はじめに

「安行の植木」は5,325票を獲得しながら惜しくも選外となったため、ジャンルEの選定委員会による決定で選出されました。

安行植木の起源は約380年前の江戸初期。館を赤山に移した第三代関東郡代の伊奈半十郎忠冶が、開墾とともに植木や花の栽培を奨励。これらを江戸で売り出した。安行在住の吉田権之丞が開祖といわれる。
明治初年は数十戸だった生産農家も昭和期に千数百戸を越し、安行地区は一大生産地を形成。戦後の高度経済成長と緑化ブームで急速に需要が増大し、川口の地元経済の発展を支えた。
(本書より)

川口市では「川口市立グリーンセンター」と「たたら祭り」と共に3件が選出されているのですが、この企画で川口市へ訪れるのは初めてです。
プロフィールにもある通り、生まれは川口市で、30年間在住していました。
昭和30年代の初頭生まれですから、いよいよこれから高度経済成長の波に乗るといういう頃で一番面白い時期でした。
殆ど戦後というイメージの無い戦無派である昭和30年代生まれですが、戦後の名残がヤミ市で、戦無派の代表がテレビでした。そんな中間な時代だからこそ、戦後の苦労を味わうことなく、目新しく楽しい享楽の世界に嵌っていくようなハーレムの時代だったとも言えるのかもしれません。
学校から帰ればまずは野球、そして家に帰って宿題を済ませればテレビの時間です。最も日中でも毎時間テレビ放送があったわけではないのを知っている最後の年代かもしれません。
その良き時代に育った町が川口市だったのです。

川口市の地理的環境は、川一つ越えば東京都の北区という立地にありながら垢抜けない埼玉県にあり、南部は「鋳物」と北部は「植木」という2代産業が骨格をなしており、それに彩を加えてくれたのがギャンブルと風俗というまさにごった煮のような町でした。
小学生の低学年の頃の友人同志での遠出は川口駅に行くことでした。東口のヤミ市や西口のひまわり模型が主で、おもちゃや模型を買っていましたが、休日は川口駅の東西でバス待ちの長い行列ができていました。大抵、耳に赤と青の2色鉛筆を差したおっさん達で溢れていて東口はオートレース、西口はボートレースという具合でした。
いつの日か大人になってからボート場行きのバス待ちの兄ちゃんに声をかけられたのが、小学生の同級生だったというのは実に微笑ましい思い出も浮かんできます。
そんな良き思い出のある川口市を出たのが今から25年前で、その後、鋳物は縮小していく中でギャンブルと風俗の町、川口は健在でした。
しかし、嘗ては三大風俗の町(吉原、堀の内、西川口)と誇っていた川口市も、バブル崩壊後の影響や、ベッドタウンとしての住民感情・施策などで徐々に風俗業も衰退していったのでした。
そして現在エルザタワーなどに代表されるような環境の良い!!ベッドタウンとして変貌を遂げた川口市ですが、その中でも歴史、伝統ともに誇れるものが唯一「安行の植木」となってしまったように思えます。

今回はそんな植木の町安行を散策するのですが、30年も在住していながら安行へは、通りすがりはあるにしても目的を持って訪れたことは皆無です。まあ、10代から20代で植木に趣味を持っている人は、まあ、余り聞いたこともないでしょうし…。
安行との些細な接点といえば、中学生の時の担任教師の実家が安行の植木業をされていて、卒業式に生徒一人ひとりに梅の苗木をいただいたような記憶があります。最も現在では実家もないので、当然梅の木もなくなっていますが…。
特に川口市の南部で育ったこともあり、唯一グリーンセンターに何度か行ったことくらいの経験しかないので、今回が初めての散策といっても良いでしょう。
ある意味では懐かしさも一杯ながら、興味津々といったところです。
今回は4月16、17日の土日の2日間をかけてじっくり散策してみようという力の入れようです。実に楽しみな散策です。

map川口市オフィシャルサイト】http://www.city.kawaguchi.lg.jp/

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