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将軍に仕えた旗本・松下氏ゆかりの供養塔を伝える

概要

山門前には老桜(ろうおう)と2基の大きな地蔵尊があり、かわいらしい小さな6地蔵尊が左右に並んで参詣者を迎えてくれる。
放光院は新義真言宗の寺院で、安養山と号し、開山の教養(きょうよう)上人(しょうにん)は慶長19(1614)年に没しているので、江戸時代初めの草創ということになる(『新編武蔵風土記稿』)。

『寺院・堂庵明細帳』では元禄13(1700)年開基と記されているが、放光院を菩提寺(ぼだいじ)にしている旗本松下氏の初代房利(ふさとし)は延宝4(1676)年8月に没し、この寺院に葬られている。松下房利は通称彦兵衛(ひこべえ)、御小姓(おこしょう)組の番士(ばんし)で、寛永10(1633)年2月に上尾下村・門前村(部分)・須ヶ谷村(部分)などで400石の領地を与えられている(『寛成重修諸家譜』)。松下氏が放光院を菩提寺にした年は不明であるが、所領の拝領年や初代房利の没年からみて、放光院の草創は元禄13年ではなく、江戸時代初期であったとみられる。 本堂に進み参拝することになるが、本尊の木造宝冠阿弥陀座像は市指定の文化財である。江戸中期の作といわれ、像高46.7センチメートル、寄せ木造り、玉眼、上品(じょうぼん)上生(じょうしょう)の印相(いんぞう)である。密教的色彩の強い像といわれ、蓮台の下に密教法具である五鈷杵(ごこしょ)2本を組み合わせたものが置かれ、大変注目される(『上尾市史』第9巻、『上尾の指定文化財』)。

本堂の手前左手に「松下豊前守(ぶぜんのかみ)房利の供養塔」があり、これも市指定の文化財になっている。先にも触れたように放光院は松下氏の菩提寺であり、房利ら歴代当主の墓があったが、明治になり墓は東京都の愛染院(あいぜんいん)(新宿区)に移されているので、現在では供養塔が唯一の松下氏ゆかりのものである。宝篋印塔(ほうきょういんとう)形のこの供養塔は、安永4(1775)年の房利百回忌に孫の蔵人(くろうど)統?(むねのり)が建立したものである。
統?も祖父房利と同じ旗本で、供養塔建立時は小納戸(こなんど)役で将軍に近侍(きんじ)している。供養塔台座に「百回忌為供養建立」と刻まれており、「施主松下蔵人統?」の文字も読み取ることができる。上尾市域は旗本領は多いが、歴史遺跡は少ないだけに非常に貴重である(前掲書)。
(上尾市Webサイトより)

◆放光院 : 上尾市大字上尾下754 《所在地地図

放光院

002hoko001.jpg 002hoko002.jpg 002hoko004.jpg 【放光院参道と本堂】

放光院・文化財

木造宝冠阿弥陀坐像

002hoko003.jpg 002hoko006.jpg 【木造宝冠阿弥陀坐像】

上尾市指定有形文化財 木造宝冠阿弥陀坐像 
上尾市大字上尾下754 放光院
昭和49年8月5日指定
如来は衣のほかは一切の飾りをつけていないものであるが、密教がすべての仏の根元として大日如来を立てて最上級の飾りをつけたことの影響によって釈迦如来や阿弥陀如来にも宝冠をつけ、その他の飾りで装厳するものが見うけられるようになった。
本尊の木造阿弥陀如来坐像は結髪をし、宝冠をかぶり、臂釧・腕釧・首飾りをつけた、いわゆる宝冠阿弥陀である。印契は両手とも第一指と大に指の指頭を接して膝の上に組む阿弥陀の定印にもかかわらずこのような飾りをつけているのは、明らかに密教的なものであることを示している。蓮台の下には密教法具である五鈷杵二本を組み合わせたものが置かれこのような台座は珍しい。
作は放光院創建の時期の江戸時代初期のものと見られる。法身の高さは46センチメートル、台座の高さは53センチメートルである。
龍真寺(菅谷)の宝冠釈迦と放光院の宝冠阿弥陀のほかは、市内では宝冠の如来は発見されていない。
昭和63年12月 上尾市教育委員会

松下豊前守房利の供養塔

002hoko005.jpg 【松下豊前守房利の供養塔】

上尾市指定史跡 松下豊前守房利の供養塔
上尾市大字上尾下754 放光院
昭和34年1月1日指定
この地区は昔の上尾下村であり、この辺一帯が寛永十年(1633)に松下彦兵衛に領地として与えられたことが「新編武蔵風土記稿」に記載され,これが豊前守房利であろう。房利は秀雅という僧を招いて放光院を創建し、代々松下家の菩提寺となってきた。
明治維新時の領主は子孫の松下鎌太郎で、上尾下村のほか近村その他を合して九百石を領していた。
こういう関係から松下家代々の墓が並び立っていたが、明治年間に東京四谷塩町(現新宿区)の愛染院を新たに松下家の菩提寺とし、数十基に及ぶ一族の墓石等はすべて同寺に移された。ただ一基放光院に残されたのがこの供養塔である。
房利は延宝四年(1676)に七十一歳で没し、子孫の松下蔵人統均が安永四年(1775)に房利の百回忌供養のために建立したのがこの塔である。
昭和56年3月20日 上尾市教育委員会

2009.4.2記
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