安行散策 #3

身近な場所に、このような遺構があったとは川口在住30年でも知りませんでした。
学生の頃から歴史は好きでしたが、どうしても郷土史的なものまでは興味は湧きませんでしたから知る芳もなかったのですが、この機会に郷土史的な歴史にも触れられるとは、実に貴重な散策です。
次は徐々に現在の安行の植木の中心となる周辺を散策します。

埼玉県花と緑の振興センター

「赤山城趾」のあとは、「埼玉県花と緑の振興センター」に向います。

埼玉県花と緑の振興センター 県道103号線沿いにあるセンターまではものの10分程度で到着です。

埼玉県花と緑の振興センター
所在地:川口市安行
当センターは、現在地に昭和27年に設置された「植物見本園」を前身として、昭和57年に植物検査所を合併して「植物振興センター」となり、本県特産の花・植木・果樹苗木の生産振興を図るため、生産出荷技術並びに環境緑化の指導に加え、時代の要求に応じた情報提供などのサービス向上を目指して、平成15年に「花と緑の振興センター」となりました。
敷地面積は約2.3ヘクタールの中に本館建物と植木を中心とした600種2000品種にのぼる植物を展示しています。主なものは、ツツジ類、ツバキ、ウメ、カエデなど多くの品種を収集し植栽展示している他、コニファー類、花木類などの新しい品種も展示しています。
また、花・植木などの生産者等を対象とした各種の研修や、県民だれでも参加できる講座を行っているほか、植物やその栽培管理などに関する相談や情報提供も行っています。
見学時間は、4月から9月までは午前9時から、4時30分まで、10月から3月までは午前9時から午後4時まで、休園日は12月29日から、翌年1月3日までです。 平成15年4月 埼玉県
(現地案内板説明文より)

60年近くの歴史を持つセンターですが、全く存在を知りませんでしたね。
開園当初から公開されていたのですが、ついぞ私は存在を知りませんでした。

さくらそう祭り 入園してみると、エントランス付近でさくらそうの品種展示と販売が行われていました。

さくらそうは埼玉県の県花で、このセンターにはサクラソウの品種が380品種保存されているそうです。

さくらそう展示 さくらそう それ程たくさんの品種があるとは知りませんでしたが、ここでは16品種ほどが展示されています。
実物を見るのは初めてで、小さな花ですが表側がやや薄いピンクで裏側が濃いピンクというなかなかエレガントな花です。

サクラソウについて
サクラソウ;サクラソウ科サクラソウ属の多年草
自生地:サクラソウは小さな多年草で、日本では四国と沖縄を除いて各地に分布しています。関東以北では平地の原野に自生しており、埼玉県ではさいたま市の荒川河川敷の田島ヶ原に自生地があり、埼玉県の花にも指定されています。
特性:サクラソウは、春から夏にかけて生育し、夏から冬の間は根茎が地中で休眠します。自生地は陽当たりの良い湿地であることからもわかるように、寒さにはたいへん強いものの、暑さと乾燥には弱い性質があります。
園芸品種:サクラソウの園芸品種は江戸時代の早い時期から盛んに育種されました。江戸時代末期から明治時代への混乱と西洋化志向、また数回の戦争により、多くの品種が逸散しましたが、愛好家の方の尽力で現代に伝えられています。
現在約400品種が知られています。
栽培方法:鉢にはゴロ石を入れ、赤土:腐葉土(3:1)の用土を鉢の深さの半分程度まで入れます。その上に芽分けしたサクラソウの芽を並べ、2cmくらいの厚さの土をかけます。植え付けする芽は、前年の植木鉢から出して、芽をいためないように芽分けします。花が終わったら花がらを摘みとり、増し土(厚さ2cmくらい)と液肥をやりましょう。
(現地案内パンフレットより)

田島ヶ原の自生地は国の特別天然記念物ですので一度訪れてみたいとは思っていたのですが、中々機会がなく行きそびれていました。
今年もだめでしょうから来年は是非見たいものです。

さくらそう販売 展示の手前ではサクラソウが販売されています。

自宅で栽培する小さな可憐な花もまた癒されるかも知れません。

埼玉スタジアムピッチの芝 傍に鉢植えの芝が何気に置かれています。

これはケンタッキーブルーグラスとペレニアルライグラス、さらにトールフェスクという3種類の牧草を混ぜ合わせた埼玉スタジアム2002のピッチの芝だそうです。放置すると1m以上になるようで、高さ5cm程度に切りそろえると1年中緑の芝生としなるのだそうです。
色々考えられているものですね。

