FC2ブログ


大雪で散策のできなかった2月、久しぶりの好天に誘われて隣接する町、比企郡川島町に出かけて見ました。
以前、帰りがけの「平成の森」や行きがけの「ホンダエアポート」に寄ったことはあるのですが、あえて川島町へというのは初めてです。
行きがけ、帰りがけが多いのはこの地に圏央道の川島ICがあったからですが、現在は桶川北本ICができたため頻度はずっと下がった為、改めて川島町を訪れてみることにしたのです。

川島町の“四機” -1

川島町は人口2万3000人の小さな町ですが、7町ある比企郡の1町で、これまでに比企郡では小川町、ときがわ町、滑川町、嵐山町の4町を訪れているので5番目とななります。
今回は半日程度の短い時間のなかで、川島町のエッセンスを楽しもうと、川島の人物、自然、歴史、そして文化という4つのふれあいの機会の“四機”を楽しんでみました。

川島町の「人物」

ほぼ川島町の中央に位置している、川島町ではメジャーな名所「遠山記念館」を訪れます。

遠山記念館

季節柄寒々しいが春になると桜が美しい堀

遠山記念館長屋門

旧家らしい佇まいの長屋門

落ち着いた雰囲気の中、長屋門を抜けて邸内に入ります。

この「遠山記念館」とは、埼玉県出身の実業家である遠山元一の私邸を記念館としたものです。

遠山元一

遠山元一

遠山元一は比企郡三保谷村(現在の川島町)の豪農の家庭に長男として生まれますが、父親の放蕩により生家が没落し、16歳で東京日本橋兜町で丁稚奉公します。
1918年に独立し川島商店を設立し、一連の株取引の経済的成功により1936年故郷の川島町に豪邸を建設して錦を飾るのです。
1938年には川島屋證券会社を創業し、1944年旧日興證券との合併により日興證券の社長となります。
その後、1964年日興證券の会長を退くまで戦後日本の証券業界の近代化に尽力し、遠山天皇と呼ばれるまでになったそうです。
そして1968年故郷の豪邸を法人化し財団法人遠山記念館を設立、敷地内に美術館を建てて長年にわたる貴重な蒐集美術品を収蔵したのです。
現在は日本と中国の書画・陶磁器、人形、染織品、世界の工芸品と染織品など11,000点の所蔵品に及ぶそうです。

美術館

高窓風蔵仕様の美術館

高床式美術館

高床式で文化財保存用の造り

正面に見えるのが、蒐集美術品を保管・展示している美術館です。

チケット

入館チケット

企画展

企画展「雛の世界」

美術館で入館チケットを購入して、現在開催されている展覧会を見学します。
この日開催している展覧会は「雛の世界」という企画展で、江戸時代中期から昭和時代中期までの様々な人形が展示される、この時期ならではの展覧会です。

美術館内は撮影禁止ですので、代表的な写真をお借りして掲載しています。
主に江戸時代~明治時代の雛人形が展示されていて、実に貴重なものを見られます。

享保雛 立雛

享保雛と立雛(c)遠山記念館

特に江戸時代中期の豪華な古今雛や同じ時期に町雛として愛用された享保雛から、江戸時代後期の倹約期における小さな象牙の雛などの移り変わりが興味深いです。
魔除け的な意味合いから始まった人形も、時代とともに華美・華麗、そして精緻に変化していった人形の歴史・文化を知ることができました。
時期によって企画展示されているので、時々にあわせて訪れるのもよろしいかもしれません。

次ぎは邸宅を見学します。

東棟 東棟

茅葺が印象的な表玄関

ずっしりした重厚さがありながら、嫌味のないのは茅葺の屋根に寄るものかもしれませんが、旧家の趣を存分に伝えてくれます。
前述したように遠山元一が故郷に錦を飾った邸宅ですが、苦労した母・美以の住まいとして昭和8年から2年7ヶ月の歳月をかけて完成した邸宅なのです。
見取り図

