十嵐八五郎が研究にあたり技術と指導と普及に貢献した。1910(明治43)年の洪水時、稲作と畑作が壊滅的な被害を受けたが、棚栽培の梨だけが難を逃れたという。
梨の交配は人工授粉で行われている。以前は蝶や虫によって自家受粉で行われていたが、消毒作業が盛んになり、蝶などが少なくなった。人工授粉はあらかじめ他品種の花粉をとっておき、綿棒などで花粉を人工的に受粉させる。
同町商工会は1999(平成11)年、この特産品を使ったリキュール「幸水の舞」を開発。売り切れになるほどの人気を集めた。
(本書より)

秋の味覚の代表格の一つである梨は、個人的には果物の中では「みかん」に次いで第2位の好物です。
昭和30年~40年代にかけて梨は秋の味覚として、概ね10月頃に頻繁に出回っていた記憶があります。特に梨は運動会などに好んで食べられたので、八百屋だけでなく駄菓子屋でも売られていました。
1個、5円、10円、20円位の3種類があり、1日10円~20円の小遣いを貰っていた当時の子供にとっては5円の梨でも清水の舞台から飛び降りる覚悟がいりました。
当然、綺麗に皮をむくなどという上品なことが行われるわけも無く、丸かじりで皮だけぺっと吐出していた紙煙草仕様です。今ならありえない非常識ですが当時は至極当たり前の行為で、誰にも咎められることはありませんでした。煙草のポイ捨ても当たり前の時代だったのですから・・・。

そのような思い出のある梨ですが、昨今は品種も多く味も非常に美味しくなっています。
再び古い話で恐縮ですが、当時の品種は確か“長十郎”とか“20世紀”等が主流だったような覚えがあります。そして玉も小さく(最も5円ですから)結構酸味が強かったのが印象的でした。
このような梨も現在では8月頃から既に出荷も始まり、9月中には凡その品種は終ってしまうという、昔とは違って季節感が少しずつずれているようです。今や秋の味覚というよりは残暑の味覚といった方が良いかも知れません。
このような非常にポピュラーな梨ですが、梨の産地といえばかつては鳥取県をイメージしたものですが、現在、収穫量の1位は千葉県で、2位が茨城県、そして3位が鳥取県となっているようです。因みに、今回散策の地白岡町のある埼玉県は全国でも8位の収穫量があるそうです。(いずれも2006年調査)
その埼玉県の中でも梨の産地として代表的な一つが白岡町で、本書の説明でもある通り県内一の出荷量を誇っているのです。

ジューシーで甘酸っぱい味と思い出の梨を求めて、2011年9月3日の日曜日に白岡町を訪れました。
前日まで台風が通過中で各地にその爪痕を残している最中でしたが、今日もまだ天候は決して安定してはいないようですが、楽しい散策ができることを願います。

map白岡町オフィシャルサイト】http://www.town.shiraoka.saitama.jp/

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