はじめに

今月もいわき散策の日がきました。
めっきり秋めいてきて、いわきでもそろそろ紅葉の季節が到来しそうな11月6、7日の土日に出かけました。
今回は、いわきでの散策はわずか半日+αしか出来ないので、比較的近場で効率よく散策するためテーマを絞り込みました。 いわきの地元住民の方には、もう今更の感はあるのかもしれませんが、「いわきヘリテージ・ツーリズム」をテーマに散策してみることにしました。
近代化産業遺産群33 「いわきヘリテージ・ツーリズム」は、平成5(1993)年、経済産業省により重要文化財として新たに近代化遺産という種別が設けられたことに端を発しています。
そしてこの近代化遺産を取りまとめたものが「近代化産業遺産群33」です。

地域活性化のための「近代化産業遺産群」の取りまとめの趣旨
地域において、先人の歩みを知り、将来に向かっての活力に繋げていくことは、地域活性化を進める上で極めて重要です。なかでも、幕末から昭和初期にかけての産業近代化の過程は、今日の「モノづくり大国・日本」の礎として、また、各地域における今日の基幹産業のルーツとして、極めて大きな意義を持っています。
このような産業近代化の過程を物語る存在として、全国各地には、数多くの建造物、機械、文書などが今日まで継承されています。これらの「近代化産業遺産」は、古さや希少さなどに由来する物理的な価値を持つことに加えて、国や地域の発展においてこれらの遺産が果たしてきた役割、産業近代化に関わった先人たちの努力など、非常に豊かな無形の価値を物語るものであり、地域活性化の有益な「種」となり得るものです。
しかしながら、このような近代化産業遺産が持つ価値は、個々の遺産の単位では伝わり難く、歴史を軸としつつ、人材・技術・物資等の交流にも着目して複数の遺産を関連づけ、当該遺産が果たした役割を明確にすることにより、始めてその価値の普及が効果的になされるものと言えます。
このたび、このような考え方のもとで、近代化産業遺産が持つ価値をより顕在化させ、地域活性化に役立てることを目的として、産業史や地域史のストーリーを軸に、相互に関連する複数の遺産により構成される「近代化産業遺産群」を取りまとめることとしました。』(経済産業省「近代化産業遺産群33」パンフレットより)

この「近代化産業遺産群33」は、公募を通じて全国から近代化産業遺産と思しき約190件、400箇所を受け、これらを整理し、全体で約450箇所、33のストーリーに編集されたものです。
この内の1つのストーリーがいわき市に該当するのです。

10.京浜工業地帯の重工業化と地域の経済発展を支えた常磐地域の鉱工業の歩みを物語る近代化産業遺産群
現在の茨城県北部から福島県浜通地方は、古くは中世から赤沢銅山(後の日立鉱山)や八茎鉱山で鉱物の採掘が行われており、また、幕末には石炭が発見されるなど、鉱物資源が豊富な地域であった。近代を迎えると、この地域の鉱山・炭鉱は、新たな経営者によって技術革新による増産が図られ、大きく発展することとなった。
赤沢銅山は、小坂鉱山を立て直した久原房之助により1905 年に買収され、「日立鉱山」と改名後、近代化が推し進められた。非鉄金属業界では時期的に後発であったが、新たに竪坑を開削し、当初から鑿岩機による採掘に取組み、中里発電所等の建設や、1907 年にはシュラム式試錐機による金属鉱山として日本最初のボーリングに成功するなど、近代化を急速に推し進めた。このような取組みにより、大正初期には銅の産出量が足尾鉱山、小坂鉱山に次ぎ第3位に躍進した。
また、日立鉱山で電気機械の修理を担当した工作課長の小平浪平は、外国製品の修理のかたわら故障原因や製作方法の研究を進め、1910 年には、初の国産モーターである5 馬力電動機3 台を製作した。
これを鉱山で試用してみると非常に良好に稼働したため、続いて200 馬力電動機も製作した。これに自信を得た小平は、1920 年に日立鉱山から分離独立し、日立製作所を創業した。
(中略)
他方、現在の茨城県日立市から福島県双葉郡富岡町にかけて存在した常磐炭田(南北約 95km、東西約5.25km)は、石狩炭田、筑豊炭田に次ぐ規模を有し、石炭埋蔵量は本州最大を誇った。幕末より地元資本による小規模な鉱山経営がなされていたが、1884 年(明治17 年)、渋沢栄一・浅野総一郎・大倉喜八郎らが磐城炭坑社(後に磐城炭鉱と改称)を設立し、大資本による炭鉱経営が始まった。1887年には馬車鉄道を敷設し、1889年には蒸気巻揚機、コルニッシュ気罐、排水機を使用し斜坑開削に着手するなど、設備の近代化を図り、炭鉱経営を軌道に乗せた。
これよりやや遅れて、川崎八右衛門を中心とする京浜資本が内郷地区に進出し、入山採炭を設立した。同社は、1944 年に前述の磐城炭砿と合併し、常磐炭砿(現:常磐興産)が設立され、本州東部地区最大の炭鉱となった。
このように、常磐炭田では、明治期以降に相次いで外部の資本が参入し、近代技術の導入や企業統合を経て大規模な鉱山経営が支配的となり。石炭の大幅な増産を果たした。
常磐炭田の北側に位置する八茎鉱山は、1908 年に八茎鉱山合資会社が設立されて以降、近代技術の導入が進められた。主に銅鉱石及びタングステンの材料である灰重石の採掘が行われていたが、第一次世界大戦後の不景気で操業を中止した。これ以降は、経営者を変えつつ、今日まで石灰石の採掘が行われている。
これらの鉱山は、京浜工業地帯に近いという利点を生かし、水戸から東京間が鉄道(日本鉄道海岸線)により直結された後、石炭や金属の供給源として重工業の発展に大きく寄与した。また、日立鉱山の近代化を契機として今日の鉱工業都市・日立の礎が築かれたことや、常磐炭田の豊富な石炭が小名浜に東北地方有数の臨海工業地帯を形成させる契機となったことなど、地域経済発展の事例としても重要な存在となった。』(「近代化産業遺産群33」より)

いわきヘイリテージ・ツーリズムマップ これをもとにいわき市では、独自に「いわきヘイリテージ・ツーリズム」として、一つのアカデミックなツアー(観光)を行なっているのです。

現在、この「いわきヘイリテージ・ツーリズム」は3テーマ5地区に分けられています。
1、常磐炭田地帯の近代化産業遺産群 いわき地区の発展を支え、日本の工業化の基盤を築いた炭鉱遺構
2、近代化遺産群《平・小名浜》 いわき地域の核を形成した平、漁港→商港→国際港へと発展した小名浜のまちなみ
3、旧八茎銅山遺産群 鉱産資源の雄として栄えたカッパーベルト

1については内郷・好間地区と湯本地区。2は平地区と小名浜地区そして、3が四ツ倉地区の計3テーマ5地区となるのです。
ということで、今回は1のテーマの湯本地区と3のテーマの四ツ倉地区を散策します。

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コメント

  1. 【リンク報告】

    【リンク報告】
     こんにちは。カミタクこと神山卓也と申します。

     先刻、貴ブログ日記記事「いわきヘイリテージ《常磐炭田・湯本地区炭鉱遺産》 #1」
    http://tabireki70.blog114.fc2.com/?no=224
    にリンク報告いたしましたが、この貴ブログ日記記事にも、私が運営しております、以下のホームページのサブ・コンテンツ計2箇所から、貴ホームページにリンクを張りましたので、その旨、報告申し上げます。
    ○ 炭鉱を紹介するホームページ「炭鉱マニア」
    http://coal.shimazu-yoshihiro.net/
    の、「炭鉱・石炭関係リンク集」の常磐炭田欄
    http://coal.shimazu-yoshihiro.net/coallink.htm#joban_coal
    ○ 鹿児島温泉(鹿児島市内温泉)を中心にして、鹿児島県内外の温泉と観光スポットを紹介するホームページ「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
    http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
    の、「いわき市石炭・化石館 ほるる訪問記」
    http://homepage2.nifty.com/kamitaku/FUKUSK01.HTM
    のHP欄

     なお、「炭鉱マニア」では最近、以下のとおり常磐炭田紹介ペ
    ージ(画面)を増設しました。
    ○ 常磐炭礦(株)(湯本地域)
    ○ みろく沢炭鉱資料館(常磐炭田発祥の地)

     今後共、よろしくお願い申し上げます。

    ( 10:51 [Edit] )

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