さきたま火祭り#1

前述したようにこの日はイベントの前にさきたま古墳公園を散策する予定もあり古墳公園にはAM10:30頃到着しました。
しかしながら古墳公園の大きな駐車場はすでに満車状態でなので、ちょうど公園の裏手にあたる高源寺臨時駐車場に駐車し少しばかり歩くこととなりました。
夜、7時頃から始まるイベントですでに駐車場が満杯とは侮ってはいけないようです。

さきたま古墳公園点描

火祭り開催前にしばらく会場である古墳公園を散策します。
詳しい散策記は前述したようにジャンルAの【さきたま古墳群(再訪)】で記載する予定ですので、こちらではイベントに関連することのみを記述しています。

奥の山古墳 臨時駐車場から入園すると目の前に「奥の山古墳」があります。

古墳公園は丁度県道77号線によって南北に分断されるようなロケーションで、以前訪れたときには北側(今回の火祭りが行なわれる場所)しか散策しなかったので、南側の古墳ははじめてみる古墳などです。

ここから園内を北上すると、左手に「埼玉県立さきたま史跡の博物館」があり、ここには金錯銘鉄剣などの国宝が展示されています。

博物館を更に進むと右側に「はにわの館」があり、こちらでは埴輪や土器つくりが体験できるようです。
はにわ館 はにわ館 今日は特に火祭りとあって来場者も多いようなので、「はにわの里文化フェスティバル」と題して多くの人たちが古代文化に浸っているようです。

県道77号線 さかもと ここから先が県道77号線に分断された北側のエリアになります。
通りを隔てて食事処さかもとがあります。
以前訪れたときにここで休憩した覚えがあります。2年半ぶりですが何となく懐かしい感じです。

弁天池 屋台 ここからは以前訪れたとおり真直ぐ進んで左手のハス池を過ぎた辺りから以前は無かった屋台が見え始めます。
これは流石にこの日だけの光景ですが、イベントの華やかさを盛り上げる1つの風物詩といっても良いでしょう。

石田堤 屋台 丁度、史跡碑のあるところから先が、あの三成が忍城攻めの際の水攻めに使用した石田堤で、右側への道沿いにはズラッと屋台が並んでいて意外とそれが壮観だったりします。

丸墓山古墳 とりあえず石田堤を真直ぐ進みまずは直径105m、高さ約19mの円墳の「丸墓山古墳」を登ります。

古墳広場 「丸墓山古墳」の頂からは今回の「さきたま火祭り」の会場である芝生広場が見渡せます。
若干木の影になって全貌ははっきりしませんが、テントがコの字型に張り巡らされています。

産屋 そして中央付近にあるのが炎上する産屋なのでしょう。
ここからでもはっきり見えるので意外と大きいのでしょう。

稲荷山古墳 「丸墓山古墳」を下りて次に向かったのが前方後円墳である「稲荷山古墳」です。
ここも墳丘に上がることができますので登って見ます。

この古墳は埋葬施設が発見され、更にそこから金錯銘鉄剣などの国宝の数々が出土した古墳です。

稲荷山古墳墳頂 ここがその埋葬施設の部分です。
丁度後円部の頂になります。

ここから前方部を眺めるとこのような感じですが、前方部は復原されたものなので、元々の古墳は後円部だけが残っているということです。

将軍塚古墳 丸墓山古墳 また、右側には「丸墓山古墳」が見へ、左側には「将軍山古墳」が見て取れます。

古代蓮の里タワー そして後ろには「古代蓮の里」のタワーも見ることができます。
そういえば以前訪れたときには蓮は終わりの頃で結局何をしに行ったのか分らない結果となりましたが、一度は蓮の咲いている時期に訪れてみたいものです。

