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滝野川周辺の文化に触れる

聖地を巡り一息ついて「ミステリーウォーキング」を続けます。
「平塚神社」から本郷通り沿いに「滝野川会館」へ向います。「滝野川会館」は北区滝野川のコミュニティセンターです。様々なホールや会議室は利用することが出来、レストランやスタジオ、そして図書館も併設している多目的センターといってよいでしょう。5階建ての近代的な建物です。
ここにも問題の回答が隠されています。

問題1
…そうそう、ほら光彦、地図に色々と書き足しておきましたよ。光彦は知らなかったでしょう。例えば滝野川会館の自転車置き場に小さな馬の像があるの。北村西望先生の○○○という作品なのよ。

滝野川 まずは駐輪場へと向うと確かに小さな馬の像がありました。「天使」というタイトルのプレートが付いていました。
長崎県島原市にある西望記念館にある「若き日の織田信長」像の馬に似た感じの力強いタッチの銅像です。


参考:【島原城】http://www.shimabarajou.jp/index.html

北村西望の3つめの彫刻を見つけて…問題1の回答は=てんし=でした。

滝野川 滝野川 ここには先にも触れたように図書館が併設されています。
図書館はB1ですが、掘り下げ式の階段を降りると図書館の入り口です。
中に入るとロビーの壁面にアジサイのタイル製の貼り絵があり大変インパクトのあるきれいな装飾です。


滝野川 ロビーの左手に図書館があります。季節柄入り口のすぐ近くにバラ関連のコーナーがしつられてありました。
閲覧室の一角にドナルド・キーン氏の蔵書コーナーがあり、一番手前に上下刊の「明治天皇」があります。
これも問題の回答でした。


問題12
「確かドナルド・キーンさんもお住まいよね」兄嫁の和子も意見を出す。
「あ、それは僕も知っています。北区の名誉区民の日本文学者ですよね」
「あ、私もその人知ってるわ! 確か《明治○○○○》という本を書いた人よね」
「ほう、よく知っているね」浅見は姪の知識に感心した。

浅見家の人々は皆知っているようですが…
北区オフィシャルサイトででのプロフィールです。

ドナルド・ローレンス・キーン 日本文学者。
大正11年ニューヨーク市に生まれる。コロンビア大学大学院在学中より日本文学の研究に専心し、コロンビア大学文学博士号を授与されました。
昭和37年に菊池寛賞を受賞。その後、読売文学賞、日本文学大賞、井上靖文学賞、毎日出版文学賞など、数多くの文学賞を受賞されています。
平成5年に勲二等旭日重光章を受章、平成14年には文化功労賞を受賞され、コロンビア大学をはじめ、早稲田大学、東京外国語大学などの大学から名誉博士号を授与されています。
北区では、平成8年に北区アンバサダーに就任。
平成18年、東京都名誉都民、北区名誉区民に選定されました。コロンビア大学名誉教授。北区に30年以上在住。』

確か芭蕉についても造詣が深いとかで…問題12の回答は=てんのう=でした。

滝野川 このドナルド・キーン・コーナーの隣には内田康夫センセのコーナーがあり、全ての蔵書が置かれています。


このコーナーに記載されていたのですが、内田康夫氏は北区アンバサダーに任命されているようです。
北区アンバサダーとは、所謂PR大使と一般的に言われるもので、北区にゆかりのある著名人・文化人に委嘱し、北区の知名度や文化的なイメージを高めていこうというものです。
他には、先のドナルド・キーン氏、つかこうへい氏(作家・演出家)、倍賞千恵子氏(女優、歌手)、弦哲也氏(作曲家)、水森かおり氏(歌手)の6名です。

内田康夫センセのコーナーの横の柱には「浅見光彦の住民票」が展示されていました。
最近は各市区町村でこういった趣向が多いようですが、まあ、確かに町興しやPRになるのですから侮れませんね。
確か霜降商店街で住民票を購入できるとありましたが、ここで見ることができましたので必要ないようですね。

回答を2つ探して「滝野川会館」を後にして、すぐ斜め前の「旧古河庭園」に向います。勿論、「ミステリーウォーキング」の一つでもあるのですが、ちょうど「春のバラフェスティバル」が開催中ですので、そちらも非常に楽しみです。

