港七福神(その1)
2014年新年を迎えての、我が家恒例となった七福神巡りも迎えて6回目。
昨年がさいたま市の【与野七福神 】、一昨年が豊島区の【雑司ヶ谷七福神 】、2011年が北・荒川・台東3区にまたがる【谷中七福神 】と震災後の福島県いわき市【いわき七福神 】、2009年は、現在加須市となった【くりはし八福神 】でした。
そこで今年は昨年が埼玉県だったので県外でと候補を絞ったところ、仕事では何度か訪れていながら、殆ど素通りだったコアな都会の七福神めぐりを選んでみたのです。
旅歴メモ -七福神-
七福神めぐりは、七つの福神を詣で、七つの災害(天変地異、火災、盗難など)を消除して、福徳をかなえてもらうものとして信仰されてきました。
基本的には恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁才天(弁財天)・福禄寿・寿老人・布袋ですが、吉祥天・達磨・宇賀神(男弁天)・お多福などを加えて八福神とするところもあります。
ここ港七福神も“七福神”といいながらも8ヶ所をめぐるのですが、そのプラスされた1ヶ所は8番目の福神ではなく、七福神が乗る宝物を積み込んだ帆船「宝船」という珍しい七福神なのです。
今回は時間の制限もあって夕方5:00までには自宅に戻らなければならないので、あまりゆったりと散策している時間はありません。 当然、どこから廻っても良いわけですから、ここは自宅から行き易いルートを考えて、AM9:00過ぎに自宅を出発し、JR王子駅で東京メトロ南北線に乗り換え、最初の目的地である“六本木一丁目駅”めざし、最初の七福神である「久国神社」に向かうのです。
到着したのはAM11:00頃です。
久国神社(布袋尊)
アーク森ビル
“六本木一丁目駅”を上がると目の前には「アークヒルズ」が聳えています。
旅歴メモ -アークヒルズ-
開発前と後の航空写真
「アークヒルズ」はオフィス、住宅、ホテル、コンサートホールなどからなる、民間による日本初の大規模再開発事業で、17年の歳月をかけて1986年に完成した、所謂、森ビルの開発・運営する複合施設のブランド名 “ヒルズ”の原点なのです。
地番が赤坂と六本木に跨ることから、AKASAKA(赤坂)の「A」、ROPPONGI(六本木)の「R」、そしてその二つをつなぐ意味のKNOTの「K」の頭文字をつなげて“ARK”に森ビルのブランド“HILLS”をつなげて、アークヒルズとなったのです。
このアークヒルズ前の六本木通りを挟んだ北側にあるのが「久国神社」です。
久国神社参道と古い蔵
路地1本裏手に入ったところで若干わかりにくいのですが、まさに都会の中にひっそりと佇んでいるようです。
参道横には今にも崩れそうな古い蔵がありますが、入口付近が塗り替えられているので、現在でも現役なのでしょう。
一の鳥居
鳥居周辺には七福神巡りの目標である赤い幟と提灯が正月らしい雰囲気を醸し出しています。
久国神社社殿
まずは最初の“布袋尊”を祀っている久国神社を参拝します。比較的広い境内ですが、境内が長細いので社殿も若干窮屈そうです。
最近は結構カップルや若い女性のお参りも多いようですね。
勝海舟筆の扁額
社殿に掲げられている扁額は勝海舟の筆によるものだそうで、その由来は判りませんが、赤坂に居住していたことに関係するのでしょう。
旅歴メモ -久国神社-
勧請年月は不詳ですが、太田道灌の江戸城築城の際、1465(寛正6)年に溜池周辺の鎮守として千代田村紅葉(現在の皇居内)に遷座され、後に鎌倉時代の久国作の名刀が寄進されたことから「久国稲荷神社」と呼ぶようになったのだそうです。
その後、1741(寛保元)年にこの地に遷座され、1927(昭和2)年に久国神社に改称されたのです。
祀られている布袋尊
そしてその「布袋尊」は社殿に祀られています。小さいながらも結構重量感のありそうな尊像です。
