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「ウィルアム・バロウズ」という作家のこと

ジャック・ケルアック

ジャック・ケルアック

アレン・ギンズバーグ

アレン・ギンズバーグ

もともとバロウズは子供の頃から小説家志望だったようだ。
ジョーン殺害以前の、メキシコでの移住中に「ジャンキー」の執筆を開始していた様である。だが、自分には物書きとしての才能がないと確信していたバロウズに、書き続けるよう励まし続けたのがジャック・ケルアックであり、あらゆる面(金銭的・精神的な援助、出版社の斡旋など)でバロウズに援助を与えたのがアレン・ギンズバーグだ。

ビートジェネレーション3人組

ビートジェネレーション3人組

害虫駆除業をやっていた1943年のシカゴで二人がバロウズと出会ったそうだ。
バロウズはレスビアン・バーでの話で何気なくシェイクスピアを引用し、ファッション的にも超然的で非常に目立つ存在で、バロウズの方がかなり年上だったこともあり、裏の世界を熟知した教養ある反体制の兄貴分という感じでギンズバーグたちに慕われていたらしい。

このような経緯の中で、殺人が起こり、バロウズにとって大変精神的につらい状況となるのである。それは、すぐにでも忘れたく、更に最も否定したい重大事項であったからである。
そうなると、その弁明のためにもバロウズは物書きという立場にしがみ付かざるを得なくなり、作家として活きていくことを決意したわけである。
ある意味、この内縁の妻殺害事件が、作家バロウズの誕生と相成ったのである。

これ以降は基本的に作家バロウズとしての生き様である。
これらの発表作品から、プロフィール、バックボーンを確認することにする。
「たかが・・・」では小説の多くが明確な主人公もストーリーも持たないので、理解しやすいように時代別に分類している。

●執筆初期

『ジャンキー』(1953年) 『おかま』(1985) 『麻薬書簡』(1963)

ジャンキー

ジャンキー

1952年に『ジャンキー』の出版決定の知らせをうけたバロウズは、ちょうど妻の射殺で獄中の時期だったという環境で、初期3作は自伝に近いものだそうだ。
『ジャンキー』は1945年の麻薬の味を覚えてから、1951年にイェージという究極のドラッグを求めて南米旅行に出発する直前までを扱っている。
『おかま』は、『ジャンキー』後半のメキシコシティの部分から始まるの部分で、妻の射殺を経て保釈となってメキシコシティにいた頃に書かれたそうだ。ドラッグを扱いながらも純愛小説になっているのである。
そして、『麻薬書簡』は1953年、保釈中にメキシコを脱出したバロウズのイェージ探しのコロンビア行き道中と、それをなぞるギンズバーグの道中の手紙を集めたものである。

●出世作:裸のランチ

『裸のランチ』(1959年)

裸のランチ

裸のランチ

1957年モルヒネ中毒を克服してから執筆されたもので、抜粋をバロウズ、ギンズバーグにお両者が手分けして出版社に売り込み、パリのアングラ出版社オリンピア・プレスが興味を示し、1959年無事出版された。
タイトルの命名者はジャック・ケルアックだったそうだ。
書き手がいい加減なら、出版社もいい加減なもので、10日間で原稿アップし適当な順番で印刷(この段階はゲラ刷り)され、適当な順番がそこそこ良い感じだったので、そのまま出版されるという実にいい加減なものである。
内容的には、編集自体していないくらいだから、理解しがたいもの(現実に多くの人が挫折しているからして)であるのは一般論として間違いないであろう。にもかかわらず、『裸のランチ』を有名にしたのは、各種の裁判だそうだ。
『裸のランチ』の抜粋を掲載した雑誌が、郵便法違反で次々につかまる。本屋がわいせつ文書販売のかどで逮捕。などの裁判である。
日本でも良くある所謂、”芸術”か”わいせつ”かの論理である。これが起きると必ずその本の「文学的価値」が評価され始め、わいせつ裁判の対象ということで興味を引き、売上に貢献する…まあ、そんなところでしょ。
全く同じことが『裸のランチ』に起こったということだ。発禁になる前に買ってしまおう的な思考であろう。

『この六〇年代初期という時代は「こんなことを書いていいのか!」「こんな書き方をしていいのか!」という解放と発見の時代だった、とトマス・ピンチョンは『スローラーナー』序文で書いている。『裸のランチ』も、それをめぐる一連の騒ぎも、そうした時代の産物だったのだ。』

と本書では書かれている。

●カットアップ三部作

『ソフトマシーン』(1961年) 『ノヴァ急報』(1964年) 『爆発した切符』(1962年)

ノヴァ急報

ノヴァ急報

1952年当時のタンジール(現在のモロッコ北部の港町)はフランス、イギリスなどの8ケ国・国際共同管理下に置かれたインターナショナルゾーンであった。
自由貿易、政治・軍事的中立のもとタンジールの町は急激に繁栄する。外国資本があふれ、あらゆる種類の職業の者が活躍する。そしてテネシー・ウイリアムズ、ジャン・ジャネ、トルーマン・カポーテイといった芸術家がこの町を愛した。
その中に世界的な名声を得た作家ポール・ボールズがおり、バロウズはドラッグや同性愛方面の期待と同時に、作家としてのアドバイスを求めてボウルズを訪ねたのである。

