花のある道 #2

妙玖寺の後はやはり車で5分程度の「秋葉神社」に向かいます。
現在でも秋葉通りと命名されていて、昔も今も「あきばみち」はある意味一つのシンボルなのかもしれません。

秋葉神社

秋葉神社 神楽殿 鳥居を抜けると正面に拝殿があり、鳥居のすぐ左手には神楽殿があります。

由緒
当秋葉神社は、社伝によれば元駿州に飽波神社と云われて鎮座し後に遠州に移されその後当所に遷座されたと伝えられ、45代聖武天皇の天平年中に創建されております。その後徳川の世には山ノ内一唯公に守護神として篤く崇敬され社殿が改築されました。
また、紀州徳川家御祈願所となる等、火災・盗難防護、延命長寿、家内安全の霊神として関東一円より多くの方々に崇敬尊信され、春秋の例大祭には各地より多くの崇敬の方々が参拝に来られます。

御祭神
主祭神:火之迦具土大神 他12柱の神様をお祀りしています。
主な祭典
春季例祭:4月18日 秋季例祭:12月18日 歳旦祭:1月1日 合祀祭:4月3日 祇園祭:7月15日
(現地案内板説明文より)

創建は天平年間ですから約1200年の歴史を持つ神社ということになります。先の妙玖寺の約2倍の歴史です。
この秋葉神社の北西に陣屋があったそうなので、山内家の崇敬も確かに篤かったのでしょうが、4代で直轄地となったため痛手は大きかったかも知れません。しかし、元々それ以前から多く氏子を持っていたようなので大きな影響はなかったのでしょう。
直轄地となった後、元文4(1739)年、紀伊和歌山藩主徳川宗真が鷹狩の途中当社に立ち寄ったことから紀州徳川家御祈願所となったそうです。

秋葉神社は現在神社本庁傘下だけでも約800社あるといわれ、その起源となった神社は静岡県浜松市の秋葉山本宮秋葉神社です。
この本宮の創建が709(和銅2)年ということなので、こちらは約1300年の歴史をもち、100年遅れてこの秋葉神社が創建されたということになります。
その長い歴史のなかでも特に徳川綱吉の治世の頃(1646から1709)に「火防の神」として爆発的な信仰を集め、秋葉大権現という名称が定着したのです。そして度重なる大火に見舞われた江戸周辺には数多くの秋葉講が結成されるようになったそうです。

当時この秋葉神社の周辺には刀鍛冶屋・桶屋の遠藤家があり大変栄えていたようで、神社のお参り信者のための宿、食事処、遊郭、駕篭などがあったそうです。
因みにこの遠藤氏を調べてみました。

同郡中釘村(大宮市) 秋葉社文政四年水鉢に遠藤伊右衛門・遠藤甚蔵・遠藤平次郎・遠藤由蔵、天保十二年庚申塔に遠藤仙六、弘化四年庚申塔に遠藤重蔵・遠藤八左衛門、明治四十三年碑に遠藤太吉・遠藤吉之助。指扇村八雲社嘉永六年御神燈に中釘村遠藤重兵衛・遠藤重蔵。明治九年戸長遠藤重蔵・天保十三年生、副戸長遠藤善右衛門・文政六年生、副戸長遠藤吉十郎・文政七年生。明治二十一年皇国武術英名録に天自流遠藤重蔵。明治二十九年地租二百五十円以上大地主名簿に指扇村遠藤重蔵あり。
(埼玉苗字辞典より)

