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安行散策 #5

「ふるさとの森」を巡ったあとは、休憩も兼ねて安行植木の中心地である施設に向います。
植木の安行をアピールするランドマークです。

樹里安

イチリンソウ自生地からは車で5分ほどで樹里安に到着です。

樹里安 川口緑化センター 巨大なガラス張りの建物が印象的ですが、正式には「川口緑化センター樹里安」です。

それとともに道の駅川口あんぎょうでもあるのです。
一般的に道の駅は敷地内に、それぞれ各地の特色を生かした資料館や産直店、そしてレストランなどが点在しているのですが、ここは緑化センターと道の駅が同化しているような、ちょっと趣の違った道の駅です。
そもそもは安行が植木・花・造園産業が栄えていることから、緑化産業のための情報拠点施設として建設されたもので、花や緑に関する展示会や各種イベントの開催、情報の提供などを行っているようです。

館内の販売コーナー 早速、入館してみるとガラス張りの建物の中には植木や花などをはじめとして園芸用品などが販売されています。

こちらでも様々なイベントが企画されていたようですが、震災のため中止となっているようです。

端午の節句ディスプレイ それでも、一画にはこのような端午の節句のディスプレイなどあり、多少の華やいだ雰囲気は許されるでしょう。

安行原の蛇造りのレプリカ 1階から2階に上がる階段の横には、何やらモニュメントのようなものが展示されています。

藁で造られた巨大な蛇で、「安行原の蛇造り」という無形文化財だそうです。
時間が有れば後で行ってみることにしましょう。

ここで1階の休憩ラウンジで休憩を取ります。
この日は天気も良く、気温もかなり上がっていることから樹里安の名物であるらしいアイスクリームを食してみました。

樹里安アイス 冷蔵ケースには「川口・安行 樹里安アイス」として川口産の安行寒桜・柚子・山椒の3種類のオリジナルフレーバーがあります。

樹里安アイス・安行桜フレーバー 季節がら安行寒桜をいただきました。

確かにほんのり桜の香りが春らしい風情を醸し出すアイスクリームです。味も濃く、結構美味です。他のフレーバー、特に山椒は食べてみたいもので

す。

展示室 展示室 2階に上がるとレストランがあり、ロビーは安行に関する資料展示コーナーとなっています。

節電ですから仕方ありませんが、何となく照明のない展示会場は、放課後の学校と同じように何か不気味な感じを受けるのは私だけでしょうか。
何となく落ち着かないので早々に立ち去ってしまいました。

3.4階は事務室、会議室等に利用されているので、5階の最上階に行ってみました。

屋上庭園 5階はラウンジになっていて、半分ほどが屋上庭園になっていました。

屋上庭園について
■屋上庭園
屋上庭園の起源は古代オリエントの時代に平坦な屋根をもった建築物が作られてから発生をみたものであります。ゴシック式に似た円柱に支えられたテラス状の上面に土を入れ、給水施設をおき、樹木を植栽したもので、その形状からハンギングガーデンと呼ばれています。
屋上という特殊な空間に植栽することによって「ヒートアイランド現象」や「砂漠化」などの都市環境の悪化を緩和しアメニティを高めていくことが期待されますが、屋上という特殊な空間だけに植物の育成に下記のような環境条件が必要であります。
1.水条件:降雨を直接受けるので条件的には良いが土壌の厚さにより変化するので土壌の厚さが不十分な場合は灌水施設が必要となる。
2.光条件:日陰を好む植物には光が強いので植物の選定に注意する。
3.土壌条件:建物の耐荷重と土壌の厚さが一番問題であり軽量な改良土壌や人工土壌を用いるのが一般的です。

■屋上庭園の目的と効果
1.空間を有効利用する
2.都市の自然を回復する
3.眺めがよく周囲の景観を楽しめる
4.周囲のビルに対しては視覚的な楽しみを与える
5.屋上の断熱効果
6.都市気象の改善、汚染の浄化
川口市
(現地案内板説明文より)

さすがに緑化センターだけのことはあって、屋上にも凝った造作がされていますね。

最近は結構屋上庭園というのを見かけるケースが多いのですが、意外と知らなかったのが軽量な土があることでした。
様々な企業から販売されているようですが、ここでは自宅のすぐ近くに総合研究所のあるなじみの企業を紹介しておきます。
灯台下暗しとはこのことでしょうか。

