小さな神社でもパワーは強力。ただ今修築中

概要

氷川神社 一、所在 上尾市大字原市一五二〇番地
一、祭神:ご本殿にお祭りしている祭神
素箋鳴尊 疫病退治の神 午頭天王ともいわれる農業の神
境内神社:摂社といい、もともとは別に社があったが現在全ての神社は一社に合祀されている。
一、秋葉社 火難・水難・剣難の守護神
祭神:火産霊命(火之迦具土命)火の神 ・河菜姫命 水の神
一、天神社 受験・学問の守護神
祭神:天神 菅原道真公
一、厳島社 市の神 富貴をもたらす神
祭神:市杵島姫命
一、八幡社 武神・軍神
祭神:誉陀和気命
祭典:例祭 四月四日 夏祭 七月十四日 (境内・由緒書より)

◆氷川神社(原市) : 上尾市大字原市1520番地  《所在地地図

氷川神社・全景

004dashi032.jpg 007hikawa070.jpg 【氷川神社全景と火の見櫓】


氷川神社・参道

007hikawa020.jpg 007hikawa030.jpg 007hikawa040.jpg 【参道入り口】
○謎の・・・埋まってしまったのか、それとも・・・。”大正拾年拾月納元”と彫られているが。(左)
○原市五町内神輿会館と神輿(中・右) 五町内とは恐らく1区-5区のことでしょう。


氷川神社・境内

社務所と社殿

007hikawa010.jpg 007hikawa050.jpg 現在社殿は改築中です。社殿の左側に由縁書、そして右側に今回改築に当っての趣意書が立っています。

以下は趣意書の内容です。

趣意書
『明治維新の際の神仏分離令、戦後の宗教法人令など色々と法律が施行されていますが、動機は別として私たちが住む地区でも神社などの社殿の修理、改築がなされ真新しい偉容をを私達に見せています。それに比してこの「原市」の地名発祥ともなった由緒ある私たちの氷川神社は老朽化し、昔のままです。秋葉社、天神社、八幡社、厳島社などの合祀、解体の際、社殿改築の儀がなかったのかと、私たちは複雑な思いで密かに心を痛めてきました。
埼玉県史等によれば、古くは国造時代(くにのみやつこ)、すでに「原市」という、その地名が記載されています。地形状で私たちの住むこの大宮台地は、見沼の入江があり、綾瀬川を境として豪族などが交易の市を開くのに恰好の地だったのかと思われます。
足利尊氏の軍勢がこの原市を中継地として入間川合戦に勝利した室町時代(一三五一)以後そのときの領主に保護された「市」は、時を経て三斎市から六斎市が立つ宿場町に発展して他からの遊芸人なども出入りしていたともいわれています。江戸時代の初期、陣屋に居を構えた西尾吉次は、一万二千石で原市藩を立藩して、高札場を氷川神社境内北側の一区側に立てました。附言すれば末裔の殿様は幕末維新の際は、勤王方で加増され、千葉の鴨川で花房藩を立藩、後に華族となり子爵、戦前は貴族院議員で活躍していました。かつて盛んだった原市の「市」の賑わい、その「市」を温かく見守ってきた氷川神社の恩恵を、大小の差こそあれ、私たち氏子は忘れてはならないと思うのです。そして情けに篤い土地がらの文化を子孫に遺してあげたい。氷川神社はその鎮守の神様です。
当氷川神社は、原市の鎮守として祀られ、ご本殿は恐らく、江戸初期に建設され、その後長年の風雪に耐え、今日まで大切に守られて参りましたが、長い年月を経た今日、今や御本殿の改修は急を要する事態となりました。
ここに神社役員が再三検討の上、改修を行うことになりました。
時節柄、何かとご出費ご多用のところ誠に申し訳ありませんが、ご事情ご理解くださいまして、何卒ご支援賜りますようお願い申し上げます。
尚ご寄付頂きましたご尊名につきましては、氷川神社に永く掲げさせていただきますことを申し添えます。
平成二十年十二月
氷川神社 
宮司 今井悦夫  総代 高杉要  総代 飽津 益帆  総代 八木豊一
氏子崇敬者各位』

氷川神社・その他

007hikawa060.jpg 004dashi030.jpg 【奉納されたご神木と原市山車彫刻五基(其のニ)】
○奉納されたのは三角氏で、第二産業通りの石灯籠のあるお宅の方でした。原市では名家なのでしょうか。
○【原市山車彫刻五基(其のニ)】が保管されています。

2009.2.15記
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