前方部 古墳広場会場 前方部に移動するとここからも今回の会場が良く見えます。

会場ステージ 丁度中央角に紅白で彩られたステージがセットされていて、現在は和太鼓の演奏が行なわれているようです。

今日は火祭りまで盛りだくさんのスケジュールが組まれているようで、来場客を飽きさせないことと、お披露目の場を提供するという一石二鳥のステージプログラムです。

ここから一旦会場を散策します。 丁度昼時でおなかも空いてきましたので…。

フリーマーケット 会場への小路を進むと右側がメイン会場で、左側は定番のフリマです。
家内がいれば喜んで見て行くでしょうが、今日は一人なので素通りです。

テント屋台 会場を取り囲んでいるテント小屋は、地元の団体等の方の露店です。

テント屋台 せっかくなのでこちらでカレーをいただきました。
後でフライも食べておけばよかったかなとプチ後悔ですが、なかなかカレーは美味しかったです。

もうすでに場所取りをしているのでしょうか、結構な人たちが昼食などを楽しく食べているようです。

産屋 産屋 ここで今回のイベントのランドマークとも言ってよい「産屋」を見学します。
近づいてみると意外と大きいものです。

産屋炎上
この古代住居は5月4日さきたま火祭りのメインイベントとして灼熱の炎の包まれ燃え上がります。
古事記によれば「ニニギの命」と結婚した「コンハナサクヤ姫」が婚姻の夜身籠ったのを疑われ、その疑いを晴らす為、自らこの産屋に入り「神の御子であるならば、たとえ火の中でも無事に生まれるでありましょう」と、この住居に火を放ち、燃え盛る炎の中で「海幸彦」「山幸彦」の2柱の神々をお産みになったとあります。
「産屋炎上」はこの故事に由来します。
さきたま火祭りでは悲しくも激しい愛を貫いた「コノハナサクヤ姫」が皆様を神々の世界へ、そして遥かなる古代ロマンへと誘います。
この古代住居はさきたま火祭り祭事担当地区の皆さんの手により作られました。
さきたま火祭り実行委員会
(現地案内板説明文より)

「産屋炎上」の故事とは古事記のなかの記載で、まさに神話時代の一説なのですが、ここでは少し古事記とその内容について紐解いてみます。

古事記

古事記とは、712(和銅5)年太朝臣安萬侶、太安万侶によって献上された日本最古の歴史書なのです。原本は存在していないのですが古事記の序文に書かれた年月日によって年代が確認されているのです。

古事記 古事記の構成は上・中・下の全3巻に分かれています。

1.上つ巻(序・神話)
天地開闢から日本列島の形成と国土の整備が語られ、天孫降臨を経てイワレヒコ(神武天皇)の誕生までを記載している巻で、いわゆる日本神話といわれている内容です。
2.中つ巻(初代から15代天皇まで)
初代神武天皇から15代応神天皇までを記載していて、神武東征に始まり、ヤマトタケルや神功皇后の話など神話的な説話が多く、神の世と人の世の間の時代であることを表しています。
3.下つ巻(第16代から33代天皇まで)
仁賢天皇から推古天皇までは欠史十代ともいわれ、系譜などの記述にとどまり具体的な著述が少ないのだそうです。これは書かれた当時の時代が近く自明なため特筆すべきことがなかったからであろうと考えられているようです。

このような3部構成となっていて、特に注目すべきことはこの古事記に登場する神々が多くの神社で祭神として祀られ、現代にいたっても日本の宗教文化に大いなる影響を与え続けているということです。

先の「産屋炎上」はその上巻の中で語られています。
手始めに「古事記」とは一体どんな物だということで、まずは上巻の一番最初の章の概略です。

「神々の出現
昔むかし、遥か昔、この世界で最初に高天原(神々の住む天界のこと)に現れたのがアメノミナカヌシノカミという神で、次にあらわれたのがタカミムスビノカミとカミムスビノカミで、この3柱(神の数は「柱」と数えます)の神は男女という性を果たさない中性的存在という意味の「独り神」として姿を現さず陰から世界を操っていたのでした。
そして日本の国がまだ水に浮かぶ脂のように、ふわふわとまさにクラゲの様に漂っていた頃表れたのがウマシアシカビヒコジノカミとアメノトコタチで、この2柱も独り神で姿は見えない神でした
先の3神と後の2神をあわせた5神を「別天津神」(コトアマツカミ)と呼び、この5神は世界のずべての源となる存在として位置づけられ神々の中でも別格扱いのため、「別」の字が付けられているのです。
その後、クニノトコタチノカミとトヨクモノカミの2神が出現し独り神で姿は見えなかったのですが、先の5神よりは格下のようです。
その次からは夫婦の神として5組(10柱)の神々が表れ、そのうちの最後に現れた夫婦の神がイザナギノミコト(イザナギの神)とイザナミノミコト(イザナミの女神)で、クニノトコタチノカミからイザナミノミコトまでを「神代七代」というのです。」

ここまでがまさに古事記の始まりで国造りの序章といったところです。
日本の国の元は全く何も無いところからと思っていましたが、とりあえずクラゲのようなものはあったとは意外でした。
姿が見えないのに独り神というのが何故判ったのか、更に夫婦の神は2柱で「一代」言うのだそうですが、5組の夫婦神と2柱の独り神が七代というのも若干理解しにくいところですが、そこが神話の面白いところでしょう。

