飛鳥山公園に登る

「ミステリーウォーキング」は最初から寄り道ばかりですが、音無親水公園から飛鳥山に向かいます。
公園と飛鳥山の間には明治通りが通っていて、これが結構横断できないので、仕方なく王子駅方面に戻ってから飛鳥山に向かうことにしました。
明治通りを歩いているといきなり回答が現れました。

問題11
飛鳥山公園の前では、東京で唯一、一般道を走行する都電○○○○線と並走した。

飛鳥山公園 丁度、王子駅のガードを潜って飛鳥山前を通過しようとしている都電です。 正式には東京都交通局が経営する路面電車で、東京都の三ノ輪橋から早稲田までの線区の都電荒川線で、かつて東京23区内に多数残っていた都電の路線のうち、荒川線が唯一の存続路線となっています。
荒川線は、云わば私鉄の王子電気軌道を1942(昭和17)年、東京都(当時は東京市)が買収したもので、都電全面廃止の1972年以降も唯一存続したのは、荒川線が専用軌道を持つことが理由です。モータリゼーションの発展とともに自動車が増加しその結果としての混雑解消には、道路の拡張・整備が急務でした。それを短時間で効果を上げるには路面電車の廃止が手っ取り速かったのでしょう。 その結果、道路混雑に影響しない専用軌道を持つ荒川線のみが生き残ったと言うわけです。

飛鳥山公園 飛鳥山公園 現在、車道と区分されていない純粋な併用区間は、明治通り上を走る王子駅前から飛鳥山間にみなのです。王子駅前停留場から飛鳥山停留場までは僅か500mです。逆に言えば自動車と一緒に走る路面電車はこの500mの間しか見ることが出来ない、ある意味貴重な区間なんですね。
現在、1両編成のワンマン運転での運行だそうです。
【都電荒川線王子駅前停車場と自動車併走区間】


ということで、問題11の回答は=あらかわ=でした。

飛鳥山公園 こうして一旦JR王子駅を迂回して飛鳥山に向かいます。
王子駅のガードを潜って飛鳥山に到着すると何やら工事が行われています。看板があります。
【ブルーシートに覆われているのが斜行昇降機】


公園利用者の皆様へ
王子駅側の入口に斜行昇降設備を設置します。
飛鳥山公園のバリアフリー化に伴い、王子駅前中央口寄りの公園入口周辺の工事を行います。(以下省略)』

まあ、花見や散策などで訪れる人も多いようで、現在、車椅子の方などは明治通りを言った反対側から入らなければなりませんから、随分と楽になるでしょうね。

飛鳥山公園 飛鳥山公園 そしてついに間近に見たこの看板。「さくら新道」です。
高校時代の通学から30有余年、毎日のように王子駅ホームから見ていた「さくら新道」の飲み屋長屋。ついに裏側に廻って得と眺めてきました。
昭和の郷愁と見るか、平成の忘却と感じるかは見る人次第。夜ではなかったので一杯と云うわけにはいきませんが、中に入ればまた違った感慨かもしれません。いずれにしてもプチ感動モノでした。


いよいよここから飛鳥山に登ります、ってこれは山?
実際に国土地理院では飛鳥山と明記しておらず、標高の記載もないようです。北区では東京で一番低い山とされる港区の愛宕山(標高25.7m)よりも低いのではないかと2006年に測量をし、実際に愛宕山より低いことを確認したそうですが、何故か公表されていません。一説には25.3mともいわれているそうです。

飛鳥山公園 飛鳥山公園 階段を何十段か上がっていくと、途中に公園の案内図があり、飛鳥山3つの博物館方面と飛鳥の小径との二又に分かれています。折角なので飛鳥の小径を歩いてみました。
なんということも無い小道ですが、犬の散歩とかにはいいかもしれません。朝早めだと都会と言うのを忘れることができるかもしれない雰囲気でしたね。


飛鳥山公園 ここから中心部に向かうと児童エリアに出ます。土曜日とあって午前中から多くのファミリーが遊びに来ているようです。 児童エリアですから遊具は勿論ですが、蒸気機関車と都電が保存展示されています。


飛鳥山公園 私的にはあまりSLには興味が無く、どちらかと言えば都電のほうに興味が移ります。丁度問題にもありましたから、タイミングも良かったのかもしれませんね。
園内の説明板です。


