東郷神社 #1

千駄ヶ谷周辺の近世を堪能し、ここからは原宿方面に向いますが、その前に昼食を済ませます。
原宿に向う途中の【香港ロジ】なる中華店で昼食にしました。粥専門とありますが、一体どんな中華が食べられるのでしょうか。
なかなか美味しい昼食を済ませていざ原宿へです。

表参道

江戸時代までを千駄ヶ谷で堪能した後は、明治時代以降を原宿周辺で楽しみます。
その最初が「東郷神社」です。
「東郷神社」といえば、現在スペシャル大河「坂の上の雲」でも再三登場する日露戦争でバルチック艦隊を破った日本連合艦隊の総司令官・東郷平八郎元帥を祀った神社という事は言わずもがなです。
現在日本の神社では、日本神話に登場する神を祭神としているか、日本神話の神と同神であるとしている神社が圧倒的に多いようです。例えば伊弉諾尊 と伊弉冉尊、天照大神と素戔嗚尊、神武天皇などが比較的メジャーでしょう。 これはそもそも創建が古いということで、より神秘的で、より崇高な神ということで伝承されているようです。
このような中で、実際に生存がほぼ疑いの余地のない人物が祭神となっている神社も多少あるようです。多くは戦国時代の武将に多いようで、これらは別格官幣社と言われ、明治政府が功臣と認めた実在の人物を祀る神社で、当時28社あったようです。
例えば東照宮の徳川家康や、豊臣秀吉の豊国神社、織田信長の建勲神社などです。

それ以外に実在し人を祭神とした神社はそれ程多くはありませんので列挙してみます。
●吉田松蔭:松陰神社(東京世田谷区・山口県萩市)
●二宮尊徳:報徳二宮神社(神奈川県小田原市)
●大石内蔵助ほか:大石神社(兵庫県赤穂市)
●児玉源太郎(大将):児玉神社(神奈川県藤沢市・山口県周南市)
●西郷従道(西郷隆盛の弟):西郷神社(栃木県大田原市)
●乃木希典:乃木神社(東京港区)
●広瀬武夫(中佐):広瀬神社(大分県竹田市)
●橘周太(中佐):橘神社(長崎県雲仙市)
他にもあるかもしれませんが(戦国武将は除きます)、ざっと調べると以上のとおりです。そう簡単に誰でも神になってしまったら大変ですから少ないのも至極当たり前です。
功績は勿論のこと、性格・人格的にも優れた人だけが選ばれるからでしょう。

前置きが長くなりましたが「東郷神社」に到着です。
東郷神社社号標と鳥居 大きな社号標と重量感ある灯籠、そして荘厳な木製の鳥居です。

第一駆逐隊奉納灯篭 参道を進むと早速「第一駆逐隊」と刻まれた灯篭があります。

第1駆逐隊
第1駆逐隊は日露戦争直前の明治36年(1903年)我国最初の駆逐隊として編成され、日露戦争に参加ののち、大正9年迄艦隊第一線で活躍後、一旦解隊された。大正11年(1922年)改めて第1駆逐隊が野風、沼風で編成され、続いて波風、神風が加わり、昭和初期まで連合艦隊の新鋭駆逐隊として活躍した。
その後は主に大湊(むつ市)を基地として、オホーツク海及び千島列島、カムチャッカ半島沿岸の漁業保護に尽力、その発展に大きな力となった。
大東亜戦争では北はアッツ、キスカ方面から南は印度洋ジャワ方面まで幾多の戦闘に参加、野風、沼風は勇戦空しく沈没したものの神風、波風は一部損傷を受けたが最期迄戦い抜き、神風はシンガポールにおいて、波風は瀬戸内海で終戦を迎えた。この間渡辺保正司令、山下喜義沼風艦長外540名の方々が国に殉じられた。
この燈籠は青春を国に捧げ、若くして戦に殉じられた勇敢な戦友と、最後まで海上で戦い抜き、戦後の復興に尽力、物故した乗員の霊を慰め、我が国永遠の平和を念願して、駆逐艦神風会が、駆逐艦波風会有志及び司令各艦乗員御遺族ならびに、この主旨に賛同の方々の協力をえて建立、奉納したものである。
昭和62年6月20日 駆逐艦神風会
(現地石碑碑文より)

