港七福神(その3)

江戸と平成のコラボ

江戸と平成の文化の融合

セーラーマーズの氷川神社を参拝した後は、そのまま北上して元麻布から麻布十番方面に進みます。
更に興味深い歴史が見られそうです。

大法寺(大黒天)

元麻布ヒルズ 元麻布ヒルズ

単なる立方体でないのが有機的

麻布氷川神社を後にして、更に北上すると右側に先ほど見えた「元麻布ヒルズ」が間近に見えます。

旅歴メモ -元麻布ヒルズ- 当然、他のヒルズと同じ森ビルの開発ですが、他の複合施設と違いヒルズの中では唯一のレジデンス棟のみの構成です。 したがって住民専用のルーフガーデン、スカイラウンジ、ワインセラー、スパなどが完備されているのだそうです。
元々は善福寺の所有地だったのですが、森ビルが善福寺より1983年に譲り受け開発されたものです。
開発コンセプトは“森の都市”で、敷地の約半分が緑で覆われており、地上96mの屋上ルーフガーデンとともに、都心でありながら身近に自然を感じられる空間を演出しているのです。

善福寺裏参道

善福寺裏門

元麻布ヒルズの突き当りが、その「善福寺」の裏門に当たります。
この麻布地区では古刹として著名な寺院なので、七福神とは離れますが立ち寄って参拝してみます。
善福寺表参道

表参道と元麻布ヒルズ

境内入口である長い表参道から元麻布ヒルズが聳えているのが見て取れます。

旅歴メモ -善福寺- 824(天長元)年に弘法大師・空海によって開山されたと伝えられ、都内では浅草寺につぐ最古の寺院です。
江戸名所図会「善福寺」

江戸名所図会「善福寺」

当初は真言宗でしたが、鎌倉時代になって越後に配流となっていた親鸞がこの寺を訪ねたことから浄土真宗に改宗され、その後、各時代の天皇や幕府などの保護を受けて発展したのです。
当時の栄華を伺わせるのは、現在の“虎ノ門”が善福寺の山門であったことに由来することや、杉並区にある善福寺池の由来が、この善福寺の奥の院があったことからと言われていることです。(勿論、諸説あるので、あくまで伝承です)

麻布山扁額

麻布山の扁額

全て確固たる裏付けはないものの、この寺院の正式名称「麻布山善福寺」は諸説ありながらも、“麻布”の地名の由来となったというのは、それなりに納得できそうです。
勅使門と元麻布ヒルズ

勅使門と元麻布ヒルズ

こちらの山門も借景とともに都会の名刹を実に興味深く彩っています。

この寺院の特徴はその歴史にあり、境内には様々な文化財や史跡などがあります。

本堂

港区指定文化財の本堂

国指定の重要文化財である鎌倉時代の「木造了海坐像」を祀った本堂でお参りを済ませます。
この本堂はかつて家康が京都本願寺として建立し、東本願寺再建の際に大阪八尾に移されたものを、善福寺本堂が戦災で焼失した為、この善福寺に移築した300年以上の歴史を持つ本堂なのだそうです。

柳の井戸

弘法大師ゆかりの「柳の井戸」

善福寺のイチョウ

国指定天然記念物の「善福寺のイチョウ」

開山と改宗にまつわる、空海と親鸞に関する寺宝で、こちらは開基した弘法大師ゆかりの井戸です。弘法大師が柳の下に錫丈を付きたてたところに清水が湧き出したものと言われているものです。
もう一つは「逆さ銀杏」とも呼ばれ、樹齢推定750年の都内最古の銀杏です。親鸞聖人が土に挿した杖が根付いたものと言われているものです。

初代アメリカ公使「タウンゼント・ハリス」の碑

初代アメリカ公使「タウンゼント・ハリス」の碑

「初代米国公使館趾」碑

「初代米国公使館趾」碑

更にここは幕末にも重要な役割を担っていたのです。
安政5年の日米修好通商条約に基づき寺院内に「初代アメリカ合衆国公使館」が設けられ、タウンゼント・ハリスが初代公使として在留したのです。
そしてこの年に中津藩から江戸出府を命じられ、その後、この公使館にも出入りしたであろう福澤諭吉の墓所もありますが、墓所は撮影禁止なのでお参りだけです。

