「高窓の里の百体観音堂」は、ジャンルAで6,680票を獲得して第17位にランキングされました。

かつて養蚕の盛んだった児玉地方。蚕を育てる際、換気のために付けられた高窓の家並みが残る児玉町小平の里に、成身院百体観音堂はあり、児玉三十三霊場の一番寺。
成身院は真言宗豊山派の寺で、1342~45(康永年間)年に元空上人によって開かれたと言われる。百体観音堂は1792(寛政4)年浅間山噴火の死者の霊を弔うために創建され、高さ約20mの外観は二階建てだが、内部は三層という珍しい造りになっているのが特徴。一階に秩父三十四観音、二階に坂東三十三観音、三階に西国の三十三観音の計百観音を奉っていることからこの名が付いたとされる。中央の本尊を中心に回廊をらせん状に上ることから、通称「さざえ堂」とも呼ばれている。
(本書より)

本書の掲載時点では児玉郡児玉町でしたが、2006年に本庄市と合併したため現在は本庄市児玉町となっています。
本庄市へは【ヘラ釣のメッカ間瀬湖と骨波田の藤】【児玉秋祭り四角太鼓】【塙保己一】【雉が岡城址の塙記念館】【本庄まつり】に続いて実に6回目の訪問となります。
合併したことで市は細長くなり、本庄市役所周辺には当時国道17号線を使用し、児玉地域には関越道を利用していました。
今回も関越道を利用しているのですが、北本まで圏央道が延びたことから特に渋滞が無ければ約1時間半で到着する近さとなっているのです。

高窓の里

本庄児玉ICで関越道を降り、一般道を進むこと20分ほどで児玉エリアに到着です。
県道287号線を進むと途中小山川を渡りますが、この小山川河畔の桜が「こだま千本桜」として名高い桜の名所なのです。

こだま千本桜

残念ながら見頃は過ぎていた千本桜

約1000本植えられていることから命名された文字通りの桜の名所ですが、既に満開も過ぎちょっと残念な時期でしたが、それなりの情景は見ることができました。

まずは「ふるさとの森公園」に駐車して散策の開始です。

ふるさとの森公園

公園内の桜と蓮池

園内には蓮池があり、ここまた華麗な風景を演出しています。

その蓮池の傍らに記念碑が建てられています。

景観賞の碑

景観賞の碑

これには「彩の国2008景観賞受賞 児玉高窓の里」と記載されています。
案内板によればこのあたりの東小平地区は古くから養蚕が盛んで、養蚕農家の屋根には「高窓」と言われる換気用の越屋根が設置されていて、現在でもこの地域にはその民家がまとまって残っていることから「高窓の里」と呼ばれているのだそうです。

確かに見える限りでは4棟の民家が残されているようです。のんびりした佇まいに往時の繁栄した養蚕農家の牧歌的な雰囲気が、どこか原風景として見えてくるのは歳のせいでしょうか。

高窓の里 高窓の里 高窓の里

高窓の里の光景


景観賞を受賞するのも頷けるところです。

高窓の里こだいら案内板

「高窓の里こだいら」の案内板

先ほどの案内板には「高窓の里こだいら」とあります。
この児玉町小平地区の見所が記載されている地図で、百体観音の他にも見所は多い様なので、今回は小平地区でまだ訪れていない場所も合わせて散策することにしましょう。

高窓の里の景観を楽しんでいると、高窓の民家の手前に山門を見ることができます。

高窓の民家と仁王門

高窓の里の山門

この山門が今回の主役である「百体観音堂」のある成身院の山門のようです。まずはこの山門から散策を始めることにします。

成身院

山門までのんびり春の陽気を楽しみながら歩いてみます。

仁王門仁王像

立派な山門は「仁王門」

かなり大きな山門は朱の四脚門の仁王門で、かなり凄みのある仁王像が奉られています。
この仁王門と仁王像は宝暦9(1759)年の建立で、特に仁王像は創建時の姿を残しているそうです。

