歴史を尋ねる散策記。歴史の必然、偶然を楽しんでいます!!!!
05:53
途中立ち寄った調整池をあとにして、ここからは国道6号線、常磐線を越えて。ヘリテージもさらにディープな世界へと誘います。
徐々に遺産散策ではなく、廃墟マニア的な世界に突入していく感じが、小気味良かったり自己嫌悪だったりして実に複雑です。それでもここまできてしまったのですから、とりあえず後退はありえないでしょう。
「ズリ山」のズリとは鉱山で採掘された鉱石のうち、資源として使えず廃棄する部分を捨石と呼び、俗称でズリといっているのです。このズリは特定の場所に集められて捨てられますが、長年にわたり捨て続けているうちにズリは積み上げられていき、やがて山ができてきます。これをズリ山と呼んでいるのです。
当然ながらこのズリ山があるのは、鉱山や炭鉱のあった地域に限られるわけで、常磐以外の全国では、夕張炭田で有名な北海道と筑豊炭田のあった九州北部に残存しています。
なお、日本の地すべり等防止法では「ぼた山」と表記されているので、こちらが正式な呼び名のようですが、このぼたは九州の炭鉱で発生したものに対して用いる言葉です。
常磐炭鉱綴坑は、地域でいえば内郷地区なのですが、ズリ山の形状としては湯本側からのほうが判り易いのだそうです。ちょうど日渡地区あたりになるのでしょうか。
車で10分ほど走ると遠くに「ズリ山」らしきものが突如現れます。
ズリ山の大部分は樹木で覆われていますが、頂上近くの一部分だけがズリを露呈しているのでズリ山と判るのですが、いずれ全てが樹木で覆われるとズリ山と判別することは一般人には無理であるとともに、ヘリテージとしての価値もなくなるのではないでしょうか。余計なことですが・・・。
もう少し近くに寄ればもっとはっきり見ることができるのではないかと車を走らせましたが、ある地点から全く見えなくなることが判りました。
さらに進めばまた見える地点があるのかも知れないのですが、時間も無いのでここは引き返します。
途中道沿いに四阿があったので立ち寄ったところ、小さな駐車スペースに「ときわ台案内図」が設置されていました。
このときわ台というのは、かつての常磐炭鉱のズリ山を再利用して造成された保全林の中に遊歩道や野球場などが設置されている「ときわ台生活環境保全林」という地域だそうです。
先ほどあった四阿あたりは青葉弁天池があり、紅葉も始まりかけているようです。
この弁天池から始まっている遊歩道が足摺の小道というようで、池の周囲から林の中へ抜けています。
もう1週間ほどすれば紅葉もみごろではないでしょうか。
全部で12本の遊歩道があり、海の見える丘やカエデが植栽されているかえでの路など見所も多くあるようなので、ファミリーには良いかもしれません。
自然と人工の共生によるズリ山の再生という貴重なエリアです。
いわきヘリテージ(湯本地区)もろそろ終盤です。
日渡地区の「ズリ山」から、次は「常磐炭鉱磐崎鉱石炭積込場」後に向います。
「常磐炭鉱磐崎鉱石炭積込場」は常磐上湯長谷町の梅ヶ平地区にあり、「ズリ山」からは南西にほぼ一直線といった位置関係です。
道路の左側に写真で見慣れた「常磐炭鉱磐崎鉱石炭積込場」がありました。
『常磐炭鉱磐崎鉱石炭積込場(万石)
石炭貨車に石炭を積込、専用鉄道で湯本駅まで運びました。周辺には選炭場などの関連施設やズリ山が残っています。』
(「いわきヘリテージ・ツーリズムマップ」より)
別名、万石、英語ではホッパーというそうです。
仕組みは意外と簡単です。2階建ての上部に選炭場から仕分けられた石炭が蓄えられ、下層に逆ピラミッド型である漏斗状の石炭噴出口があり、その下に貨車が入ると、その漏斗の蓋が開いて石炭が貨車に落下、積み込まれるという仕掛けです。
そして、この漏斗状の蓋のことを万石ということから、積込場を別名万石と呼ぶようになったそうです。
よくよく見ると牛の乳・・・
当然、貨物列車が下に入線するのですから建造物は大きくなります。ここの積込場は2貨物列車が同時に入線できる大型な部類のものでしょうか。
因みに三池炭鉱などでは石炭を品質ごとに種類分けして蓄えて、運び出す際にその種類ごとの落下量をコントロールし、石炭の使用目的別にブレンドしていたといわれているので、ここでもそういったことが行われていたのかも知れませんね。いずれにしても石炭のブレンドとは面白いですね。ブレンドしないものはストレート石炭だったりして・・・。
ちょうどこの万石の後ろに写っている山はズリ山だそうですが、やはり言われなければ判りませんよね。
しばし積込場を見ていて、ふと後ろの高台に同じような建造物を見つけました。
うっすらと木々の間に亡霊のように存在している建造物です。
ナビを見るとこの裏手に道路がありますので、回り込んで見ました。
ホッパーと同じような造りですが、ホッパーに対して直角に設置されていて、漏斗状のモノは1列のみです。
さらにその漏斗の下に貨車などが入るほどの高さはなく、漏斗の口にはパイプのようなものが突き出しています。
これが説明にあった選炭場なのでしょう。
掘り出された石炭はそのまま製品として出荷されるわけではなく、不要な岩石(ズリ)を取り除き、品質をそろえたりする必要があります。この行程を選炭といい、これを行うのが選炭場となるわけです。
その方法について、かつては手選と云われる人力で行ったそうですが、戦後の近代化とともに選炭も機械化され機械選炭されるようになったそうで、その機械選炭の施設がこれなのでしょう。その機械的な方法はよく分かりませんが、漏斗の口から出ているパイプがそのキーポイントなのかもしれません。
そしてここで選炭された石炭が、下の積込場に移され運搬されていくというシステムのようです。
終戦当時、常磐炭鉱では住吉・綴・川平・六坑・四坑・磐崎の各坑に選炭場があったそうですが、老朽化と合理化により、選炭場はその後、鹿島・磐崎・六坑・内郷中央の4ヶ所になったそうです。その一つがこの選炭場というわけです。
そして、ここにある磐崎坑の石炭は、ここから5坑、6坑を経由して西部斜坑積出坑口(いわき市石炭・化石館周辺)までの5.17kmを、何と地下600mの坑道でトロリー電機機関車を使用して昭和37年から運搬されたため、この選炭場はそれ以降使用されなくなったそうです。今でもまだ残っているのでしょうか、その坑道は・・・。
近辺にはこんな円形の遺構も残されているのですが、さらに何に使われるのか皆目見当つきません。
いずれにしてもヘリテージとしては貴重ですが、万が一子供が遊んで怪我でもした日には、すぐ取り壊しなどといったことになるのかもしれません。
いわき市の資源としては貴重なものですが、維持・管理、そしてPRと手のかかることは多いようです。
「常磐炭鉱磐崎鉱石炭積込場」の次はその積み込んだ石炭を採掘した「磐崎鉱本坑」に向います。
「磐崎鉱本坑」は、以前【いわき散策記 vol.10】で訪れた烏舘不動尊のある烏舘地区にあるようです。
烏舘不動尊はよく言えば流行のパワースポットですが、何となく不気味な雰囲気だったイメージが残っています。
車で15分ほどで見慣れた道路に差し掛かりました。
見覚えのあるカーブに烏舘不動尊参道入口の看板があります。
路が狭いのでとりあえずこのあたりのちょっとした駐車スペースに車を置いて散策です。
「磐崎鉱本坑」の手前には「常磐炭鉱磐崎鉱扇風機座」という遺産があるそうなので探してみます。
『常磐炭鉱磐崎鉱扇風機座
風洞坑、点検坑として利用されました。ここに巨大な扇風機を設置し、2つある坑口の内1つを排気用として利用、一方は入気用として常に空気を送り込んでいました。』
(「いわきヘリテージ・ツーリズムマップ」より)
何となくこれが坑口かもしれませんが、この辺りは立入禁止となっており、さらに樹木が生い茂っているので、流石に湯本山神社のように強行突破は差し控えました。
ここから徒歩で進むと以前通った時には気が付かなかった、道路沿いのコンクリートの壁の微妙な円弧です。
もしかするとこの路はトンネルだったのかもしれません。
そしてこの壁の左側の上に目的の「磐崎鉱本坑」を見つけました。
現在その跡の前は民家の駐車場になっているので、私有地なのかも知れません。
とにかくも磐崎本坑と刻まれていますので間違いないでしょう。
『磐崎鉱本坑
捲上機(復胴)炭車で石炭を揚げていました。長倉炭として良質の石炭が採掘されました。写真の左側に、「磐崎連坑跡」「人道坑跡」があります。』
(「いわきヘリテージ・ツーリズムマップ」より)
左側はかなりの藪になっているので、今回は遠慮(というか時間がなくなってきた)しておきました。
この磐崎鉱について興味深い記事を見つけたので掲載しておきます。
『昭和31年 14人中毒死 常磐炭鉱磐崎鉱 戦後3度目の大惨事
常磐炭鉱磐崎鉱中部第一斜坑の排気坑で7日午前3時半頃排気が自然発火した。