日本神話 この後、イザナギノミコトとイザナミノミコトに次々と子供が生まれるのです。いわゆる「島生み」という日本列島の誕生になるのです。
《イメージフォト》

最初の子供は水蛭子といいぐにゃぐにゃとした蛭のようで、とても島とは呼べない失敗作。更に次の淡島も水蛭子と同様あわあわして頼りない島なので失敗作ということで、この2島は2神の子供とは認めないそうです。
そして、3番目から生まれた子供達が正式な子供と認知されたのでした。
3.淡路島、4.四国、5.隠岐島、6.九州、7.壱岐島、8.対馬、9.佐渡島、10.本州、・・・といった具合で、これが国造りの始まりなのです。

概略はこう言ったところなのですが、実際の記述にはなかなユニークなところもあり、その一説です。

―是に其の妹伊邪那美命に問ひて曰(の)りたまはく、「汝が身は如何にか成れる」とのりたまへば、答白(こた)へたまはく、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処在り」とこたへたまひき。爾(ここ)に伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。故(かれ)、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為(おも)ふ。生むこと奈何」とのりたまへば、伊邪那美命、「然(しか)善けむ」と答曰へたまひき。爾に伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝と是の天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ為む」とのりたまひき。
(古事記)

これを訳すと以下のようになります。
イザナキ:「貴女の身体はどのようにできているのですか。」
イザナミ:「私の身体はほぼ整っているのですが、足りない所が一箇所だけあります。」
イザナキ:「私の身体は既に整っているのですが、それが高じて余った所が一箇所だけあります。だから、私の身体の余った所で貴女の身体の足りない所を挿し塞いで国を生もうと思います。それでどうでしょう?」
イザナミ:「ええ,結構ですわ。」
イザナキ:「それならば、私と貴女でこの天の御柱のまわりをめぐって出会い、寝所で交わりをしましょう。貴女は右からまわって下さい。私は左からまわりましょう。」

このように「なり余った処」(男性器)を以て、「なりあわぬ処」(女性器)を刺し塞ぐとは、まさにSEXそのものの表現であり、男が「なり余った処」をもてあまし、女が「なりあわぬ処」を刺し塞いで欲しいと感ずるのは、いつの時代でも変らぬ永遠の欲求のようです。
皇室史的な歴史書とは言えども、古事記には男女の性交や女性器への言及など性的な表現があちこちに散りばめられていて、ある意味近世・近代に比べて実に大らかであったことが読み取れるなど、古事記というのは実は大変面白い歴史書なんです。

古事記のアウトラインを掴んだところで、本題の「産屋炎上」に関する章を紐解いて見ます。
これに関して先ずはニニギの命から理解しなければならないでしょうから、産屋炎上から少し遡って「天孫降臨」からはじめてみます。

「天孫降臨」とは先の日本列島誕生から紆余曲折を経てやっと日本列島が平定されたことから、高天原(天上世界)にいるアマテラスオオミカミとタカギノカミは、アマテラスオオミカミの息子のアメノオシホミミノミコトに「葦原の中つ国」(日本列島のこと)に降り立ってこの国を統治するよう命じたのでした。
アメノオシホミミノミコトが地上に降りる準備を進めている時に、息子であるニニギの命が生まれたので、アメノオシホミミノミコトは代わりに若いニニギの命を地上に降ろすべきだと主張し、それが認められたことからニニギの命がはじめて日本列島に降り立つことになりました。これがいわゆる神が地上に降りてくる「天孫降臨」なのです。
ということからニニギの命は地上に最初に降り立った神といえるのです。
因みに天孫降臨の地としては、九州南部の霧島連峰の一山である「高千穂峰」と、宮崎県高千穂町の双方で言い伝えがあるようですが、若干高千穂峰の分が悪いようです。

出会い さて天孫降臨したニニギの命はある時、笠沙の岬(鹿児島県川辺群笠沙町の野間岬)で大変麗しい女性と出会ったのです。そしてこう話したのでした。
《イメージフォト》

「あなたは、だれですか。」と聞くと、
「わたしは、オオヤマツミノカミの娘で、名前をカムアタツヒメと申します。またの名をコノハナサクヤ姫と申します。」とその美女は答えました。
「あなたには、兄弟がいますか。」
「わたしには、姉がございます。イワナガヒメと申します。」
「わたしは、あなたと結婚したいと思いますが、どうでしょうか。」
「わたしからは、お答えできません。わたしの父のオオヤマツミノカミがお答えします。」
と、現代にも見られないような超スピードプロポーズなのです。古事記には、このような思いがけない巡り会いが多いようで、それだけドラマチックに物語を脚色しているということかもしれません。
いずれにしてもスピード感とドラマチック性は、現在のTVドラマや映画でも求められていますから、ここでも太古と現在とではそれほど感覚は変らないと無理やりこじつけてみます。