滝野川 滝野川 道を渡れば「旧古河庭園」です。
庭園正門には結構な人溜りもあり、多くの方々が訪れているようです。

現在、第9回目の「春のバラフェスティバル」が開催されていて、5/15から6/21までライトアップ(24日まで)や音楽会、洋館見学など様々なイベントが行われています。


この「旧古河庭園」にも回答が隠されています。

問題4
そして滝野川警察署前を通り、旧古河庭園前を右折して駒込方面へと向かう。旧古河庭園は○○○○○名勝で、五月から六月には西洋庭園のバラが見事に咲き誇る・・・

正門右横に「旧古河庭園」の案内があります。

旧古河庭園
この庭園(面積30,780平方メートル)は、英国風古典様式の本館を中心として、その前庭の欧風花壇及び池泉回遊式日本庭園よりなっております。
もと古河氏の所有でありましたが、昭和30年4月、東京都の管理するところとなりました。
本館及び前庭欧風花壇は、英国人ジョサイア・コンドル博士の設計によって、大正6年竣功したもので、また心字池を中心とする池泉回遊式日本庭園は、京都の庭師植冶の作庭によるものでありますが、ともに和洋の様式が調和した稀にみる設計というべく、その文化財としての価値もまた大なるものがありますので、これを永く保存すると共に一般に公開するものです。
本年は平成18年1月26日の国の名勝に指定されました。
東京都』

国の名勝なのは判ったのですが、答えは五文字ですから=○○くにの=あるいは=くにの○○=とかにならなければならないのです。これは結構簡単なようで難しい問題ですね。
しばらく頭を捻ってみたのですがどうにも・・・。頭固くなってるんですかね。

滝野川 とりあえず庭園を見学しながら考えるかと、入園しようとしたところ、正門の左側になんと回答が張り出されていました。
そうゆうことですか、云われてみれば簡単なことですけど、これってやはり頭固いとストレートに考えて答えが出ないですね。
文字を並び替えればという発想が出てこないところが頭の固い所以でしょうか・・・年はとりたくないものです。


もう柔軟な発想はできないね、と・・・問題4の回答は=くにしてい=でした。

滝野川 いやあ回答が掲出されていなかったら判っていたかどうか怪しいものでしたね。頭もスっきりしたところで、入園料150円也を支払って入園しました。
入ってすぐのところに庭園の案内図があります。


庭園の案内
この庭園の敷地は、元は明治の元勲陸奥宗光の別宅でした。その後古河家が譲り受け、三代目当主の古河虎之助が大正3年頃に従来の敷地は本宅用地とし、新たに隣接地を買収して、庭園としたのが始まりです。
時を経て、国に所有権が移り、地元の要望などを取り入れて東京都が整備したのち昭和31年4月から公開しました。
この庭園の特徴は、武蔵野台地の南斜面という地形を活かし、この高台にゴシック様式の洋館を配しそのまわりと前面に斜面は明るい洋風庭園とし、連続する低地には池泉を中心とした和風庭園をつくり、これらを一体としたことにあります。
設計にあたっては、鹿鳴館や、ニコライ聖堂などを手掛けた英国人ジョサイア・コンドル(1852から1920)が洋館並びに洋風庭園を受け持ちました。 また、和風庭園は、京都の平安神宮や無隣庵を作庭したことで知られる京都の著名な庭師、植冶こと小川冶兵衛(1860から1933)の手によるもので、地形を生かした日本の伝統的な庭園を見事に造り上げています。
当庭園は、大正期の原型を留める貴重なもので、昭和57年8月4日に東京都文化財として指定され今日に至っていましたが、近代の庭園の中でも極めて良好に保存され、和洋の見事な調和を実現している秀逸で代表的な庭園として、平成18年1月26日、国の名勝に指定されました。』

