新橋駅界隈

今回の彷徨はサラリーマンの聖地とも言われる新橋駅烏森口周辺です。
ヨッパライのオッサンが総出演する新橋駅前のSL広場はもう全国的にメジャーです。何せ朝夕の通勤時、驚くべきことに新橋駅には色が無いのです。つまり他の駅と比べて白そして、グレーか紺、または黒のモノトーンカラーのサラリーマンで溢れかえるからです。
勿論。OLもいないわけではないのですが、圧倒的な比率によってOLの着るカラフルな色彩は殆ど迷彩色と化してしまうのです。
そして、夕方から夜にかけてはサラリーマンのパラダイスとなります。
リーズナブルな料金で、他愛の無い馬鹿話や、不満・愚痴のオンパレード、でもそれがさも当たり前に見えるのが新橋の新橋たる所以です。 同じ新橋でも先に訪れた東新橋(汐留エリア)はセレブ地区、そして西新橋(烏森エリア)は庶民地区と、まさにアパルトヘイトのようなエリア対比となっているようです。
そんな魅力的(!?)な烏森エリア街を今回は彷徨います。

新橋駅汐留口周辺

今回のスタートは前回同様の国道15号線、通称第一京浜道路上にあるゆりかもめ新橋駅です。
ゆりかもめ新橋駅
この国道15号線を先に進むと【新橋・汐留彷徨】でスタートした新橋交差点があります。
ゆりかもめは正式には東京臨海新交通臨海線というとっても覚えにくい名称で、1996年に開催される予定だった世界都市博覧会のアクセス線として当時注目を浴びたのですが、時の青島都知事の中止により40億円の赤字を出すといわれていたそうです。 しかし、開業後はお台場・有明・汐留シオサイト・フジテレビ・パレットタウンなど多彩な観光資源があることから最近の新線では数少ない黒字となっているようです。
その始発駅である新橋駅がこの橋上の駅なのです。
最近では、通常の日では東京ビッグサイトのイベント開催時には多少混むものの、平常時はそれほど混雑するわけではないのですが、夏休み期間中などは驚くほど混雑し、また普段見かけない人種で新橋駅が溢れている光景を見ることもでき、非常にアンバランスな面白い街に変貌しつつあるようです。
そんな時初めて新橋駅がカラフルになるのです。

ゆりかもめ新橋駅を頭上に見ながら、JR新橋方面に向かうと、ゆりかもめ新橋駅の左手方向に新橋第一ビルがあります。
ゆりかもめ新橋駅 ニュー新橋ビル ちょうど新橋駅汐留口のロータリーの先になります。

狸像 そしてこの新橋第一ビルの入口には大きな狸の像が置かれています。「開運狸」というようです。

開運狸の由来
江戸時代の新橋は狐・狸・狼が出没するような所でけもの道が沢山ある人はよりつかなかった。
明治時代になり鉄道建設の為この近辺の開拓に当たったところ、狸の巣があり子狸が三匹も見つかり、作業員が餌を与え、三つの小屋を作ってあげたと云う。その場所が丁度このビルの所でした。子狸がどこかに行った後、残された狸小屋に人が集まって酒を飲んだりしたのでその辺りに飲食街が出来、これを「狸小路」と称する様になった。
「狸小路」は新橋駅前正面にあり、虎ノ門の官庁街に行く人の通り路であり、皆様からも愛される東京の道標となった。
古くから親しまれた「狸小路」はこのビルが建設されて無くなったが、懐かしい思い出を残そうとのことから今回この銅像を建立した。
「開運狸」と命名し新橋駅を見守りながら全国の方々の開運を祈念しております。
平成三年三月 』(現地案内板説明文より)

なかなか面白い由来です。
昭和38年の航空地図に寄れば確かに新橋第一ビルはなく、小さな建物が密集しているように見えますので、この辺りが飲食街だったのかもしれません。

地下街 ですが、現在でも新橋第一ビルの1階や地下には、客が5.6人入れば一杯になってしまうような飲み屋などがあり、今だ当時の「狸小路」を髣髴とさせているようです。。

