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ぎょうだ古墳めぐりの旅 #10

「稲荷山古墳」を下りて芝生広場周辺を散策してみました。
これについては【さきたま火祭り】で詳しく記載していますので、そちらを参照していただくことにしてこちらでは雰囲気のみを記述しておきます。

イベント会場 イベント会場 会場風景

産屋 産屋 そしてメインの産屋です。

昼食を兼ねて休憩をとりながら、しばしステージのパフォーマンスをみて体力回復を図って次なる古墳に向かいます。

将軍山古墳

「将軍山古墳」は芝生広場のほぼ東に位置しています。

将軍山古墳 芝生広場から東に向かって舗装道路を歩いていくと間もなく左手に「将軍山古墳」が現れます。

将軍山古墳
全長90mの前方後円墳です。明治27年(1894年)に横穴式石室が発掘され、多数の副葬品が出土しました。この石室には、千葉県富津市付近で産出する「房州石」が用いられており、古墳時代の関東地方における地域交流を考える上で重要な古墳です。
周囲には長方形の堀が中堤をはさんで二重に巡り、後円部と中堤には造出しと呼ばれる張り出しがあります。稲荷山古墳・二子山古墳と同じ形態です。古墳の造られた時期は、出土した遺物から6世紀後半と推定されています。
平成21年(2009年)3月 埼玉県教育委員会
(現地案内板説明文より)

この古墳はさきたま古墳群の中でも唯一内部に入れる古墳です。
前回はそんなことも知らずに、更に暑さに負けて「将軍山古墳」の外観さえ近くから眺めていないので、今回はじっくり見学したいと思っています。

将軍山古墳 将軍山古墳展示館 現在地の南側から東側に移ると、後円部の右後側からくびれ部にかけて「将軍山古墳展示館」のエントランスがあります。

チケット 入口で入館料200円を支払って入館します。

本来はさきたま史跡の博物館との共通チケットなので、博物館に先に入館していればそのらのチケットでこちらに入れるわけで、逆もまた有りなのです。

こちらの展示館は写真はOKとのことなので、内部の様子を収めておきました。
エントランスを入った左手に案内板があります。

将軍山古墳のあらまし
将軍山古墳は、埼玉古墳群の中では4番目の大きさで、はじめて横穴式石室を採用した前方後円墳として知られています。
古墳の周囲は、長方形の堀が二重にめぐり、後円部と堀の中堤に造出しを持つことから、稲荷山古墳、二子山古墳、鉄砲山古墳と同じ形態であることがわかりました。
このとこから、埼玉古墳群の第4代目の首長の墓ではないかと考えられています。
埋葬施設である石室からは、飾太刀・金製勾玉・銅椀・金銅製馬具・馬冑(馬の冑)・蛇行状鉄器など優れた遺物が出土しています。
なかでも馬冑は、朝鮮半島南部で多く出土することから、ここからもたらされて来たものと推定されています。 また、蛇行状鉄器も高句麗古墳の壁画にも描かれていることから、将軍山古墳に葬られた首長は、朝鮮半島との関わりが深い人物であったことが想定されています。
なお、古墳が造られた時期は、これらの副葬品などから、6世紀の後半には構築されていたと考えられます。
(館内パネル説明文より)

先に見た「稲荷山古墳」で出土した国宝金錯銘鉄剣には115文字が刻まれていたことは前述の通りです。
その内容は、「辛亥の年七月中に書きます。(私の名前は)ヲワケの臣。遠い先祖の名前はオホヒコ、その子(の名前)はタカリのスクネ、その子の名前はテヨカリワケ、その子の名前はタカヒシワケ、その子の名前はタサキワケ、その子の名前はハテヒ、その子の名前はカサヒヨ、その子の名前はヲワケの臣です。先祖代々杖刀人首(大王の親衛隊長)として今に至るまでお仕えしてきました。ワカタケル大王の朝廷が、シキの宮におかれている時に、私は大王が天下を治めるのを助けました。何回もたたいて鍛えあげたよく切れる刀を作らせて、私と一族のこれまでの大王にお仕えした由緒を書き残しておくものです。 」と記載されています。

ワカタケル大王は後の雄略天皇と考えられているので直接この東国の首長ではないことから、このヲワケの臣が首長だったのか、それとも更に別な首長がいたのかがよく判らないところです。
しかしながら、この鉄剣が埋葬品であることから考えると、この埋葬された人物が遺言代わりに鉄剣を埋葬させたとすれば、ヲワケの臣の墓ということになりますが、考え方によってはヲワケの臣の一代前のカサヒヨを埋葬するときに時の首長であるヲワケが埋葬させたという考え方もできます。
となると二子山古墳がヲワケの墓となるわけですね。
あくまで勝手な想像ですが…、これも1つの古代ロマンでしょうかね。想像するのは勝手ですから。

さてもう1つここでクローズアップされているのが馬冑という、文字通り馬の鎧ですが、いわゆる現在の競馬のサラブレッドがレースの際に顔に覆面のようなブリンカーが鉄でできているものと考えればよいでしょう。