遠山邸見取り図

平面図

遠山家建築設計図

当時最高の建築技術と全国から集められた銘材を使って建てられ、邸宅全体は建築様式の異なる東・中・西の3棟を渡り廊下で結ぶ構成となっています。

先ほどの茅葺の屋根の部分が“東棟”になります。

畳廊下

玄関から居間に続く廊下

玄関を入ると直ぐ廊下となりますが、見ていただければ判るように廊下も畳敷なのです。
何気ないところに優しさと温かさを感じます。
囲炉裏と縁無し畳

囲炉裏と縁無し畳が印象的な居間

土間

六角形を敷き詰めた珍しい土間

東棟は没落前の豪農の趣を受け継いだ造りだそうで、一家にとっては懐かしい佇まいなのでしょう。18畳ある居間はまさに田舎そのものですが、土間などは趣向を凝らしています。
母、美以の縁の展示

母、美以の縁の展示

家具

使用されていた家具

母縁の品の展示と共に、田舎風といえども家具などは一味も二味も違うようです。

掛込み天井

日当たりの良い縁側の廊下

縁側

丁度梅の開花時期で、チラホラ観梅もできそうです

東棟から中棟に移りますが、ここも眺めと日当たりの良い畳廊下を進みます。この廊下だけでも生活できるのではないかと思ってしまいます。
また、天井は斜めの部分と斜面のある天井で、このような天井を“掛込み天井”問うのだそうです。どこまでも凝っていますね。
廊下の左側が18畳の大広間で、その隣の次の間に遠山家の雛人形が飾られています。
大広間の隣の次の間の雛人形

大広間の隣の次の間の雛人形

関東風の「段飾り」

関東風の「段飾り」

御殿飾り

「御殿飾り」


この雛壇は、遠山元一の長女・貞子の初節句の祝いとして大正時代に揃えたものだそうで、左側が関東風の「段飾り」で、左側が京都御所を模した「御殿飾り」の二組になっています。
段飾りの中の道具入れ

段飾りの中の道具入れ

雛人形にあわせた掛け軸

雛人形にあわせた掛け軸

写真は撮れなかったのですが、段飾りに置かれている道具入れの道具の数々が美術館の方に展示されていましたが、こんな小さな道具入れに約40~50点の道具が入っているのですから、結構感動モノでした。
また、大広間にはこの時季にあわせた掛け軸もかけられていて、実に趣のある大広間です。
中棟

庭園から見た中棟

ここからは中棟から西棟に移りますが、中棟には二階があり、通常非公開で二階は洋風の応接室になっているそうです。

蔵

突如現れた蔵の扉

蔵

庭園から見た蔵

渡り廊下で西棟に進むと突如蔵の扉が現れます。外から見ると判るのですが、基本的に蔵は独立していながら西棟に隣接していて、扉は西棟に繋がっていると言うことです。
片身替わり

こちらの畳廊下は半分です

こちらの廊下は畳敷が半分になっています。これは“片身替わり”と言うそうで、着物などで右と左の柄が違うものをもともと呼んでいたものだそうです。
何となくお洒落に見えますね。
茶室

入口のアーチが茶室の佇まい

仏間

こちらのアーチは仏間

西棟は完全に母のためのもので、客間3部屋と仏間からなる静寂感ある趣の造りです。
西棟 西棟

庭園から見た西棟

外から眺める西棟はある意味一般的な建築に見えるのですが、その分内装に凝っているのでしょう。
客間の額も雛人形

客間の額も雛人形

欄間

美しい造作の欄間

客室の作りも華やかさを醸し出しながらも、やはりしっとり落ち着いた空間です。
庭園 庭園

客間や茶室から見える庭園

それぞれの部屋から望む庭園の風景が実に美しく、特に雪見となったこの日は格別です。

最後は庭園を散策します。

休憩所

庭園の一画の休憩所

遠山稲荷

その隣にある稲荷社

庭園の一画には休憩所があり、頼むとここで抹茶をいただけるのだそうです。またその隣には「遠山稲荷」があります。
遠山稲荷 狐の台座

遠山稲荷と狐の台座

この稲荷は邸宅完成後、京都伏見稲荷を勧請したもので、当時の職人等が仕事を得たことに感謝して狐の台座裏に13人の職人名が刻まれているのです。
よほど割のよい賃金で雇われたと考えるのは、貧乏根性の抜けない証でしょうか。
偶々先週の大雪がそのまま残っていて、かえって庭園も実に風情のよい面持ちとなっています。
庭園 庭園 庭園

庭園の各所


庭園の梅

タイミングもよく梅の開花もチラホラ

しばし見事な庭園を散策して遠山記念館を後にします。
大正時代から昭和にかけての文化や技術などが偲ばれる場所であるとともに、川島町の立身出世の代表的人物としての存在を知ることができました。

