ぎょうだ古墳めぐりの旅 #7

南側の最後の古墳「鉄砲山古墳」をグルッと反時計回りで廻って北上します。
右手の方が4月に散策した「浅間塚古墳」です。結構広いのを実感しはじめました。

埼玉県薬用植物園

鉄砲山古墳碑 鉄砲山古墳の後円部には、1938年(昭和13年)に史跡に指定された時の石碑が立っていますが、それには「史蹟 埼玉村古墳群」と刻まれていますので、いずれはこの石碑自体も文化財になるのかもしれません。(それは無いか・・・)

そしてその狭い小道の先にあるのが「埼玉県薬用植物園」です。

薬用植物園 薬用植物園 この「埼玉県薬用植物園」は約150種類の薬用の草木が栽培されていて、四季折々の薬用植物の花や実を知ることができるユニークな植物園として埼玉県が開園したのだそうです。

非常に地味ながらも「古代人と薬草」というテーマ、・・・かどうかはわかりませんが、普段ではめったにお目にかかれない植物園といえるでしょう。
薬用植物園としては全国に大学や企業の植物園は多いようですが、地方自治体の薬用植物園はあるのか調べて見ると、小平市に都立薬用植物園があるくらいでかなり珍しいといっても良いのでしょう。
そういった意味では貴重な植物園といえますが、やはりなんと言っても見た目が地味ですね。

薬用植物園の裏手には「万葉植物園」もあるようです。

万葉集と古代の埼玉 昭和61年3月
万葉集は、20巻4500首を収録したわが国最古の歌集で、素朴で力強く、当時の人々の素直な感情をありのままに表現していす。稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に記された「獲加多支鹵大王(雄略天皇)」の作品もある。
当時の埼玉地方は、利根川や荒川が時々流路を変え、湖や沼も多く現在とは、かなり様子が違っていた。また、各地へ通じる水上交通の要地でもあり、人々の往来も盛んであった。
(現地案内板説明文より)

万葉植物園 万葉植物園 四阿もあり渋い遊歩道のようで、所々万葉集の詠われた題材となった木々が植えられています。

埼玉地方の万葉歌 昭和61年3月
埼玉地方の歌としては、次の4首が知られている。
●埼玉の小埼の沼に鴨ぞ翼きる 己は尾に降り置ける霜を 掃ふとにあらし (巻9-1743)
●埼玉の津に居る船の風を疾み 網は絶ゆとも 言な絶えそね (巻14-3380)
●足柄のみ坂に立して袖ふらば いわなる妹は さやに見もかも (巻20-4423)
●色深く背なが衣は染めましを み坂たばらば まさやかに見む (巻20-4424)
また、万葉集には、約160種の植物がうたわれ、生活のなかで、豊かな自然に注目したことが知られる。
そこにうたわれている植物は、山野に生えている普通の草や木で、その呼び名も現在と同じものが多い。
(現地案内板説明文より)

前2首は、4月に訪れた前玉神社の燈籠に刻まれた歌なので知っていましたが、後の2首について調べてみます。
まず知っていなければならないことは、この2首は防人の歌ということです。
防人とは、筑紫・壱岐・対馬などの北九州の防衛にあたった兵士たちのことで、これは663年朝鮮半島での白村江の戦いに負けたことによる防衛のため、中大兄皇子が作った制度です。
では何故、こんな遠いところに東国の人々が行かなければならないかという明確な理由はわかっていないのですが、一説には東国の力を弱めるためともいわれているようです。そして任期は3年で毎年2月に3分の1が交替となっていたのですが、現実にはそう簡単に帰れる訳ではなかったようです。
というのは、東国からの往路は部領使という役割の人が連れて行ってくれるので比較的容易に行けそうな感じですが、それでも当然徒歩で北九州まで行くわけですから当時の人々にとっては辛い旅であったことは明白です。
しかし、往路はそれでもまだましで、帰路はなんと自費だったそうなのです。したがって帰りたくても帰れない人や、無理して帰路についても途中で行き倒れになる人も多く居たようで、まさしく防人とは命懸けの務めといえるのです。