馬冑 馬冑
《写真:(C)さきたま史跡の博物館》

競馬のブリンカーは小心馬や落ち着きの無い馬につけるのですが、このような鉄であったら馬も嫌がるでしょうね、きっと。

馬具図解 蛇行状鉄器は蛇のようにくねくねした鉄の棒のようなもので、先に旗のようなものを付けて使用したそうです。

高句麗古墳の壁画は【巾着田の曼珠沙華】で訪れた「高麗神社」でレプリカを見ましたが、そのような壁画があったでしょうか…。

古墳の断面 房州石 案内板の横に「将軍山古墳」の断面と、その手前に何の変哲も無い石が展示されています。

古墳の断面
この土層パネルは、すでに露出していた将軍山古墳の墳丘断面を剥ぎ取ったものです。転写されたと土層を観察すると、褐色の土・暗褐色の関東ローム層・橙色の関東ローム層が交互に積み重なっていることがわかります。
このことから古墳は、墳丘が崩れることを防ぐため、これらの土を交互に叩きしめながら積み上げていったことがわかります。
将軍山古墳の盛土は、周囲の地層と一致することから、古墳をめぐる堀の中の土が利用されました。』(館内パネル説明文より)

判りにくいですが、確かに交互に、といわれるとその通りなのですが、その当時土質の違うものを交互に積み重ねることによって強固になるという知識を持っていたことに驚きますね、単純に。

石室に使われた「房州石」
将軍山古墳の横穴式石室には、表面にたくさんの穴が開いている房州石と呼ばれる石が、壁石に使用されています。
この石は、千葉県富津市にある鋸山周辺の海岸にみられる凝灰質砂岩の表面に、貝が棲み込むための穴を開けたものです。今でも穴の中に貝殻が残っていることもあります。
房州石は、東京湾から川をさかのぼって運ばれたと考えられます。採取地より120kmも離れた古墳に使われていることは、将軍山古墳の築造者の強大な権力と房総地方との政治的な深いつながりが想定できます。
展示している房州石は、石室に使われていたものと同じ石です。どうぞ、さわってみてください。
(館内パネル説明文より)

何の変哲も無い石、では無かったようです。
確かに権力と支配という意味では「房州石」がここに存在しているのも理解できるのですが、何故「房州石」でなければならなかったのかが謎です。
触った感じは紛れも無い石です。ここのところは何の変哲も無い石でした。

将軍山古墳の埴輪 その先には1つの土器が展示されています。

将軍山古墳の埴輪
将軍山古墳の埴輪には、人や動物・武器などをかたどった形象埴輪と、筒状になった円筒埴輪がありますが、出土した埴輪の多くは円筒埴輪です。
将軍山古墳の円筒埴輪は、その形や土の違いなどから4種類に分けられます。一度に大量の埴輪を並べるために、複数の場所でつくる必要があったと考えられます。
しかし、将軍山古墳を最後に、埼玉古墳群ではこのような円筒埴輪を並べなくなってしまいます。
将軍山古墳の墳頂・中段・造出しには、出土した埴輪の模型を並べ、古墳がつくられた当時のようすを再現しています。
(館内パネル説明文より)

円筒埴輪については、鉄砲山古墳のところで普通円筒と朝顔形円筒の2種類あると知りましたが、土の違いということで、須恵器と土師器の2種類で計4種類ということでしょうか。
いずれにしても展示されている円筒埴輪は普通円筒の土師器ということで、後で古墳の外観を見ることにしましょう。

古墳時代の馬の装い 隣には先程もあった古墳の断面パネルで、更にそのとなりに展示されているのが騎馬の古代人像です。

復原! 古墳時代の馬の装い
わが国に騎馬の風習がはじまるのは、4世紀末ころからで、朝鮮半島との交流のなかで、はじめて騎馬術と馬具がもたらされました。馬具は5、6世紀の古墳に、副葬品として納められていますが、金属部分をつないでいた革や布・木質部分は、腐食してしまうため残りません。馬への装着方法は、馬具の形状や馬形埴輪を参考に復原しました。

将軍山古墳のような、金色に輝くきらびやかな馬具や旗をつけて飾りたてる馬は、儀式や祭典などの際に重要な役割を果たしました。時には馬冑をつけて武装し、威信を高めることもあったと考えられます。
(館内パネル説明文より)

鞍の後ろについている旗を立てているのが、前述した蛇行状鉄器です。
それほどゴテゴテしたものではなく、意外とすっきりした装備品です。馬冑をつけるともう少しおどろおどろした感じになるかもしれません。

