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相田みつをの生れた町

1924年、相田みつをは栃木県足利市に生まれた。
生家は名刹「鑁阿寺」の東側にあったそうで、物心つく前から「鑁阿寺」は遊び場だったようだ。

「鑁阿寺」は、足利氏二代目の足利義兼が、建久7(1196)年に邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祀ったのが始まりで、三代目の足利義氏が堂塔伽藍を建立して足利一門の氏寺となる。

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境内には本堂をはじめとした重要文化財が多くあることから、大正11年には国の史跡に指定され、更に平成25年には本堂が国宝に指定された。

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梅も咲き始めた初春の足利のしっとりとした小京都の風情と風景が、みつをの人生に影響したであろうことは容易に想像ができる。

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旧制栃木県立足利中学校在学中に書、短歌、絵画に親しんだ。まさに小京都の趣がそうさせたのかもしれない。

進学を考えていたようであるが、喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念、卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。
更に歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と、1942年に運命的な出会いがあり、在家しながら禅を学ぶ。
1943年には書家を志して岩沢渓石に師事、本格的に書の修行を積み、1953(昭和28)年、関東短期大学夜間部国文科を卒業したのである。

こうした背景の昭和20年代、若き日のみつをは、北原白秋・杜甫などを始めとする有名な歌人の歌を書いて“書”や“ろうけつ染め”の作品にして足利中の旅館に自転車で売り歩き始めたのだ。

相田みつをの育った町

みつをが売り歩いたなかに、現在は京都を彷彿させる小道がある。
日本の道100選の一つで、「鑁阿寺」と「足利学校」を結ぶL字型の石畳みの小道で、いわゆる史跡小路。

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距離はそれほどないが、小京都らしい佇まいが漂う小路の両側には様々な店舗が並ぶ。 それぞれに凝ったディスプレイが風情と楽しさを演出する。

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織物の街足利市を象徴する店舗

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『あまからや』とは、カレーとスイーツがあるから。。。

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小公園には「足利尊氏」の銅像があろ。
室町幕府を誕生させた偉人でありながら、評判がよくないのは不運としか言いようがない。

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蔵の多い町で、蔵を利用した休憩所もある。

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石畳の小路を進むと、最後に到着するのが「足利学校」

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足利学校は、室町時代から戦国時代にかけて関東における事実上の最高学府
学校での教育は儒学が中心であり、こちらもみつをの人生に大きく影響を及ぼしたたかもしれない。

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いづれにしても名刹「鑁阿寺」と史跡「足利学校」を結ぶ石畳み小路とは、実に贅沢な史跡の道である。

相田みつをを支えた町

こうして石畳の小路を何度も走ったであろうみつをであったが、おいそれと商売にならないのは世の常。
そのような中で一つの出会いが生まれた。
行商のなかで出会った「旅館 なか川」の初代女将・中川光子である。

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みつをの作品に対する熱い思いと夢に共感した光子は、「いい作品ができたら買ってあげる」と声をかけた。
現在のみつをの名声を想像することは難しい時代であるからこそ、光子も純粋に共鳴したのであろう。
以来、みつをは『人間だもの』などをはじめとする作品を、旅館なか川に持ち込むようになったのである。

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こうしてみつをと光子の関係が始まった。
いわゆる旅館なか川はみつをにとっての顧客第一号と云う訳である。
しかしながら、光子もすべての作品を買える訳ではなく、みつをの生活も材料費などに重点があり、生活費には困ることもあったようだ。
そこで助け船を出したのが光子で、遠慮せずに、ご飯を食べに来なさいと誘ったのだ。旅館だからなせる技である。

お言葉に甘えようと、みつをは旅館なか川に通う。
特に好物なのが「甘露煮」で、甘露煮を肴に一杯やるのが楽しみだったようだ。

現在、みつをの好物であったニシンの甘露煮が、「ニシン蕎麦御膳」として食べられる。
意外に甘くない甘露煮と、少し甘めの出汁がいい塩梅に融合している。地方ではあまり見かけない更科も嬉しい。 白い更科と緑の薬味のコントラストが食欲をそそる。
デザートは「みずわらびもち」で、いわゆる羊羹における水ようかんのようなもので、さっぱりとした口当たりが絶妙。

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みつをの愛した味である。

相田みつをが巣立った町

こうしてパトロンもできたみつをであったが、やはりアートだけでは生活は成り立たない。
その時、さらなる光子の一言が後のみつをの進むべき道を示した。
「今度、うちの旅館の看板を作ろうかと考えているんだよ!みつを、、、よかったら旅館なか川のデザインをしてみるかい?」

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ここからアートではなく、実用的なデザインを手掛けるようになり、「相田デザイン研究所」の看板を掲げる。
店内に残る様々なデザインの本質は、みつをのアートである。

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この後、昭和29年に足利市で第一回の個展を開催後、各地で展覧会開催。
毎日書道展では、7回連続入選。
そして昭和59年「にんげんだもの」を出版し、ミリオンセラーとなり、現在の人気につながる。

当時の旅館なか川は、現在、光子から続く4代目で「めん割烹なか川」になっているが、当時、みつをがお気に入りだったテーブルと中庭で、同じ空気に触れることができる。

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相田みつをが眠る町

平成3年、相田みつを、足利市の病院で脳内出血により永眠。享年67才
みつをは生まれ育った足利市の「法玄寺」で眠る。

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法玄寺は、足利尊氏の六代先祖の足利義兼の正室であった北条時子姫の菩提のために建立された。

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境内には、この北条時子姫の墓が文化財として残されている。

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境内の墓地に相田みつをは、家族と共に眠っている。

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また、この寺院には、世界的にも有数な陶磁コレクション「栗田美術館」を創設した足利市の名士・栗田英男の墓地もある。

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相田みつをの生れ育った町は、みつをの人生を支えた町でもあった。

2015.03.01記(後編につづく)

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