落盤で煙とガスが排気坑に出ず坑内に逆流したもの。
このため奥の切羽で働いていた3番方坑夫22人がガス中毒で倒れた。午前8時過ぎまでに全員が運び出されたが、うち14人は窒息死亡した。
他の8人は同炭鉱病院に収容され、2週間か1週間で退院出来る模様。
排気坑道の石炭壁が自然発火したのが原因とのことで、深さ400メートルで気圧も高く坑道の石炭壁が自然発火するのは全国的にもここだけだという。
炭質の調査を依頼し警戒をもっとすべきとの批判も出ている。』(朝日新聞地方版より抜粋)
炭鉱=落盤というイメージはあるのですが、発火や中毒というイメージは余りありませんでした。まさに命懸けというのは、このことを云うのでしょう。
我々の知る惨事は高々映画「フラガール」等の中での惨事で、実際の惨事に立ち会う、あるいは知ることなど皆無です。そのようなバックボーンを知る上でもヘリテージは大変貴重であるといえるのでしょう。
今回のいわきヘリテージ・ツーリズムの最後が「軽便鉄道トンネル」です。
『軽便鉄道トンネル
明治20年(1887)常磐炭鉱の小野田坑から小名浜を結ぶ軽便鉄道のトンネル跡(約300m)。岩盤を素掘りで掘削し、石炭や人を運んでいたそうです。』
(「いわきヘリテージ・ツーリズムマップ」より)
と言う事で、湯本の老舗・古滝屋の駐車場にあるとのことなので、行ってみましたが民家もあり藪もあり時間は無し、という状況だったので最後はパスしました。
計画した当初は、何となく廃墟マニアのイメージであまり気が進まなかったのですが、実際に散策してみると実に有意義な遺産群であることが理解できます。
いわき市の文化・産業史としても興味深いことはいうまでもありませんが、今後このヘリテージ・ツーリズムが一過性で終わってしまうのか、あるいは大きな歴史探訪の一つの流れとして定着するのかもまた、興味本位ですが気になるところです。
ある意味これは、自然・歴史・文化・産業など、それぞれ一つ一つの誇るべき資産があるいわき市の強みかもしれません。
「いわきヘリテージ・ツーリズム」はまだ3地区が残っていますので、また機会をつくって散策したいものです。
2010.11.21記
カミタク@「いわき市石炭・化石館 ほるる訪問記」 | O/BmnR6Q
【リンク報告】
【リンク報告】
こんにちは。カミタクこと神山卓也と申します。
先刻、貴ブログ日記記事「いわきヘイリテージ《常磐炭田・湯本地区炭鉱遺産》 #1」
http://tabireki70.blog114.fc2.com/?no=224
にリンク報告いたしましたが、この貴ブログ日記記事にも、私が運営しております、以下のホームページのサブ・コンテンツ計2箇所から、貴ホームページにリンクを張りましたので、その旨、報告申いたします。
○ 炭鉱を紹介するホームページ「炭鉱マニア」
http://coal.shimazu-yoshihiro.net/
の、「炭鉱・石炭関係リンク集」の常磐炭田欄
http://coal.shimazu-yoshihiro.net/coallink.htm#joban_coal
○ 鹿児島温泉(鹿児島市内温泉)を中心にして、鹿児島県内外の温泉と観光スポットを紹介するホームページ「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
の、「いわき市石炭・化石館 ほるる訪問記」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/FUKUSK01.HTM
のHP欄
なお、「炭鉱マニア」では最近、以下のとおり常磐炭田紹介ペ
ージ(画面)を増設しました。
○ 常磐炭礦(株)(湯本地域)
○ みろく沢炭鉱資料館(常磐炭田発祥の地)
この石炭積込場には私も訪れて、「炭鉱マニア」ホームページの「常磐炭礦(株)(湯本地域)」欄に、写真を載せております。常磐炭田の炭鉱遺産は、素晴らしいと思いました。
今後共、よろしくお願い申し上げます。
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埼玉県上尾市在住で、埼玉県を中心に散策してみつけた歴史を楽しんでいます。
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制作・著作 : 薄荷脳70