開山堂

開山堂

麻布の古刹「善福寺」は麻布を語るにはさけて通れない寺院です。

再び元麻布ヒルズに戻り、坂道を下ります。

一本松坂 五代目一本松

麻布一本松と一本松坂

その坂道の途中にある松の木が「一本松」で、この坂道が「一本松坂」と呼ばれていて、このあたりにかつては「麻布氷川神社」があったわけです。

旅歴メモ -麻布一本松-
江戸名所図会「一本松」

江戸名所図会「一本松」

江戸時代から有名な地で江戸名所図会にも挿絵が描かれ、更に“この松は氷川の神木なればなりとぞ、この説是なり。されど昔の松は枯れて今若木を植ゑ置けり”と記載され、更に時代が下って現在の松は5代目だそうです。
また、鬼平犯科帳にも「麻布一本松」という短編に描かれていて、麻布では欠かせない名所と言えそうです。

そしてこの先が何と坂道の交差点です。

狸坂 暗闇坂 大黒坂

「狸坂」「暗闇坂」「大黒坂」


一本松坂から左回りで、「狸坂」、「暗闇坂」「大黒坂」となっています。
「狸坂」は文字通り、人をだます狸が現れたことから呼ばれ、「暗闇坂」はこの坂を暗くするほど樹木が生い茂っていたことから呼ばれたようです。
そして最後の「大黒坂」が、これから向う5番目の七福神・大黒天を祀る「大法寺」前の坂であることから付けられた名称なのです。
江戸と平成のコラボ

交差点から見える江戸と平成の再競演

交差点からは氷川神社と同じように、江戸時代の一本松と平成の元麻布ヒルズの新旧のシンボルを見ることができます。
まさしく元麻布の歴史そのものといえるでしょう。

大法寺山門

大法寺山門

大黒坂の途中に右手に「大法寺」があります。
それほど広くない境内なので、山門から本堂を眺めることができます。

旅歴メモ -大法寺- 1597(慶長2)年に創建された大法寺は江戸時代には赤門寺と呼ばれ、1730(享保15)年に不可思議な尊像を得たそうです。それが伝教大師作「三神具足大黒天」と言うそうで、現在の本尊なのです。
この“三神具足”とは、大黒天の小槌、弁財天の髪、背には毘沙門天の鎧という姿から、大黒天の福寿と弁財天の円満と毘沙門天の除災得幸を持ち合わせていると言われているそうです。
秘仏なので拝顔はできませんが、なかなか珍しい大黒天のようです。

本堂 稲荷社

大法寺本堂と稲荷社

珍しい大黒天を参拝し、一緒に境内にある稲荷社にも参拝して置きました。

旅歴メモ -大黒天-
大黒天

大黒天(c)七福神巡りウォーキング

トレードマークの狩衣のような服と頭巾、そして打出の小槌に大きな袋を持ち米俵の上に乗っているのが一般的な姿で、そこから食物・財福を司る神と信仰されているのです。
神道では大国主命と大黒天を結びつけて、大国天として祀られているところもあるようです。

後半のスタートで勢いをつけて先に向います。

麻布十番稲荷(宝船)

パティオ十番

パティオ十番

大法寺を出て大黒坂を下った突き当りは広場になっていて、「パティオ十番」という多目的広場として使われています。
「きみちゃん」像

「きみちゃん」像

この広場には小さなブロンズ像が建てられていて「きみちゃん」像と言い、野口雨情作詞、本居長世作曲の童謡「赤い靴」のモデルとなった子の銅像なのです。
そもそも「赤い靴」にモデルがいたということすら知らなかったのですから、ちょっと驚きです。

旅歴メモ -赤い靴-

赤い靴をはいていた女の子は、今、この街に眠っています。
野口雨情の童謡、「赤い靴」の誌にはモデルがありました。その女の子の名前は「きみちゃん」。
きみちゃんは赤ちゃんの時、いろいろな事情でアメリカ人宣教師の養女に出されています。母、かよさんはきみちゃんがアメリカに行って幸せに暮らしていると信じて雨情にこのことを話し、この詩が生まれました。しかし、きみちゃんは病気のためアメリカには行けませんでした。
明治44年9月、当時麻布永坂町、今の十番稲荷神社のあるところにあった孤児院で、ひとり寂しくなくなっていたのです。まだ、9歳でした。
母と子の愛の絆を、この「きみちゃん」の像に託して、今、みなさまの幸せを祈ってやみません。
(碑文より)

「赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった~♪」という歌詞ではなかったということのようで、これが定説といわれているのですが、捏造説や社会主義的ユートピア運動説などの異論もあるようです。
いづれにしても現在、麻布十番をはじめ全国に7つの赤い靴像があるそうですが、ここ麻布十番はきみちゃんの終焉の地だったという訳なのです。

雑式通り 雑式通り

雑式通り

ここからはパティオ前の通りを左折して進みますが、この左右に走る通りは「雑式通り」といい、この通りを右折した右側に「善福寺」の表参道があるのです。

旅歴メモ -雑色- 江戸名所図会の「善福寺」には“麻布雑色にあり。昔は亀子山と号しけるとぞ。・・・”と記載されています。
この「雑色」とは、元々は律令制度時代の蔵を管理する蔵人の下働きをしていた下級役人のことで、後の時代でも雑事や使い走りの役人を指し、このような雑色のたまり場を「雑色所」と読んでいたそうです。
その雑色所がこの辺りにあったことからそう呼ばれていたと考えられ、その名残が「式」の字と変化し通り名となったのでしょう。

通り名も歴史的なら、通りに並ぶお店もまた歴史的です。

創業明治43年の「紀文堂」

創業明治43年の「紀文堂」

左手にある人形焼と書かれた「紀文堂」の創業は明治43年だそうで、現在は3代目で伝統の七福神人形焼や手焼きせんべいをはじめ、現在ではワッフルが人気であるとか。
創業慶応元年の「豆源」

創業慶応元年の「豆源」

その先の交差点の右手にあるのが、江戸時代、1865(慶応元)年創業の「豆源」です。初代駿河屋妍兵衛に始まり、豆菓子一筋約150年ですから驚きです。
浪花家総本店 浪花家総本店

創業明治42年、老舗のたい焼きや「浪花家総本店」

豆源の並びにあるのが、今や全国的に有名なたい焼きの「浪花家総本店」で、建て直してはいるものの店舗はレトロな感覚を漂わせています。
初代・神戸清次郎が浪花(現在の大阪)出身であったため、故郷にちなんで浪花家と命名したそうです。元々は今川焼き屋を開業を志したそうですが、“めでたい”に因んだ「鯛」の型で焼くことを考案し、売り出したのが最初だったそうです。

旅歴メモ -たい焼き- たい焼きは今川焼きから派生した食べ物で、今川焼きを元に数々の動物などを模した形に焼かれた菓子が生まれ、その中で縁起がよく、当時庶民が中々食べられない鯛の形をしたものが優勢になって生き残ったのではないかと考えられています。
そして、そのたい焼きとしての発祥については、説が複数あり実際は定かではないようです。
明治時代に鋳物の型で作られたといわれていて、三重県津市大門「日の出屋食堂」が東京や大阪のデパートに出店して広まったとも、「浪速家」の発明とも言われていていますが、決定的な根拠はないそうです。

「およげ!たいやきくん」のおじさん

「およげ!たいやきくん」のおじさん
(c)サンケイ新聞出版局

モデルとなった実在するおじさん

モデルの実在するおじさん
(c)ガジェット通信

いずれにしても、たい焼きの発祥でもあるかもしれない「浪花家総本店」を更に有名にしたのが、昭和を代表する伝説的ヒットソング「およげ!たいやきくん」で、これに登場するおじさんのモデルが先代店主なのです。
こうして全国的に有名になった「浪花家総本店」は、四谷見附「わかば」、人形町「柳家」と共に、東京たいやき御三家の最古参として人気を誇っているのです。

