招福大観音・勝福寺

畠山重忠の縁の地を巡ったあとは、今回の主目的である「招福大観音・勝福寺」に向かいますが、まだお昼少し前ですので、荒川の下流を散策します。
「鶯の瀬」の下流には「コハクチョウの飛来地」があるようなので、季節柄ハクチョウを見学しますが、ハクチョウは昨年の12月【いわき散策記 vol.6】で福島県いわき市の夏井川流域のハクチョウ飛来地を訪れて以来、すでに1年が経過している時の速さを感じます。

コハクチョウ飛来地

「鶯の瀬」から車で10分くらいでしょうか、荒川沿いを下流に下っていくと目指す「コハクチョウの飛来地」に到着です。
コハクチョウ飛来地 飛来地の入口の横に一瞬巨大なトピアリーがあるように思えたのですが、あくまで自然の造形のようです。なかなか興味深い光景です。

コハクチョウ飛来地 そして入口には大きな看板とアーチが我々を迎えているのですが、これは深谷市の観光協会の建てた看板のようで、いわき市とは違い深谷市ではハクチョウ飛来地が観光資源として重要度はかなり高いと考えているようで、結構力を入れているのが見て取れます。

かわもと郷土かるた 入口に車を停めてここからは徒歩で向いますが、ここにも郷土かるたがあります。

遊歩道 コハクチョウ飛来地 川沿いのこんな小道をのんびり10分ほど歩くと、いよいよ飛来地に到着です。

コハクチョウ飛来地管理事務所 古ぼけたバスが置かれていますが、ここがスタッフの事務所となっているようで、ハクチョウの解説板などが置かれています。

10月20日前後に川本町荒川に最初の白鳥の群れが飛来します。そして次から次へと群れやファミリー単位で飛来し、最盛期(1月中旬)には200羽ほどになり春まで越冬します。
日本で越冬(川本町荒川)した白鳥は3月中旬に北に向けて旅立ちます。途中、東北、北海道の沼、湖、河川で羽を休め、春を感じながら北へ北へと、故郷のシベリアに向けて4000Kmもの旅をします。
(現地案内板解説文より)

最初にハクチョウが訪れたのが昭和57年で、11羽のコハクチョウが飛来したそうです。以来次第に数が増え平成14年には過去最高の221羽を数えるに至り、更に主に東北や北陸に渡り関東地方に現れるのは稀といわれるオオハクチョウも過去何度か川本町に飛来しているそうです。その理由は平成3年から個人の方がパンを与えて餌付けに成功して以来、旧川本町全体で取り組んだ結果のようです。
ただ、折角餌付けしたハクチョウだったのですが、ご存知のとおり鳥インフルエンザにより2008年から餌付けは廃止となっています。観光資源としては大変なダメージでしょうが、それよりも今までの努力が水泡に帰す可能性もあるわけで、関係者の悔しい思いもわかる様な気がします。そしてその思いを象徴するような消毒剤が目の前に置かれています。
仕方ないとはいえ、こればかりは人間のエゴで環境を変えてしまった訳ではないのですから、一般の我々にとっても残念なことです。

気を取り直して川沿いに近づきます。
コハクチョウ飛来地 コハクチョウ飛来地 そんな状況の中でも、荒川の浅瀬にはコハクチョウの群れが・・・、いません。
全くいないのです!!!! しかもハクチョウに付き物のカまで見当たりません。
風景はただただ荒川が静かに流れているだけです。

やはり年々減少しているのでしょうか。残念ですがこればかりは如何ともしがたいことですから、また機会があれば訪れてみましょう。

荒川沿いの小道を戻ってくると、来る時には気がつかなかった階段があるので、こちらから帰ることにしました。
江南サイホン吐出口 階上に上がってみると意外と広い踊り場のような場所があり、変則な八角形のブロックのようなものが置かれています。

近くに案内板がありました。

江南サイホン呑口・江南サイホン吐出口の歴史
この地にある江南サイホン「呑口」・「吐出口」は、約4キロ上流の旧六堰頭首工で取水された農業用水を左岸側の「呑口」よりサイホン(荒川に架かった水のトンネル)から対岸の「吐出口」に農業用水を運ぶためのものです。
現在は新六堰頭首工の下にサイホンを設け直接送水されているため、江南サイホンは取り壊され、また呑口・吐出口は閉鎖されました。建設当時としてはデザイン的に十分美観にも配慮され歴史的にも後世に残せる構造物として現在その姿を保持しています。
(現地案内板説明文より)

これも六堰の説明にあったように、国営大里農地防災事業の一環として整備された結果でしょうが、きちんと保存されているのですから、これもまた貴重な財産でしょう。
対岸には「呑口」が残されているのでしょうね。

鹿島古墳群

ハクチョウの飛来地の入口の向かい側には「鹿島古墳群」があります。
ここまで来て古墳群を見ていかないというのも、もったいない話なので、ここは古墳群を散策することにします。