この展示室は2階建てで、以上が1階部分の展示で次に2階にあがります。

埋葬施設 2階は埋葬施設とその埋葬方法が復元されています。

将軍山古墳は、埼玉古墳群で初めて横穴式石室を採用した古墳です。石室は石積みで造られ、棺を納めるための長方形の玄室と、外部から玄室に通じる羨道で構成されています。
側壁の石は、120キロメートルも離れた千葉県富津市の海岸で採取されたと考えられる「房州石」が使用され、天井には埼玉県長瀞町付近から採取される、大きな板状の緑泥片岩を使用していました。
現在は石積みの最下段だけが残り、他の部分の石は石室周辺の土とともに消失していました。また、羨道も全長の半分以上が失われています。
将軍山古墳の横穴式石室は、明治27年(1894)に最初の発掘が行われ、多数の豪華な遺物が出土していることで知られています。
しかし、遺物の多くは破損し、腐食していることから、これらの遺物の復原模型を製作し、石室内に副葬された当時の状態を想定して配置し、埋葬のようすを再現してみました。
遺体の安置には木棺が使われ、鏡・金環・玉・太刀は棺の中に納められます。矛や矢は棺の周辺に、銅碗や須恵器などの容器は棺の手前に置かれ、甲・冑などの武具、鞍・鐙などの馬具は各々がまとまりをもって置かれたと推定されます。
副葬品には時期差が認められることから、追葬が行われたことが考えられます。その際には古い副葬品は隅にかたずけられたようです。
(館内パネル説明文より)

ここではまず横穴式石室をもう少し知る必要がありそうです。
横穴式石室はイギリスの古墳などヨーロッパ、インドでは一般的な墳丘墓の埋葬施設ですが、日本では中国の影響を受けながら朝鮮半島諸国を経て日本で発展・盛行しものだそうです。
特に先の副葬品などでも顕著であったように、高句麗の影響が5世紀頃に百済や伽耶諸国を経由して日本にも伝播したと考えられており、主に6、7世紀の古墳で盛んに造られたそうです。
有名な奈良県の石舞台古墳のような巨石を用いるものが典型的な形態ですが、切石や平石を互目積にした磚槨式石室と呼ばれるものもあるのです。
巨石を用いた好例が4月の散策時の「八幡山古墳」の石室で、この「将軍山古墳」の復原をみると、こちらは磚槨式石室のように見受けられますが・・・。
構造の観点から見ると、説明にもあるとおり横穴式石室は棺を納める「玄室」と、玄室と外部とを結ぶ道である「羨道」というトンネル状の墓道で構成されたもので構成されていて、入口は一般に「羨門」と呼ばれているそうです。多くの羨道は玄室に比べて幅が狭く天井の高さも低いようです。
玄室が2室以上に及ぶ場合を複室構造と呼び、その場合は羨道に近い方を前室、遠いほうを奥室または玄室と呼ぶようです。典型的な「八幡山古墳」は前室と奥室の間に中室をもつ3室構造なのです。
これらの横穴式石室は竪穴式でも記載したように、思想の変化により追葬・合葬という概念から造り出された埋葬施設なのです。

埋葬施設 こちらの展示でも先の副葬品を見ることができます。

ここまで古墳の内部がしっかりとした展示館になっているのも珍しいのかもしれません。
やはりここは散策には外せない施設といえるでしょう。

展示室をでて、先ほどの埴輪を見るため古墳の周囲を散策します。

稲荷山古墳 後円部から北方向にあるのが「稲荷山古墳」です。

将軍山古墳全景 こちらが「将軍山古墳」の全景です。確かに「稲荷山古墳」に比べると小さいようです。

造出しの埴輪 このように円筒埴輪の普通円筒の所々に朝顔形円筒が置かれているのが見て取れます。

きちんと円筒埴輪数本に対して朝顔形埴輪1本の割合という定義にもとずいて配置されているようです。

将軍山古墳の埴輪 そしてここが祭祀がおこなわれたという造出しです。

この造出しに設置されている埴輪は、この周辺から出土した「靫形埴輪」と「盾形埴輪」をあえて配置したのだそうです。

この様に埴輪が立てられているには、当然理由があるわけです。但し明確な目的は絞られず、様々な説はあるようですが。

1.埋葬される偉人と一緒に殉死する代わりに人の形を作った日本書紀での殉死代用説
2.古墳に盛った土が崩れるのを防ぐ土留め説
3.古墳を美しく飾る装飾・荘厳説
4.縦方向の刷毛目と箍は、柴を縄で束ねた状態を表している柴垣説
5.宮殿の垣根と同様に神聖な場所を囲む玉垣説
6.近習者や日常使用の器物を供えた代用供説

などの諸説があるそうですが、現在では立てられている場所や種類、組み合わせ、時期などの違いにより一概には言えないのですが、埴輪が造られた初期には円筒埴輪や器材埴輪は墳頂部の埋葬施設がおかれた場所を方形に囲むように立てられていた事から、重要な場所としての境界、聖域を守るという区画・隔絶の表示であったと考えられているようです。
しかし5世紀になると墳丘以外の造出しや中堤など人目につくところに埴輪が置かれるようになったことから、儀式・祭宴の様子を再現しているのではないかと考えられています。
そして埴輪は7世紀のはじめ頃の前方後円墳の終焉とともに作られなくなったそうです。

埴輪一つでも奥深い歴史があることを知った古墳でした。

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