JR新橋駅 新橋第一ビルから新橋駅に廻ります。

ちょうどゆりかもめ新橋駅入口の反対側の新橋駅の前には、機関車の車輪と石碑が残されています。
車輪碑

D51機関車の動輪
D51形機関車は1936年(昭和11年)に誕生した機関車です。10年間で1,115両と、日本のSLでは一形式で最多の両数が製造され、戦前・戦後を通じて全国各地で、主に貨物用として活躍しました。「デゴイチ」などの愛称で親しまれ、蒸気機関車の代名詞にもなり、1975年(昭和50年)のSL最後の運転まで重用され、使命を全うしました。展示されている動輪は、1976年(昭和51年)の総武・横須賀線乗り入れ記念として、北海道の札幌鉄道管理局から譲り受け、鉄道発祥の地である新橋駅に設置したものです。
鉄道唱歌の碑
1957年(昭和32年)10月4日の鉄道開通85周年記念日に鉄道唱歌の作詞家、大和田健樹生誕100年を記念して新橋駅に建立されました。鉄道唱歌は、長い間私たちのために働いた鉄道を讃えるだけでなく、明治時代の文学者大和田建樹自身が実際に汽車に乗ってつぶさに日本国内を旅行した見聞録です。』(現地案内板説明文より)

さすがに鉄道発祥の地、新橋だけのことはある記念碑です。
ここから新橋駅を通り抜けていよいよサラリーマンのパラダイス烏森口へ向かいます。

新橋駅烏森口周辺

さてこの新橋駅ですが、少々ややこしい歴史を持っています。
そもそも新橋駅はご存知の通り日本で始めて鉄道が開通した際の起点駅で、それは以前【「新橋・汐留」彷徨】での復元された新橋駅が始まりでした。
その後、復元された新橋駅は東海道線が神戸まで開通する際の東京の玄関口として扱われたのです。これは当時交通渋滞などの理由から上野から新橋までの鉄道が敷設できない理由からでした。
旧新橋駅遺構 その当時の遺構が現在の新橋駅に残っています。

明治42年烏森駅開業時「柱」の由来
明治5年(1872年)、新橋・横浜間に日本で最初の鉄道が開業いたしました。
当時の新橋駅は、現在の東新橋付近に設置され、「新橋停車場」として親しまれましたが、大正3年(1914年)、東京駅開業により42年間の幕を閉じました。
なお、それまで使用されてきた、同駅は「汐留駅」と改称し昭和61年に役割を終えました。
現在の駅は明治42年(1909年)12月、わが国初の高架駅(烏森駅)として誕生、同時に山手線電化工事が完成し、烏森、品川、新宿、池袋、田端、上野間で電車運転を開始いたしました。
そして、大正3年(1914年)12月、東京駅開業に合わせて新橋駅と改称し現在に至っています。
平成14年(2002年)3,4番線ホームエスカレーター新設に伴う解体工事のため、93年間ホーム階段を支えてきた「明治41年製造」の柱を取りはずし現在地にて保存することになりました。
平成14年7月 新橋駅長』(現地案内板説明文より)

なるほどこれで良く理解できます。
つまり、前述したように上野(東京駅経由)新橋間は、まだ鉄道が開通していなかったのですが、上野(新宿経由)新橋間(現在の山の手線の前身)としては開通していたため、こちらの路線の(新橋にある)駅が烏森駅で、現在の東海道線の起点となる(汐留にある)駅が新橋駅だったということです。
そしてその後、当時の私鉄、甲武鉄道が立川から御茶ノ水までの鉄路を敷いた後、鉄道は官営となり、御茶ノ水から万世橋駅、神田駅、東京駅、有楽町駅、そして烏森駅を貫く赤煉瓦高架橋構想の鉄道を敷設したのでした。
これにより上野(東京駅経由)新橋間がつながり、東海道線の起点が(汐留にあった)新橋駅から東京駅に変った為、東京駅からつながっている烏森駅を新橋駅に改め、(汐留にあった)新橋駅を汐留駅に改め、更にその汐留駅は東京駅からの東海道線のラインと外れたため、貨物駅となったのですね。
そして烏森駅を改名した新橋駅は当時、万世橋駅、東京駅と並んだターミナル駅なので、3駅とも辰野金伍の設計による赤煉瓦駅舎だったのです。
万世橋駅 東京駅 新橋駅(旧烏森駅) 左から万世橋駅、東京駅、新橋駅ですが、まるで3兄弟のような駅舎です。

