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前回、おぼろげながら見えてきたプロジェクトHですが、今回は然したる情報もないので氷川神社にまつわる「ちょっとだけ解る氷川神社」をテーマに展開します。まあ、所謂場繋ぎ的なリポートです。

氷川参道 《丁石》

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氷川神社の参道は南北に凡そ2kmに渡り真直ぐに伸びています。
正式な参拝方法は、吉敷町の旧中山道との分岐点にある一の鳥居から入り、昔の距離で十八丁(一丁は約109m)の参道を歩きます。毎年8月1日に催行される氷川神社の例大祭では、現在でも皇室の使いである勅使は一の鳥居から参向されるそうです。

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そこでこの参道には、今自分がどの辺りを歩いているのか見当が付くように、石標に朱色で一丁毎に「氷川神社 何丁」と刻まれた《丁石》が建てられています。
この丁石は鎌倉時代から見られるもので、氷川神社参道の一の鳥居から一丁毎に建てられた丁石は江戸時代のもので、当時の氷川神社の様子は“江戸名所図会”等に残されています。
因みに38丁が1里(約4km)で、その距離を表す「一里塚」は聞いたことがある方は多いでしょうが、このように丁石は日本固有の単位なのです。その距離としての“丁”は知らなくとも、地名としての「一丁目」や順位の第四位を表す「甲・乙・丙・丁」などと云った言葉で使われていますね。

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江戸時代に建てられた丁石で残っているのは二丁、六丁、九丁、拾(十)丁、十六丁の5基だそうです。
その内の4基は氷川神社に保管されており、「拾丁」の1基がさいたま市立博物館に展示され見ることができます。
この「拾丁」の丁石は宝暦14(1714)年に建てられたもので、昭和62年に氷川神社参道派出所の南側から掘り出され、全刻銘(「拾丁 氷川大明神 宝暦十四甲申歳二月吉祥日 大宮中町 小嶋権左衛門 同平八」)が判明しています。

※さいたま市立博物館での写真撮影はOKなのですが、使用範囲は個人資料用に限られブログやSNSへの活用は禁じられています。博物館は参道沿いにありますので、是非、実際に見てください。

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現在ある18基の丁石は地元の崇敬者により復興建立されたもので、氷川神社に参拝する折には丁石を探しながら過去と現在を繋ぐ足跡を辿ってみるのも一興でしょう。

2017.02.28記

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コメント

  1. 氷川神社は過去大宮アルディージャ戦を観戦のついでに参拝しましたよ!大宮の地名由来ですね。

    ( 22:54 [Edit] )

  2. 薄荷脳70 | -

    有難うございます。

    コメントありがとうございます。
    NACK5スタジアムにもいらしたのですね。日本で一番古いサッカー専用グランドだそうで、「大いなる宮居」の歴史も奥深いのですね^^

    ( 03:11 )

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