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江戸期の職人芸を今に伝える本殿の彫刻

概要

上尾村の氷川神社は、江戸時代には上尾宿・上尾下村を含めた3村の鎮守で、氷川男体(なんたい)社・氷川女体(にょたい)社の2つの神社から成り立っていた。現在、女体社はないが「二ツ宮」の地名はこの氷川二社からきたといわれている。江戸時代の武蔵国で、氷川男体社と氷川女体社が併置された村は見られず、大変珍しい事例ということになる。氷川女体社では三室(みむろ)村(さいたま市)に鎮座する神社が知られているが、ここはかつては広大な見沼のほとりであったといわれる。もっとも武蔵一の宮と称される高鼻(たかはな)村(さいたま市)の氷川神社も、かつては見沼の入り江に所在していた。上尾村の氷川神社は、中世のころまでは広かった見沼の最北端部に位置しており、鎌倉橋に立つと自然と沼が取り持つ縁の深さを感じさせてくれる(『新編武蔵風土記稿』)。

石造の大鳥居をくぐり参拝することになるが、本殿を囲む境内地はクスノキの大木もあり、住宅地の中にしては見事な社叢林(しゃそうりん)を形成している。拝殿は新しいものであるが、本殿は一間社(いっけんしゃ)流れ造りで、建築様式から江戸末期の建立といわれている。一間社流れ造りであるが側面は二間で、向拝(ごはい)は軒唐破風(のきからはふ)が設けられ、三手先(みてさき)の組物で立派なものである。表から見ることができないが、御神鏡台裏には「安政二乙卯孟春(きのとうもうしゅん)」(1855年正月)と記されているという(『上尾市史』第9巻)。

本殿の彫刻は市指定の文化財になっているが、向拝や長押(なげし)には幾何文様の彫刻が、側壁には中国の故事に因む見事な彫刻が施されている。参観者には、左右側面と背面に説明板があるので、外側からゆっくりと江戸期の職人芸を堪能することができる。彫刻中には琴の名手や美女たちがあり、色彩も実に鮮やかである。作者は4人と推定され、日光東照宮造営に携わった工匠たちが、帰郷の途次に制作したという伝説もある。なお氷川女体社は、明治末年に上尾宿鍬神社に合祀(ごうし)されている(前掲書・『上尾の指定文化財』)。 (上尾市Webサイトより)

◆氷川神社(上尾村) : 上尾市大字上尾村875 《所在地地図

氷川神社・社殿

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【鳥居と参道・拝殿・本殿・御神鏡】

御祭神
主神素箋鳴尊:勇猛で正義の御心強く、優れた知能と豊かな愛情を持たれる神。短歌の祖と称えられる。
稲田姫命:尊の妃(妻)神。尊が八岐の蛇を退治なされた時の老夫婦の娘。大国主命の御祖神。
大国主命:右ニ神の御子神。国土経営、医術、養蚕、縁結び、貯首の神。通称「だいこくさま」。出雲神社に祀られている。

氷川神社・合祀神

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【石塔・稲荷社・山王社・神明社・天神社】
石塔は左:牛頭天王 中:金毘羅大権現 左:古峯神社

琴平社(金刀比羅)大物主命 : 大国主命の和魂の神。海上交通の安全神。通称「こんぴらさま」
稲荷社 保食神 : 食物の神、全ての生産の神。家内安全、商売の繁栄の神。通称「おいなりさま」
山王社(日枝社)大山咋命 : 山の神、産業の神。
神明社 天照皇大神 : 伊勢の皇太神宮(内宮)に祀られ、代々の天皇の大御祖神。素箋鳴尊の姉の神。福徳円満で恵深く、最も優れた神。
天神社 菅原道真朝臣命 : 学問の神。通称「てんじんさま」
※古峯神社は古峯信仰に基ずく事から考えられ、防火の神。牛頭天王は素箋鳴尊との習合されていたが、明治ノ神仏分離により主神素箋鳴尊となったもの。

氷川神社・摂社と境内

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【豊稔社(摂社)・二宮金次郎像・石碑と老木・裏側からの参道】

摂社・ 豊稔社 
豊受大神 : 豊受大神は伊勢の豊受神宮(外宮)に祀られる。
大年神 : 何れの神も食物穀物の神。全ての作物の豊かな稔りを司る神。
御年神 : 耕地整理完了後組合の人達によって祀られる。