陸奥宗光といえば外務大臣というイメージが最も強く、不平等条約を結んでいた15ヶ国すべてとの間で条約改正(治外法権の撤廃)を成し遂げたということで知られていて、この庭園がその宗光の別邸だったということでより当時の名声をうかがい知ることができます。
しかし宗光は1897(明治30)年、53歳という若さで肺結核のため西ヶ原の本邸(旧古河庭園・・・この時点では本宅となっていたようです)で死去してしまいました。
当然代変わりとなり、宗光の次男・潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子となったため、古河家に所有が移ったという経緯だそうです。

滝野川 園内を進むと早速洋館が見えます。


『ジョサイア・コンドル最晩年の作で、大正6年5月に竣工しました。
英国貴族の邸宅に習った古典様式で躯体は煉瓦造、外壁は伊豆真鶴産の赤味をおびた新小松石(安山岩)の野面積で覆われており、雨に濡れると落ちついた色調をかもしだします。屋根は天然ストレート葺き、地上2階・地下1階となっています。
12年9月1日に発生した関東大震災では約2千人の避難者を収容し、虎之助夫妻が引き払った15年7月以降は貴賓の為の別邸となり、昭和14年頃には後に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在し、戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収され、戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用されました。
(パンフレットより)』

写真等ではよく目にするのですが、実際に見ると思っていたよりも大きい感じです。大正時代ですから赤煉瓦ではなかったことがレトロというよりはモダンさを感じるのでしょうか。英国様式だからこそ和洋折衷が可能だったのでしょうね。
現在は不定期に内部公開されているようです。

滝野川 洋館の左側からバラが咲いています。残念なことに今年は結構暖かいために半分以上のバラが終わっていました。 勿論、品種によっては今が最盛期であったり、これからのもあるのですが、やはり少しさびしい雰囲気ですね。


滝野川 そのような中でも「レディ メイアン」は綺麗な赤を誇っているようです。


滝野川 そのまま洋館の裏手に出るとそこが西洋庭園です。


『ジョサイア・コンドル設計で、左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園と、石の欄干や石段・水盤など、立体的なイタリア露壇式庭園の技法を合わせバラと洋館と調和した絵画的な景観美となっています。(サイトよ)』

滝野川 所謂シンメトリーって云われるものですね。
フランスとイタリア良いとこ採り庭園とイギリスの洋館・・・欧州連合って云うことでしょうか。


バラ園に足を踏み入れると、こちらもかなり終わっているバラが多いようです。
そのような中でもいくつか美しいバラや珍しいバラがあります。

滝野川 「ニュードーン」 薄いピンクが上品で外側にカールする花びらが印象的です。


滝野川 「ノイバラ」 日本に分布する野生種で、花が房状につく。バラ改良の基本種となっており、重要な園芸原種だそうで、特に美しさは無いのですが珍しいので。


滝野川 「緑光」 花びら単体でみると綺麗なのですが、葉と一緒になるとどう考えても綺麗には見えない、悲しいDNAのバラ!?


滝野川 「ブルーライト」 芳香は「香りの大賞」を受賞したほどだそうで、色と云い香りと云い結構だらけのバラ!


などなど若干素敵なバラも残ってはいたのですが、「香りのバラの代名詞」と呼ばれる「芳純」などは是非とも香りを思ったのですが、一輪もありませんでした。仕方ありませんがね。

滝野川 それなりに楽しんだ後は日本庭園に進みます。途中お決まりのアングルで洋館を撮影してみましたが、ヘタレ写真ばかりでした。


滝野川 ちょうど西洋庭園と日本庭園を繋ぐかのような場所がツツジ園です。残念ながらもうツツジもとっくに終わっているようです。


ツツジ園を通り抜けると確かに“和”の世界です。前述した京都の著名な庭師、小川冶兵衛作の日本庭園です、といってもピンとくるものがないので、手掛けた庭園を列挙してみます。
国指定名勝:無鄰菴(山縣有朋別邸) ・平安神宮神苑・慶雲館庭園・市田対龍山荘庭園・円山公園 などがあり、当然のことながら関西方面が多いのです。
代々「小川冶兵衛」を継ぐのだそうですが、特に7代目が高名で近代の本庭園の先駆者といわれているそうです。