参考:【三井金属鉱業株式会社パーライト事業部】http://www.mitsui-kinzoku.co.jp/project/perlite/aboutperlite/index.html

樹里安からの眺望 フロアの反対側からは眺望が開けています。

樹里安の前に変わった形の大きな建物があるので、行きがけの駄賃とばかりに寄ってみる事にします。

川口市営植物取引センター

川口市営植物取引センター 樹里安を出て道路に向かいにある施設は「川口市営植物取引センター」だそうで、正門の横には「農産物直売所」「植木直売所」と書かれた看板が掲出されています。

この「川口市営植物取引センター」は、約15,000平方メートルの敷地内に屋内売場、屋外取引場、卸売事務所などの施設があり、せりを中心とした植木の流通拠点としての役割を担っている施設だそうです。

日本庭園 正門を入ったすぐ左側が日本庭園になっています。

滝の流れを中心として75種類の植物を植栽した廻遊式自然風の庭園だそうです。
ポンプで循環させているのでしょうから、やはりここでも節電等の影響から滝は止められているようです。
それでも植木の安行らしく植木満載といった日本庭園です。

セリ取引場 日本庭園を先に進むと左手に樹里安から見えた巨大な建造物がありました。

セリ取引場 セリ取引場 これがセリ取引場のようです。
入口付近には「次回のセリは4月19日(火)です」と記載された貼紙があり、中には一塊の植木が置かれていました。

一般の人はここからは立ち入り禁止のようですが、なんとなくワクワクするような雰囲気が漂っています。
このセリ取引場は川口市が行なっているのではなく、安行植物取引所という企業がセリの実施、植木等の卸売、そして造園材料などの卸売をしているそうです。
因みにセリに買受人として、または荷主(売主)として参加するには登録が必要なようです。
新規登録するには契約書・住民票・印鑑証明書の必要書類を用意し、登録料30,000円で3年間の登録ができ、登録完了後、買受人番号と帽子が支給されるそうです。例のセリでよく見かける番号のついたキャップですね。
また、この会場で定期的なセリに参加できない遠方の人には臨時登録というシステムがあり、必要書類と預り金10万円で登録できるそうです。流石に全国区のなせる業なのでしょうかね。

植木直売所 セリ取引場の先には、一般の方も購入できる植木直売所があります。

ここには川口市内の42の植木生産者が直接出店しているそうで、植木の数も豊富でじっくり見比べて購入できるところが特色のようです。

植木直売所 中にはブルーベリーでもこんなネーミングのものもあるようです。

「はやばや星」「おおつぶ星」「あまつぶ星」など見るだけでも結構楽しいものです。

植木直売所 植木直売所 植木直売所 また、このような花木と植木が一緒に販売されているところも余りないでしょう。

さすがに安行らしい施設で、見て歩くだけでも十分楽しめるセンターでした。

金剛寺

「川口緑化センター 樹里安」と「川口市営植物取引センター」という植木の安行のシンボルともいえるランドマークを訪ねたあとは、やはり安行散策には欠くべかざる処に向います。
「川口市営植物取引センター」からほぼ西の方向に車で10分程度進んだ先にある「金剛寺」です。

金剛寺 一直線に伸びた参道が境内の広さを窺わせます。

参道の両脇の植木も見事に見えてくるのは、安行という地にあるが故でしょうか。

金剛寺経塚 参道を暫く進むとちょうど中間地点に何やら生垣で区切られた一画があります。

金剛寺の経塚
当経塚は金剛寺の縁起にまつわる遺構である。当寺開山節庵良いん禅師と開基中田安斉入道安行との逸話と経塚造築のいきさつは、当遺構の前に立てられている「経塚」銘の石碑に詳しく記されている。
これを読むと、当経塚は末法思想に基づいて造られた一般的な事例とは異なり、非常に特異な由来を持つものであることがわかる。特に当寺の縁起と深い結びつきを有することは、川口市にとって非常に数の少ない中世の文化を今に伝える貴重な文化財といえよう。
当経塚は、平成4年10月から平成5年3月にかけて川口市教育委員会により発掘が実施され、形状や構造が詳しく調査された。その結果、下のプレートに示すように、他に類例を見ない特異な形態を有する経塚であることが判明した。
尚、平成6年8月、川口市指定文化財(種別:記念物、種類:史跡)に指定された。