そこまで言われれば食さないわけにはいきませんのでオーダーをしたところ、20~30分待つのは当たり前、長いときには2時間待ちも有るとか。。。
まあ、一丁一丁の手焼きのために一日2000個が限度のためだそうで、諦めようかと思っていたところ、店舗の2階にあるカフェなら直ぐ出せると聞いて、食後でもあるのでコーヒーでも飲みながらと2階に上がったのです。

店内の展示絵画

店内の展示絵画

おめでたい

「おめでたい」

店内はこんな感じで、壁面には「鯛」や「たい焼き」にまつわる絵画が展示されているのですが、よくよく見ればこの絵画は販売されているものなのです。
たい焼きセット たい焼きセット

たい焼きとドリンク(コーヒー)セット

5分程度でたい焼きとコーヒーのセットが出されました。他に焼きそばなどの軽食も取れるようです。
ざるに乗せられたたい焼きが妙に上品です。
パリッとした皮に熱々の餡がビッシり詰まっているたい焼きは、確かに香りも食感も見事なバランスです。一般的なたい焼きをイメージしているとちょっと驚かされます。
しばし、食後の休憩と共に、美味しいたい焼きを食べられました。

話しは前後しますが、たい焼きの前には昼食を済ませていたのですが、やはり麻布十番で食事と言うとこちらを抜きには語れませんでしょう。
雑式通りと豆源のある交差点で交わる「麻布十番大通り」沿い他にある“更科そば”です。

更科そば

左側が更科そば(c)相鉄Style

江戸の老舗の蕎麦といえば「砂場」「藪」、そして「更科」が三大蕎麦系列と言われ、更科の特徴は蕎麦殻を外し、胚乳内層中心の蕎麦粉(更科粉、一番粉)を使った白く高級感のある蕎麦なのです。

旅歴メモ -更科蕎麦- 創業は江戸時代1789(寛政元)年と言われ、信州の織物の行商人をしていた清右衛門なる者が、江戸での逗留先としていた麻布・保科家に勧められ、麻布永坂町で蕎麦屋をはじめたとされています。開店に際して清右衛門は太兵衛に名を改め、開店時に「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の看板を掲げたのです。
“更科”の名称は、蕎麦の産地である“信州更級”(現・長野市の一部)の「更」に保科家の「科」を組み合わせたものです。

この更科蕎麦を扱うお店が、この麻布十番には3軒もあり、それぞれが似通った屋号なのですが、これには非常にややこしい由来があり、江戸時代に創業された旧「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」は、昭和恐慌や七代目松之助の放蕩などにより昭和16年に一旦廃業されたことから再び歴史が展開されるのです。

麻布永坂 更科本店

麻布永坂 更科本店

戦後、七代目松之助から屋号使用の許諾を受けたとする馬場繁太郎が「永坂更科本店」を開業しますが、屋号使用の裁判の結果、七代目が馬場に渡した承諾書がでてきたため和解し、永坂と更科の間をあけ「麻布永坂 更科本店」とし、「永坂更科」を強調しないことで合意したのです。

総本家 永坂更科 布屋太兵衛

総本家 永坂更科 布屋太兵衛

かつての更科とは無関係の者が出店したことを受けて、七代目松之助と当時の麻布十番商店街会長などが中心となり、1949(昭和24)年に「永坂更科 布屋太兵衛」を再興した際、法人としての店名の「永坂更科」を商標登録し、旧「布屋太兵衛」の屋号も「「永坂更科 布屋太兵衛」側に引き継がれることになったのです。

総本家 更科堀井

総本家 更科堀井

1984(昭和59)年には八代目松之助が独立して麻布十番に開店しますが、屋号に「布屋」を用いたため永坂更科布屋太兵衛側と裁判になります。
商標権を持たない八代目松之助は布屋を名乗れないため、自分の姓である「堀井」をつけて店名を「総本家 更科堀井」と改称したのです。

このように七代目から屋号使用の許諾を受け開業した「麻布永坂 更科本店」、店舗・会社組織として旧・布屋太兵衛を継承した「総本家 永坂更科 布屋太兵衛」、そして店主が旧・布屋太兵衛の創業者直系である「総本家 更科堀井」の3店が至近距離に存在することとなったのです。
こういわれると食べたくなる衝動に駆られますが、1月4日ですからどの店も行列で、特に時間のない今日の予定としては諦めざるを得なく、近所のラーメン店【萬力屋】で昼食を済ませたのでした。いづれ機会を見つけて“更科蕎麦”を食したいものです。

