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御門通り

御門通りに戻って旧汐留川(首都高沿い)を新橋駅方面に向かった次の交差点は「難波橋」です。
難波橋 難波橋


恐らくここにも橋が架けられていたものと思われますが、ここには何の遺構もないようです。今や名前だけが当時を物語っていると言ったところでしょう。

先に進むとT字路の交差点に行き着きます。 ここが「土橋」の交差点です。

土橋

文字通りここの汐留川に掛かる「土橋」の跡です。
土橋 土橋


ここにも特に遺構はないようですが、ここで間違えそうなのが「土橋」というネーミングからイメージする橋は一般的には「土でできた橋」と考えるでしょう。
しかし、ここの「土橋」の場合は(というより一般的にこちらの意味のほうが通常のようですが)、あくまで木の橋の一種で、橋面に土をかけてならした橋のことを言うのだそうです。
では何故「土でできた橋」をイメージするかといえば、TVや写真で見る城における土で出来ている橋を良く見るからで、これは堀を横断する通路として設けられた土の堤のことなので、こちらの方が特異な例なのです。
基本的に土橋は、丸太を隙間無く並べて橋面を作った場合、橋面が凹凸になり、そのままでは歩きにくいため、そこに土をかけて踏み固めることによって、へこんだ部分に土が詰まって平坦にしたものです。
江戸時代までの日本の川に架かる橋の圧倒的多数はこの土橋で、板を橋面にした板橋は重要な橋の少数に限られ、石橋もまた僅かであったそうです。逆に言えば、この土橋こそが江戸を代表する橋だといえるのですね。

「土橋」の交差点から南方向が現在の「新橋駅」で、北方向が銀座・東京方面です。
見た目はT字路なのですが、実際には十字路の一方が首都高の入口、土橋ジャンクションとなっています。

土橋から新橋方面 土橋から銀座方面 左側の信号機のあたりが新橋駅で、右側が銀座方向です。


そしてこちらは土橋から汐留川沿いと同じ、首都高沿いの路地です。
土橋


ここで、若干話題がそれるのですが、非常に興味深いというか、私自身何十年間知らなかったことを知りました。
実はこの「土橋」ジャンクションのある周辺の首都高は首都高ではないということで、更に無料の首都高だったということを知ったのでした。
首都高は正式には「首都高速道路公団」(2005年民営化で現在は「首都高速道路」)が経営している有料道路で、国の政策として(当時は東京オリンピックの昭和39年に向けて)整備が進められてきました。 しかし、東京の高速道路の最初は民間企業によって作られたそうで、その企業は「東京高速道路」といい、昭和26(1551)年に財界人らによって設立された企業なのです。
そしてこの「東京高速道路」は汐留川、外堀、京橋川を埋め立てビルを建て、更にその屋上に高速道路を走らせるといった計画を実行したのでした。
昭和37(1962)年、首都高速道路公団が京橋-芝浦間4.5kmを開通させる3年前の昭和34(1559)年、東京高速道路が、この土橋-城辺橋(現在の有楽町ビックカメラ付近)までの約1kmが開通させ、その後の昭和41(1966)年に新京橋-蓬莱橋間の全線が開通して以来、ずっとこの区間はこの企業が運営しているのだそうです。
基本はビルの家賃によってまかなわれている為、道路は無料にしているそうなのです。
何十年も不思議に思っていたのは、確かに北池袋から八重洲線を走ると途中西銀座JCで乗り継ぎ券を貰い、先の汐留でその券を出していたのですが、なぜここだけ乗り継ぎ券があるのかが理解できませんでした。
つまり、この乗り継ぎ券は、有料の首都高から無料の東京高速道路株式会社線を通り、再び有料の首都高に入るためのものだったのです。
単純に考えれば有料の首都高を出て、無料の高速道を走り、再び有料の首都高に乗るのですから本来はそこからまた料金を払わなければならないわけです。それを無料で乗り継げるようにしたのが、この乗り継ぎ券だったのです。
この乗り継ぎ券を西銀座JCで受け取り、30分以内に汐留でこの乗り継ぎ券を渡せば、再び首都高の有料区間で料金を徴収されることはないというシステムだったようです。
何十年の謎が今解き明かされた気が(って、遅いといわれても…)します。

また、法律上は首都高速が道路法に基ずく自動車専用道路であるのに対して、この会社線は道路運送法に基づく一般自動車道であるため、全く別の制度に基ずく道路なのだそうです。ということは自転車で走っても構わない、ということでしょうかね。走ってみたいものですが…。

更に興味深いのは、この会社線の下のビルです。
「土橋」から「蓬莱橋」までの間にあるビルは銀座ナインというショッピング街になっています。かつて新橋センターという名称が昭和60年の改装で改名されたそうです。
そしてここはもともと汐留川という中央区と港区の区境で、現在でも正式に行政上の所属が決まっていないため、テナントに郵便物等を届ける場合、便宜上テナントの入口がどちらの区に向いているかによって地番外地名を通称で付けているそうです。
そんなこともあって銀座9丁目(現在は8丁目までしかない)でありたいとの願いから銀座9(ナイン)と命名された経緯もあったようです。昭和の時代の話ですが、実にそそられる話題です。
因みに「土橋」から先のコリドー街も千代田区と中央区の区境なので正式な地番がないそうです。
そんな銀座ナインを眺めながら、御門通りを「新橋」へ戻り、そこから更に御門通りを先に進みます。

芝口御門

「新橋」から御門通りを南東に10m位進むと左側に「芝口御門跡」碑があります。
石碑には芝口門の絵が銅版にエッチングされており、当時の芝口門の姿を見ることができます。
芝口御門 芝口御門


芝口御門跡
所在地 中央区銀座8-8・9・10付近
ここの南方、高速道路の下には、もと汐留川が流れ、中央通り(旧東海道)には、昭和39年まで新橋が架かっていました。
宝永7年(1710)、朝鮮の聘使の来朝に備えて、新井白石の建策にもとづき我が国の威光を顕示するため、この新橋の北詰に、現の外桜田門に見られるような城門が建設されて、芝口御門と呼ばれ、新橋は芝口橋と改称されました。
城門は橋の北詰を石垣で囲って枡形とし、橋のたもとの冠木門から枡形に入って右に曲がると、渡櫓があって堅固な門扉が設けられていました。しかしこの芝口御門は建築後15年目の享保9年(1724)正月の焼失して以来、再建されず、石垣も撤去され、芝口橋は新橋の旧称に復しました。
昭和52年10月 中央区教育委員会』(現地案内板説明文より)

やはり朝鮮使節の来日に関して建設されたものですが、警護という意味ではなく威光を誇るためとは考えつかなかったですね。
8回目の使節ですから今更の感はあるのですが、やはり当時としては重要だったのでしょう。
東京オリンピックにより世界に日本が誇るために、様々な取り組みがされ、結果としてこの汐留川もなくなったのですから、歴史は繰り返すといったところでしょうかね。

御門通りにはモニュメントの時計が置かれています
御門通り


その御門通りを更に進むと左側(高速道路の脇)に大きな石が置かれていて案内板が立っています。
三十間堀
恐らく案内板が無ければ誰も気がつかない石です。

三十間堀跡
所在地 中央区銀座1から8丁目地域
三十間堀は、現在の中央通りと昭和通との間にあった、京橋川から汐留川にいたる入堀です。慶長17年(1612)江戸の舟入堀を整備するため、西国大名に開削工事を命じて完成しました。名称は堀幅が三十間あったことに由来します。
江戸時代、西岸は三十間堀1から8丁目、東岸は木挽町1から7丁目で、沿岸には舟運の荷揚場として河岸地がありました。江戸時代初めの「武州豊島郡江戸庄図(寛永江戸図)には、堀の東側に尾張徳川家と紀伊徳川家の蔵屋敷が並び、更に、京極・加藤・松平といった大名屋敷が並んでいる様子が描かれています。
文政11年(1828)には両岸の河岸地が広げられ、堀幅は十九間に狭められましたが、その後も舟が盛んに行き交い、多くの荷物の運搬に利用されていました。
明治17年(1884)の地図からは、北は真福寺橋・豊蔵橋・紀伊国橋・豊玉橋・朝日橋・三原橋・木挽橋・出雲橋といった多くの橋が架けられていたことがわかります。
三十間堀は、戦後灰燼の山を処理するために、昭和23年(1948)から埋め立てが進められ、同27年7月の完了してその姿を消しました。平成20年3月 中央区教育委員会』(現地案内板説明文より)

ちょうど首都高速の脇ですから、この辺りが汐留川と三十間堀の合流するところだったのでしょう。
そして、一筋だけ他の道路より細いこの道路が三十間堀だったようです。
三十間堀跡
何となく川面の涼しげな風と荷揚場の喧騒が伝わってくるような風情を…、無理やり思い浮かべてみました。

もう一つ案内板があります。

『向かって左側に積み上げられた五個の築石は、三十間堀のもので、8丁目12番地9号護岸より発掘されたものです。
右側の石は、約1トン半あり8丁目10番地の4号、旧料亭蜂龍跡地から発掘されたもので、ここは江戸名所図絵にも描かれ、今日の信楽通りの源である「信楽茶屋」跡と言い伝えられております。』(現地案内板説明文より)

どちらの石も良く見なければ樹木に覆われて良くわからない状況です。
三十間堀 右上の大きな石が旧料亭蜂龍跡の石で、左下側のひびが入っているような石が堀の石です。


それにしても三十間堀にしろ信楽茶屋にしろ江戸名所図会にもあるのでじっくり散策したものですが、今回は新橋ということで、余り範囲を広げすぎると思考も体力も徐々に怪しくなるので、今回はこのまま先に進むことにして、銀座はまた別の機会にゆっくり散策してみたいと思っています。

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