旅歴メモ -布袋尊-
布袋尊 (c)七福神巡りウォーキング
布袋尊は、その名を契此(けいし)といい、七福神の中ではただ一人実在した中国の唐の時代の禅僧です。
額が広くてお腹は大きく、いつも杖と大きな布袋を持ち歩き、物を貰えばそれをこの袋に入れて貯え、因る人があると、その中から取り出して施し、しかもなくなることがなかったといわれています。そのため当時の人々には布袋和尚と呼ばれて親しまれていました。
福々とした容ぼうから、子宝に恵まれるとか、器の大きい人物になれるといわれています。
七福神巡り地図
お参りを終えて七福神巡り用の色紙をいただきます。
この七福人巡りでは朱印に300円掛りますので、8ヶ所で合計2400円となりますが、色紙代は無料とういうところが初春から縁起の良いところと考えるのは、庶民の貧乏臭いところでしょうか。
今年は未だに初詣をしていませんでしたので、必然的に今年の初詣はこの日の最初の「久国神社」となるので、今年の運勢を占って「おみくじ」を引いて見ることにしました。
この期間限定の七福神おみくじ「500円」
一般のおみくじ「10円」
丁度、社務所の前には、この期間だけの特別な七福神のおみくじがおいてあり縁起物として人気もあるのだそうです。
但し、その横には通常ひかれるおみくじ箱があるのですが、こちらは何と10円のおみくじだそうです。
そこで七福神のおみくじを聞いてみると500円で、中身のおみくじは変らないのだそうですが、まあ、これは正月のご祝儀みたいなものですから、やはりここは、、、「10円」のにしておきましょう。(未だに我が家にはアベノミクス効果が現れていないという言い訳。。。)
やはりここでも貧乏臭いところを、遺憾なく発揮してしまいました。
何と英語で記載された「おみくじ」
ひいてみてびっくりなのは、なんとこのおみくじは日本語と英語で書かれています。
“おみくじ”のことは「A Written Oracle」というのですね。
因みに直訳してみるとGooglでは「御神籤」、Yahhooは「書面にした予言者」、エキサイトでは「書面オラクル」と言う具合で、基本的には一般的な言語ではないようですね。
中吉のおみくじ
で、結果は「中吉」で、英語では“Very Good”だそうです。
土地柄外国人の居住者や就業者が多いので、英語の翻訳がされているのだそうです。とすると大吉はなんと言うのでしょうかね。
全てを集めたくなりましたね、10円ですから^^
兎にも角にも初詣をしっかり済ませて、2つ目の神社に向かいます。
天祖神社(福禄寿)
久国神社からは六本木通りを下るのですが、ここは一本裏道を進んで「東京ミッドタウン」の高層ビルがを目指します。
檜町公園
その前には文字通り都会のオアシスともいえる「港区立檜町公園」を見ることができます。
流石にこの季節は寒々しいですが、春や秋のシーズンとなると実に樹木の緑と池の水が綺麗なコントラストを生み出すのでしょうね。
旅歴メモ -檜町公園-
江戸時代古地図(c)goo地図
江戸時代、長州藩毛利家、松平大膳大夫の下屋敷があったところで庭園は「清水園」と呼ばれた名園の一つに数えられていたところだそうです。周りに檜の木が多かったことから毛利家の屋敷は「檜屋敷」と呼ばれ、後の“檜町”の地名の由来となり、公園の由来ともなったのです。
明治時代には国の管轄となり、大戦後毛利家の屋敷の大部分に防衛庁が設置され、残りの部分が檜町公園として整備され1963年に開園したのです。
因みに2009年にSMAPの草彅剛が、全裸で泥酔し公然わいせつ罪で逮捕された公園といえば知っている方も多いかもしれません。
公園を抜けて「東京ミッドタウン」を通り抜けます。
ミッドタウンタワー
ここにはホテル「ザ・リッツカールトン東京」や「サントリー美術館」を始めとして、様々なお洒落なブランドショップ、そしてオフィスが集約されているのです。
