最後に…

 フェルメールセンター銀座を後にして、一旦銀座4丁目方向に戻ります。
途中、見覚えのある喫茶店がありました。「トリコロール本店」です。
トリコロール本店
もう何十年前になるのか、ビジネスで“ヒデとロザンナ”のロザンナさんと打ち合わせをしたのを思い出しました。いい時代のころでした。
そして銀座4丁目付近に出るとちょうど4丁目交差点で鐘が鳴り響いていました。
銀座通り 3月11日2時46分
そうです、ちょうど1年前の2011年3月11日午後2時46分に起った大震災の一周年…、一周忌の黙祷が捧げられています。
1分間の黙祷を捧げて4丁目交差点に行って見ました。
銀座4丁目交差点
和光ビルの1Fのディスプレイも今日だけの特別なディスプレイとなっておりメッセージが込められていました。
和光ディスプレイ

3:11
覚えていますか? あの時に感じたこと。
ウィンドウに貼られたポストカードを1枚、あなたに差し上げます。
そこには東北6県の県鳥いずれかと、昨年の4~5月に和光に寄せられ、ここに掲示された数多くのメッセージの中から<今も心に響く言葉>が一つだけ記されています。
あの時に思いを馳せて、どうぞご自由に取り外してお持ち帰りください。
誰かの言葉とあなたの思いが響きあい、新しい何かが始まるきっかけになるかもしれません。
14:46
あの震災の日から1年 -14時46分より11回、そして1分後の14時47分にもう1回、時計塔のチャイムを鳴らし、特別な時を皆様にお知らせいたします。
(現地ディスプレイより)

 1年前の3月11日帰宅難民として1日会社で過ごし、翌日に自宅に戻ったときにある程度の全貌がわかり、福島県いわき市在住の義母も何とか難を逃れた連絡があり、ともかくも家族・友人・知人の無事は確認ができたのを思い出します。しかし、それからの大混乱は関東にいながらも直面していました。
交通網の不通、ガソリンの不足、物資の不足と買占め、計画停電、などなど今まで体験したことはなかったことが次々と起ってきたのです。そして福島は特に原発問題で更なる問題の継続が1年経過した現在でも重くのしかかっています。勿論、他の被害にあったすべてに人が完全に復活・復興したわけではないのです。

1年を経過した今、復興することの難しさ、大変さ、そしてまた復興にむけての援助をする為に、ことを風化させてはならない事を身を持って実感しました。
改めて亡くなった方には哀悼の意を表し、災害に合われた方への応援を続けていきたいと思います。

 最後に4丁目交差点で各テレビ局がインタヴューを行っていました。
インタヴュー
いつの間にやらフジテレビからいわき市生まれの家内がインタヴューを受けていたのも、また何かの奇縁なのかもしれません。
そして多くの方々にとって辛く苦しい1年だったでしょうが、木村屋のように春は必ずやってくるのです。
木村屋
それまで「がんばれ、ニッポン!」

2012.03.25記

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