鹿島古墳群 ハクチョウの飛来地の入口から真直ぐな道を南に向かうと右側に古墳群に入れる入口があり、その先に案内板が置かれています。

県史跡鹿島古墳群は、1300年前の豪族の墓で、今でも荒川に沿った雑木林の中に古墳が点在しています。この貴重な歴史遺産を後世に伝えるため、公園として整備し保存に努めています。
ここには川本町民によって、初春のロウバイ、春のサクラと菜の花、秋彼岸に咲くマンジュシャゲが植えられ、季節ごとに花を咲かせています。また、雑木林には多くの野鳥がくらし、荒川に飛来するコハクチョウとともに豊かな自然環境を保全しています。
平成17年3月 川本町教育委員会
(現地案内板説明文より)

鹿島古墳群 この案内板の写真でもそうですが、見た目にでもかなりの広さがあるように思えます。

鹿島古墳群 比較的近くにこんもりした部分が見えますが、これが古墳なのでしょう。

その近くにも案内板が立っています。

鹿島の古墳
古墳とは今から1700年前から1400年前頃にこの地域の有力者を埋葬するために造られた墓で、土を高く盛り上げて、その内部に遺骸を埋葬する場所が設けられています。
古墳の形は、平面形から前方後円墳や円墳、方墳などと様々な形がありますが、鹿島古墳群は円墳だけで構成されています。このように小さな円墳が密集する古墳群を特に「群集墳」と呼び、鹿島古墳群はその規模から県内を代表する群集墳です。
鹿島古墳群では、遺骸を埋葬する施設として荒川の河原石を積み上げた長さ4メートル、幅2メートル前後の楕円形の石室が築かれています。また、出入りできる入り口が設けられ、こうした石室を横穴式石室と呼びます。この石室には遺骸とともに生前使用していた太刀や弓矢、刀子などが副葬されました。鹿島古墳群では太刀などの武器具が多く出土しています。
また、墳丘の表面は河原石で飾られており、築造された当時は草や木に覆われた現在のイメージとは異なった、白く輝く荘厳な姿であったようです。
埼玉県教育委員会・川本町教育委員会
(現地案内板説明文より)

現状この指定地の中には56基の円墳が保存されているそうです。指定地外で発掘された27基とすでに失われた古墳を合わせると100基を越す大古墳群だったそうで、埴輪が立てられた古墳が少ないことから7世紀を中心に8世紀初頭に至るまで次々と築造された古墳時代最終末の古墳群と考えられているそうです。

鹿島古墳群 ここに見える円墳は89号古墳とかかれていますので、89番目の古墳とう意味でしょう。

鹿島古墳群 その先に進むと更に円墳の数々が見て取れます。

鹿島古墳群 その途中に妙な石塔と樹木が植えられています。何となくユーモラスな光景です。

ここから更に先は続いているのですが、このあたりで引き上げるため一旦南方向に進みます。
鹿島古墳群の孔雀 ちょうど古墳の前を通ると「ガサガサ」との音とともに黒っぽい鳥が突如木から地上に下りてきました。
黒っぽい鳥ですがよくよく見ればなんと孔雀です。

この後この鳥が隣の古墳あたりに飛んだ際に、羽を拡げたので孔雀と判ったのですが、残念ながら羽を拡げた写真を撮ることはできませんでした。
野生の孔雀というわけでもないでしょうから、何処からか逃げてきたのか、放し飼いなのか・・・。ちょっと驚きました。

鹿島古墳群石柱 公園の南側に出口(本当はここが正式な入口のようです)があり、そこに石柱と案内板があります。

古墳
古墳とは、土を高く盛り上げ、内部に遺体を葬るための施設や副葬品が埋納されている墳墓である。築造は一般に3世紀後半から7世紀末までで、古墳時代と呼ばれている。
古墳の形には、前方後円墳、円墳、方墳などがあり、墳丘には埴輪が置かれ、外側には周溝がめぐっている。埋葬施設には、粘土郭、竪穴式石室、横穴式石室などがある。
県内には現在約3000基の古墳があるが、最古の古墳は4世紀末の桶川市熊野神社古墳(円墳、粘土郭)とされている。5、6世紀中頃は、畿内の政権と結びついた首長の墳墓、すなわち行田市埼玉古墳群に代表されるような大型の前方後円墳が盛んに築造された。6世紀末から7世紀になると、鹿島古墳群のように小円墳が密集する群集墳が各地に出現する。
また、この時期には、吉見百穴のような横穴墓群が比企、入間地方に造られた。
平成11年9月 埼玉県
(現地案内板説明文より)

この中では【さきたま古墳群】で訪れた埼玉古墳群を散策しました。いわゆる一般的にイメージする古墳らしい古墳でした。
時代や環境によって古墳にも流行があったのでしょうかね。