経塚とは
仏教には正・像・末の三時(法)という教法変遷の考え方がある。正法とは、仏の教法によって修業し、証果を得る者がある期間を称し、教法が修行者があっても証果のない期間を像法といい、教法のみがあって戒学行証のない期間を末法と称する。このような考え方に基づいて、末法に生きる者は後世弥勒菩薩の再現を願って経文を書写し、供養して、地中に埋納したものを一般に経塚と称している。
したがって経塚を築造する基調は末法の到来による弥勒信仰であるが、別に正法護持や極楽往生、法界平等利益のために築造することも多くあった。また時代が降るに従って冥福祈願や追善供養のために築かれることも行われた。このようにして経塚の築造は、平安時代に始まり以降、鎌倉・室町時代に盛行し江戸時代まで続いた。我が国で最も古い経塚は、平安時代一条天皇の寛弘4年(1007)8月、藤原道長が大和国(奈良県)吉野金峯山に造立したものや、後一条天皇の長元4年(1031)8月銘の近江国(滋賀県)比叡山横川の「妙法経筒記」などが有名である。
経塚の構造は、外形上小規模な円丘のあるもの、あるいは碑・五輪塔・宝篋印塔などの造立されているものもある。経文は通常、板石や銅・鉄・陶製の容器に入れられ、埋納されている。また、一字一石経・貝殻経・柿経という特殊な方法で埋経されることもある。

経塚の形態と寸法(推定)
左の図は発掘調査の結果明らかになった経塚の形状である。主体部は塚のほぼ中央部に地表を穿って設けられていた。中には背面に碑文が刻まれ、首を打ち欠かれた地蔵尊が北向きに据えられ、足許にはその首とともに観音菩薩の首も埋納されていた。
また、その周囲には金剛般若経の経文を記した4,892個の一字一石経のほか、銅製の仏具片やガラス玉なども検出された。
この地蔵尊の背文には正徳2年(1712)当寺11世得水探玄和尚が建てた旨が記されている。このことは、「経塚」石碑の碑文とも一致する。
しかし、発掘調査においては中田氏によって築造された当初の遺構を確認することはできなかった。
これらの碑文によると、正徳年間11世得水探玄和尚のとき、開山節庵良いん禅師に縁のある当経塚の荒廃している様をなげき、修復し、あらためて一字一石経などを埋納したとある。
(現地案内板説明文より)

経塚というものをはじめて知り、はじめて見ました。

金剛寺経塚案内板 案内板にあった経塚の形態と寸法図です。

一字一石経 説明文にある一字一石経というのがこちらです。
《写真:(C)万座温泉日進館》

文字通り一つの石に一字づつ書き込んだものなのですね。

金剛寺経塚 こんもりした小さな古墳といったところでしょうか。

金剛寺経塚 金剛寺経塚 経塚の左手前にあるのが「経塚」銘の石碑です。
また右手前には仏塔や庚申塔でしょうか2基祀られています。

それにしてもその特異な由来とは一体何なのか、金剛寺の由緒から読み解いてみます。

金剛寺
当山は曹洞宗に属し、山号を富雙山と称し、入間郡越生町龍穏寺(関三刹)の末寺である。室町時代の中頃、明応5年(1496)に、当時この地方を支配していた豪族中田安斎入道安行(やすゆき)により開創された。この人物の名が、当地「あんぎょう」の地名の由来になったと伝えられている。
縁起によると、当時戦乱の世にて中田氏自身も多くの人々を殺傷し、その罪業に毎夜苦しんでいた。たまたま当地を行脚していた禅僧に出会い、その教えに従って吉岡の地に草庵を結び、金剛般若経をよりどころとして供養し、その苦しみから救われたという。
この縁により仏門に帰依し、この地に伽藍を造営し、その禅僧(龍穏寺7世節庵良いん禅師)を開山とし、自らは開基となり、寺名は金剛経に求め金剛寺として開創した。江戸時代に至ると、寛永19年(1642)3代将軍家光により御朱印十石を賜わり、門派は十数ヶ寺に及んだ。
堂宇は戦後縮小改築されたが、山門は約400年前に構築されたもので、桃山様式を取り入れた四足門で、市内最古の棟門である。また、墓地には県指定旧跡『安行苗木開発の祖 吉田権之丞の墓』がある。約200年前に当山19世海牛禅師により始められた灸施療は有名で、現在も『お灸の金剛寺』として広く人々に親しまれている。
(現地案内板説明文より)

