菊人形展 #3

ここまでが今回の菊人形展のメインテーマである「大河ドラマ 龍馬伝」でしたが、最後のクライマックスの近江屋での龍馬暗殺がありません。
悲しいシーンなので入れなかったのか、それとも龍馬暗殺が大河ドラマ最終回の放送のため(この時点ではまだ最終回を迎えていない)の関係で出すことができないのか判りませんが、若干尻切れトンボ的なフィナーレが残念ではあります。

相生の滝

相生の滝 最後の菊人形展示は、滝のある比較的大きな池のある場所です。この滝は「相生の滝」というそうです。

相生の滝
この滝は城内の自然地形を利用して作られ、昭和9(1934)年9月に竣工した。名称は公募により「相生瀧」と名付けられた。城内中腹を東流する二合田用水から水をひき、その水は箕輪門前の用水路へと流れ込み、城下へとつづく。
「二合田用水」は、初代二本松藩主丹羽光重公が17世紀後半に算学者・磯村吉徳に命じて開削したもので、遠く安達太良山麓から約18キロメートルにわたり清水をひき、城内・城下の用水として利用したものである。現在でも城内各所の水系に、この江戸期の大土木工事の痕跡をみることができる。
(現地案内板説明文より)

城内の滝や池はそれらの用水からのものなのでしょうね。
七福神の宝船 この滝のある池の中心には、定番の目出度い七福神の宝船が浮かんでいます。

実に目出度い目出度いと見てみますが、何処からどう見ても七福神が六福神しかいません。
福禄寿着せ替え中 よくよく見れば福禄寿が着せ替え中、ということでこの日は欠席のようです。お召し換えでしょうかね。

千輪咲き 前垂れ型懸崖 反対側にはまた見事な千輪咲きや前垂れ型懸崖をみることができます。

二本松の菊富士 そして最後には、二本松の菊富士が締めくくりです。安達太良山がある二本松ですが、やはり富士山は日本人のシンボルだからでしょう。

明治天皇駐蹕碑 その後ろにちょっと見える碑が「明治天皇駐蹕碑」で明治9年、明治天皇が東北巡幸の際に立ち寄られた記念の碑です。

これにて第1会場はこれで終わりですが、菊人形はともかく、菊の展示に意外な魅力があるのを初めて知りました。ある程度知識を知っているのと知らないのとでは、感動の大きさが違いますから、これから菊を見る目も少しは違ってくるかもしれません。

おとぎの国・花と光のファンタジー

アーチ 第1会場を終えて「おとぎの国・花と光のファンタジー」と書かれたアーチを抜けて第2会場に向います。

サブタイトルには二本松の物産と観光展とありますので、多少菊人形とは違った意味合いあ会場なのでしょう。
おとぎの国・花と光のファンタジー 比較的大きな建物の外側に、御伽噺をモチーフとした菊人形が置かれています。

桃太郎 おむすびころりん 「桃太郎」と「おむすびころりん」だそうです。

おとぎの国・花と光のファンタジー入口 美女と野獣 そして館内に入ると展示されているのは「美女と野獣」です。光の演出は当然綺麗なのですが、折角の菊が栄えなくなってしまいますね。

二本松の物産展 この先は完全に「二本松の物産展」となっています。

会場内の殆どが物産展に占められていますが、県内外から多くの客が集まるイベントですから、二本松の物産をアピールするよい機会なのでしょう。

鬼婆伝説「奥州安達ヶ原」 この先の第3会場では、鬼婆伝説「奥州安達ヶ原」が上演されていますが、時間指定なので今回はパスしますが、少し余談を。

二本松では、この鬼婆伝説が全国的に有名です。全国には鬼を祭神または神の使いとしている神社などでは「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている所も多いといわれています。
しかし、ここ二本松ではそれとはまたちょっとニュアンスが違っているようです。
通常、節分の豆まきは「鬼は外、福は内」ですが、「鬼は」の読みに「お丹羽」の文字をあてることもできることから、いつしか藩主に対する遠慮から「鬼外、福は内」というようになったのだそうです。

これで、第1会場から第3会場まで見学してきました。
展示菊 展示菊 最後の出口までには、様々な菊の展示が行われています。

綺麗な菊を最後まで堪能して、菊人形展は終了です。

旧二本松藩「戒石銘碑」

最後に駐車場のそばにある「戒石銘碑」を見てから帰ることにします。
旧二本松藩「戒石銘碑」 旧二本松藩「戒石銘碑」 昭和10年に国指定史跡に指定されたもので、藩士に対する教訓が書かれている石碑です。

寛延2年(1749年)旧二本松藩庁の前であるこの地に、藩士登城の際、その戒めとするため、藩主丹羽高寛公が、藩儒の岩井田咋非に命じ書かせたものである。
「爾が俸 爾が禄は民の膏民の脂なり 下民は虐げ易きも上天は欺き難し」
今日においても、行政の規範として、又、教育上類例のない重要な史跡として高く評価されている。
管理 二本松市
(現地案内板説明文より)

旧二本松藩「戒石銘碑」 この碑文は、「君たちの給料は、住民(藩民)が汗をして働いたものからいただいているのである。したがって君たちは住民に感謝し、労わってあげなければならないのである。この気持ちを忘れて住民達を虐げるのは簡単であろうが、全ての行いは神様が見ているので、きっと天罰があたるであろう。」というような意味に解釈されています。

現代でいえば政治家や官僚などがこれにあたるのででしょうが、いつの時代でもあてはまると言うことは、いつの時代になっても歴史は繰り返されるのとおり、おそらく未来永劫正されることは無いと思います。

ここでは、藩主丹羽高寛公と記載されていますが、この時には高寛公はすでに隠居していて、実際の藩主は6代目高庸公(高寛公の長男)だったそうなので、若干新藩主への戒めでもあったのかもしれません。
一方、命じられた岩井田昨非という人は、下野国芳賀で生まれ、江戸に出て幕府の儒臣・桂山彩厳に学んで儒学を究めて、享保19年二本松藩藩政改革に伴って、家老・丹羽忠亮の推挙で高寛公に150石をもって招聘されたそうです。
着任後、綱紀の粛正・行政改革・生涯奨励・藩士教育等の諸改革の推進を行い、のち300石の禄を給され番頭格に昇進しました。
このように様々な改革に功績を残したのですが、こうした場合必ず嫉妬や嫌悪があり、この戒石銘刻銘に際しても反昨非派による辞句曲解のため、農民一揆いわゆる昨非騒動が起り、反昨非派は処罰、昨非は病のため隠居という形で解決した騒ぎが起こったそうです。
これも良くある出来事ですね。

今回の散策は、二本松城址である霞ヶ城公園と菊人形展だけでしたが、歴史と文化、そして自然とを十分堪能できました。
かなり短い時間ですが、凝縮された濃厚なトンコツ・・・って、喩えはパッとしませんが、充実した時を過ごしました。
機会があれば安達太良山・・・付近にも行ってみたいものです。

2010.11.30記

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