はじめに

「若田光一」はジャンルDで6,733票を獲得して第6位にランキングされました。

大宮市生まれ。宇宙飛行士。5歳のころアポロ11号が月に着陸したのを見て、宇宙に強い憧れを持つ。1992(平成4)年宇宙開発事業団に入社。同年8月に日本初の搭乗運用技術者(MS)候補となり、NASAで訓練を受ける。翌年宇宙遊泳もできるMSの資格を取得。
1996(平成8)年1月日本人初のMSとして宇宙で人工衛星SFUをロボットアームで回収する難作業を成功させる。その活躍は多くの子供たちに夢と希望を与え、「市民栄誉賞」「県民栄誉賞」を受賞。2000(平成12)年9月再びスペースシャトル「ディスカバリー号」に搭乗する予定。
(本書の説明より)

言うまでも無く郷土の誇りといっても良い「若田光一」氏です。
2011年3月現在までに日本人として宇宙へ飛んだ飛行士は、秋山豊寛、毛利衛、向井千秋、土井隆雄、若田光一、野口聡一、古川聡、星出彰彦、山崎直子の9名しかおらず、そのうちの埼玉県出身者ですから郷土の誇りと言わずに何と言えばよいのでしょうか。

本誌の説明では、1996(平成8)年の初ミッション時の説明でしたが、あらためて現在までの略歴をみておきましょう。
1963年 埼玉県大宮市(現在:さいたま市)生まれ。
飛行機エンジニアを目指して、九州大学工学部航空学科に進学した若田氏ですが、何故九州大学なのかは両親の実家があることと無縁だった訳ではないでしょう。いずれにせよエンジニアの道を進み始めたわけです。
3年の時の夏、群馬・御巣鷹山でジャンボジェット機の墜落を目の当たりにして、飛行機を安全に飛ばすことの難しさを痛感し4年の時には「航空機強度振動研究室」を選んだそうです。その間、九州大学の「九州大学鳥人間チーム」というサークルに加入し、違った角度で飛行機を堪能していました。
そして大学院を経て入社したのが日本航空でした。
東京・羽田にある職場へ品川区内のアパートからモノレールで通勤していたのですが、1991年のある日、大井競馬場前駅の売店で買った新聞に宇宙開発事業団(現・JAXA)の宇宙飛行士募集の記事を見つけました。
国際宇宙ステーションや日本の有人宇宙実験棟「きぼう」の組み立てと運用が任務です。「今までに無かった職業を、当時の宇宙開発事業団がどのように選ぶのかに非常に興味があった。それで・・・」と文字通り興味本位で応募したために、全く合格するとは思ってもいなかったそうです。
書類選考と4次に及ぶ試験があるのですが、一体どのような勉強をすれば良いかさえ分からない始末なので、全く勉強はしなかったそうです。当然といえば当然ですが・・・。
ただ唯一の自慢は何処でも眠ることができることで、実際に閉所恐怖症か否かを調べる検査での狭いカプセルでも寝てしまったそうです。
その様な試験を経て1992年の春、若田氏28歳の時に372倍の難関を突破した採用通知が届き、その後はNASAでの訓練を経て、輝かしい功績を次々と打ち立てることとなるのです。

1993年8月 宇宙飛行士に認定。
1996年1月11日から20日
スペースシャトル「エンデバー号」によるSTS-72ミッションに日本人初の搭乗運用技術者(MS)として搭乗し、日本の宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)の回収などを行う。
2000年10月12日から25日
スペースシャトル「ディスカバリー号」によるSTS-92ミッションにMSとして搭乗し、ISS(国際宇宙ステーション)の組み立て作業のためのロボットアーム(SRMS)操作などを担当した。
2004年 九州大学大学院工学府航空宇宙工学専攻博士課程修了。
2006年7月22日から28日
米国海洋大気圏局(NOAA)の海底研究施設「アクエリアス」における第10回NASA極限環境ミッション運用(NEEMO)のコマンダーを担当。
2009年3月から7月
第18/第19/第20次ISS長期滞在クルーのフライトエンジニア、JAXA科学実験担当官、STS-119およびSTS-127ミッションスペシャリストを担当。ソユーズTMA-14での軌道上飛行を実施。
2009年7月
2J/A(STS-127)ミッションで「きぼう」船外実験プラットフォームを取り付け、「きぼう」を完成。約4ヶ月半の宇宙滞在を完了し、帰還。
2010年3月 NASA宇宙飛行士室ISS運用ブランチ・チーフ就任。
2010年4月 JAXA宇宙飛行士グループ長就任。

そして2011年2月には、NASA宇宙飛行士室ISS運用ブランチチーフを離任し、ISS第38次/第39次長期滞在クルーに任命されました。
このミッションは2013年年末頃からの予定で、第38次では長期滞在期間中はISSフライトエンジニアとして、「きぼう」を含むISSの各施設の運用および科学実験を実施し、第39次長期滞在期間中は上記任務に加え、ISSコマンダー(船長)を務めることとなったそうです。これは当然日本人初のコマンダーであるとともに6ヶ月という長期間ですから、いかに信頼の置ける飛行士なのかがうかがえます。
こうして若田飛行士の1996年、2000年、2009年の3回の宇宙飛行での宇宙総滞在時間は159日10時間46分で、航空機総飛行時間2600時間以上という輝かしい実績を持つ宇宙飛行士となったのです。

こうしたことから今回の散策は、若田飛行士が生まれ育った町を散策してみることにしました。どんな風土・文化の地ではぐぐまれたのかをこの目で確かめたいと、旧大宮市(現在のさいたま市北区)の散策です。
といいながらも現在のさいたまし北区は自宅から車でホンの10分程度です。近いが故の安心感か、何時でも行けるという油断か、梅の花の咲く頃に散策を始めて、結局散策が終了したのが桜が満開の頃でしたから、ほぼ足掛け1ヶ月でしょうか。
特に今回の散策は、小さなエリアのさいたま市北区の一部ながら、中世、鎌倉時代の鎌倉街道に、近世、江戸時代の中山道、そして現代、昭和時代の産業道路と実に歴史的な道が貫いているのです。
中世、近世、現代、そして未来とも言える宇宙飛行士の若田氏という、実にヒストリカルな散策になりそうです。

mapさいたま市オフィシャルサイト】 さいたま市北区オフィシャルサイトhttp://www.city.saitama.jp/index_kitaku.html

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