随分と立派な駅舎だったようですが、関東大震災、太平洋戦争を経て、万世橋駅は廃止され、新橋駅は新しく駅舎が改修され現在、万世橋駅は遺構があり、東京駅は現在も使用されていて、新橋駅だけが何も残っていない状況なのです。
そのような中での新橋駅の遺構ですから、柱1本といえども大変貴重な遺構と言わざるをえないでしょうね。

さて新橋駅の横断通路を抜けると烏森口です。
ニュー新橋ビル 目の前には今や新橋のランドマークとも言えるニュー新橋ビルの、あみだくじ模様(勝手にそう呼んでいる)のビルが鎮座しています。

1階には洋服の青山などのショップがあり、5着5998円のワイシャツが販売されているところが実に新橋らしい所以です。
しかし、2階に上がると様相は変化し、昼日向から大丈夫か・・・、とも思えるような店舗がひしめいており、怪しげな中国語イントネーションの日本語と共に、まさにカオス状態のビルなのです。
何故、このようなカオスビルとなったのかは、その歴史を紐解くと多少理解できるようです。

『新橋は古くから烏森を中心に南地と呼ばれる一流花柳界でしたが、戦後は大衆文化が根づき、大衆娯楽ゾーンとしてサラリーマンを対象にした商業地区として繁栄してきています。西口駅前にニュー新橋ビルが建ったのは昭和46年のことです。
それ以前は、戦後のヤミ市からの飲食店が300以上ひしめき合い、現在のSL広場には場外馬券売り場があり賑わっていました。防災上の観点などから東京都が開発を行い、当時としては斬新なデザインでモダーンな11階建のニュー新橋ビルがオープンし、同時に商店会も誕生しました。
以来、今年でちょうど30周年目を迎えました。その間には、区分所有型ビルのため商店会としてまとまりづらいデメリットもありましたが、そんな苦難を乗り越え今日に至っています。まさに雑居ビルの典型がこのニュー新橋ビルです。新橋のランドマーク、新橋西口には無くてはならない存在となっています。 』(ニュー新橋ビル商店連合会サイトより)

ということで、もともとは戦後の新橋闇市のクリアランス対策だったために、その筋の(どんな筋!?)店舗が残り、紆余曲折の挙句に現在の店舗が成り立ったという、誠に身勝手な推測です。
面白いのは地下から4階までが店舗階なのですが、それぞれの階毎に商店会がつくられているのです。それぞれ地下商店会、1階商店会、2階商店会、3階三栄会、4階商店会といった具合です。
それにしても一目でニュー新橋ビルとわかるこのデザインは、まさに昭和の遺産と云えるでしょう。

本来ならこのニュー新橋ビルの左側の通りが烏森通りなのですが、ここはやはり一度新橋の更なるランドマークSL広場に向かいます。
新橋駅日比谷口 線路沿いを北に向かうと新橋駅の日比谷口です。

今や一部コンクリートに塗られていますが、嘗てはすべてが煉瓦で覆われていたのです。いずれ御茶ノ水・新橋間の赤煉瓦高架橋もいつしか煉瓦でなくなってしまうのでしょうかね。
SL広場さてこの出口の先が、かの有名なインタビューの名所とも言われるSL広場です。

なぜSL広場なのかは、ご覧通りSLが設置されているからです(当たり前!?)。
SLC11
このSLはC11 292号という蒸気機関車で昭和20年に製造されたもので、走行距離108万3975Kmで最初から最後まで一つの機関区にいた珍しいSLで、鉄道100年を記念して昭和47年設置されたものだそうです。
これも鉄道発祥の街故のことでしょう。

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