そしてこの仁王門沿いから見える範囲が成身院の境内となります。

成身院境内

小さな門が中門で、
桜の木の上に見える擬宝珠が観音堂

右側の仁王門の隣に見える小さな門が中門で、丘の上の桜の木の上にちょっと出ている擬宝珠が百体観音堂の尖塔です。
かなり広い境内であることが判ります。

中門の先の右手に本堂があります。

成身院本堂

近代的な成身院の本堂

成身院は真言宗豊山派の寺院で平等山成身院といい、本尊は不動明王で児玉三十三観音の第一番なのです。
中興開基は第四代鎌倉公方の足利持氏という由緒ある寺院で、江戸時代は仁和寺を本山とする談林(学問所)で、檀家を持たない寺院として、現在の児玉三十三観音の10寺院をはじめ、100ヶ寺を末寺としていたほど栄華を誇っていたのです。

旅歴メモ -古代寺院- 成身院の隣の本庄市児玉総合運動公園の片隅に、「東小平中山廃寺 木造搭跡(礎石群)」があります。
東小平中山廃寺 木造搭跡(礎石群)

復元された木造搭跡(礎石群)

この周辺にあった東小平中山廃寺は金堂(仏堂)を中心に講堂や搭によって構成されていたそうで、この礎石群は廃寺のなかで状態が良かった搭跡の礎石を移築・復元したものです。
この寺院は8世紀後半(奈良時代)の建てられた三重塔と見られ、瓦や仏堂の礎石などと一緒に出土したものです。
この古代寺院は、10世紀の中頃(平安時代)に周りの竪穴式住居とともに焼失し、住民も寺院も山の麓に下りて現在の伽藍となったとも考えられているのです。

現在の本堂は文政7(1759)年に建てられた庫裏を、昭和48年に改修されたものです。
観音堂へは階段を上っていきますが、その途中に古びた堂宇があります。

三仏堂

三仏堂

寛永元(1624)年建立のものですが、明治・昭和に修理が行われたそうです。かつてはこちらに室町時代造立の三仏が安置されていたのですが、現在は防犯上、観音堂に一緒に安置されているそうです。

シャガ 仏搭

寺院らしいシャガの群生と仏塔

この辺りには「シャガの群生」を見ることができます。
学名の種小名はjaponica(「日本の」という意味)ですが、中国原産でかなり古くに日本に入ってきた帰化植物なのです。
数々の古い仏塔とともに、寺院らしい花といっても良いかもしれませんね。

百体観音堂-1

ここからは桜に彩られた百体観音堂を見ることができます。

百体観音堂

桜に彩られた風情の良い観音堂

しかしながら観音堂へは直接入れませんので、一旦「ふるさとの森公園」の管理事務所に向かいます。

観光農業センター

管理事務所

ここで拝観の受付をしていただけます。
拝観料300円でパンフレットを受け取り、スタッフの方の案内で観音堂に向かいますが、ここで概略をご案内していただけます。

文化財

再びスタッフの方と一緒に観音堂に戻ります。

百体観音堂

桜と観音堂のコントラストが素敵です。

この時期は格別な風景が見られる時期なのです。やはり春の訪れとともにやってくる桜の花見は、日本人の心に訴えるはかなさの感傷課も知れませんね。

先ずは観音堂の前の仏像からです。

唐銅造大日如来坐像

高さ85cmの「唐銅造大日如来坐像」

観音堂の前にあるのが「大日如来坐像」で、台座に「御鋳工武州金屋住倉林治兵衛国義 補鋳工野州佐野住丸山林八長輝」と刻まれています。
これは児玉町金屋の鋳物師が郷土に残した数少ない文化遺産として貴重なものなのだそうです。

旅歴メモ -金屋の鋳物- 鋳物の発祥は河内国丹南郡(現在の堺市の一部)を本拠地とした「河内鋳物師」といわれていて、この影響を受けた鋳物に大久保鋳物(新潟県柏崎市)、佐野天明鋳物(栃木県佐野市)、高岡鋳物(富山県高岡市)などがあり、これにより東日本に河内鋳物が伝わったのです。
台座に刻まれた「補鋳工野州佐野住・・・」はまさしく佐野天明鋳物の鋳物師で、この佐野天明鋳物が児玉に伝わったのではないかと推測されます。
そして鋳物師が児玉にも移り住み、当時、鋳造所のことを「金屋」と呼んでいたことから、この名が地名となったのではないかと考えられるのです。