嘗て「丸」の愛読者の私としては紐解かずにはいられません。まず最初に知っておかなければならないのが駆逐艦って何、からでしょう。
明治時代初めの頃、高価な大型戦闘艦を導入できない経済力に乏しい国の海軍がこぞって導入したのが水雷艇で、自走式の水雷兵器である魚雷が開発されると水雷艇は安価で強力な兵器とされ、海のギャングとして暴れまくっていたようです。
この小回りとスピードのある水雷艇を駆逐するための艦艇として開発されたのが、文字通り水雷艇駆逐艦です。その後、第1次世界大戦では水雷艇以外にも、対潜水艦用として活躍し、第2次世界大戦では対空・対潜が主任務となったそうです。
そして現在では1隻で対空・対潜・対艦の3役をこなすことが可能になり従来の戦艦や巡洋艦の役割も駆逐艦が吸収することになったのです。
日本でも有名なイージス艦である「こんごう型護衛艦」も艦種は「ミサイル護衛艦(ミサイル駆逐艦)」なのです。

駆逐艦の概略が理解できたなら次なるは「駆逐隊」です。
文字通り駆逐艦の集合体を言うのであろうことはおぼろげながら理解出来ますが、まず艦艇の種類を知りましょう。
旧海軍最終時(1945年)での艦艇の種類は大きく分けると1.軍艦、2.軍艦以外の艦艇、3.特務艦艇の3分類となります。
そしてその中に用途・大きさで別れています。
1.軍艦:戦艦、巡洋艦、航空母艦、敷設艦、潜水母艦、練習戦艦、練習巡洋艦、水上機母艦
2.軍艦以外の艦艇:駆逐艦、潜水艦、砲艦、海防艦、水雷艇、掃海艇、敷設艇、駆潜艇、哨戒艇、輸送艦
3.特務艦艇:A.特務艦:工作艦、運送艦、砕氷艦、測量艦、練習特務艦、標的艦、B.特務艇:敷設特務艇、掃海特務艇
という分類となるのです。

これが駆逐艦の出現した明治38年頃は以下のような分類となります。
艦艇
1.軍艦:戦艦(一等・二等)、巡洋艦(一等・・・三等)、海防艦(一等・・・三等)、砲艦(一等・二等)、通報艦、水雷母艦、駆逐艦 
2.水雷艇:水雷艇(一等・・・四等)、潜水艇
艦艇の種類の違いもありますので、終戦時と比べるとシンプルです。

そしてこのように分類された部隊を適時組み合わせて部隊編成単位としたものの最小編成が「隊」なのです。
駆逐艦の場合は、駆逐艦2隻以上を「駆逐隊」と呼んでいます。他に軍艦・巡洋艦は「戦隊」、航空母艦は「航空艦隊」などということになります。
そしてこの「隊」が2個隊以上で「戦隊」となり、2個戦隊以上で「艦隊」となり、2個艦隊以上で方面艦隊・機動艦隊等という編成になるのです。そして2個以上の常設の艦隊で編成した非常設の艦隊を連合艦隊というのです。

これで凡そのバックボーンは理解できましたので、「第1駆逐隊」について調べてみました。その歴史は3つに分けられるようです。

第1期
1905(明治38)年、駆逐艦・有明、吹雪、霰、弥生で新編成
1914(大正3)年、巡洋艦音羽等と第1艦隊隷下に第1水雷戦隊を編成
1917(大正6)年、第4駆逐隊と改称

第2期
1917(大正6)年、駆逐艦・磯風、浜風、天津風、時津風で第2艦隊第2水雷戦隊隷下に新編
1918(大正7)年、時津風が座礁大破
1920(大正9)年、各艦の舞鶴転出により第33駆逐隊と改称

第3期

第一駆逐隊 解説
峯風級(3隻)+神風級(1隻)]の4隻で編制された駆逐隊
大湊所属の警備駆逐隊であり、本土周辺・北方方面の警備に従事するが、戦局の悪化に伴ない南方航路護衛任務に抽出された。
各艦は順次南方戦線に抽出されていく。まず司令駆逐艦であった『沼風』が南方に向かい失われ、つづいて『波風』が北千島で航行不能となった。最後の『野風』『神風』に南方進出が命ぜられたのは1945年(昭和20年)になってからである。1月10日、大湊を出港し、南方に向かう最後の船団の護衛に就く。 2月11日、基隆を出港しシンガポールに向かうが途中『野風』が被雷し、残存は『神風』ただ1隻となった。(『波風』は修理が完了し、瀬戸内海西部に移動)
2月15日、『汐風』『朝顔』が第三十駆逐隊(この時点では名目のみの編制)から編入され、瀬戸内海に配備された。
『神風』は第五戦隊附属と成ったが、南方に残った残存艦艇(『羽黒』『足柄』)も失われ、終戦の時まで戦い続けられた艦艇は『神風』ただ1艦であった。
駆逐隊司令
香川清澄大佐(46期)1941/10/10-1943/4/30、脇田喜一郎大佐(48期)1943/5/1-1943/8/19、渡辺保正大佐(49期)1943/8/20-1943/12/19、春日均少佐(59期)1943/12/20-1945/8/15『神風』艦長(兼任)
(Webite「ENDLESS LIFE」より)