経塚造築の由来は、一般的には信仰的な教えから発生するもののようですが、この経塚は個人の罪滅ぼしから造られたものであるということが珍しい由来ということなのでしょう。
そして安行という地名由来であることと、更に安行植木の始まりに縁が深いということから、この「金剛寺」は安行でははずせない重要なランドマークと言えるのですね。

参道を先に進むと突き当たりに由緒にあった「山門」があります。

金剛寺山門 茅葺の時代を感じさせる趣のある山門です。

川口市指定有形文化財 建造物 金剛寺山門 平成13年3月21日指定
この山門は、木鼻の絵様、形式、手法などから江戸時代初期の建立と考えられます。門柱の前後に控柱を2本ずつ、左右あわせて4本立てた典型的な一間一戸の「四脚門」です。屋根は切妻造りの茅葺、基壇上の自然玉石に円柱を配し、控柱は方柱、斗は簡略化されていますが、反りのある化粧垂木、絵様付き実肘木、木鼻等の渦文は古式のもので、天井は鏡天井です。棟飾りは九条の棟押さえと側面2本ずつの押さえで、地域的な特色が見られます。
山門の桁行は3.030m(10尺)、梁間は3.333m(11尺)、棟高は6.666m(22尺)、面積10.09平方メートル(3.056坪)を測ります。また、元は組みもの部分が朱色、他は黒色の彩色が施されていたことから「金剛寺の黒門」と呼ばれていました。
大正12年(1923)に発生した関東大震災の後、垂木を2本取り替える修理を行い、その後、本堂の修理の際に左右の袖を取り外して現在の姿になっています。川口市教育委員会
(現地案内板説明文より)

細かな技術的なことはよくわかりませんが、歴史ある建造物というものはいつまで見ていても飽きないものですね。
それが歴史の持つ醍醐味かもしれません。

金剛寺 山門の右側には見たような看板があります。
「安行八景「植木の開祖金剛寺」昭和62年4月18日選定 安行観光協会」 とあります。

興禅院に続いて2つ目の八景です。まあ、安行由来のランドマークですから八景に選ばれるのももっともなことです。

植木の開祖 吉田権之承翁記念碑 境内の左側には大きな石碑が立てられています。

石碑には「植木の開祖 吉田権之承翁記念碑 川口市長 岡村幸四郎 書」と刻まれています。
これは吉田翁没後300年の2002年に記念事業の一つとして建立されたものだそうです。文字通り安行の開祖といっても過言ではないかもしれないでしょう。
墓地には墓があるとのことなので、後で詣でてみようと思います。

金剛寺のキャラボク 石碑の右隣には美しい形状の樹木があります。

川口市の保存樹木であるキャラボクだそうです。

川口市保存樹木を訪ねて 金剛寺のキャラボク
・・・左側に目を移すと四つ目垣の向こうに、やや高植えで、いかにも大舞台で見栄を切って存在感を主張してるがごとき、お目当てのキャラボクに会える。案内看板には、指定15号、キャラボク(イチイ科)、指定昭和51年2月20日と明記してある。
ご住職のお話によると、元は本堂の脇に有ったとのこと。昭和30年、本堂改修の時に現在の場所に植え替えられたとのこと。お寺の歴史と共に歩んできたであろうこのキャラボクは、樹齢400、500年と言い伝えられる。ご住職の幼い頃から、大きさは変わっていない。老木である。お許しを得て、キャラボクの懐に入ってみる。春のキラキラ輝く外気からは想像だにもし得なかったほどに内部は、薄暗く深閑としていた。下枝は地を這わんばかりにゆったりとしている。地際の幹の太さは約1.6m、目通り約80cm、高さ約3.5m、枝巾約7m。太い枝が何本も天に向かって、その先は丹精に手入れされた大作りの椀状の流し枝。葉が美しい。新緑の頃は、華やかさがひときは増すであろう。これほど大きなキャラボクであっては、移植もさぞや難儀ではなかったか。山門をくぐりぬけることは出来ず、その脇を壊して移動したとのこと。古木であればなおのこと移植は難しい。安行の技術の高さを見るおもいである。(中略)
[性質] おおむね強健であるが、生長は極めて緩やかである。陰樹であるが、日当たりよい場所でも生育は悪くない。肥沃な壌土を好むが、比較的土壌に対する適応性はある。萌芽力強く、刈り込みにもよく耐える。5月の新緑は非常に美しい。
[用途] 自然樹形(通常は、直立せずに斜上することが多い。)としてよりも、刈り込みを行い、玉物、流枝物など、いろいろな形に仕立てられて広く使われている。庭園用として使われることが多く、大物は真木(庭の中心木)に、株物は根締め物や石付きなどとして使われる。公園樹としても、株物を芝生、水辺、路傍などに用いるのにもよいものである。生育が遅いが、萌芽力があり、特に葉が密生するので、刈り込んで好みの形を作ることが容易である。トピアリーとして好ましい材料である。
(「樹里安だより」より抜粋)