というようにこの周辺では遠藤家は名家だったようですが、現在でもその遠藤家が存続しているかどうかは判りません。

社殿 拝殿で参拝を済ませます。

本殿は八ツ棟・三手先造りで、その四面は優美な彫刻で飾られているそうですが、現在は周囲を覆われていて見ることはできませんでした。

それにしても拝殿・弊殿と同じくらいの大きさの本殿というのも初めて見ました。
是非その全容を見たいものです。

社叢 境内の左側は大きな樹木に覆われており、そのうちの1本が保存樹木のアラカシだそうで秋葉神社のご神木のようです。

その横に案内板があります。

大宮市指定無形民俗文化財 秋葉ささら獅子舞 指定 昭和33年5月15日
祭礼 7月15日
五穀豊穣・悪疫退散を祈願して、秋葉神社と三尺坊(永昌寺内)の2ヶ所で奉納されます。この獅子舞は、秋葉三尺坊の修験者が村民に伝えたのが始まりと言われています。
竹を細く割ったものと、竹を刻んで歯をつけたものをこすり合わせて鳴らす楽器ささらを使うので、「ささら獅子舞」の名があります。
竹を四本立て注連縄を張り、四隅に花笠(ささらっ子)を配し、山の神の座す前で、三頭の獅子が勇壮に舞います。秋葉神社の蝉しぐれの中での初庭、道笛に合わせて三尺坊へ向う道行、夜になってうす暗がりに中で行われる三尺坊での後庭と、夜遅くまで祭りが続きます。
平成4年3月 大宮市教育委員会
(現地案内板説明文より)

三尺坊とは信濃国戸隠(現在の長野県長野市)に生まれた実在の人物といわれ、宝亀9(778)年、母親が観音を念じて生まれた神童といわれています。やがて三尺坊は越後の栃尾で修行を続けていたある日、修行の成果で自らが天狗となり一匹の白狐にまたがって遠州秋葉山に飛来し、その地が現在の静岡県浜松市の秋葉寺だったのです。
その秋葉寺の三尺坊権現がこの地に祀られたのは、名僧了庵禅師が諸国行脚の途中ここに阿弥陀堂を建立し、その際遠州秋葉寺から三尺坊権現を境内に勧進した天授4(1378)年なのです。
こうして秋葉三尺坊権現として崇敬を集めていたのですが、明治の神仏分離令で阿弥陀堂は永昌寺に移されたため三尺坊権現は現在永昌寺内に祀られているという事となったようです。

説明にもある通り秋葉三尺坊の修験者が村民に秋葉ささら獅子舞を伝授したのが約400余年前だそうで、獅子頭を納める桐の長持には「二分二朱二百七拾五文・享和二年(1717年)」と記載されているそうなので、その頃には獅子舞が盛んに行われていいたと考えられています。
現在、その伝統が脈々と伝えられているのですが、このような理由でささら獅子舞は秋葉神社と永昌寺の2ヶ所で行なわれているのです。

江戸時代においては様々な災害の中で火災が一番恐れられたことから、庶民の間で秋葉講が爆発的に流行し秋葉詣も盛んに行われたようで、特にこの秋葉神社の周辺の上尾市、川越市等などには「あきばみち」と刻まれた庚申塔などを多く見かけることができのも当時の信仰の篤さの表れといえるでしょう。
「妙玖寺」と「秋葉神社」を散策して実に興味深い江戸の文化を知ることができました。

秋葉三尺坊大権現

折角「秋葉神社」で三尺坊のことを知り、ささら獅子舞の阿弥陀堂のある「永昌寺」を知ったのですから、後戻りとはなりますが「永昌寺」を訪れてみることにしました。
「永昌寺」は秋葉の森総合公園の近くのようです。

路地をくねくねと進むと「永昌寺」に到着です。

永昌寺 参道の両側に石碑があります。

左側の石碑は秋葉三尺坊大権現と刻まれており、右の石碑は三尺坊大門敷石寄附連名記と刻まれています。

永昌寺参道 参道を進むと右側に社があり、参道は左側の赤い塀に囲まれた境内の方に続いています。

どうやらその右側にある社が阿弥陀堂のようです。

吉祥門 手前にある門は吉祥門の扁額がかけられています。妙に土台だけが新しいのでこの吉祥門も移築されたのでしょう。

正面が阿弥陀堂です。
阿弥陀堂 思っていたよりずっと大きな阿弥陀堂です。

梁や彫刻などはかなり歴史を重ねた重厚感が漂いますが、壁などは最新のサッシのようなので補修されたものなのでしょう。
勿論新しいものはそれはそれで十分価値あるものですが、できるだけ古いものを残すのも価値あることです。