旅歴メモ -東京ミッドタウン-
先の檜町公園と同じですが、江戸時代の毛利家下屋敷から明治になって歩兵第一連隊の駐屯地となります。
米軍接収時の昭和22年の航空写真 (c)goo地図
防衛庁移転後の昭和38年の航空写真 (c)goo地図
第二次世界大戦後、米軍に接収された後、1960年に霞ヶ関にあった防衛庁が当地に移転してきたのです。
その後、檜町公園が区立公園となり、 2000年に防衛庁が市谷に移転した後の2007年に東京ミッドタウンが完成し、同時に檜町公園も再整備されたのです。
ショッピングゾーン「ガレリア」
ここはミッドタウン内のガレリアを通って反対側に出ることにします。
ガレリア内の模様
ガレリア内も正月飾が華やかです。
ミッドタウン七福神スタンプラリー
ミッドタウン内での七福神めぐりです。丹念に廻れば集められるのでしょうが時間がないので、通りがかりに見つけた2ヶ所だけです。
九頭絵馬と福笑い連凧
珍しい絵馬と連凧が飾られていますが、絵馬は九頭絵馬というそうで、江戸時代から「万事馬九行久」と書いて“ばんじうまくゆく”という語呂合わせで、九頭の馬が大願成就の縁起物とされたものだそうです。
ミッドタウンも実に華やいだ正月風情です。
「東京ミッドタウン」サインとミッドタウンウェスト・イーストビル
ガレリアを抜けると、通称「外苑東通り」と言ったほうがわかり易い都道319号線前に出ます。
僅かに見える「天祖神社」の幟
通り沿いには“ミッドタウン”の標柱があり、通りを隔てたところに「天祖神社」への小路を見ることができます。
天祖神社参道
昭和の香りを残したようなレトロ感ある小路をしばらく進むと、右手にあるのが2つ目の「天祖神社」です。
テレビ朝日寄進の社号標
テレビ朝日から寄進された大きな社号票には「龍土神明宮 天祖神社」と刻まれています。
ここは住所である“港区六本木7-7-7”から「六本木ラッキーセブン」として、場所柄マスコミなどからも信仰されているのだそうです。
旅歴メモ -龍土神明宮-
約600年前の南北朝時代に現在のホテルオークラの南側付近に祀られたのが創建といわれ、この宮に品川沖から毎夜龍が灯明を献じたということより「龍灯山」と呼ばれたそうです。
徳川2代目秀忠の時代に現在の地に移転し、この一体を“龍灯”からとって「龍土村」と呼ぶようになり社名も「龍土神明宮」と称され、氏子の町も“龍土六本木”、“龍土材木町”と呼ばれて発展し始めたのだそうです。
以来、将軍家、諸大名より崇敬され、江戸三ヶ所の神明又は東都大神宮十八社の一つとして信仰を集めていたようです。
かなり狭い境内にある社殿
一の鳥居のところが境内ですが、都心の中の神社とあってかなり敷地も狭いのですが、かつてはかなりの広さを誇っていたのではないでしょうか。
ビルに囲まれ見下ろされる神社というのも、都会らしくてこれもまた一つの風情といえるかもしれません。
福禄寿が祀られている満福稲荷社
境内の一画に三柱の鳥居の連なった「満福稲荷社」がありますが、ここに祀られているのが“福禄寿”なのです。
旅歴メモ -福禄寿-
福禄寿 (c)七福神巡りウォーキング
福禄寿は人の一生の福(幸福)、禄(俸禄)、寿(長寿)の三徳を授けるといわれ、人の生きる道・事業・学業を導く神と信仰されていることから、飲食店や事業者からの信仰が厚いのです。
また、老翁の姿で杖と巻物を持ち、鶴に乗り、国境を越え、自由自在に世界を飛び廻り、道を教える「鶴上の仙人」ということから、海外旅行・留学の安全を守り神様としても信仰されているのです。
三徳ということから鳥居も三柱並んでいるのでしょうかね。
社務所で朱印をいただき2ヶ所目も完了で、この次は「櫻田神社」に向います。
2014.01.08記(つづく)
関連記事
スポンサーサイト