ブライオン・ガイシン

ブライオン・ガイシン

その様なうろんな連中の中にブライオン・ガイシンという画家がいた。
作風は、日本の書道みたいな雰囲気の模様を並べたものが中心で、それ以外にもコラージュ、テープレコーダの実験、そしてドリームマシンの開発などを行っていて、タンジールで多少面識のある仲になった
その後、1959年のパリにてバロウズはガイシンひかれ、同じビート・ホテルに暮らして毎日のように会い、暗殺教団親玉ハッサン・イ・サッバーの話や、著しい女嫌い、そして何よりカットアップという技法を教えられるなど、『裸のランチ』以降のバロウズの作品に著しい影響を与えたのであった。
因みにローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズをモロッコのジャジュカ音楽に引き合わせたのも彼だったそうだ。

そもそも『裸のランチ』で雑多なエピソードをいい加減に並べ替えたり、断片の羅列というのが気に入っていたようだった。そして出来合いの文をでたらめに切り、でたらめに並べ替えて新しい言葉の連なりを生み出すカット・アップと、それを発展させた(省略化した)折り込み法であるフォールド・インを手中にすることにより、『裸のランチ』以降の数年間、すさまじい量の本を世に出すことになる。
その代表作がカット・アップ三部作である。
語り口は、かなりエキセントリックなものだといわれるが、あくまでテーマは『裸のランチ』から一貫して麻薬の売人とジャンキー関係である。本書では、

『これによって、『ソフトマシーン』『ノヴァ急報』『爆発した切符』などの諸作は、具体的な風景をほとんど持たない、観念とおぼろげな記憶のみが交錯する、時に美しい、時に耐えがたいほど退屈な、不思議なブレンドの小説となっている。』

と説明している。
早い話が、よりワケ判んなくなっているということだろう。

●カットアップ以後:安定期

『猛者(ワイルド・ボーイズ):死者の書』(1971年) 『Port of Saints』(1973年) 『おぼえていないときもある』(1973年)

ワイルドボーイズ

ワイルドボーイズ

前三部作の商業的失敗により、読み易い物語的な作品を書く。といっても、殆ど出版してくれるところもなく、辛うじて本になった長めの作品がこの三冊だそうだ。

といっても生易しいものではないらしい。ここでも本書を引用しよう。

『ここでバロウズは、少年時代の記憶を以前よりもずっと大量に小説に織り込むことで、別の味わいを出している。人づきあいが下手で夢見がちだった少年時代の話が、『おかま』で見られたような感傷を作品に取り込むにあたって非常に有効に機能している。 また、映画的な手法の多用もここではじまる。「宇宙はすべて、だれかがあらかじめ記録したテープの再生にすぎないんだ」という『ノヴァ急報』などでの強迫観念的な主張が、ここで映画という洗練された形で提示されている。
前三部作では、現実は現実スタジオででっちあげられた映画にすぎず、それが何度も何度も上映されているだけで、それがノヴァギャングによる現実の操作なんだ、とされていた。そのオリジナルのフィルムを手に入れて改変することで、人々は現実に対するコントロールを自分の手に取り戻せるんだ、というのがこれまでの主張だったが、「ワイルド・ボーイズ(猛者)」「Port of Saints」 はまさに、全体が映画として構築されている。』

ということだ・・・。

●停滞期

『ダッチ・シュルツ最期のことば』(1975年) 『映画ブレードランナー』(1979年) 『The Job: Interviews with William Burroughs』(ダニエル・オディール編、1970年) 『The Third Mind』(1978年、ブライオン・ガイシンと共著)

映画ブレードランナー

映画ブレードランナー

ここでは、かなり読みやすくなっているようだ。禁酒法時代のギャングをの生涯を描いたり映画シナリオ的な作品だそうである。
面白そうなのはカット・アップで、病気や意識不明時の記憶の混乱を表現するための1ツールとしてのみ機能していることだ。逆の意味でこれは興味深い。

●冒険小説三部作

『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』(1981年) 『デッド・ロード』(1984年) 『ウェスタン・ランド』(1988年)

シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト

シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト

ここでも本書を引用するのが手っ取り早くわかり易い。

『基本的に、この『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』に始まる三部作は、『猛者』の延長線上にあると見ていい。その語り口は、『ジャンキー』でのハードボイルド、『おかま』のセンチメンタリズム、『裸のランチ』の誇張に満ちたブラックな笑い、カットアップなど、これまでのさまざまな手法の集大成となり、それが物語的な構成をもって編み込まれている。また、ハッサン・イ・サッバー、猛者軍団、失われた都市、突然変異ウィルスなどのモチーフ面、あるいは登場人物面でも、これまでのバロウズ作品の集大成であり、古参ファンを喜ばせてくれる。いままでに比べれば格段に読み易く、若干物足りない気さえするほど。』

バロウズはこの『ウェスタン・ランド』を書いた時点で、すでにもう自分の執筆活動は終わったと感じていたそうである。

●ネコ三部作

『内なるネコ』(1981年) 『ゴースト』(1995年) 『夢の書』(1995年)

内なるネコ

内なるネコ

基本的にはネコを媒介にして、自分の人生を投影し、振り返る、そして残ったものは絶望。
そんなトーンの三部作である。

そして、そんなバロウズが記していた日記をまとめたのが、Last Words: The Final Journals of William S. Burroughs(2000年)で死後に出版された。
最終日の記録で、バロウズは自分のネコに対する気持ちを整理しなおして、こう記述しいる。
「愛 それはなんだ もっとも自然な鎮痛剤それだ 愛」
本誌ではこう結んでいる。

『これがバロウズの絶筆だった。これを書いた数日後にバロウズは死ぬ。あまりにお約束のできすぎたクサイ話のような気はする。が、これに深く感動する人ももちろんいる。『ジャンキー』で究極のドラッグを夢想したバロウズが最後に到達したのが「愛」だった?  どう思うかは、読むあなたの勝手だ。』

参考資料

ジャンキー (河出文庫)

ソフトマシーン (河出文庫)

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