夫婦枝垂 中央には立派なウメの木が植えられています。

これは夫婦枝垂というウメで、昭和39年頃に埼玉県児玉郡神川町から穂木を頂き育て、夫婦の名は、1つの花から2つの実がなることから、あるいは2花ずつ並んで咲くことから、といわれているそうです。
原木は神川町の「石重寺の夫婦梅」として県指定文化財となっているようです。

ここからは園内を散策してみます。
一般の観賞用植物園や公園などと違い、あくまで実用としての植物園ですから構図よりはとにかく品種が多いことが当然ながら特徴でしょう。
なんと言っても2000種以上の植物を展示しているのですから。

花壇 園内 しかしながら一部ではこのように綺麗に整備されているところもあり、目で楽しむことも十分できそうです。

品種の多いことは眺めていれば理解できるのですが、季節がらサクラに注目してみました。

桜の木の苗 桜の木の苗 この温室をはじめとして、このあたり一体がサクラの展示されているエリアです。

現在ここには57品種があるそうです。
天城吉野・天の川・安行寒桜・嵐山・浅黄・梅護寺数珠掛桜・便殿・紅豊・大明・永源寺・普賢象・福禄寿・御衣黄・日暮・宝珠・一葉・伊豆吉野・十月桜・関山・河津寒桜・啓翁桜・小金井薄紅桜・小金井山桜・有明・松前花染衣・御車返・オカメ・思川・白雪・白妙・静匂・松月・修善寺寒桜・染井吉野・衣通姫・駿河台匂・類嵐・太白・椿寒桜・鬱金・薄墨・鷲の尾・八重紅大島・吉野枝垂・楊貴妃・陽光・寒緋桜・御殿場桜・千島桜・枝垂桜・八重紅枝垂・冬桜・プリンセス雅・丁子桜・蒲桜・武甲豆桜・江戸彼岸

参考:【埼玉県オフィシャルサイト】 埼玉県花と緑の振興センター・園内のサクラ http://www.pref.saitama.lg.jp/site/ennainosakura/sakura-hinsyu.html

幾つかピックアップしてみます。

ミヤビ 一番先に目に付いたかなりピンク色の濃いサクラは、「ミヤビ」というサクラです。

これは旧浦和市内のサクラほ場で鳩ヶ谷市内の業者が発見して命名したものだそうで、最初は「プリンセス雅」としたそうですが、後に「ミヤビ」と改められたそうです。勿論、雅子様イメージでしょうが、何か問題あったのでしょうかね。

武甲豆桜 こちらはすでに花は終わってしまったようですが、「武甲豆桜(ブコウマメザクラ)」という品種です。

マメザクラの地域変種で、秩父市の武甲山などの石灰岩地に生えているサクラで、ごく近い将来における絶滅の危険性が極めて高い種である絶滅危惧IA類(CR)に登録されているそうです。
このセンターに植えられているのも、下が石灰質になっているのでしょうかね。

日本のサクラは主に6群、10種に区分されているそうです。
◆ヤマザクラ群:ヤマザクラ種・オオヤマザクラ種・カスミザクラ種・オオシマザクラ種
◆マメザクラ群:マメザクラ種・タカネザクラ種
◆チョウジザクラ群:チョウジザクラ種
◆エドヒガン群:エドヒガン種
◆カンヒザクラ群:カンヒザクラ種
◆ミヤマザクラ群:ミヤマザクラ種

日本で一番ポピュラーなソメイヨシノは、元々エドヒガン群エドヒガン種のサクラと、ヤマザクラ群オオシマザクラ種のオオシマザクラを交配したサクラなので、エドヒガン群エドヒガン種となるのですが、人工交配の品種といわれていて、基本的にソメイヨシノは種子では増えることはなく、各地の樹はしべて人の手で接木などによって増やしたものなのだそうです。
もう少し早く来ればもっと多くの開花したサクラが見られたでしょう。
桜並木や千本桜などのお花見も楽しいものですが、こういった花見もまた面白いかもしれませんね。

最後に個人的に目に付いた花です。

ムラサキハナナ 白拍子 左が「ムラサキハナナ」で右が「白拍子」です。

単に前者は色の綺麗なこととネーミング、そして後者は偶々今「新・平家物語」を読んでいるので、という特別な意味もないチョイスでした。

このような施設は余り多くは無いと思いますので、近くの方は一度訪れても損は無い(常に損得で考える打算的なオッサンを改めなければと常々思っていいるのですが…)と思います。
種類が豊富なことから季節ごとに訪れても常に楽しむことができるでしょう、きっと。