その様な辛い防人の任務に就く埼玉郡の藤原部等母麻呂が詠んだ歌が最初の歌です。
その意味は、足柄山の御坂に立って袖を振ったらば、家にいる妻は はっきりと見るだろうか、という意味です。
足柄の坂とは、現在でいえば金太郎で有名な箱根の金時山の足柄峠あたりのことです。まあ、埼玉県から北九州まで歩いていくとすれば、基本的には現在の東海道を行くわけで、明治時代の中学唱歌である「箱根八里」にも箱根の山は、天下の嶮と歌われていたくらいですから、太古に置いては命懸けの箱根越えでしょう。
とはいっても幾ら太古の時代でも行田市から箱根は見えないでしょうが、それだけ夫人と分かれるのが辛いといった心情を表しているといわれている歌なのです。

そして、もう1首がその夫人である刀自売が夫の詠んだ歌に対して詠んだ歌なのです。
その意味は、あなたの着物を色濃く染めるのでしたわ。そうすれば、足柄の坂に立つあなたの姿をはっきりと見ることができるのに、というこれも実に切ない心情をあらわした歌なのです。
このようなことから、この2首もまた埼玉地方縁の万葉歌といわれているわけです。

そして埼玉郡には違いないこの2首なのですが、埼玉郡の更にどの地点なのかははっきりしないことから、行田市はあえて「八幡山古墳」のある辺りをその場所と指定し、昭和19年に旧跡としたそうです。そしてこのことから行田市は「八幡山古墳」のある辺りを等母麻呂の所属する藤原部にちなんで町名を「藤原」としたそうですから、相当の想い入れがあったようです。

更に昭和36年には、この歌の歌碑を「八幡山古墳」脇に建立し、その碑面は足柄方向(箱根方面)を向いて立てられたそうです。

「八幡山古墳」の歌碑 そう言われて初めて気付いた「八幡山古墳」の歌碑は、その様な意味があるとも知らずあえて写真を撮ることもなく、辛うじてこんな感じで写真に写っていました。せめて「八幡山古墳」にその様な説明があればよかったのですが・・・。

それでもこんな深いい話を知り得たのですから、なかなか貴重な植物園といえそうですが、もう少し現地でこのようなことを知ることができれば、散策も更に面白くなると思うのですが・・・。

最後に木々を詠った万葉歌を挙げておきます。

あしび(馬酔木)アセビ
あしび(馬酔木)アセビ 「磯影の見ゆる池水 照るまでに 咲ける馬酔木の散らまく惜しも」甘南備伊香真人

まゆみ(壇)マユミ
まゆみ(壇)マユミ 「南淵の細川山に立つ壇 弓束纏くまで 人に知らえじ」巻7-1330

うのはな(卯の花)ウツギ
うのはな(卯の花)ウツギ 「五月山 卯の花月夜 ほととぎす 聞けども飽かず また鳴かぬとも」巻10-1953

しきみ(樒)シキミ
しきみ(樒)シキミ 「奥山の樒が花の名の如く しくしく君に 恋ひわたりなむ」大原真人今城

古墳とはちょっと違った角度での古代ロマンでしょう。

瓦塚古墳

瓦塚古墳 薬用植物園の西隣にある古墳が「瓦塚古墳」です。

改修中の「奥の山古墳」は別として、他の2つの古墳より整備されていて、いかにも前方後円墳らしい形状を見て取ることができます。

瓦塚古墳
全長73mの前方後円墳です。他の前方後円墳と同じく周囲には長方形の堀が二重に巡り、墳丘のくびれ部には造出しと呼ばれる張り出しがあります。
整備に先立つ発掘調査の結果から、その周辺の中堤には、琴を弾く男子、踊る男女、武人などの人物埴輪、盾形埴輪、家型埴輪など多様の埴輪が立て並べられていたと推定されています。
墳丘内部は未調査であるため、埋葬施設の形や大きさ、副葬品の内容など詳しいことはまだ分っていません。古墳の造られた時期は、出土した遺物から6世紀前半から中頃と推定されています。
平成21年(2009年)3月 埼玉県教育委員会
(現地案内板説明文より)