都電6080について
この都電6080は昭和53年4月まで飛鳥山公園脇の荒川線を走っていた車両です。
荒川線の前身は「王子電気軌道株式会社」といい通称「王電」の名で親しまれた私営の郊外電車でした。明治44年8月大塚⇔飛鳥山上間2.45Km の開業がはじまりで、その後王子を中心に早稲田、三ノ輪、赤羽を結ぶ路線が完成し昭和17年当時の東京市に譲渡されたのです。この車両は6000型と呼ばれており戦後はじめての新造車で昭和24年に製造されたものです。青山、大久保、駒込の各車庫を経て昭和46年3月荒川車庫の配属となり現役を退くまで都民の足として活躍していました。
北区では都電のワンマン化を機会に交通局から譲り受け子供たちの施設として設置したものです。
閉鎖時間 PM4:30?翌AM9:30 連絡先 北区道路公園課』

最近まで保存状態がかなり悪かったらしいのですが、2005年の園内整備に併せて修復・再塗装が行われたそうです。
因みにSLのほうはD51 型蒸気機関車 853号機 - 1943年製造です。

飛鳥山公園 児童エリアから多目的広場に向かう途中に「飛鳥山碑」があります。


『東京都指定有形文化財(古文書) 飛鳥山碑
所在地 北区王子1一1 区立飛鳥山公園 指定 平成8年3月18日
八代将軍吉宗は、鷹狩りの際にしばしば飛鳥山を訪れ、享保5年(1720)から翌年にかけて、1270本の山桜の苗木を植栽した。元文2年(1737)にはこの地を王子権現社に寄進し,別当金輪寺にその管理を任せた。この頃から江戸庶民にも開放されるようになり、花見の季節には行楽客で賑わうようになった。この碑文は、吉宗が公共園地として整備したことを記念して、幕府の儒臣成島道筑(風卿・錦江)によって作成されたもので、篆額は尾張の医者山田宗純の書である。碑文の文体は中国の五経の一つである尚書(「書」または「書経」ともいう)の文体を意識して格調高く書かれており、吉宗の治世の行き届いている太平の世であることを宣伝したものと考えられる。碑文には元亨年中(1321から3)に豊島氏が王子権現(現在の王子神社)を勧請したことから、王子・飛鳥山・音無川の地名の由来を説いて、土地の人々がこれを祀ったこと、寛永年間に役人は祭りを復元し、三代将軍家光公の命を受けて、昔の形のまま祠を新しくしたことなどが記されている。
異体字や古字を用い石材の傷を避けて文字を斜めにするなど難解な碑文であり、「飛鳥山何と読んだか拝むなり」と川柳にも読まれたほど、江戸時代から難解な碑文としてよく知られている。
平成9年3月31日 建設 東京都教育委員会』

改めて王子(権現)神社の格式の高さと由来を見せつけてくれますね。更に江戸時代からの花見の名所として賑わっていたのですから、王子自体の町もさぞ賑やかだったことでしょうね。鬼平サンも何度か王子には来ていましたからね。
それにもまして「飛鳥山何と読んだか拝むなり」とは言いえて妙ですね。結構江戸時代の庶民て奴はジョーク好きだったのかもしれませんね。

飛鳥山公園 更に「飛鳥山碑」の隣には「飛鳥山の歴史」碑があります。


『飛鳥山公園は、明治6年に定められたわが国最初の公園の一つです。
この公園のある台地は、上野の山から日暮里、田端、上中里と続いている丘陵の一部です。
このあたりは古くから人が住んでいたらしく先土器時代(日本で最も古い時代)、縄文時代、弥生時代の人々の生活の跡が発見されています。
ここを飛鳥山と呼ぶようになったのは、昔この丘の地主山(現在の展望台のところ)に飛鳥明神の神が祀られていたからと伝えられています。
江戸時代の中頃元文2年(1737)徳川八代将軍吉宗が、この地を王子権現に寄進し荒地を整備して、たくさんの桜や松、楓などを植えたので、それからは桜の名所として有名になり、周りに茶屋などもできました。その説明は右手の大きな石碑に詳しく刻まれていますが、この文章がとても難しく、すでにその当時から読み難い石碑の代表になっていました。
飛鳥山のお花見は、向島とともに仮装が許されていたので、まるで落語に出てくるような仇討ちの趣向や、変装などのためにたいへんな賑わいでした。また東側の崖からは、カワラケ投げも行われ、土皿を風にのせて遠くまで飛ばす遊びも盛んでしたが、明治の末になって、危険防止のために禁止されました。 この山は東から西へのなだらかな斜面でしたが、道路拡張のためにせばめられ、先に中央部につくられていた広場の跡地に噴水ができ、夜は五色の光に輝いています。 昭和55年2月吉日 東京王子ロータリークラブ』