即答を得られなかったニニギの命は、美女の父のオヤマツミノカミに使者を遣わせ、結婚の承諾をお願いしたところ、その父はとても喜び、その姉のイワナガヒメも一緒に嫁にもらってほしいと言って、たくさんの宝物を乗せた台車ごと二人を送られたのでした。
しかし、姉のイワナガヒメは、とても醜かったのでニニギの命は困ったあげく実家へ返してしまい、その妹のコノハナサクヤ姫だけを残して、その夜に結婚をしたのでした。
独禁法の抱き合わせ商法でもあるまいに、美女に不細工な女性をつけて嫁がせるとは何たる父親と、ニニギの命の対応も無理からぬことではあるとつい同情してしまいます。
しかし、これには深いい訳があったのでした。

イワナガヒメを返された父のオオヤマツミノカミは、このことをとても恥ずかしく思い使者に伝言を託して、こう言ったのでした。
「わたしの娘を二人いっしょに差し上げた理由は、もしイワナガヒメを妃となされば、天の御子さまのお命は、雪が降り、風が吹いても常に岩のように、永遠に不滅でいられるでしょう。また、コノハナサクヤ姫を妃となされば、木がたくさんの美しい花を咲かせるように、繁栄するようにとの願いをこめてのことでございます。ですから、イワナガヒメをお返しになり、コノハナサクヤ姫をひとりだけ留められたので、天の御子さまのお命は、木の花の寿命のようになってしまわれるでしょう。」と言ったそうなのです。
つまりコノハナサクヤ姫は天孫の繁栄の象徴として、イワナガヒメは天孫の長寿の象徴として嫁いだものでしが、イワナガヒメが送り帰されたために天孫(子孫である天皇)は短命になってしまうだろうという意味なのです。
勿論、短命というのは神々の寿命(が有るのか無いのか分らないくらい永い)に比べて、現在の人間並みになってしまうということなのです。

バナナ神話 この件は「バナナ型神話」といわれる説話なのです。
《イメージフォト》

重要なアイテムとして共通してバナナが登場することから、スコットランドの社会人類学者のジェームス・フレイザーが命名したものです。
その元になる「バナナ型神話」は凡そ以下のような説話です。
神が人間に対して石とバナナを示し、どちらかを一つを選ぶように命じます。すると人間は食べられない石よりも、食べることのできるバナナを選んでしまいます。変質しない石は不老不死の象徴で、ここで石を選んでいれば人間は不死(または長命)になることができたのですが、バナナを選んでしまったために、バナナは子ができると親が枯れて(死んで)しまうように、またはバナナのように腐りやすく脆い体になって、人間は死ぬように(または短命に)なってしまったという説話なのです。
つまり、イワナガヒメが文字通り石で、コノハナサクヤ姫がバナナという「バナナ型神話」の変形なのです。

コノハナサクヤ姫 こうした1つの説話を経て、コノハナサクヤ姫がめでたく妊娠したのでした。
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「私は赤ん坊を身ごもりました。もうすぐ生まれそうです。しかし、これは天の御子の子供ですから黙って産むわけにはいきません。どうしたらよいのでしょうか…」と相談を持ちかけました。
するとニニギの命はこれに答えて「コノハナサクヤ姫よ、私はあなたと一晩しか夫婦の交わりをしていません。したがってこれはたぶん私の子ではない。間違いなく「国つ神」(天孫降臨の前から居た日本に住んでいた神)の子であろう」と疑ったので、コノハナサクヤ姫はショックを受けて大変悲しい気持ちになりました。
そこでコノハナサクヤ姫は「私のお腹の中にいる子が、もし「国つ神」の子であれば、産む時に苦痛を感じるでしょう。しかし、天の御子の子であれば、それはないでしょう。」と言いながら出産をされるための家に入り、その出入り口をすべて土で塗り込めてふさぎ、その家に火をつけたのです。
そして、その燃え盛る火の中で、ホデリノミコト(火照命)、ホスセリノミコト(火須勢理命)、ホオリノミコト(火遠理命)の三人の子供を無事に産んだことから、生まれてきた子供が神の子であるという証であるとして潔白を証明したのです。

