東郷神社 #2

神池を抜けて社殿に向います。
長閑な風情から、少し凛とした空気が漂っているかのように社殿前に着きました。

海軍経理学校

神門 重量感ある灯篭と神門が神社の威厳を醸し出しているかのようです。

手水舎 海軍経理学校正門敷石碑 まずは横にある手水舎でお清めしますが、その横になにやら石碑が置かれています。

海軍経理学校正門敷石
海軍経理学校の沿革
明治7年10月、芝山内天神谷に設けられた海軍会計学舎は幾度かその名称を変え明治40年に海軍経理学校となった。
この間校舎も数度位置を変えて、明治21年に築地の松平楽翁公邸の浴恩園跡に移り、更に昭和7年同じ築地の隅田川河畔(現在の勝閧橋右岸)に移築された。
昭和20年9月、71年間の歴史を閉じるまでの同校出身者は10,000名を超え海軍主計科の基幹要員として海軍戦力の一翼を担い輝かしい功績を挙げた。その間諸戦役事変に際会して国に殉じた者も数多く、又軍務を離れても各界各方面で活躍し我が国の興隆発展に多大の貢献をしている。
昭和55年5月 浴恩会(海軍経理学校同窓会)
(現地案内板説明文)

海軍経理学校とは、当時の海軍の三学校のうちの一つです。
文字通り兵を育てる呉の「海軍兵学校」、エンジニアを育てる舞鶴の「海軍機関学校」、そして事務方を育てる築地の「海軍経理学校」の三校です。
恐らくこれらの学校を卒業したものはエリートとして扱われたのでしょう。
その卒業生を見ても錚々たる顔ぶれです。元内閣総理大臣・中曽根康弘を始めとして、松野頼三(元衆議院議員)、山下元利(元衆議院議員)、徳田博美(元大蔵省銀行局長)、澄田智(元日本銀行総裁)、伊藤栄樹(元検事総長)、富田朝彦(元宮内庁長官)、山本鎮彦(元警察庁長官)、西堀正弘(元国連大使)、正力亨(読売新聞グループ社主、第2代東京讀賣巨人軍オーナー)、酒井新二(元共同通信社社長)、武井大助(元文化放送社長)、石橋幹一郎(元ブリヂストン社長・会長)、山中清一郎(元三井信託銀行社長・会長)、神山繁(俳優)、土井勝(料理研究家)、牛原陽一(映画監督)などが挙げられるのです。

社殿

手水舎でお清めをしてから社殿に向います。
神門の横に沿革がありますが、ここでは東郷神社の由緒を掲載しておきます。

東郷神社
御祭神の東郷平八郎命は、弘化4年(1847年)12月22日薩摩藩士東郷吉左衛門の四男として鹿児島市鍛冶町でご誕生、昭和9年(1934年)5月30日午前7時、88歳で東京麹町三番町で薨去されました。
御祭神は幕末19歳で薩摩藩の海軍に入り明治維新前後の海戦に従事、明治4年(1871年)24歳の時にイギリスに留学してウースター号等で7年間厳しい訓練に耐え、船乗りとしての知識と技術を修め、海軍魂を培って帰国し立派な日本海軍士官となりました。以来戦略や国際法の勉強にも励まれ、巡洋艦浪速の艦長としてハワイがアメリカ合衆国に併合された際(1893年)や日清戦争中(1894年から1895年)の難しい国際問題等を処理し東郷の名は世界的に有名になりました。
さらに、日露戦争(1904年から1905年)では聯合艦隊司令長官として三笠艦上に「皇国の興廃此の一戦に在り、客員一層奮励努力せよ」とのZ旗を掲げ、露国のバルチック艦隊を日本海において撃滅して世界の海戦史上空前絶後の完全な勝利を成し遂げられました。
この大勝は、わが国を国難から救っただけではなく、当時ロシア等大国の植民地政策の圧力下にあった国々に、大きな喜びと希望を与えました。
大正の始めに元師府に列せられ、大正3年(1914年)から7年間東宮御学問所総裁として昭和天皇の御教育の大役を果たし、明治、大正、昭和の三朝に至誠一貫奉仕、国家の重鎮、まごころの人として、日本だけでなく世界の人々からも英雄「大東郷」と尊敬されるようになりました。
昭和9年日本の偉大な世界的英雄が天寿を全うされるや「至誠は神に通じる」とその一生を貫かれた御徳を長く後生に伝えて顕彰するため、神社にお祀りしてほしいとの要望と献金が全国各地から海軍省に届き、この熱意に応えて時の大角海軍大臣は各界の識者にはかり、財団法人東郷元帥記念会を設立、全国民に呼びかけて国民からの浄財によって神社を創建することになりました。御鎮座地は、明治神宮に近い元鳥取藩主池田侯爵邸を選び、昭和12年9月に地鎮祭、同15年5月27日(日本海海戦で完勝した日・当時海軍記念日)に御鎮座祭が行われ、欅と檜素木、神明造檜皮葺の東郷神社が完成しました。
東郷神社では、御祭神の聯合艦隊解散の辞にある有名な「神明は唯平素の鍛錬に力め戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に一勝に満足して治平に安ずる者より直に之を褫ふ古人曰く勝手兜の緒を締めよ」に因み、勝利の神様として御真筆からとった「勝」の字を勝利の御守『勝札』として授与しております。
(東郷神社パンフレットより)

