市内最古、平安後期制作の日光・月光菩薩立像を安置

概要

「ぐるっとくん」を「中平塚」で下車し、県道を200メートルほど南へ歩くと、左側に密蔵院の重厚な山門が見えてくる。山門をくぐり本堂に参拝することになるが、左手には昭和八年の改築ではあるが、薬師堂が建てられている。このお堂に、上尾市最古の「日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)」などが安置されている。
密蔵院は新義真言宗智山派(しんぎしんごんしゅうちざんは)の寺院で、その創設や由緒などは不詳である。本堂は30年余り前に改築されているが、それ以前の建物は間口9間(約16.2メートル)・奥行き6間半、草ぶき屋根の堂々たるものであった。本尊は虚空蔵(こくうぞう)菩薩であり、市内では例のない珍しい本尊ということになる
(『新編武蔵風土記稿』・『上尾市史』第9巻)。

薬師堂に蔵されている仏像群のうち、本尊の薬師如来(やくしにょらい)座像は江戸時代に制作されたものであるが、日光菩薩立像・月光(がっこう)菩薩立像は平安後期に制作されたもので、市内に所在する仏像の中では最も古いものである。日光菩薩立像は、像高106.7センチメートル、カヤ材の一木造りで、頭部はやや大きめであるが、細身で線の強い体躯(たいく)など平安初期の特徴を受け継いでいるといわれる。制作時期は11世紀ごろと考えられ、地方仏師の作とみられるが、台座・光背は江戸時代のものである。月光菩薩立像は像高102.5センチメートル、ヒノキ材の寄せ木造りで、流麗な衣文(えもん)の表現など定朝様(じょうちょうよう)が明りょうで、12世紀の地方仏師の制作とみられている
(『上尾市史』第9巻・『上尾の指定文化財』)。

両像ともに、安永4から5(1775から76)年に中平塚村の安藤順佐・江戸加賀屋敷内藤与左衛門を施主として、修理が施されたことが墨書されている。また、安藤順佐の子孫と思われる地元の安藤家に『日光月光菩薩付十二神之来由』という古文書が残されている。この古文書によると、両菩薩と後述の十二神将(しんしょう)は、磐城国(いわきのくに)平藩(たいらはん)(現いわき市)の内藤家の持仏(じぶつ)であったが、延享4(1747)年に日向国(ひゅうがのくに)延岡(現延岡市)へ転封(てんぽう)の際、度々の夢のお告げにより、密蔵院に納められたという。密蔵院と平藩主内藤家の関係など不明な点も多いが、これらの仏像群は他所で作られ、後年移されたことになる(前掲書)。
両菩薩と十二神将立像は市の指定文化財になっている。後者は延宝7(1679)年から貞享元(1684)年の作であるが、作者は京の仏師たちで、寄せ木造りで躍動感のあふれる仏像群である(前掲書)。
(上尾市Webサイトより)

◆密蔵院 : 上尾市平塚1708 《所在地地図

密蔵院

012mitsuzo001.jpg 012mitsuzo005.jpg 【密蔵院山門と本堂】


密蔵院・文化財

012mitsuzo002.jpg 012mitsuzo003.jpg 012mitsuzo004.jpg 【密蔵院の文化財、薬師堂と解説板】


『上尾市指定有形文化財 日光・月光菩薩立像
上尾市大字平塚1708 密蔵院 昭和35年1月1日指定
真言宗密蔵院の薬師堂内の厨子の中には、十二年に二度(寅年と未年)開扉される薬師如来が安置されている。その両脇には、薬師如来の脇侍である、日光・月光菩薩立像が立っている。
日光菩薩は、日光のような際限ない徳を、月光菩薩は、月の光のような清涼の楽しみをあらわしていると言われている。日光・月光菩薩とも決まった形はなく、日輪・月輪を宝冠に付けるか、あるいは手に持つ以外は、薬師如来の脇侍であること以外、日光・月光菩薩の見分けがつかない。
密蔵院の日光・月光菩薩立像は、向って右側が日光菩薩、左側が月光菩薩と言われ、それぞれ日・月を区別する持物を持っている。日光菩薩は、像高が106.7センチメートルの一木造であり、月光菩薩は、像高が102.5センチメートルの寄木造りである。両像とも、その構造や作風から平安時代後期頃の作と考えられ、上尾市内最古の仏像の一つである。しかし、両像の構造・作風には、若干の違いが見られ、日光菩薩像の方により古様な特徴が認められる。記録によると、奥州磐城に七万石を領していた平藩主内藤家が、元文三(1738)年に起こった一揆が原因で転封となり、延享四(1747)年に内藤正樹が日向国延岡へ移る際、持仏である日光・月光菩薩と十二神将を夢のお告げにより密蔵院に収めたと伝えられている。

上尾市指定有形文化財 十二神将立像
上尾市大字平塚1708 密蔵院 昭和35年1月1日指定
薬師如来の脇侍日光・月光菩薩立像のさらに外側には、薬師如来の眷属である十二神将立像が立ちならんでいる。
十二神将は、いずれも天衣甲冑を着けた武将の姿であらわされ、各々七千の眷属を率いて人々を守るといわれている。また、昼夜十二時の護法神として、平安時代頃から頭上に十二支を付けるようになった。
密蔵院の十二神将立像は、ともに像高が70センチメートル位で、鮮やかな彩色が施され、頭上には十二支をあらわす動物が付けれられている。台座裏などの銘記によると、貞享元年(1680?84)に数人の仏師が分担して製作したと推測される。これらの仏師の中には、玄慶、院達、永悦、宗而、左近などの名がみられ、いずれも京仏師とされている。この十二神将立像もまた、日光・月光菩薩立像とともに、内藤家から寄進されたと伝えられている。
平成8年1月26日 上尾市教育委員会』

密蔵院・その他

012mitsuzo006.jpg 012mitsuzo007.jpg 【密蔵院の桜】

2009.4.12記
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