園内の一部には古墳があったようなので、それらの名残でしょうかね。
この歴史を見る限る江戸の花見はまさにドンチャン騒ぎの様相が伺えますね。娯楽がそれ程無い時代ですから、年に一度の楽しみでもあったのでしょう。かえって現代のほうが大人しいのかもしれませんね。
この文にある展望台は現在は無く、1970年に回転式展望タワー「スカイラウンジ」として開業したそうですが、1993年に廃止されたそうです。確かに車で通っていた時にはあったような気がします。

飛鳥山公園 そして多目的広場では今日の気温が高いこともあって、早くも子供たちが水遊びをしています。 そろそろ夏も近づいてきているのですね。
親水公園共々夏本番には更に賑わうのでしょうね。


ここからは飛鳥山3つの博物館に向かいます。

飛鳥山公園 最初の博物館は「財団法人 紙の博物館」です。
この博物館は旧王子製紙の収蔵していた資料をもとにして、紙に関する古今東西の資料を収集・保存・展示などを行っています。かつては線路の向こう側にあって、かれこれ30年前以上の高校生の頃一度行った記憶がありますが、そろそろ60周年を迎えるそうですからそれだけでも歴史ですね。

今回は3館とも通り過ぎるだけで、館内は別の機会に訪れたいと思います。


飛鳥山公園 続いて2つめが「北区飛鳥山博物館」です。
文字通り北区の考古・歴史・民俗や自然など様々な切り口で展示・解説されている博物館です。
建物は3館のなかでも近代的なデザインの建築で、一番規模もありそうです。3館がオープンしたのが平成10年だそうで、かれこれ10年近く経つようで、一度は見ておきたい博物館ですね。


「北区飛鳥山博物館」と、この隣の最後の博物館「渋沢史料館」の途中に回答が隠されています。

問題3
桜の名所としても知られる飛鳥山公園の中には「飛鳥山3つの博物館」と呼ばれる「紙の博物館」、「北区飛鳥山博物館」、「渋沢史料館」があり、飛鳥山博物館と渋沢史料館との間には、北村西望作「○○○の女神」という彫刻がある。

飛鳥山公園 確かに彫刻があります。「平和の女神像」で横に解説板があります。


平和の女神像
この像は、日本と中国の国交正常化を記念し、人類の理想である平和と幸福を願って、北区民有志を中心とした「日中友好・世界平和祈念《平和の女神像》建立の会」と、北区、北区議会、北区自治会連合会、区内企業、関係団体等が力を合わせ、1974年に、飛鳥山公園に建立したものです。
作者は、長崎市「平和祈念像」の作者として有名な故北村西望氏です。
当初は、大噴水のあった中央広場に建立いたしましたが、1998年3月、公園の大規模な改修に伴い、現在の場所に移設いたしました。
台座の裏に「女神像建立の辞」があります。

作者 北村西望(きたむらせいぼう)
1884年長崎県生まれ。1912年東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科を首席で卒業後、北区西ヶ原のアトリエ(後に井の頭公園へ移転)で数々の名作を製作。1947年日本芸術院会員。1958年文化勲章受賞。1974年日展名誉会長、1980年東京都名誉都民、1981年北区名誉区民。
1987年永眠。 東京都北区』

北とぴあ前の「平和祈念像」と比べるとやわらかいタッチです。モデルも女性ですし。腕に乗っているのは鳥・・・ですかね。2羽が日中を、鳥が平和のシンボルとか。

などと勝手に解釈しましたが・・・問題3の回答は=へいわ=でした。

次は「渋沢史料館」から先に進みます。

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