東郷元帥の来歴については今更言うこともないでしょう。
本来なら靖国神社に祀られるべきなのでしょうが、あくまで靖国神社は幕末から明治維新にかけて功のあった志士達から、戊辰戦争以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた日本の軍人、軍属等を主な祭神とするということから、東郷元帥のような老衰等では靖国神社には祀られないようです。
同じような意味で陸軍の雄「乃木大将」もまた自殺のため靖国神社に合祀されていないのです。
そこで(というわけでもありませんが)大正12年に乃木大将が祀られて乃木神社が創建した後、東郷元帥の神社を創建しようとの計画が持ち上がり、東郷元帥もその計画を聞いて「まだ生きておる」と激怒し、強く中止を懇願したそうです。そこで死後東郷神社設立となったのです。
こういった神社建立においては賛否両論あるようですし、昭和の時代における言動には様々な解釈に違いや誤解があって、かなり批判されている部分もあるようですが、極端な美化さえしなければ、純粋に国家に貢献した賢人という認識では間違っていないのではないでしょうかね。
個人的には蟠りも何もないので、兎にも角にも参拝です。

東郷神社社殿 堂々たる立派な社殿です。特に正月でもないのに毛氈が引かれているのは何故と・・・、どうやら社殿で挙式されている方が居られるようで、お目出度いことです。

参拝を済ませてから社殿周辺を散策します。
社殿を囲んでいる透塀には、なんと東郷平八郎の生い立ちを説明するイラスト・写真額が展示されています。
イラスト展示 最初の額はこちらでキャプションにはこう記載されています。

1.薩摩武士の子として生まれた平八郎は17歳になった1863年鹿児島砲撃にきた英国艦隊と戦った。彼は海からくる敵を防ぐため海軍に入ろうと志し、英国留学を熱望した。
(現地イラストパネルキャプションより)

写真が見づらいのですが、このような額が社殿を270度囲む透塀に掲出されているのです。

海の宮 2枚ほど進むと境内霊社である「海の宮」があります。

祭神として海軍、海事、水産関係者及び崇敬社の諸霊を合祀するための神殿で、東郷元帥が「東洋のネルソン」と称された世界に冠たる海軍提督であったことに由来して創建されたものだそうです。意外と若い女性の方がお参りしていましたね。

写真展示 イラスト・写真額が続きます。

5.旅順の敵艦隊を封じ込めて陸軍部隊を安全に遼東半島に揚げるため、商船を港口に沈める閉塞戦を決行した。任務を果してボートに帰る途中、広瀬中佐は壮烈な戦死をとげた。
(現地イラストパネルキャプションより)