滝野川 とりあえず思いつくまま左手方面に歩いていくと立て札があります。


黒ボク石積
富士山の溶岩で、多孔質で軽く、加工もしやすい。
山の雰囲気が出るため、主に関東の石組として用いられることが多いが、石垣状のものは珍しい。』

滝野川 まあ、なんとも表現のしようがないのですが・・・。ここは見どころに立て札がたっているのでしょうか。判りやすく見易いです。
先に進むと燈籠があります。
『1.奥の院型灯篭』とだけ書かれています。由緒ある燈籠って事でしょうかね。


さらに先に進むと、大きな池にでます。小さな橋を渡るとベンチで休憩している人が何組かいますが、その奥に立て札がありました。

大滝
この滝は、本郷台地と低地の斜面を巧みに利用した、小川冶兵衛の最も力を入れた場所の一つであり、滝壺まで20m落ちる景観は氏の作風の中でも珍しく丘陵幽玄の境地を如何なく発揮している。』

滝野川 園内の最も勾配の急なところをさらに削って断崖とし、濃い樹林でおおって深山の渓谷の趣を出しています。 以前はいどを水源にしていたそうですが、現在は井戸水と池水の循環でまかなっているそうです。
あまりの濃い樹林でよく見えないって云うこともあるのではないでしょうか・・・?


大滝を過ぎると道は2つに分かれますが、そのところに立て札がありました。

崩石積
石を垂直に積む方法は数あるが、これは京都で発達した伝統的な工法である。石と石が噛み合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされる。当庭園においても小川冶兵衛の力作となっている。』

滝野川 若干モノは言いよう的な面もあるような気がしますが、京文化と言われれば素人の口の挟む余地は無いですね。
しばらく見ていると、そんな気持ちになってくるのはマインドコントロール…?


滝野川 分かれ道を右手に向かうと、右側に大きな灯篭と立て札があります。


11.奥の院型燈籠
灯袋に牡丹・唐獅子・雲・七宝透かしを、中台に十二支を、基礎に波に千鳥又は波に兎を刻んでいる。4と同じ奈良の春日大社の奥の院にあるものを本家として発展した。』

1.の燈籠はみましたが、4.の燈籠は見ていませんでした。どこかで見逃したのですかね。 やはりそれなりに由緒ある燈籠でしたね。

滝野川 燈籠を過ぎるとまた道は二又に分かれます。丁度建物が見えるので左手に折れて建物のほうに行ってみました。
丁度ぐるっとまわる形で崩石積のところに再度出て、そこから建物はすぐでした。
「茶室」です。一服500円で抹茶がのめるそうですが、若干時間的にも、肉体的にも先を急いだほうがよさそうなので、結局素通りしただけでした。 また、燈籠前を通ってまっすぐ進みます。


滝野川 池の周りを巡る形になりますが、池の上に低めの燈籠があります。


9.雪見型灯籠
この灯籠は水辺によく据えられ、その姿が水面に浮いて見える「浮見」と点灯時にその灯が浮いて見える「浮灯」が「雪見」に変化したとする見方がある。』

実際に夜、灯が入ったときに見れると最高なのかもしれませんね。一度見てみたいものですが、灯は付かないでしょうね。

先に進むと更に立て札がありました。

枯滝
この滝は、水を流さずにゴロタ石等の小石で水流を、青石等の大石を立てて組んで水の落ちる様子を、枯山水風に表現している。男性的な大滝に比べ、枯滝は女性的な雰囲気がある。』

滝野川 わたしの記憶では、さいたま市岩槻区の久伊豆神社で枯山水を観ました。 もう少しスケールが大きかったような気がしますが、確かに水が流れているような気がするので不思議です。決してマインドコントロールではなく・・・!
【枯山水はしばらく見ていると本当に綺麗な水辺に見えてくるから不思議です】


滝野川 丁度、枯滝の先に塔が見えたので、池を離れて奥に行ってみました。途中にまたも灯籠があります。


7.濡鷺型灯籠
他の形式に比べて笠が厚く、むくり(反り)が無い。
図柄は「濡れ」を文字で、「鷺」を絵で表現するか、「濡鷺」を文字で表現する2種類がある』

一辺灯籠の種類を勉強しなければなりませんかね、奥が深そうです。

滝野川 その先に枯滝から見えた塔があります。


8.十五層塔
その語源はスツーバ(積み重ね)からきていて、現地では仏塔の一種として信仰を集めているが、日本でも石塔は塔婆と同じ考え方で用いられ共通性がある。奇数積が原則。』