氷川神社・文化財

001hikawa_mura019.jpg 【上尾市指定有形文化財 氷川神社本殿彫刻 昭和35年1月1日指定】

この氷川神社は旧上尾村字二ツ宮に所在する。この小字名の起こりは,氷川神社に男体社と女体社の二つの宮があったことによる。かつては上尾の名を持つ三つの宿村(上尾宿・上尾村・上尾下村)の鎮守社であった。明治四十一,二年の神社合祀のとき、女体者は上尾宿の鍬太神宮に合併し(このため氷川鍬神社と称されるようになった)、現在は男体社が本殿として残っている。(合祀したあとの女体社のあき宮は、後に愛宕神社の本殿として護られた)。
現在の氷川神社の本殿には四面にすぐれた彫刻がなされている。図柄は中国の故事を現したもので、最近の修理によって整ったものとなった。軒下の組子(”木”へんに斗・”木”へんに共)の間にも彫刻が施され、本殿を支える下部の肘木はすべて透かし彫りされりっぱである。製作の時期・作者は不詳である。
昭和五十九年十月十五日 上尾市教育委員会

001hikawa_mura007.jpg 【本殿に向って右側面上部彫刻】 精衛公主と嫦娥仙女

精衛公主(左側の彫刻)
彫刻は、頭に鳥の宝冠を載せたあでやかな精衛公主と、仙人の輿車に乗った気品のある仙界の女王といわれる西王母との対面の光景です。
精衛公主は、神農民(古い時代の仙人)の娘で、容姿端麗にして絶世の美女でした。ある日、散る花を見て無常を感じ、天に向かって嘆いたところ、西王母が仙人の輿車に乗って多くの侍女とともに姿を現し、「精衛公主よ、里心を断ち切り、仙宮に来なさい」と告げて姿を隠したといわれています。
嫦娥仙女(右側の彫刻)
彫刻は、老松に雲を配し、渓流沿いに牡丹を彫り、その上に薬籠を持った王女と(仙人の侍女)と符を持つ童仙とともに、嫦娥仙女が昇天しようとしている構図です。

嫦娥仙女は、亭主が西王母(仙界の女王)から授かって隠し持っていた不老不死の仙薬を密かに盗みだしては服用し、いつの間にか仙人となり、そのまま月の世界へ飛んで月宮殿の女王となった、幸運の美女といわれています。
平成4年8月 上尾市教育委員会

001hikawa_mura008.jpg 【本殿の裏面上部彫刻】 王方平と麻姑

王方平と麻姑
彫刻は、老松に満開の桜を配し、下段に老翁の王方平が、仙果を持った王女(仙人の侍女)と如意を持った童仙を連れて立っている構図です。
上段には、若々しい美女の麻姑が、珊瑚の壺を持つ童仙と王女を従えて現れた姿が彫られています。麻姑の背面には、宮殿風の建物がありますが、この建物が蔡経の家です。
仙界の逸材といわれる王方平は、五匹の竜にひかせた羽車に乗り、多くの人々を従えて、蔡経の家に着くと、王方平は麻姑の許へ使者を遣わせました。
やがて、十八、九に見える若くて美しい麻姑が、多くの侍女とともに到着しました。麻姑が持ってきた御馳走を金の大皿に盛って、酒席が開かれました。この日、蔡経は、人を救い病を治すことのできる法を伝授されました。宴が終わると、王方平と麻姑は、乗り物を命じ、行列の支度ができると昇天したといわれています。
平成4年8月 上尾市教育委員会

001hikawa_mura009.jpg 【本殿に向って左側面上部彫刻】 黄鶴仙人と応夫人

黄鶴仙人(左側の彫刻)
彫刻は、善根を積む業績が認められた黄鶴仙人が、仙界の帝王の宮殿に伺候し、黄帝より仙薬の秘伝を書いた巻物を伝授されて、鶴に乗って下界に下ろうとする構図です。
黄鶴仙人とは費長房のことです。費長房の仙術の師は壺公です。
壺公は、町に出ては薬を売り、その収入を困っている人々に施していました。費長房は、壺公が凡人でないことを知り、無償で壺公に尽くしました。壺公は、費長房の誠実さを認めて仙術を伝授して、地上で病を治し諸々の災難を消すことに専念するよう申し渡したといわれています。
応夫人(右側の彫刻)
彫刻は、堂々たる応夫人と竜です。応夫人は、和楽器を扱う人人の祖神として崇拝されることがありますが、この本殿では、応夫人の琴によって祭神をなぐさめたいという願いがこめられているのでしょう。
応夫人は、仙界の女王といわれる西王母の侍女で、一弦の琴の名手といわれ、白竜に乗って飛行した仙人です。応夫人の彫刻は彫工の間で人気があったとみえ、県内の社寺にも点在しています。
平成4年8月 上尾市教育委員会

2009.3.30記
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