秋葉三尺坊大権現 阿弥陀堂内には本尊の左右に天狗がまつられています。まさしく三尺坊そのものをイメージしたものでしょう。

石碑 参拝を済ませて戻ると、阿弥陀堂の右手に石碑があります。
三尺坊大士・・・と刻まれているので関連のある石碑でしょう。

祠 また更にその右側には石造の神橋と祠があります。

何を祀っているのか判りませんが、三尺坊に関連のあるものなのでしょうか。
今だ周辺の崇敬は篤いようです。

折角なので「永昌寺」を参詣します。

永昌寺巨木 特に保存樹木といったものではないのですが巨木が山門を覆っていて壮観な光景です。

永昌寺 山門 山門は枯れたような質素で実にしっとりした雰囲気です。

境内 参道脇には六地蔵やら地蔵尊、そして石碑など歴史ある石像が並んでいます。

由緒が判らないのが残念なところですが、秋葉三尺坊が移転されたことも考え合わせると、それなりの由緒をもった寺院なのでしょう。

本堂 本堂もいたってシンプルなつくりで、余計な装飾は一切排除したといった感があります。

本堂裏の巨木 本堂裏の巨木に絡まる藤 面白いのは本堂の裏にあるやはり巨木です。

隣の墓地と比べるとその大きさが理解できますが、それよりも興味を引かれるのがその木の上に絡んでいる藤の花です。

秋葉の森総合公園の近くの民家でも藤棚のない野生の・・・!?の藤を見ましたが、ここにもこのような大きな木の上に藤の花が自生しているのです。
全く手をつけずにいると、藤の蔓は絡められるところかまわずということでしょう。全く珍しい光景が見られました。
やはり今日は藤の花に縁のある日です。

境内の巨木 また、墓地内にも巨木があります。

このように巨木が多いのはやはり「永昌寺」の歴史が古いということの表れといっても良いかもしれません。

ここまではさいたま市西区のJR川越線の北部を散策してきましたが、この後は県道165線沿いを南下します。

青葉園

「永昌寺」から若干渋滞などもあり約30分くらいで今回の主目的である「青葉園」に到着です。
彼岸の時期なら大勢の参詣者が集まるのでしょうが、それでもこの日は結構参詣者の方が多くみえられているようで、意外と駐車場も混雑していました。

青葉園入口 「青葉園」正面入口に着くとすでに藤の花が見えています。

青葉園の藤 早速入園すると見事な藤の花が咲いています。

満開では無いようで若干早かったのでしょうか藤の花に色がまだ薄いようで、更に藤の蔓の先の方はまだ完全に開花していないようです。

青葉園の藤 青葉園の藤 それでもやはり県指定の天然記念物だけあって見事です。

埼玉県指定天然記念物 青葉園の藤  昭和28年(1953)3月指定
野田性の三尺藤に属し、花房は長く1、2メートルに達する。花は藤紫色で、4月末から5月の満開期は華麗な美しさである。
昭和初期に加茂宮、指扇前原、瓦葺等から集められ、東大成の藤園に三株あったものを大宮郵便局建設のため、昭和40年3月青葉園に移植した。
樹齢700年と推定される。
「華麗なる花房長し藤の花 老樹の幹は七百年経つ」 柳田敏司
(現地案内板説明文より)

瓦葺は上尾市ですが、他の2本も含めてどこにあったものか詳細は全く判りません。
確実に分ることは、藤棚に伸びている茎の根が3ヶ所あるということで、当然ながら間違いなく3本の藤が植えられていると言うことくらいです。
青葉園の藤の三本の茎 青葉園の藤の三本の茎 青葉園の藤の三本の茎

この藤は元々埼玉県から払い下げられた藤園の藤が旧大宮市に寄贈されたものだそうです。しかし、その土地に郵便局を建設するため伐採が検討されていたときに藤に移植申し入れをし3株の藤を2回にわけて移植したのだそうです。
一つ間違えばこの天然記念物も無かった事になるわけです。そういった意味では「青葉園」に感謝といたっところでしょうか。

この案内板でちょっと気になったのが柳田敏司氏の歌で、柳田敏司氏を調べても明確なプロフィールが分りませんでした。しかしながら乏しい情報の中で分ったことは、埼玉県の歴史、考古学、郷土史に関する著作・監修が多く、講演等も随分されている方のようです。更に集めた情報の中では元埼玉県文化財保護審議会会長とか、県史編さん室長といった肩書きが表れていので、埼玉県では著名な歴史家なのでしょう。