細身の塔ですが、左側に尖塔のようなものがあるのですが、折れたものですかねえ。
ここから水路の方に向かって歩いていくと、元は表門だった「染井門」のところに出ました。日本庭園はまだ半分くらい残っているのですが、さすがに空腹感もあり残念ですがここで退園することにしました。

滝野川 ここで退園してしまったので池についての説明を見ることができませんでしたのでパンフレットを引用します。


心字池
「心」の字に似せて造った池で、日本庭園の中心。鞍馬平石や伊予青石などで造られ、「船着石」があります。ここは池を眺めるための要となる所で、正面には「荒磯」、雪見燈篭、枯滝、石組、そして背後には築山が見られます。』

”心”の字だから・・・悟りの境地というか安直というか。いずれにしても「旧古河庭園」は見どころ、癒しどころ満載のようです。
「染井門」から本郷通りはすぐ先です。
本郷通り沿いにはちょうど「ミステリーウォーク」のスタッフの方が色々案内をされていました。
滝野川エリアでは最後になる「彫刻アトリエ館」を訪ねると本郷通りを少し戻ったところを右折だそうで、その通りに進みます。
この「彫刻アトリエ館」も問題の回答があるところです。

問題14
・・・また、滝野川小学校のすぐ近く、旧古川庭園の石垣が切れるあたりの向かいの通りを入り、胸突き坂を上ると「彫刻アトリエ館」の荘厳な○○○門が構えている。ここは2001年に亡くなった彫刻家・北村治禧氏のアトリエだったが、若手芸術家の育成に貢献したいとする故人の遺志を継ぎ、活用されている。

滝野川 現在1:30過ぎで確かに空腹には胸突き坂ですが、とりあえずの一踏ん張りで「彫刻アトリエ館」に到着しましたが、 土日は休みのようで門も閉まっていました。


ところで彫刻家・北村治禧氏とは・・・と調べてみると、北村西望氏、ドナルド・キーン氏についで3人目の北区名誉区民でした。
北区サイトのプロフィールです。

『彫塑家。
大正4年、長崎県に生まれ、その後、北区に居住。
昭和12年東京美術学校彫刻科塑造部卒業。在学時の昭和11年文部省美術展覧会において「少女」が初入選。第10回日展に出品した「光る波」は、第24回日本芸術院賞を受賞。昭和55年には日本芸術院会員に任命され、昭和56年日展常務理事、日本彫刻会常務理事となり、昭和61年には勲三等瑞宝章を受章されました。
昭和62年日展理事長、平成2年日本彫刻会理事長、北区美術会会長などを歴任、平成7年に北区名誉区民に選定されました。平成13年逝去。』

滝野川 記載されてはいませんが、彫刻家 北村西望氏の長男だそうです。さすがに優れたDMAは優れた人を創造しますね。
等と思いながら門を見るとちゃんと回答が貼り付けてありました。そう長屋門ですね。


名誉区民はもう一人いるんだと・・・問題14の回答は=ながや=でした。

もう一人の名誉区民は奥山 峰石氏という方です。折角なのでプロフィールを。

『鍛金家。
昭和12年山形県新庄市に生まれ、笠原宗峰氏に弟子入り、田中光輝氏に師事されました。
昭和57年日本伝統工芸武蔵野展奨励賞をはじめ、昭和59年伝統工芸日本金工展において文化庁長官賞、平成元年日本伝統工芸展で高松宮記念賞、平成6年伝統工芸新作展三越賞受賞などその技法が高く評価されています。
平成7年重要無形文化財「鍛金」保持者(人間国宝)認定、北区名誉区民に選定、平成9年に紫綬褒章を受章、平成19年には旭日小綬章を受章され、日本伝統工芸展鑑審査委員、日本工芸会参与などを歴任されています。
北区には昭和45年以来在住。』

以上で滝野川周辺を終わって、いよいよ本丸の「霜降商店街」に向かいます。
気力・体力万全の準備だけはしておかなければ・・・

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