かわもと郷土かるた そしてここにも郷土かるたが掲示されています。

公園の周囲は桜並木となっていて、春の花見シーズンには古に思いを馳せながら、一献というのもまた風流かもしれません。

招福大観音・勝福寺

荒川沿いの散策を終えて最後の散策が「勝福寺」です。
荒川を渡り国道140号線を花園IC方面に向ってすすみます。
インドレストラン ハーティ 深谷店 途中、【インドレストラン ハーティ 深谷店】で遅めの昼食をとりました。

インド料理のバイキングで、リーズナブルで美味しい昼食が食べられました。

昼食を済ませて140号線を更に先に進み、途中右折して少し進むと右側に目指す「勝福寺」に到着です。
勝福寺 山門 勝福寺  立派な寺号標と簡素ですが綺麗な山門です。
山門の前には何故かパンジーが植えられています。このような光景も珍しいものです。

勝福寺 山門と参道 山門の先の参道脇にはずっと灯篭が並んでいて、華やかさと荘厳な雰囲気を漂わせています。

勝福寺境内 参道を進むと茅葺の小屋と紅葉、そして遠くに「招福大観音」が見える、実に風情ある情景が飛び込んできます。

勝福寺 参道の灯籠 そして参道の中央にはこのような古そうな灯籠が置かれていますが、何か謂れのあるものなのでしょうか。

招福大観音 参道を右に進むと「招福大観音」です。石垣で作られた盛り土の上に大観音が見えます。

招福大観音 ミニ鐘楼 石段を上がると大観音のて手前には小さな鐘楼があります。

そして目の前に「招福大観音」が迫ります。
招福大観音招福大観音 招福大観音 ブロンズの綺麗な観音像で、流石に10mある観音像は他を威圧する姿です。

埼玉ふるさと100選碑 観音像の左に「埼玉ふるさと自慢100選 認定記念碑」があり、認定証のプレートがはめ込められています。
このためにやって来た、些細な感動が沸きます。

かわもと郷土かるた 観音像の右側には例によって郷土かるたが立てられています。

今回の目的は果たしましたが、やはり後先となりましたが本堂にお参りをしなければ、と参道に戻ります。

参道に戻って先に進むと右側に「金の鐘」が置かれています。
勝福寺 金の鐘 なかなか珍しい鉄骨の鐘楼です。どのような意味のある鐘なのかは良く分かりませんが、何となくありがたいような・・・。

勝福寺 弘法大師像と四国88ヶ寺お砂ふみ その鐘の先に弘法大師像と四国88ヶ寺お砂ふみがあります。
おなじみの四国88ヶ寺コンビニエンス参りです。

「不苦労」 そして参道の左がわには、ふくろう、の石像があり、題して「不苦労」・・・、なかなかの演出!?

そして正面の本堂をお参りしますが、何となく様子がおかしいです。
勝福寺 勝福寺 本堂の前にはフォークリフトやショベルカーが無造作に放置されており、 隣の庫裏の前には木材などが同じように放置されています。

本堂や庫裏の改修のようにも思えますが、それにしては参拝者に対する安全などの対策が全く無いのは、実に不可解です。

気になるので、参拝もそこそこに本堂の周りを巡ってみました。

勝福寺 勝福寺 勝福寺 一旦境内の外に出ると、灯籠が参道と同じように並んでいるのですが、その近くにある地蔵像が倒されたままになっているでは無いですか。
いくら改修といっても、こんなことがあっても良いのでしょうか。

更に本堂の裏手に回ると、まるで廃墟の後のような見るも耐えられないような光景です。
勝福寺 一面に投げ捨てられたような廃材や、放置されているような用具の数々。

勝福寺 勝福寺 更にお墓の周りの様子。
そして、本堂に積み上げられた廃材などなど・・・

このような工事があるのでしょうか。まして参拝者も訪れる由緒ある寺院で。恐らく正月に向けての準備なのかもしれませんが、折角の貴重な大観音のある寺院ですから、もう少し整備されていてもよいのではないかと、余計な口出しをしてしまいそうです。
何よりも檀家の方たちが、浮かばれない気がするのですが・・・。

道の駅かわもと 最後に「道の駅かわもと」によって地場の野菜をいくつか購入して帰路につくことにしました。。

重忠味噌 重忠米 深谷ネギ 流石に深谷市で重忠のゆかりの地とあって、重忠味噌や重忠米などがあり、更に深谷ねぎは今や全国区です。

物産館 隣の物産館でソフトクリームを購入し、川本を後にしました。

自然と歴史にはぐぐまれた深谷市の旧川本町周辺でしたが、やはり最後の「勝福寺」が何となく残念でした。
是非、郷土の誇りである大観音にふさわしい寺院であることを願います。

2010.12.29記

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