次は観音堂に吊り下げられている大きな「鰐口」です。

鰐口

直径180cm、重さ750kgの大きな「鰐口」

寛政7(1795)年の刻印があるそうで、観音堂建立と同じ時期に作られたもので、観音堂が火災で全焼した際、唯一残ったものだそうです。
実際に打っていただき、その重低音を耳に刻みました。
先の大日如来坐像と鰐口は市指定の文化財ですから、見逃すわけにはゆきませんね。

そして鰐口の付近は非常に精緻な彫刻で飾られています。

経年のため随分と色彩は落ちてしまっていますが、往時は煌びやかな仏教彫刻が眩しかったことでしょう。また、天井には天上画が描かれていますが、こちらもかつては絢爛豪華な天上画が見られたものと思われます。

彫刻 彫刻 天井画

観音堂の彫刻と天上画


江戸時代の花火の筒

江戸時代の花火の筒

隣には古びれた花火の筒が何気なく置かれているのですが、こちらは江戸時代のものだそうです。

そして観音堂を改めて間近で見学します。

百体観音堂 百体観音堂 百体観音堂

歴史を感じさせるが、所謂凝った二階建ての観音堂


なかなか風格を感じさせる建物で、どっしりとした重量感を感じる二階建ての観音堂としか見えないのですが、実はこの建物は三層二階建ての珍しい建造物なのです。

サザエ堂

ここからいよいよ観音堂に入ります。
横の入口を開けていただき、先ずは一緒に入館して説明をしていただけます。

日本三大さざえ堂

日本三大さざえ堂写真

先ず注目はこちらの写真でタイトルは「日本三大さざえ堂」となっています。
元々この観音堂は二階建てながら三層になっていると聞いているのですが、この三層が「さざえ」に関連しているのです。

こう言った観音堂は、江戸時代後期の東北から関東地方に見られた特異な建築様式の仏堂で、堂内は回廊になっていて、順路に沿って観音像が配置され堂内を進むだけで巡礼が叶うような構造となっているのです。
これは「釈迦の二代目である迦葉尊者が、釈迦の葬儀の後から駆けつけ、棺を三匝もしくは七匝した」という古事に由来するもので、インドの礼法では右繞三匝(時計回り)の礼が最高の礼法であるといわれているからなのです。
特に右は浄身浄肩(右手を仏の手)、左は不浄(左手を自分の手)と言って、袈裟や衣で左肩を覆い、右肩を出しているのは、所謂浄身を中心に右廻りにすることで、最高の礼を尽くすという意味を持っているからなのだそうです。

この礼法にのっとり観音堂も右回りに三回匝る(めぐる)形式で参拝できるようになっているのです。
したがってこのことから本来このような観音堂を「三匝堂(さんそうどう)」というのですが、螺旋構造や外観がサザエに似ていることから、親しみをこめて「さざえ堂」などと呼ばれているのです。

旅歴メモ -さざえ堂- 現在日本で現存する「さざえ堂」は、弘前禅林街の栄螺堂(青森県弘前市)・旧正宗寺 三匝堂(福島県会津若松市)・長禅寺 三世堂(茨城県取手市)・曹源寺 本堂(群馬県太田市)・成身院 百体観音堂(埼玉県児玉町)・總持寺(西新井大師)三匝堂(東京都足立区)・大正大学 すがも鴨台観音堂(東京都豊島区)の7ヶ所確認されているようです。
会津サザエ堂

会津のさざえ堂

特にこの中で著名なのが旧正宗寺 三匝堂、つまり「会津のさざえ堂」で、外観や内部構造などはまさしく「さざえ」で、国の重要文化財に指定されているのです。

太田サザエ堂

太田のさざえ堂(c)さざえ堂 曹源寺

現在、現存するさざえ堂の中から、歴史、規模、一般への公開などの観点から選ばれたのが「日本三大さざえ堂」で、会津のさざえ堂、太田のさざえ堂(群馬県太田市)と共に、この百体観音堂は児玉のさざえ堂と呼ばれているのです。
因みに会津は国指定、太田は群馬県指定ですが、児玉が市指定となっているのは、成身院が現在無住の寺だからということが影響しているようで、価値的には埼玉県指定となっても全くおかしくは無いのです。

2014.04.20記(後編につづく)

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