瓦塚古墳 航空写真 この案内板に上空からの写真が掲載されているのですが、よく見ると後円部が一部欠けていて、その部分は私有地になっているようです。

まあ、流石に立ち退きなどということもできないでしょうからこのままなのでしょうが、居住されている方も何となく落ち着かないのではないでしょうか…。

くびれ部の造出しに関する形状等についてはよく理解できなかった「鉄砲山古墳」に比べて、この「瓦塚古墳」では、その造出しの形状がよく理解できます。

瓦塚古墳 くびれ部 この部分がくびれ部です。

ちょうど前方部と後円部の繋がったところで、これは前方部から見た右側のくびれ部です。

造出し そして左側のくびれ部にあるこの突起のようなものが造出しです。

ここで、埋葬の祭祀が行なわれた訳ですね。

前方後円墳の周囲の土の部分が内堀で、芝生の部分が中堤となります。
内堀と外堀 そして中堤の外側の土の部分が外堀なのです。

ブリッジ 丁度、くびれ部分にあった造出しの左側に外堀を渡るような道の部分があり、この部分をブリッジと呼ぶそうです。

まさしく外堀をブリッジで渡って造出しに向かうということでしょうが、内堀に水がある場合は船か何かで渡るのでしょうかね。

比較的小型の前方後円墳ですが、構造を知るにはうってつけの大きさかもしれません。余り大きいと周囲を歩くだけでも結構疲れますから。

さきたま古墳公園点描

本来の順路を進むと「さきたま史跡の博物館」や「移築民家」の間を通ることになるのですが、ここは前回のときに寄ったこともあり、一旦ショートカットしてレストハウスの前に出ました。

レストハウス レストハウスには「はにわの里文化フェスティバル」と染められた横断幕が掲出されていて、その隣に土器作りの体験受付のテントが設置されています。

やはり今日はさきたま火祭りの日で来場者も多いことからこう言ったイベントが行なわれているのでしょう。

そのテントの左側に土器や埴輪がエントランスにたくさん置かれた建物があります。

行田市はにわの館 「行田市はにわの館」です。そのまま聞くと何となくホラーっぽいイメージになりますが、建物はチャペルをイメージさせるようなおしゃれな作りです。

基本的にここではにわ作りを体験していただくための施設です。
大人1000円、子供600円で、当日1、2時間かけて形を作り、約1ヶ月乾燥させ、その後館内の窯で焼き上げるそうです。
ファミリーには楽しまれそうですが、オッサンが一人で埴輪を作っている構図はまさにホラーですから、中を見学するだけにしておきましょう。

行田市はにわの館 行田市はにわの館 館内には大小様々な埴輪や土器が展示、或いは出来上がりが保管されているようです。

流石に古墳公園には実にマッチした施設といえるでしょう。

「はにわの館」の先が県道77号線で、その先がこの公園の駐車場です。

民芸はにわとお食事 さかもと その交差点にあるのが「民芸はにわとお食事 さかもと」です。

以前訪れましたので、今回は特に店内には入りませんでしたが、HPが中々興味深い内容なので紹介しておきます。

参考:【はにわ処 さかもと】http://homepage2.nifty.com/haniwadokoro/

元々は土偶や土器、埴輪等を扱う専門店だったのですね。
現在はお食事の文字が店頭に入っているのでてっきりお食事どころと思っていましたが、本業は違っていたようです。
サイトを見ると土器や埴輪などの通販も行なっているようですから、かなり本格的な店舗のようです。
当然レプリカですが、キャッチーなコピーが泣かせます。

『各地から出土した縄文から古墳時代のレプリカを多数扱っています。本物には負けますがお手元に気に入ったものを置いて見るのはいかがですか!!』

現在の店主で3代目だそうで、50年くらいの歴史を持つ古墳公園の主みたいなお店でしょう。
店内にも面白いものが置かれており、ネットでも先の通販をはじめ、「はにわ処のインターネット考古博物館」や「当店とさきたま古墳群の今昔アルバム」などそそられるコンテンツも揃っています。
お店もネットも一度のぞいてみると楽しいでしょう。

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