興禅院

埼玉県花と緑の振興センターの後は、センターの近くにある「興禅院」を訪ねます。 センターの前の県道103号線を南下すると、歩いて2,3分で左手に参道となります。

興禅院参道 参道横に案内板があります。

川口市興禅院ふるさとの森 昭和57年3月16日指定
身近な緑が、姿を消しつつある中で、貴重な緑を私たちの手で守り、次代に伝えようと、この樹林が、「ふるさとの森」に指定されました。
興禅院は、天文15年(1546年)に建立された曹洞宗の寺院で東側の斜面林のふもとには、清浄な湧水があり、近くのほこらには、弁財天がまつられています。
林相としては、主に、スダジイ・ケヤキなどの樹木から構成されています。
埼玉県の植木生産の指導機関である「埼玉県植物振興センター」は、この森に隣接しています。
昭和58年3月 埼玉県
(現地案内板説明文より)

また、その隣には「安行八景「野鳥の森興禅院と振興センター」昭和62年4月18日選定 安行観光協会」と記載されている看板があります。
大別すると八景には2種類あり、8つの風景の組み合わせが瀟湘八景をなぞらえている場合と、知名度の高い名所を中心に選出した場合があり、安行八景の場合は間違いなく後者ということになるでしょう。
今回は安行の植木がテーマなので、安行八景を訪ねることは難しいでしょうが、幾つかは訪れることができるかもしれません。

興禅院山門 意外と長い参道を進むと趣のある山門です。

この山門までの参道沿いは秋になると曼珠沙華や紅葉で美しい光景を見ることができるようです。

興禅院石碑 山門脇には古そうな庚申塔も並んでいます。

枝垂桜と本堂 山門を抜けると正面に本堂があり、その手前に枝垂桜が文字通り花を添えています。

興禅院
興禅院は、曹洞宗の寺院で瑞龍山観音寺興禅院と号し、鳩ヶ谷市大字里の法性寺の末寺です。室町時代の天文15年(1546)の開創で、開山は助天当益大和尚(法性寺三世)といわれています。本尊は釈迦如来坐像で、『新編武蔵風土記稿』には恵心(源信)の作と記載されており、江戸時代の貞享4年(1687)に第六世住職心如椿牛大和尚の代に、旗本藤川氏によって寄進されたと伝えられています。
当寺は何度か被災しており、現在の本堂は大正9年(1920)に再建されました。境内には、関東郡代伊奈氏の重臣富田氏の墓所があります。また、鐘楼にはかっての富田氏寄進の梵鐘(二代目)が掛けられており、この鐘は音色が麗しく名鐘ととして親しまれていましたが、太平洋戦争時の供出の命により姿を消しました。現在の鐘は三代目の鐘となります。
寺域は安行八景に選ばれており、春は桜、秋に黄、赤、白色の彼岸花、紅葉、他にアジサイ、シャクナゲなど、様々な季節ごとの花が見所となっています。また、本堂左の墓地内のスダジイの大木には、元禄年間のお地蔵さまが根元に抱えられており、東側崖下の小さな泉には弁財天が祀られています。1月、5月、9月の9日に弁財天祭りが行われます。
川口市教育委員会
(現地案内板説明文より)

鐘楼 境内の右側にその鐘楼があります。残念ながら・・・の梵鐘ということです。

本堂 先ずは本堂で参拝を済ませます。
禅寺らしい質素な、といったところでしょうか。

本尊の釈迦如来坐像についても案内があります。

川口市指定有形文化財 彫刻 木造釈迦如来坐像 平成15年3月20日指定
この木造釈迦如来坐像は、江戸時代の貞享4年(1687)に相模国都築群神奈川領白根村(現横浜市都筑区)知行の旗本藤川甚右衛門重昌の供養のために、子息によって寄進されたものと考えられています。
檜材の寄木造りで、像高は82.6cm、膝張り68.4cmを測ります。彫眼、肉身部は金泥彩、衲衣部は錆地に黒漆で漆箔を施しています。螺髪は群青彩で、眉、髭、瞳は墨彩で描かれ、白目に白色顔料を入れ、鼻穴をかすかに抉っています。右腕は掌を正面に向け施無畏印を、左腕は膝上におき掌を上に与願印を結んでいます。
本像は、像内の材のやつれから、かって荒れた状態で放置された時期があったと推定され、数度の修理の跡が見られます。また、像内に納入口があることから像内に何か納められていた可能性が高いですが、既に失われてしまっています。定朝様の特徴を良く受け継いだ穏和な作風を見せながらも、形式化が進んでおり、細部に写実的な表現も認められるため、平安時代末の作と考えられます。
川口市教育委員会
(現地案内板説明文より)