これが「産屋炎上」のストーリーです。
さてこれにも深いい話があり、一晩しかSEXをしていないことから認知を渋った夫と、それに対して強い態度で反発した妻の…、っていう所ではなく、火中の出産にあるのです。
つまり火を持って灼くことによる人の子の神性賦与という意味を持っていることだそうなのです。
この神性とは高度に進化した生き物として与えられた能力などを表す、神秘性或いは、いわゆるスーパースターとしての天分を与えられたということなのです。

海幸彦・山幸彦 無事に天の御子の子として生まれたのですが、実は3人だったようです。
《イメージフォト》

漢字から判るように、火がさかんに燃えて照り輝いている時に生まれたので「火照(ホデリ)」、火が盛んに燃え立つときに生まれたので「火須勢(ホスセリ)」、火が消えかけた時に生まれたので「火遠(ホオリ)」と名付けられたのです。
そして長男のホデリノミコトが「海幸彦」で、三男のホオリノミコトが「山幸彦」となり、あの海幸・山幸の物語となるのですが、それじゃあ二男はというと海幸・山幸という対照的な神の間に何もしない神を置くことでバランスをとっているという説もあるようですが、いずれにしてもこれ以降出番はないようです。

弟が道具を換えようと言って兄の針を無くしてしまい、針如きでしつこく返せと言った兄もたいがいですが、山幸彦も最後には逆切れして海神の力を借りて兄を屈服させるという「海幸彦・山幸彦」の話は有名ですが、この中にも面白い説話が忍んでいるのです。
山幸彦の妻であるトヨタマビメに子を産む所を見るなと言われたにもかかわらず、山幸彦は産屋を覗き見てしまいます。するとそこには八尋の和邇(サメと考えられている)に姿を変えたトヨタマビメがおり、これが元でトヨタマビメは子を産んだ後、海の中へ帰って行ってしまいます。そのときに産まれた子はウガヤフキアエズという子供でした。

これは「見るなのタブー」として有名な説話で、民話の鶴の恩返しといえばわかるでしょうが、この説話が神話にも使われているのです。
そしてこのウガヤフキアエズもまた神話での名声は余り高くなく、ニニギの命、山幸彦、そしてウガヤフキアエズと続く日向三代(日向神話)の一人として呼ばれているに過ぎないようです。
そして一般的にははどうしても「山幸彦の孫」という記述が多いのですが、実はウガヤフキアエズは初代天皇である「神武天皇」の父なのです。
この神武天皇は紀元前711年に生まれたのですが、先のニニギの命の時のバナナ型神話であるイワナガヒメの説話により、紀元前585年に僅か127歳で亡くなっています。
それでも現在の平均寿命に比べれば非常にあり得ないくらい長い寿命なのですが、先の日向三代に比べればその比では無いことをきずかされます。
『倭姫命世紀』『神祇譜伝図記』ではニニギの命は31万8543年、山幸彦は63万7892年、ウガヤフキアエズは83万6042年の治世とされ、合計179万2477年となっています。あくまで治世ですから寿命は更に永いのでしょう。
まさにデーモン小暮状態ですが、確かにこの年月に比べれば127歳などという年月はアッという間なのです。

このようにしてコノハナサクヤ姫に関する歴史は、天皇誕生と深いい説話の混じった実にユニークな歴史書なのです。
「産屋炎上」に纏わる一説でもこれだけ面白いのですから、「古事記」や「日本書記」といったものは丹念に読めば更に面白さ倍増かもしれませんね。

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コメント

  1. おさとう | -

    こんばんは

    映画「のぼうの城」を観て興味がわいたので、行田市の場所を調べてみたら、東京から1時間くらいかかるのかぁと・・・駅からも遠いし。

    丸墓山古墳が19mしか高さがないので、意外な感じです。
    もっと上から忍城を見下ろしていたのかと思っていたもので。

    もし東京出張があったら、丸墓山古墳と石田堤に行ってみたいと思います。

    ( 22:59 )

  2. 薄荷脳70 | -

    おさとうさん、ありがとうございます。

    コメントありがとうございます。
    「のぼうの城」で一躍メジャーになりつつあるのは埼玉県民としては嬉しい限りです^^
    ただ、おっしゃるとおり利便性はあまりよくありませんので、それなりのスケジュールを組まないと難しいでしょうね。
    それでも「埼玉」のルーツのような古墳群ですから、それだけでも結構見ごたえはありますよ^^
    是非、機会があれば訪れて見て下さい。
    観光協会の回し者のようになってしまいましたがw


    > 丸墓山古墳が19mしか高さがないので、意外な感じです。
    > もっと上から忍城を見下ろしていたのかと思っていたもので。
    >
    > もし東京出張があったら、丸墓山古墳と石田堤に行ってみたいと思います。

    ( 05:36 )

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