これが有名な軍神・広瀬中佐のストーリーです。冒頭にあるようにこれによって広瀬神社が創建された訳なのです。
嘗て国鉄の万世橋駅前のロータリーに、広瀬中佐の銅像があったそうですが、戦後行方不明となり現在も行方知らずの様ですが、恐らく「いの一番」にGHQから抹殺されたものと考えられます。

イラスト展示 そしてこれがかの有名な東城証太郎の「三笠艦橋の図」です。

8.韓国南岸の鎮海湾で敵発見の報告を受けた東郷司令長官は、直ちに出撃し旗艦三笠に「皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」を意味するZ旗を高く揚げさせた。
(現地イラストパネルキャプションより)

旗艦・三笠の最上艦橋に東郷元帥以下、加藤参謀長、伊地知艦長、秋山参謀等が描かれた絵です。現在、NHKで坂の上の雲が放映中ですから、東郷関係の所縁の地も少し賑やかになるやもしれません。
実際の三笠が展示されている横須賀の三笠公園の三笠の最上艦橋には、東郷他の位置を記してあるそうです。いやあ、一度行きたくなりましたね。

ここでしばし小休止です。
東郷神社での挙式 というのも先ほど社殿で挙式をされていた方々が社殿から出てこられたので、綺麗な花嫁さんを見ながらの休憩です。

そういえば私も港区三田の神社で式を挙げたのでした。ちょっと懐かしい思い出です。

額の展示の途中に神附授与所があります。
東郷神社お守り 流石に勝負の神様だけあって、「勝」とか「勝守」といったお守りがあり、更に交通安全、海上安全、航空安全と陸海空のお守りが揃っているのも珍しいかもしれません。

展示額を続けます。

写真展示 実際の日本海海戦での写真です。

12.海戦第2日の明治38年(1905)5月28日残った敵艦はわが艦隊に囲まれて降伏した。右手の2本煙突が旗艦ニコライ1世。(実写)
(現地イラストパネルキャプションより)

ここで日本海海戦での勝利が確定したのです。
世界中の国々が予想もしていなかった日本海軍の勝利の瞬間なのでした。

イラスト展示 そして東郷元帥の最後です。

15.昭和9年(1934)東郷元帥は88歳の長寿を保って逝去した。その直前、侯爵を賜ったが意識のはっきりしていた元帥は皇居に向って合掌し、お礼申し上げた。(現地イラストパネルキャプションより)

死去に当たって全国から数多くの見舞い状が届けられたそうですが、その内のとある小学生が「トウゴウゲンスイデモシヌノ(東郷元帥でも死ぬの)?」という手紙が新聞に掲載されて大きな反響を呼んだのだそうです。
そして葬儀は国葬となり、その際にはイギリス帝国海軍東洋艦隊旗艦の重巡洋艦「ケント」、アメリカ海軍アジア艦隊旗艦の「オーガスタ」をはじめ、フランスとイタリアという当時の「五大国」の艦船や、オランダや中華民国の艦船が東京湾を目指して出港し、儀仗隊を葬列に参加させ、弔砲を定刻に発砲し、東郷元帥の偉大な功績を称えたそうです。世界の東郷がうかがえるエピソードです。

東郷元帥のストーリーは終了で、これで社殿をグルッと凹字型に270度まわってきたことになります。

そしてその一画に砲弾が置かれています。
三笠砲弾 恐らく三笠の砲弾だと思われますが、余りにも何気に置かれているので貴重なものには見えないのですが、本来展示品としても十分耐えうるものですね。

Z旗お守り そしてその隣に、先ほどの説明やお守りにもあったZ旗についての説明がありました。

Z旗とは、船同士が互いに意思の疎通を図る為に使用される、アルファベット文字旗(26種)、数字旗(10種)、代表旗(3種)、回答旗(1種)の計40種からなる、国際船舶信号の一つである。旗の組み合わせによって周りにいる船に色々な合図や情報等を知らせる事ができ、Z旗単体で使用した場合には、「私は引き船が欲しい」という意味がある。
しかし、東郷神社の御祭神である東郷元帥は、日露戦争(1904から1905)の日本海海戦において、Zの文字がアルファベットの最後に当たる事から「敗戦するともう後が無い状態にある」という、Z旗の本来と異なる意味で表現し、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」と、旗艦「三笠」に掲げたのである。
そして、見事ロシアのバルチック艦隊を撃滅し、完全なる勝利を治めた歴史に基づいて、今日では勝利の願いを込めてZ旗が用いられるようになり、東郷神社の勝守にも施されている。
(現地説明文より)