このあたりも植木の安行の名を辱めない樹木といったところでしょう。

本来なら最初に本堂を参詣するのが筋でしょうが、今回は先に吉田権之丞翁の墓所を訪ねます。

吉田権之承の墓 こちらがその墓所です。

埼玉県指定旧跡 安行苗木開発の祖 吉田権之承の墓 昭和38年8月27日指定
広く名がよく知られている安行の植木は、江戸時代初期、吉田権之承によって始められたと言われています。
権之承は、安行村の名主役でよく村治に努めました。また若い時から草花や盆栽に興味を持ち、珍しい草木を集めては栽培していたといいます。 そして明暦年間(1655から57)の江戸大火の後、苗木や草花等を江戸に送ったところ人々に喜ばれたことから、付近の者も見習い苗木をつくり始め、今日の苗木産地としての隆盛をみるに至りました。いつしか権之承は、世間から「花屋」と尊称されるようになり、今でも子孫の吉田家は、「花屋」の屋号を代々継いでいます。
権之承の墓は、小松石で作られた舟形で、棹石の高さは67.5cm、中央に観音立像が浮き彫りされ、向かって左側に「元禄十六年葵未年七月朔日」、右側に法名の「蔭清禅定門」が刻まれています。
川口市教区委員会
(現地案内板説明文より)

吉田権之承の生まれについては、寛永12年(1635年)に附島村(旧浦和市)の吉田家に生まれたという説と、安行村の吉田家に誕生したという二説があるそうですが、附島村の吉田家は安行村の吉田家の本家ともいわれていることから、権之丞はこの附島の吉田家に生まれ、分家した先が安行の吉田家であったのではないかと考えられているようです。
明暦年間の江戸大火とは歴史上においては通称「振袖火事」と言われている大火で、湯島から神田周辺を経て八丁堀・石川島に及び、翌日の残り火で再び出火し小石川一帯、江戸城本丸、二の丸、三の丸をも焼きつくし、死者107,046人という大惨事だったのです。
その中で大惨事からの復興の兆しが見え始めた頃、権之承は江戸復興のために駒込周辺に緑を植えに行ったそうです。今で言えばボランティア活動でしょう。

何故、権之承がこのような行動を起こしたかといえば、嘗て江戸大久保の盆栽商や駒込の植木屋に技術を学んだ御礼と言うべきことかもしれません。
実際に江戸で学んだ植木の技術を安行に持ち帰り、曲げ物技術といわれる盆栽仕立てを始め、繁殖法である挿し木、挿し穂といった技術を権之承は安行にもたらしたのです。特にサツキ、ツツジといった種類の花卉を栽培する優れた技術をもっていたことから花屋と呼ばれたようで、権之丞の市場開発と庭木、苗木の生産が、植木栽培地として安行を開拓したといっても過言ではないようです。
このようなことからの行動だったようです。

吉田権之承の墓 向かって左側が権之丞の墓石で、右側が奥さんの墓石だそうです。

現在の安行の植木の隆盛をどんな思いで見つめているのでしょうか。

金剛寺本堂 最後になってしまいましたが、本堂に参拝にあがります。

室町時代の創建である金剛寺はまさに古刹といってもよい寺院ですが、本堂は比較的新しそうなので大変綺麗な本堂です。

金剛寺鐘楼 金剛寺 お灸施術場 本堂の右手に鐘楼と比較的大きな建物があります。

この建物がお灸施術場で、200年の歴史をもつ「お灸の金剛寺」のメイン施設です。
どのような施術が受けられるのかは分りませんが、コミュニケーションの場としても賑わっているのではないでしょうかね。
1回1,000円が高いか、安いかは分りませんが、お灸を受けること自体珍しい世の中ですから、ある意味非常に貴重な施設なのかも知れません。

流石に室町時代からの歴史を持つ古刹ですが、それ以上に安行にはなくてはならない名刹ともいえるでしょう。

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