青葉園の藤 青葉園の藤 しばらく藤の花の美しさと共に芳しい香りを楽しみます。

今回の散策の主目的はこれで果してしまったのですが、折角なので園内を散策(…という言葉が相応しいかどうかは別として)してみます。

「青葉園」は公益を目的とする財団法人で、戦後日本に建設された最初の民営による公園墓地です。総面積15万平方メートル、22,000名以上の墓地があるそうです。
この公園墓地とは、基本的に緑地や広場などが整備されていて雰囲気が明るく遊歩道などが整備されているところもあり、お参りだけでなく散策やジョギングができるところもあるようです。
特に公園墓地のメリットは雰囲気が明るいということが第1に上げられるのですが、その他に購入者の資格制限や宗旨・宗派を問わないところにもあるようです。
その他の墓地形態としては、「公営墓地」「寺院墓地」「民営墓地」に分けられるそうです。それぞれ当然メリット・デメリットがあるわけですから選択肢は多いでしょう。

公園墓地 さすがに遊歩道にはなっていませんが、碁盤の目のように理路整然と区画されています。

各墓地内には植木が植えられているので、全体を俯瞰すると墓地というよりはまさしく公園的な風情となります。更に墓地らしさを消しているのはその墓石の形で、宗旨・宗派を問わないという意味もあるのかもしれませんが、いわゆる日本的な長細い長方体の墓石は無く、高さの低い墓石が使用されています。

公園墓地 これによりある角度から見ると植木に隠れて全く墓地とは思えない光景となるのです。

休憩所の藤 所々にはこのような燈籠や、別の藤棚の休憩所的なスペースも作られています。

彫刻と藤 また、同じ藤棚でもこのような円形の藤棚の下に彫刻などが置かれていて、ふと墓地であることを忘れてしまうような演出もあります。

奥に三重塔が見えるので行ってみることにします。

万霊追悼の三重塔と青葉神社本殿 手前に青銅製の鳥居があり、奥に三重塔と神殿があります。

三重塔は「万霊追悼の三重塔」というそうで、中世鎌倉時代様式の総檜造りで、高さは三重塔では日本一の約31mあるそうです。
非常に綺麗な朱色ですが、年月とともに枯れた味を醸し出してくるのでしょう。いつの日か文化財となる時がやってくるかもしれません。
但し、その様なすばらしい三重塔ではあるのですが、都市伝説ではないウンチクを語るには正確な情報を掴んでいなければなりません。一応調べた限りでは奈良の薬師寺東塔(三重塔)の高さは33,63mあるそうです。それで価値がなくなるわけではありませんが・・・。
隣の神殿は「青葉神社本殿」で、祭神は天照大神・山下奉文命だそうです。天照大神はともかくとして山下奉文は第二次世界大戦当時の陸軍大将で「マレーの虎」と勇名を馳せた軍人ですが、昭和20年9月フィリピンで降伏し同年12月マニラ軍事裁判で死刑判決を受け、翌21年2月死刑となったそうです。

軍神として祀った神社で有名なのが乃木希典陸軍大将を祀った乃木神社や東郷平八郎元帥海軍大将を祀った東郷神社などが有名で、 他に児玉源太郎陸軍大将の児玉神社、西郷従道海軍大将(西郷隆盛の弟)の西郷神社、広瀬武夫海軍中佐の広瀬神社、橘周太陸軍中佐の橘神社 などが挙げられるのですが、いずれも明治期の日清・日露戦争での軍神たちです。
太平洋戦争においては敗戦国ということもあり単独の軍人を祀った神社は私の調べた範囲では無いようです(あえて公表していないという理由があるかもしれません)。
そういった観点から言うと非常に珍しい神社といえるでしょう。ただ、山下大将と青葉園の関連が全く分らないのですが・・・。

ある意味気持ちの良い公園墓地ですが、やはりどのような気持ちをもってしても凛とした空気は張り詰めています。
やはりなんと言っても墓地なのですから。

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