Z旗 Z旗のZはズールー (Zulu)の読み方で、いわゆるタグボートが必要という意味です。

C旗 N旗 他の例を挙げると、C旗はチャーリー (Charlie) で意味は「肯定。イエス」で、N旗はノヴェンバー (November)で意味は「否定。ノー」とそれぞれの意味を持ちます。

そして、このNとCの順に旗を並べて掲げるとSOSの遭難信号ともなるそうです。
1字でそれぞれ意味を持ち、2字の組み合わせによっても別の意味を持つ2字信号もあるそうです。

因みに、このZ旗には意外な活用がトヨタと日産にあったようです。
トヨタでは1966年日産サニーに対抗する新エンジン開発に関する関連書類には、全て朱色のZ印が押されていていました。これは「全ての作業に優先せよ」という意味が込められており、これによって誕生した車が初代カローラだったそうです。
一方の日産では、社運を賭けたスポーツカー開発のために、その開発工場にZ旗を掲げ、これに因んで名付けられた車が「ファエアレディZ」なのだそうです。Z旗一つにも多彩な歴史やエピソードがあったのです。
ついでに、このZ旗が掲げられたときに発せられた「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」は、名文家として有名な秋山真之の作で、ご存知の通りこの日本海海戦での参謀として七段構えの戦法や丁字戦法などの戦術を考えたのも秋山真之なので、まさに天才肌だったと言えるようです。
スペシャル大河で要チェックですね。

境内散策

社殿での参拝を終えて、最後に境内の散策です。
神門を出て来た方とは反対側に進みます。
海軍特年兵之碑 右側に「海軍特年兵之碑」があります。
手前の案内板に昭和の白虎隊との説明が石碑の裏面にあるとの注意書きがあります。

海軍特年兵
ああ、4才、大日本帝国海軍史上最年少の勇士である。少年兵より更に2才も若く、しかも特例に基ずいたものであったため特別年少兵、特例年令兵の名があり、特年兵と略称された。
昭和16年帝国海軍はその基幹となるべき中堅幹部の養成を目的にこれを創設した。太平洋戦争の時局下に純真無垢の児童らが一途な愛国心に燃えて祖国の急に馳せ参じた。
その数は17年の一期生3200名をはじめ、二期生4000名、3、4期生各5000名、終戦の20年まで約17,200名におよんだ。横須賀・呉・佐世保・舞鶴の四鎮守府に配属されて活躍した。
戦場での健気な勇戦奮闘ぶりは、昭和の白虎隊と評価された。だが反面幼いだけに犠牲者も多く、5000余名が、南溟に或は北辺の海に短い生命を散らした。しかし特年兵の存在は戦後歴史から忘れられていたため、長い間、幻の白虎隊という数奇な運命をたどっていた。このままでは幼くして散った還らぬ友が余りにも可哀想であり、その救国の赤誠と犠牲的精神は日本国民の心に永遠に留め讃えねばならない。
英霊の声に呼び覚まされたかの如く、5回目の終戦記念日を迎えた45年、俄に特年兵戦没者慰霊碑建立運動が高まった。
戦火は消えて、26年の長い歳月の後に、多くの人たちのご協力によって碑が、ここ東郷神社の聖域に建立されるに至った。
そして幻の特年兵はようやく蘇った。
そのうえ、特年兵たちが国の母と崇めた皇后陛下の御歌を碑に賜わり、母と子の対面の象徴として表わしここに刻む。
除幕式には、特年兵ともゆかりの深い高松宮両殿下の御台臨を仰ぐ栄誉に浴した。
また、全国の生存者が亡き友の冥福を祈るため、それぞれ各県の石47個を持ち寄り碑の礎に散りばめた。
吾々は、今は還らぬ幼い戦友の霊を慰め、永遠に安らぎ鎮まらむことを願うと共に、特年兵を顕彰し、その真心と功績を後世に伝え祖国繁栄世界平和を祈願しながら尽力することをここに誓う。
昭和46年5月16日 海軍特年兵生存者一同 建立委員長 小塙精春 撰文謹書
碑名揮毫 昭和46年5月16日 元海軍大臣 海軍大将 野村直邦 敬書
(現地記念碑碑文より)