実際に見ることはできませんが、元々は非常に彩色の美しい坐像がイメージされますが、かなり歴史をも感じさせるのでしょう。

参拝を済ませたことから、説明にある墓地に入ってみます。

冨田家の墓 墓地内を進むと先ほどの富田氏の墓所があります。

中興開基 冨田家の墓
川口市大字安行領家403番地
この冨田家の墓地には、3代吉右衛門資乗(右金吾)夫婦など合計16基の墓石が現存している。ほかに、東京都東村山市に宝篋印塔2基と、同文京区小日向1丁目、曹洞宗慈照山日輪寺の3ヶ所であるが、日輪寺には故あって現存していない。
冨田氏の出自を墓誌に温ると、遠祖は道臣命大伴氏の枝葉で往古は近江国(現滋賀県)甲賀群に住んでいたという。天正18年(1590)に徳川家康が江戸に打ち入ると、初代吉右衛門尉は伊奈備前守に従って武蔵にまいり、主君伊奈氏の進める諸施策に力を尽くした。元和4年(1618)11月10日、幕府より多摩郡山口領廻り田村(現東村山市)において200石の知行地を賜り、同所に陣屋(面積8反6畝廿歩)を構えていた。
二代助左衛門尉資冶も、父と共に河川の改修や新田開発などに奉行(現場指揮)し大いに活躍した。就中、元和7年(1621)古河領中田(現古河市)と川妻村境目川口(渡良瀬川川口合流点)より水海沼まで新田開発に奉行し、横七間の新川を完成させたことは今日の史記にも伝えられている。
寛延6年(1629)関東郡代伊奈半十郎忠治が赤山城を構えると冨田氏は二の丸に屋敷をもち、さらに何時の頃か曲輪に移った。3代吉右衛門尉資乗は、当山の大檀那として寺門の興隆に尽力されて、中興開基となっている。その夫人雲照院は、寛文10年(1670)に梵鐘1口を寄進され、7代吉右衛門尉資周は、亨保12年(1727)に前記梵鐘を再鋳して鐘楼と共に寄進されている。
冨田氏は伊奈氏の御付家老といわれ、諸般の任務に活躍したが、寛政4年(1792)伊奈氏が改易されると、知行地は削られ、秩父郡太田村(現吉田町)に移された。のち明治20年代より宗門から離れ香煙絶えて久しいが、当山として、且の重恩に報いるため、墓域を末永く保存し、菩提供養に努めている。
平成8年7月吉日 瑞龍山興禅院
(現地案内板説明文より)

なかなか歴史的にはクローズアップされない人でしょうが、やはり赤山城址の川口市ならではといえる歴史を知ることができます。

東村山市にある宝篋印塔は現在市指定の文化財となっていて、当時の陣屋の北にある小町家の墓地にの残されているようです。

東村山市にある宝篋印塔 《写真:(C)東村山市(オフィシャルサイトより)》

地蔵を抱いたスダジイ その墓石の近くに「地蔵を抱いたスダジイ」があります。

ありがちな地蔵像ですが、ここまでになる年月を考えると自然の脅威を思わせられます。

「ちい散歩」張り紙 これで「興禅院」の参詣を終わりにして裏手の「ふるさとの森」へ向いますが、やはりこういったものがありました。

「「ちい散歩」の雑木林(徒歩2分)」の張り紙です。以前、ロケがあったのでしょうね。
約1年前の2010年5月24日にオンエアされたようです。
そのときのルートは、安行戸塚駅から大起園という植木店で職人に出会い、ミート本宮でコロッケを食しています。そこから安行出羽緑道を通って興禅院を訪ね、木に抱かれたお地蔵さんに感激とあります。ふるさとの森を散策した後、花と緑の振興センターを訪れて終了となっているようです。
意外と「ちい散歩」は川口に来訪しているらしく、今年2011年2月1日の放送では川口市飯塚を中心に散歩しているようです。

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コメント

  1. カムイ | OtYh42bo

    初めまして

    ネットで地元記事を見ててたどり着きました。僕は今年で川口在住27年になる者です。一つ気になったので書かせていただきます。見本園(花と緑の振興センター)は開園当初(見本園時代)から一般解放されていますよ?

    ( 01:22 [Edit] )

  2. 薄荷脳70 | z3DJMOlI

    Re: 初めまして

    サイトに訪れていただきありがとうございます。
    埼玉県のオフィシャルサイトにも確かに見本園時代から解放されているとありました。
    修正すると共に、貴重なご指摘に御礼致します。
    今後ともよろしくお願いいたします。

    ( 05:53 [Edit] )

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