第1駆逐隊一つでも興味深い歴史があるのですが、駆逐隊だけでも30以上の隊があり、更に駆逐隊以外の隊が沢山あるのですから、隊の数だけ歴史があるといっても壮大な歴史となるのでしょう。
詳しいデータなどは下記のサイトが非常に判りやすいです。

参考:【ENDLESS LIFE】「駆逐隊編成」 http://www.jyai.net/military/data-08/kuchikutai_01.htm#001

参道の一の鳥居をくぐっただけでこれだけの歴史ですから、この先が楽しみでもあり・・・。

神池

表参道を進むとその先に視界が開け「神池」が広がります。
東郷記念館 水交社庭園 右手に和風の門と日本庭園が見えます。
そこは財団法人水交会が置かれているようです。

財団法人水交会は、帝国海軍戦没者及び海上自衛隊殉職隊員等の慰霊顕彰・海軍の良き伝統精神の継承・海上自衛隊に対する支援協力を目的として、当初は1876年に海軍省の外郭団体として発足し、1945年の終戦と共に一旦解散しますが、1952年有志により再結成され、1954年財団法人として設立された法人です。現在会員は8000名を越え、その半数は海上自衛隊関係者だそうです。
そして現在その本部がこの東郷神社内に置かれているのです。したがって、こちらからは許可無く入れないように門が閉ざされているのです。

その先に見える大きな建物が東郷記念館で、今や結婚式等で有名ですね。
この東郷記念館で挙式する方は、東郷神社本殿での神前式への3つの進み方があるそうです。
1.神職に先導された新郎新婦が、美しい雅楽の音色のなかで、この神池の橋から本殿まで進む庭参進
2.太鼓の音が響き渡る中を、神職の先導のもと東郷神社本殿と東郷記念館を結ぶ朱の回廊を進む回廊参進
3.かがり火・灯篭が幻想的に揺らめく中、本殿に進みかがり火の炎に照らされながら挙式を行なうかがり火参進
があるそうで、さすがに神社らしい演出が用意されているのです。

神池 水交社鳥居 さてその神池に浮かぶ橋を渡ると途中に鳥居があります。

水交神社鳥居の由来
この鳥居は、もと築地・海軍用地(現在の東京中央卸売市場)の水交社敷地内にあった水交神社の二代目の鳥居です。
水交神社は、日清戦争に際し、海軍の戦勝を祈願し全国から寄せられた神符・護符を奉安し、また同戦役以降の戦没者員の霊を合祀するため創建された神社で、その初代の鳥居は戦利品の魚雷で作った異形のものであったため、明治44年に神明鳥居に建替えられました。

水交神社とその鳥居は、関東大震災の災禍をまぬがれ、昭和3年に水交社が芝区栄町(現在の東京タワー北西隣)に移転した際、同地に遷座されました。その後社殿は昭和20年3月の東京大空襲で焼失しましたが、この鳥居だけは殷損をまぬかれました。しかし戦後、東京水交社の建物と共に進駐軍に接収され、その後曲折を経て昭和56年、同地に新しくビルが建てられることになったので、鳥居は財団法人水交会に返還され、同年6月15日、由縁深い東郷神社に奉納されたものであります。
この鳥居は、半世紀もの間、変転する日本海軍を見つめつづけ、二度の大災禍にも堪えてきたものであります。そして皇族方や海軍大臣以下多くの武官文官、また水交神社で結婚式を挙げた方など、この鳥居をくぐった人々は数えきれません。以上
(現地案内板説明文)

当時の水交社の建物についても興味深い事実があります。
説明にもあるとおり戦後、水交社は解散し建物も進駐軍に接収されたとあり、その後このビルはフリーメイソンの日本グランド・ロッジのビルとして使用され、日本グランド・ロッジが創設されたのです。
これはマッカーサーがフリーメイソン結社員だったことから、水面下でフリーメイソンの日本支配を表しているといった陰謀説なども実しやかに述べられている論調もあるようです。
まさに興味深い歴史と云わざるを得ませんが、真実の程はフリーメイソン=秘密結社という事自体があくまで都市伝説・・・、単なる話のネタですから、なかなか楽しい話だと聞いておくくらいが賢明でしょう。
のちに復活した水交社から返還要求訴訟が起こされましたが和解が成立して現在に至っているそうです。

新橋駅烏森口彷徨】でのマッカーサー道路と同じようにいまだマッカーサーの亡霊に取り付かれているのでしょうか・・・。

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