たぬき煎餅

煎餅の「たぬき煎餅」

塩屋 まーすやー

塩だけの専門店「塩屋 まーすやー」

この他、煎餅、かりんとう、塩だけを扱ったお店など非常に興味深い店舗と歴史を秘めていそうですが、本日の麻布十番商店街散策はここまでとして主目的の「十番稲荷」に向います。

「十番稲荷神社」と六本木ヒルズ

「十番稲荷神社」と六本木ヒルズ

雑式通りの突き当たりの交差点の先が「十番稲荷神社」で、正月らしく華やいだ飾が気分を高揚させてくれます。
十番稲荷神社 十番稲荷神社

十番稲荷神社社殿

狭い境内ながらもご利益が凝縮されたような社殿を参拝します。

旅歴メモ -十番稲荷神社- 十番稲荷神社は、慶長年間(1596~1615)年に創建され1691(元禄4)年に坂下町に遷座した「末広神社」と、創建は定かではないのですが、少なくとも10世紀初頭には遷座した古社で、1624(寛永元)年に永坂町に遷座された「竹長稲荷神社」が昭和20年に震災に遭い焼失し、昭和25年に両社の境内地を現在の地に隣接指定され、その後両社は合併して社名を「十番稲荷神社」と改称したのです。

かえる由来

かえるの由来

この十番稲荷神社は“かえる”のお守りで有名で、境内に一隅に“かえる”が祀られています。
かつてこの周辺が火災で焼け野原となった時、「がま池」のほとりの山崎主税助の屋敷だけが類焼を免れたのは、池にいた大蛙が口から水を吹いて猛火を消したという故事から、山崎家から「上」の一文字が書かれたお札が授けられ、後にこのお札は末広神社を通じて授けられるようになったのです。
かえるのお守り

かえるのお守り

そして現在、この“かえる”お守りは火防、やけどをはじめ、無事帰る、若返る、何でもかえる、などのお守りとして喜ばれているのだそうです。

宝船 宝船

宝船碑と宝船

“かえる”の反対側にあるのが6つ目の朱印の元である「宝船」です。

旅歴メモ -港七福神めぐり- 港七福神めぐりの沿革は、戦前の昭和8年発足の「麻布稲荷七福神詣」を始めとします。これは旧麻布区内の稲荷神社(境内社を含む)で構成されており、氏神様へのお参りの励行と、稲荷様の現世利益の信仰、加えて市電とのタイアップによる地域振興を意図して発足したようです。その後、港区の観光協会の提案により、弁才天、大黒天を祀る寺院二ヶ寺を加えて、新しく「港七福神めぐり」がスタートしたのです。

この港七福神の特徴は8ヶ所で“宝船”が加わっている点であると冒頭に説明したとおりですが、何故宝船が加わったのでしょうか。

宝船

宝船(c)七福神巡りウォーキング

それはこの社の前身である「竹長稲荷神社」が戦前の麻布稲荷七福神めぐりの“宝船”としてメンバーとして入っていたからなのです。因みに前身のもう一つ「末広神社」は、江戸時代の江戸百社弁天めぐりの一社として著名だったそうです。
そしてこの竹長稲荷神社には、古くから安藤広重筆の宝船の画像が伝来しており(戦災により焼失)、それに因んで麻布稲荷七福神めぐりの頃は、竹長稲荷をお参りして木のミニチュアの船を求め、各社寺にて七福神の木彫像を集めて歩く形式であったそうです。現在でも面白そうな趣向ですね。
宝船朱印

港七福神の朱印
(c)十番稲荷神社

そして現在では、色紙に押印している「宝船」の印影が、当時の竹長稲荷神社で授けていた朱印のデザインをそのまま踏襲したものだそうです。

6つ目の朱印をいただきいよいよ終盤となります。

2014.01.18記(つづく)

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks