さきたま火祭り#2

すっかり「古事記」の面白さに嵌ってしまい、長々と紐解いてしまいました。
まさにここに繰り広げられようとしているのは、古事記にある神話の時代のステージでの神々の祭典、実にアイディアがよろしいですね。

現代ロマンの祭典

しばらくは会場広場で食後の一服とばかりにステージでも眺めてみます。
昼からはビッグバンドの演奏がありました。

ステージ 「くまパー☆バンド」というので熊谷で活動しているアマチュアバンドのようです。

ラテンナンバーを得意としているのか、今回4曲すべてラテンナンバーでした。先にMCからアンコールの強要をしているのも微笑ましい光景です。
アンコールはスカパラのナンバーなので、ローカルといえども盛り上がった幕引きでした。

特に強力なラッパ隊が印象的です。
久しぶりに聞いた1st.のハイノートとピックアップミュートのソロはこう言った場では中々聞けないかもしれません。また、3と4のソロバトルもレベルの高さの現われなのでしょう。今後の売りのようです。
何となくブラスのボーンが落ち着かなかったのは若干残念でしたが、素晴らしいパワーは圧巻でした。

ステージ 更にギターソロがフューチャーされるビッグバンドも珍しいかも知れませんが、こちらはこのバンドの目玉なのでしょう

。それに恥じないテクニックとヴォーカルまでこなすのですから昨今のビッグバンドのカッコよさを感じると共に、逆に30年くらい前に見た「ミスターリズム」フレディ・グリーンをふと思い出してしまうほどでした。
個人的にかなり盛り上がってしまいましたね、久しぶりに。

昼食後の一服を終えて再び古墳めぐりを開始しました。

将軍塚古墳 会場右手にある古墳が「将軍塚古墳」です。

この古墳は墳丘には登れないのですが、中に入ることができる唯一の古墳です。
入場料200円で「さきたま史跡の博物館」と両方入館できるのですから安いものです。
中では古墳の地層や実際に埋葬されていた状態の復元など興味深い展示がされていました。

「将軍塚古墳」の次はさきたま古墳群で最大の前方後円墳である「二子山古墳」です。
ニ子山古墳 ニ子山古墳 古墳の周りは水堀で囲われていて、中々の風情を醸し出しています。

輦台 たいまつ 古墳の横には火祭りでニニギの命とコノハナサクヤ姫が載って登場する輦台も用意されています。
また松明なども用意され、いよいよイベントの準備は完了のようです。

しかし、火祭り開始にはまだまだ時間があるので、散策を続けます。

さきたま史跡の博物館 埼玉県名発祥の地 以前も訪れた「さきたま史跡の博物館」で再び鉄剣等の国宝を堪能し、移築民家を見学します。

石碑 懐かしい「埼玉県名発祥の地」碑も当然置かれていて、懐古的な気持ちが溢れてきました。
たった2年半しか経過していないのですが、やはり最初の散策というところが印象的なのです。

公園内をふらふらと散策してすでに4時を回りました。
火祭り開始にはまだ早いのですが、流石に体力が続きませんので、一旦会場広場に戻ります。
会場の松明 会場ではかがり火がともされ、雰囲気はいやが上にも盛り上がってきているようです。

古代人 会場付近にはボチボチ古代人も集まり始めているようです。

夕方位から本来は採火式とでも言うべき火種を、近くの「前玉神社」で執り行い、会場までたいまつ行列が行われるとのことでしたが、さすがに疲れでわずが5、6分の場所に向うことは断念しました。
暫くは会場広場のステージを見ながら体力回復に努め、多少楽になった事から小腹を満たしに屋台でつまみ食いです。

古代人 大分日も落ちてきはじめると先ほどの古代人達が集団で移動を始めました。
恐らくたいまつ行列のために先ほどの二子山古墳の辺りに集合するのでしょう。

この辺りから流石に場所取りもしないことにはと、本当は動きたくない理由を転化してみました。

古代ロマンの祭典

時刻はPM6:30、夕暮れから徐々に夜の帳が落ち始める頃、「さきたま火祭り」が開催されました。

修祓の儀 修祓の儀 先ずは例の産屋で神事です。
恐らく前玉神社の宮司でしょう、産屋の前でお祓いをして神聖な場所として清めています。

これは修祓の儀(しゅうばつのぎ)といって、斎主が大幣を使って、斎場・棺・参列者などを祓い清める儀式なのだそうです。
前玉神社の宮司は境内社としてコノハナサクヤ姫を祀った浅間社があることからでしょう。

コノハナサクヤ姫 神としてのコノハナサクヤ姫は富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)と、配下の日本国内約1,300社の浅間神社に祀られています。
《イメージフォト》

この「産屋炎上」における火中出産の説話から火の神とされ、各地の山を統括する父であるオオヤマツミから、火山である日本一の霊峰「富士山」を譲られたそうです。そしてその富士山に祀られ鎮座して東日本一帯を守護することとなったそうです。
しかし、浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社の社伝では、コノハナサクヤ姫は水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとしています。また、この火中出産から妻の守護神、安産の神、子育ての神としても祀られているようです。
更に驚くべきことに、ホデリノミコト(火照命)らが産まれたときにオオヤマツミが現在の甘酒とされる天舐酒(アマノタムケザケ)を造ったとの説話があることから、オオヤマツミはサカトケノカミ(酒解神)、コノハナサクヤ姫はサカトケコノカミ(酒解子神)と呼ばれて酒造の神ともされているようです。
従って浅間神社のほかには、安産や子育ての神として子安神社(八王子市など)に、酒造の神として梅宮大社(京都府)に祀られていて、細石神社(福岡県前原市)には姉のイワナガヒメとともに祀られているそうです。1000社いじょうに渡って祀られているのですからコノハナサクヤ姫も多忙でしょう。

20分ほどかかって産屋のお清めも終了した頃はとっぷりと日が暮れていました。

産屋 そして産屋はスポットライトとかがり火に浮き出されています。

輦台行列 輦台行列 幻想的なBGMが流れ始めた中、右手からたいまつが、否、たいまつを持った古代人が入場してきます。
1人、2人、3人・・・と古代人達のたいまつ行列です。

ニニギの命 おびただしい数の古代人の入場に続いて静々と入ってきたのが今日の主役である2神で、最初がニニギの命です。

低スキルと低スペックのため写真は上手く取れませんでしたが、雰囲気だけでも味わえれば・・・。

コンハナサクヤ姫 コンハナサクヤ姫 そして次に入ってきたのが当然コノハナサクヤ姫で、こちらは多少見えるかな程度には写真が撮れました。

輦台行列 輦台行列 その後にも大勢の古代人が入場し、たいまつ行列は二人の輦台を中心にして広場を一周するようです。
これは輦台行列という二人の入場の儀式です。

まさに火の祭典といっても過言ではないでしょう。
確かに荘厳さと華麗さを併せ持った神秘的というべき光景です。

輦台行列 産屋炎上1 広場を一周して輦台が産屋の前に来るとニニギの命とコノハナサクヤ姫が降ろされます。

産屋炎上2産屋炎上3 産屋炎上4 輦台から厳かに降りた二人はゆっくりと産屋前にある壇上に上がりたいまつを受け取り、火が付けられます。

産屋炎上5 ここからが本日の火祭りの見所の1つである「産屋炎上」のシーンとなります。

産屋炎上6 産屋炎上7 産屋炎上8 火の点けられたたいまつを二人で持ちながら産屋に向い、徐に産屋に火を点けます。

産屋炎上9 産屋炎上10 産屋炎上11 萱で作られた古代風産屋ですからあっという間に火は産屋全体を覆います。

観客からは歓声ともため息ともつかない様な声が一斉にあがりました。火の持つ勢いと神秘性が見るものを感動させずにはおかない、と言った光景です。
産屋炎上12 産屋炎上の大役を終えたニニギの命とコノハナサクヤ姫はまた、輦台に乗って退場します。

産屋炎上が終わると次はもうひとつの見所である「御神火降り」となります。

御神火降り 御神火降り 左手の「丸墓山古墳」の頂上から、たいまつをもった古代人たちが行列をなして降りてきます。

御神火降り また、やや右正面の「稲荷山古墳」からもたいまつ行列の古代人が降りてきます。

ちょうど木の陰になってしまい写真では判りにくいですが。まさに海幸彦、山幸彦の誕生を暗示しているかのような「御神火降り」ですが、次男はどうしたといった野暮は止めておきましょう。

ご託宣 次々に降りてくる古代人ですが、これには一般の方も参加できるそうです。良い思い出になるでしょうね。
総勢300人ほどの古代人がたいまつを持って広場に集まってきます。

ヲワケの臣 古代人がステージ前に集合すると、ステージ上では「ヲワケの臣」なる人がご託宣を読み上げます。

今回は東日本大震災で、特に埼玉県に避難している福島県双葉町の方を招待していることもあり、震災の見舞いとこれからの復興を目指し一つになる力を訴えておりました。

ところでその「ヲワケの臣」とは一体誰なのかと調べてみれば、確かに行田市、この古墳公園には非常に相応しい方だったのです。
それはこの「稲荷山古墳」から出土した国宝の金錯銘鉄剣にありました。
金錯銘鉄剣には115文字の銘文が刻まれています。

<表面>
辛亥の年七月中記す。乎獲居の臣。上祖、名は意富比脆、其の児、多加利の足尼、其の児、名は、弓巳加利獲居、其の児、名は多加披次獲居、其の児、名は多沙鬼獲居、其の児、名は半弓比、
<裏面>
其の児、名は加差披余、其の児、名は乎獲居の臣。世々杖刀人の首と為り、奉事し来たり今に至る。獲加多支歯大王の寺、斯鬼の宮に在る時、吾天下を左治し、此の百錬の利刀を作らしめ、吾が奉事の根源を記す也。

これを現代語訳にすると以下のとおりとなります。
<表面>
辛亥の年七月中に書きます。(私の名前は)ヲワケの臣。遠い先祖の名前はオホヒコ、その子(の名前)はタカリのスクネ、その子の名前はテヨカリワケ、その子の名前はタカヒシワケ、その子の名前はタサキワケ、その子の名前はハテヒ、
<裏面>
その子の名前はカサヒヨ、その子の名前はヲワケの臣です。先祖代々杖刀人首(大王の親衛隊長)として今に至るまでお仕えしてきました。ワカタケル大王の朝廷が、シキの宮におかれている時に、私は大王が天下を治めるのを助けました。何回もたたいて鍛えあげたよく切れる刀を作らせて、私と一族のこれまでの大王にお仕えした由緒を書き残しておくものです。

このように国宝金錯銘鉄剣に「ヲワケの臣」が現れているのです。
これを要約すると、鉄剣を作らせたヲワケという人物の先祖から8代にわたる系譜と、ヲワケがヤマト王権の中心である後世、奈良時代の天皇家の前身である大王家に先祖代々仕えていて、国を治めるのを助けてきたことを誇るために鉄剣を作らせ、その由緒を記載したということです。
従って当時のヤマト王権は各地の豪族を含めた連合政権であったといわれているので、「ヲワケの臣」はまさしく武蔵国での首長のような地位の人だったのではないかと考えられます。
因みにこの銘文の読み方において、「辛亥年」は西暦471年か531年か、ワカタケル大王は雄略天皇か欽明天皇か、などの論争があったようですが、現在では「辛亥年」は西暦471年で、ワカタケル大王は雄略天皇と考える専門家が多いそうです。

余談ながらこれを調べていて知ったのですが、かつて私が習った歴史では「大和朝廷」と習っていたのですが、現在は「ヤマト王権」という使われ方が一般的になりつつあるそうです。時代遅れになってしまいそうです。

という事で、この「ヲワケの臣」がご託宣を読み上げ、古代人の代表に鉄剣を授け、火祭りのエンディングとなります。
昨年までは最後に花火の打ち上げがあったそうですが、今年は自粛のようです。
それでも一代古代絵巻である「さきたま火祭り」は、十分感動できるすばらしいイベントでした。

産屋炎上 火祭りが終わって今だ炎上している産屋に近づいてくる観客が大勢残っていました。

恐らく火祭りの感動を再び味わっているのでしょう。

古墳公園 古墳公園 火祭りが終わって公園内を歩くと、真っ暗な中に屋台の明かりだけが煌々と輝いていました。

古代ロマンと現世の煩悩、煩悩が勝って黒豚フランクフルトをほお張りながら家路につきました。
ゴールデンウィークの一夜、見るも良し、参加すのも良しと是非また来年も来て見たいイベントでした。

2011.5.18記

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