いつの時代でもこう言った悲惨な状況が起こりえるのです。
後の帝国海軍の幹部育成のためといえども、ミッドウェイの敗戦から危機感を覚えた海軍が急遽設立したものでしょう。
ほぼ中学生ですから、こうした事態、傾向が現れる時には、先行き良い結果にはならないのは歴史が証明しているのですが・・・。歴史は繰り返すといったところでしょうが、さすがにこの類の歴史は痛切に考えさせられるところですね。

潜水艦殉国碑 「海軍特年兵之碑」の反対側には「潜水艦殉国碑」があります。

潜水艦殉国碑 右側の慰霊碑には伊号潜水艦のレリーフが飾られ、碑文が記載されています。

潜水艦有志に捧ぐ
太平洋戦争中、120余隻の潜水艦と共に戦没された10000余人の乗員諸君。特殊潜航艇及び回天決死隊諸君。又諸公試、演練に殉難された諸君。諸君の遺骨は海底深く沈んで之を回収する途がない。しかし、それは国難に赴いた諸君の忠誠が、そのまま其戦場に在ることを意味する。民族の急を救うべく戦った犠牲の精神は永えに其処に活きている。
残された潜水艦関係の吾等は、個人と法人と併せて幾千、常に諸君の英霊の坐する海底を見つめている。願わくは、日本国民の全部も、ありし日の諸君の勇姿と、奮戦激闘の光景と、護国の屍となった戦場とを緬想して、敬弔の誠を伸ぶると共に、祖国再興の心の糧とすることを祈願して已まない。
茲に曾ての戦友、潜水艦建造関係者外有志一同相計り、小碑を東郷神社の霊域に建立して諸君不滅の忠魂に捧ぐ。
昭和33年5月25日
(現地記念碑碑文より)

潜水艦が120隻もあったとは知りませんでした。
当時、太平洋戦争時での潜水艦は1等から3等潜水艦があり、1等が伊1型から始まり伊400型まであったようです。2等は呂1型から呂100型と波101型と波201型。そして3等が第1型から第6型と波1型から波9型まであったそうです。
但し名称としては伊・呂・波しかなかったのですね。てっきり50音すべてあるのかと思っていました。
そしてその慰霊碑の前に置かれているのが、魚雷のレプリカだそうですが、実物よりは小さいものだそうです。

左側の慰霊碑は実際の大きさではありませんが潜水艦の輪切りで、その上に聳え立っているマスト状のものが潜望鏡なのだそうです。
潜水艦というとドイツではUボートとして様々な興味の対象となるのですが、神風の前でかすんでしまっている回天などの話を聞くと単なる興味本位では聞けない話しになりますね。

東郷蔵 この先の右側に「東郷蔵」なる蔵が立っています。

東郷蔵由来
昭和25年5月の戦災により麹町三番町の東郷邸も土蔵1棟を残して一切焼失しました。
同23年5月麹町区はこの土蔵を東郷神社境内に移築して30数年が経過し損傷も激しくなったので、元帥の50年祭にあたり従前の蔵の姿を模して少し大きく不燃建物にて新築した記念の蔵です。
昭和59年5月28日 社務所
(現地案内板説明文より)

麹町の東郷記念公園には何度も通りかかったことがありますが、ライオン像などがまだ残っていました。
唯一残っていた蔵も今は無くということですか・・・。

これにて東郷神社の参拝は終了です。
史実としては非常に興味深い事柄が沢山あり、十分堪能することができましたが、やはり戦争に関連する(特に太平洋戦争に)施設というのは色々考えさせられる場所でもありますね。
戦争や神格化などの是非論は別として、やはり襟を正すべきところであるということは間違いないようです。

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