川島町の「自然」

川島町は荒川や荒川系河川の流域で荒川低地となっていて、豊かな自然が今も残る立地を生かした農業が主な産業で田園地帯が広がっています。しかしながら平成20年に開通した圏央道川島ICにより産業団地の整備も進み、工業・流通系を主体とした企業が進出し、町の様子も様変わりを始めているのです。
そのような中でも豊かな自然を誇る川島町の冬の風物詩ともなってきたのが、ハクチョウ飛来地です。

飛来地臨時駐車場

飛来地臨時駐車場

整備された駐車場に車を止め、目の前の土手を越えると「越辺川」の河川敷となります。
越辺川河川敷 越辺川河川敷 越辺川河川敷

越辺川河川敷


「越辺川」と書いて“おっぺがわ”と読みます。
埼玉県入間郡越生町黒山三滝付近に源を発し、越生梅林を抜け比企郡鳩山町で鳩川をあわせ、坂戸市で高麗川、比企郡川島町で都幾川をあわせ、川島町角泉付近で入間川に合流する一級河川です。
そして支流、飯盛川が合流する付近に白鳥飛来地があるのです。
因みにこの珍しい越辺川の語源ですが、「越生の辺りを流れる川」から来ているという説や、北海道乙部町の「乙部」と同様にアイヌ語の「オ・ト・ウン・ペッ(下流の方に沼のある川)」に由来するという説などがあるそうですが、いずれにしても詳細は判らないそうです。“越生(おごせ)”といい“越辺(おっぺ)”と言い、実に難解な地名です。

そして肝心の白鳥の飛来がこちらです。

白鳥飛来地

この日の白鳥飛来地光景

「おお、綺麗な白鳥!」と言いたいところですが、今日の飛来地点はこのように鳥一羽も見当たりません。
川島町のオフィシャルサイトによれば、この前の週の白鳥確認数は82羽と発表されていたのでかなり期待していたのですが。。。

下流にいた鴨軍団

しばらく唖然とした面持ちでいると、下流方向に沢山の鴨が居ました。白鳥あるところに鴨が群るのが定番ですので下流に向って歩いて見ます。
確かに鴨は沢山居たのですが、白鳥は1羽も見つけることができませんでした。

旅歴メモ -白鳥と鴨- その見た目からのイメージでは、白鳥に群るカモの群れといった感じで、解釈によっては互いの長所・短所を生かして外的から身を守るといった説明もあるのですが、基本的に白鳥もカモも同じ“カモ科”であるということでしょう。
確かにカモ科の生息地は淡水域、湿原、海洋など様々な環境に生息しているのですが、その多くの種は渡りを行うので、エサのある場所に共存するのは至極当然のことなのです。ただし、日本でも皇居付近で有名な“カルガモ”は渡りを行わないため、カモの渡りの習性を勘違いしているのかもしれません。
また、日本だけカモ科の小型の鳥を“鴨”、大型の水鳥を“雁”、更に大型で白いもの(例外あり)を“白鳥”と呼んでいるので、その影響もあると思われます。
いずれにしてもその色合い、大きさなどにより同じ科目であると感じさせないことにあるのでしょう。

鴨の群れ 鴨の群れ

仕方なく見ていたカモの群れ

とうことで仕方なくあまり楽しくもないカモの群れをぼんやり眺め、運の悪さを呪っていたのです。
その時、家内が指す川の中州の方向に白鳥らしき物体がいるので望遠で見ました。
白鳥? 白鳥!

やっと見つけた白鳥2羽

この日は特に雪が残って居たこともあり、白鳥なのか雪なのか遠めでは判断付かない状況だったのです。
ここでもデジカメのスペックの低さを呪いながら、何とか白鳥の存在を捕らえることができたのです。
本来の白鳥飛来地

ウィキに掲載されていた同じ場所での写真

82羽の内の2羽を見ることができたのですが、他の80羽は一体どこにいったのでしょうかね。本来ならこのような光景が見られたはずなのですが、まあ、2羽見られただけでも良しとしましょう。

以前、深谷の白鳥飛来地を訪れたときも見られませんでしたから、まあ、“量より質”というわけの判らない理由で、白鳥の飛来を楽しんだことにしておきます。
近くでもあることなので、また機会を見つけて訪れてみたいものです。

2014.2.27記(後編につづく)

関連記事
スポンサーサイト





コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks