金毘羅神社例大祭

いわきヘリテージ・ツーリズムを終えた翌日の1月10日(祝日)は、ちょうど湯本の金毘羅神社の例大祭の日です。というよりは今回例大祭の日にいわき散策にしたのですから、何はおいてもこの日が散策のメインなのです。
金毘羅神社には、一昨年の2009年10月4日に【いわき散策記 vol.3】で訪れていますので、1年3ヶ月ぶりという事です。
凡そのところはじっくり散策しましたので、今回は雰囲気だけの散策ですが、まずは例大祭の概要です。

金刀比羅神社例大祭 『初こんぴら』
日本三大金毘羅宮のひとつであり、地元民からは"こんぴら様"として親しまれている常磐関船町の金毘羅神社で、1月10日(日)に例大祭が行われます。
金毘羅神社は、海上交通の守り神であると共に、家内安全や商売繁盛、交通安全の神として親しまれています。
祭り当日は境内で大小様々ないわきだるまが並ぶほか、色鮮やかな宝船・熊手も売られています。
またJR湯本駅前あたりから金毘羅神社まで、450軒前後の露店が軒を連ねます。この数は東北でも指折りですので、散策しながら神社に来るのが楽しいですね。

日 時 平成23年1月10日(月) 早朝より深夜まで
場 所 金毘羅大権現宮 いわき市常磐関船町諏訪下6-3
アクセス 電車 JR常磐線 湯本駅下車 徒歩10分
※通行止め
県道56号常磐勿来線:湯本駅前矢吹カメラ店から常磐関船町志座の関船橋付近まで 時間:6:00から22:00
※シャトルバス運行予定
21世紀の森公園駐車場?湯本駅を無料のシャトルバスが運行いたします。
・21世紀の森公園駐車場 始発 8:00・最終 20:30 30分間隔で運行
・湯本駅前5番乗場    始発 8:30・最終 21:45 30分間隔で運行
(「いわき市観光情報サイト」より)

「初こんぴら」露店

毎年15万人以上の参拝客が詰めかけるようで通行止めもさることながら、そのためにシャトルバスが運行されるというのも随分と便宜が図られています。
自宅からは十分歩いていける距離なので、午後からは帰宅することからAM9:00に出かけました。

金毘羅神社例大祭 のんびり歩いてもホンの5、6分で、一方の通行止めである常磐関船町に到着です。

金毘羅神社例大祭 ここから更に5,6分も歩くといよいよ露店が並び始め、祭りの気分も徐々に上がってきます。

暫く屋台を覗きながらブラブラと歩きます。
流石に450軒以上の露店だけあって、さまざまなものが売られています。
ここで目に付いた露店をピックアップしてみます。あえて言えば「いわき」らしい露店といったほうが良いかもしれません。

まず目に付いたのが、いわきの福だるまです。
金毘羅神社例大祭 高橋ダルマ店 この露店には「いわきダルマ 製造元直売 高橋ダルマ店」と記載されています。
いわき福だるまについては、この店がその歴史を創造してきたようです。

正式には「高橋工房」というようで、いわき市無形文化財の指定を受けた高橋晃平氏の跡を継ぐ三代目・高橋謙一郎氏のお店だそうです。何の無形文化財かといえば【いわき散策記 vol.8】で見かけたいわき特有のいわき絵のぼりなのです。そしてこの絵のぼりをはじめたのが初代の高橋與平氏なのです。

この與平氏は絵のぼり職人に弟子入りし、20歳という若さで独立し、下書き無しで絵のぼりを仕上げてしまうほどの才能を持った方だったそうです。しかし、節句用の絵のぼりは初夏までの仕事で、その後の冬にかけては何か仕事がないかと考えた結果がだるま造りだったそうです。
そもそもだるまのモデルは中国で活躍した仏教の僧侶「達磨大師」で、その達磨大師が身にまとっていた緋色の衣から、深い赤色が一般的なだるまの色となったのですが、さすが才能のある與平氏は一般的なだるまではない、オリジナリティあるだるまを考えていたようです。一般的に余暇の間の仕事ですから、所謂片手間と考えれば我々凡人は手軽なことを考えてしまいがちですが、そこが非凡な與平氏、アーティストとしての面目躍如といたっところでしょうか、様々な地域のだるまを研究したそうです。

この当時(かどうかは判りませんが)の福島のだるまの代表は「三春だるま」だったようです。あの有名なしだれ桜のある三春です。 「三春だるま」の特徴は頭が平で顔の彫が深く、睨み顔の周囲を青く縁取りして、出っ腹なところです。
そして、その「三春だるま」の影響を色濃く残しているのが「福島だるま」だそうで、特徴は最初から目が入っていることと、腹部に大きく金文字で福と描かれていて、「カッと睨んで邪気を払い、家内に福を呼ぶため」に目は大きく見開いています。そしてやや長身で頭頂が平になっているのです。
これはやはり同じ中通りということが要因のようで、同じように郡山との往来が盛んであった「会津若松だるま」もまた形状や彩色に「三春だるま」の影響が現れているようです。 しかし、同じ中通りでありながら県最南端の「白河だるま」は、頭は丸く顔は平板で目が無く、髭や眉が装飾的に描かれていることなど、関東だるま圏の影響下にあるといわれています。
実際にだるま研究家によれば、点晴様式(黒目入り)と白眼様式の境界線は白河とされていて、この「白河だるま」が関東系の白眼だるまの北限とされていて、ここを境に東北一体は黒目の入っただるまとなるのだそうです。

こうして各地のだるまを研究しながら創作されたのが、現在のいわき福だるまで、単なる模索や良いところ取ではなく、三春を初めとした各所のだるまの影響は極々限られたもので、いわきのオリジナリティ溢れるだるまが造られたのです。
「福」の文字や、点晴様式は三春・福島型で、形状は白河型(関東型)というような折衷型なのですが、いわき福だるまのシンボルである輪郭の群青色はいわきの海で、その周りの白色は波を現しているところがいわきのオリジナリティなのです。

いわき福だるま したがって「いわき福だるま」の一番の特徴であるこの輪郭部分の描き方でだるまの良し悪しが変わるのだそうなので、この輪郭が書けて初めて一人前といわれるのだそうです。
そして、この技が與平氏亡き後も、2代目晃平氏、3代目謙一郎氏に受け継がれてきたのです。特に2代目は伸びやかで、3代目は精緻といわれているようです。

そして現在、4代目として聡一郎氏が受け継いでいるそうです。ちょうどこの写真の右側に立っているのが聡一郎氏で、左側で座っているのが謙一郎氏のようです。偶然とはいへ、このような歴史と伝統、そしてアーティスティックなだるまに触れられたのはある意味ラッキーだったのかもしれません。
因みに3代目の高橋謙一郎氏の略歴を知ってぶっ飛びました。
いわき市生まれで、磐城高校、東京大学法学部卒業後、都内企業で働き昭和48年いわき市へUターン。地元企業に就職後、学習塾を開校し、塾教師と職人を両立し、その後、〈高橋工房〉の3代目として、絵のぼりとだるま制作に専念しているのだそうです。天はニ物を与えるのですね。

こうして産み出されただるまは、一番大きいもので60cmあるそうです。そして大きいサイズから手のひらサイズまでを1から7号、それ以降はいろはにほへと・・・と全部で21種類の大きさがあるのだそうです。「1年頑張って、来年は1つ大きいサイズのものを買おう」というモチベーションのために、小さいものから1年ずつ順に購入したり、「七転び八起き」に因んで8年かけて8個買い、9年目は再び小さいサイズを買う人もいたり買い方は様々ですが、縁起物としていわきではこのだるまがすっかり定着している現われなのでしょう。

天狗面 だるまに圧倒されていますが、左側の隅には天狗の面のようなものもあります。
これはいわき七浜の一つである久之浜の「天狗面」で、昔から張子の天狗面を神棚に供えて航海の安全を祈る風習があったそうです。

いずれにしてもだるまや天狗面などは、全て航海のお守りであったこともいわきらしい風習です。

カラーだるま そのほかにも一般的なだるまも販売されていますが、こちらは随分とカラフルです。
ファッション性を重視したと言うことかと思いましたが、実は色によって願いがちがうのだそうです。

例えば、赤は家内安全、ピンクは幸福・恋愛、緑は交通安全、青は学業成就といった塩梅で11色もあるそうです。
ダルマもオシャレで進化しているのですね。

更に目に付いた露店はお守り、とか縁起物といえば「福笹」「宝船」「熊手」などの露店です。

熊手 これが「熊手」です。随分ゴージャスな「熊手」ですね。

「熊手」で思い出すのは、生まれ育った埼玉県川口市の飯塚氷川神社での酉の市です。毎年12月に行われていた酉の市ですが、この「熊手」が販売されていて、「熊手」の中央におかめの面が付けられていたことから、通称「おかめ市」と言っていました。確かこの「熊手」のことをかっこめと言っていた記憶がありますが、商売繁盛の「熊手」でしたから、お金をかっ込むと言う意味でかっこめと言っていたのでしょうかね。
小学生は確か5時とか6時までで、その後、夜おかめ市にいく場合は保護者と一緒でなければNGで、教師が見回りをしていたのものです。実に胡散臭い見世物小屋、何故かくじを引く文化フライ、絶対にとれない射的などなど、怪しさ満載で毎年楽しかった思い出があります。
いつの時代でも祭りは老若男女楽しいものです。

福笹 こちらは「福笹」で、関西の「えべっさん」のときに商売繁盛を祈願して笹にたくさんの縁起物をつけて売られていたものだそうです。
そもそもこの福笹につける縁起物は「吉兆」と呼ばれ、神社で授与されるものだったそうです。

宝船 そしてこれは「宝船」です。

お客との話を盗み聞きすると、ここにある「宝船」のうち、上段の右にある一番大きい宝船で5万円だそうです。
かっこめ そうこうしていると、こうした縁起物露店で手締めの音が聞こえます。購入するとこの手締めを行うのは未だにあるのですね。子供の頃の酉の市でもそうでした。

因みに、当時実家でも商売をしていたことから毎年かっこめは買っていましたが、購入するときは値切りに値切るのが恒例のようで、例えば1万円のかっこめを4000円に値切って手締めを行います。そして4000円を支払って、そのあとで6000円をご祝儀で渡すという、江戸の粋な風習が埼玉県でもありました。いわきではどうなんでしょうかね。
このように縁起物が多いのは年の節目であると共に、現在は風物詩として親しまれているのでしょう。

更にいわきらしい露店はなんと言っても海産物の露店があることです。

川えび 川えび 結構多かったのが川えびの露店です。

殆どの露店ではこの川えびのみが販売されているようです。
勿論いわきならでは、と言うより海沿いならではの露店でしょう。この露店の後ろにあるように恵比寿に掛けてのことなのかもしれません。
そういう意味では「川えび」もまた縁起物のような意味合いがふくまれているのでしょう。

いわし いわし そして更に海産物の露店は多く、なんとここは「いわき」ならぬ「いわし」オンリーで、実に明解な露店です。

「鰯の頭も信心から」ということわざがある位で、鰯の頭のようなつまらないものでも、信仰すると、ひどくありがたく思えるという意味からこういったお祭りにはよく似合ったものでしょう。更に古の風習で、民家の玄関先に「柊と鰯」を掲げ、柊の葉の棘で邪鬼の目を刺し、鰯の頭の強い臭いで邪鬼を追い払うという由来があるそうです。
やはり「いわし」も縁起物といえるでしょう。

海産物 そしてこちらは完全に海産物の露店です。

海産物 海産物 勿論、川えびもあるのですが、アサリ、いなご、わかさぎ、イカのほかにとんびといった聞きなれない佃煮があります。
また氷下魚と書いて「こまい」と読む干物です。

説明によると、焼いてハンマーで、たたいてマヨネースなど付けてお召し上がりくださいと書かれています。どれだけ硬いのでしょうかね。
ちなみに氷下魚はタラの1種だそうです。

これ以外のちょっと懐かしかったり珍しかったるする露店をピックアップします。

七味唐辛子 今やあまり露店でも見ることが少なくなった「七味唐辛子」。
昔は必ず買っていたのですが、必ず使い切れ無いものでした。

落花生 扱っている商品自体はありふれたものですが、このモノが露店で売られているのは見たことが無い「落花生」、しかも千葉産。

あげもんじゃ そして「あげもんじゃ」なる露店が・・・。
キャッチコピーには「関東でココにしか売ってません・・・」ってここいわき市なんですが。

ブッカキチョコレート 最後に、この響はオッサンにはなつかしい「ブッカキチョコレート」が存在しています・・・。
昔は今のように明治のチョコレートなどは高くて買えず、子供たちはこのブッカキを5円、10円で買ったものです。

露店 と、言ったところで先を見渡せば、何処まで続いているかも判らないほどの露店の数・・・。

流石に450店以上の露店は大迫力ですが、そろそろ金毘羅神社に向います。

「初こんぴら」例大祭

ちょうど最初の「いわき福だるま」の高橋だるま店の前が参道です。
金毘羅神社 一の鳥居を抜けて参道を進みます。AM10:00頃ですが結構な参拝客が詰掛けています。

金毘羅神社 手水舎 金毘羅神社 手水舎 先ずは手水舎でお清めです。普段と違い手水舎でもしばし順番待ちです。

金毘羅神社 参道 天満宮 そして石段を上がると右側にあるのが学問の神様「天満宮」です。
流石にこの時期は受験シーズン目前ですから、参詣のかたも多いです。我が家ではもう受験に関係する家族もいないので、ここはスルーです。

金毘羅神社 社号標と鳥居 「金毘羅大権現宮」の大きな社号標と朱の鳥居からが金毘羅宮の境内です。
確か朱の鳥居の掲額は湯長谷藩主第9代、内藤政公が奉納したものだと以前知りましたね。

えびす神社 すこし先に行くと右側が「ゑびす神社」です。
まさに商売繁盛の神様ですからやはりココも参拝客の行列なので、再びスルーです。

金毘羅神社 境内 そして金毘羅神社社殿が見えてきました。

前回訪れたときと若干印象が違ったのですが、境内にあった大きなスギの木が無くなっています。以前はこんな光景だったのですが、今はその大木もなくなっています。ある意味スッキリした感じではありますが、若干荘厳さに欠けるというか・・・。
金毘羅神社 一昨年の境内 《一昨年訪れたときの境内》

社殿参拝 社殿参拝 拝殿で参拝です。
社殿も大きいこともあり、また初詣でもないので思ったほどの行列も無く、すぐ参拝ができました。

宝船 社殿の横にはこんぴら丸なる舟が置いてあり、まさに七福神の宝船です。

恵比寿と大黒天 恵比寿と大黒天 そしてその前には、実物の・・・!? 「大黒様」と「ゑびす様」が居るではないですか。

なかなか凝った演出で、参拝に訪れた方は皆、お祓いをしてもらっていました。新年らしい光景です。

参拝を済ませたあとは、次なる目的の交通安全のお守りです。ちょうど現在の車が1月納車と言うこともあって、ちょうど1年経過したところなので、昨年のおまもりをお返しし新たなお守りを頂戴しました。
お守り お守り 今回は、お札型ではなく破魔矢の形のお守りです。何となく珍しそうなのでこれにしてみました。

湯立神事 前回散策時には何も行われていなかったのですが、今日は境内の中央にある大きな釜で湯が炊かれていました。

「湯立(くがたち)神事」大釜
「湯立神事」は、古代の神明裁判の流れを汲む神事で、当社では御鎮座当初(永正2年1505)より、毎年6月10日にこの釜を使い執り行われております。
神職が笹の葉を以ちて、大釜の湯を周囲に散らし、参列者がそのしぶきにあたり、更にその笹の葉を持ち帰り、家に祀ることによって厄難から除られることができ、運気が上昇すると信じられております。
(現地案内板説明文より)

前回訪れた際はただ大きな釜があっただけで、何をするのか判りませんでしたが、こうゆう事だったのですね。ということは今この大釜の周りで湯気を体に掛けている人達は、一体何をしているのでしょう。
湯立神事 これってあの線香の煙を体の悪いところに掛けると治るとという、あのお祓いと同じこと、なのでしょうか。

よく分かりませんが、とにかく湯気を頭に掛けておきましょう、頭が良くなると言うよりはボケない様に・・・。

ここでは書かれていませんが、全国の湯立神事を見ると神楽女が釜で沸かした湯を掛け踊るとあるので、ここ金毘羅神社でもそうなのでしょう。因みにこの湯立神事をモチーフとした映画が千と千尋の神隠しで、神々が湯治に訪れるお湯屋のアイデアとなったそうです。
それにしても彼是500年以上も続いている神事ですから、調べずにはいられないでしょう。

ここにも記載されている通り、「湯立」とはもともとは何らかの手段を用いて神意を得ることにより、物事の真偽、正邪を判断する裁判である神明裁判で、盟神探湯(くがたち)と書かれていたようです。
具体的には対象となる者に神に潔白などを誓わせた後、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うという、今では全く非論理的な裁判です。
文献に最初に登場するのは応神天皇9年と言われているので、応神天皇元年=270年とすると、何と西暦279年と言うことになります。
その後は、允恭天皇4年(416年)、継体天皇24年(531年)にも記述があるそうです。確かに非現実的であるのは当然なのですが、裁判があったと言う事には少し驚かされます。全くの独裁ではなかったと言うことですから。
その後、この盟神探湯の記録は約900年間無かったそうです。記録が無いことから裁判が無かったということにはなりませんが・・・。
しかし室町時代の応永32年(1425年)になって『薩戒記』に記載されており、再び盟神探湯が記録に表れるようになるのです。但しこの頃は湯起請と言う名称だったそうです。特にこの湯起請を頻繁に用いたのが室町幕府6代将軍足利義教だったようです。
この足利義教は、信長以前に比叡山を攻め立てていて、独裁者、虐殺者としても名高いようで、別の機会に是非掘り下げてみたい興味深い人物です。
こうして復活した盟神探湯ですが、流石に江戸時代中期となると科学的な考え方が主流となり、裁判としての盟神探湯は廃れていったのでしたが、一方で盟神探湯は水と火の神聖・呪性を重視し、神前に拝する時に身を清めるために沸かす湯の意味となり、次第にこの沸かした湯を浴びることで生命の再生・浄化と息災を願う風習に変化して神事に取り入れられるようになったそうです。
このような歴史を見ると、500年以上の歴史を持つ金毘羅神社の湯立神事がいかに貴重な神事であることかを教えられます。今日は実際の神事ではありませんが、そんな歴史の一端に触れられた貴重な機会だったといえるでしょう。

金毘羅まんじゅう 最後に境内でこの日限定と言う「金毘羅まんじゅう」の味見をして社殿を後にしました。

参道踊り場 この神社の参道は往復が一方通行のようにグルッと境内を廻れるようになってましたが、途中の階段の踊り場で、またしても何となく違和感のある光景が現れました。

そう、確かここにもスギの巨木があって、階段の途中に・・・、などと思ったものですが、ここもスギの木が切られたようです。ちょっと懐かしく思えました。
一昨年の参道踊り場 《一昨年訪れたときの踊り場》

露店 露店450店という噂どおりのスケールと、歴史ある神事などなど興味深い例大祭でした。
まだまだ見尽くせない露店がはるか彼方まで続いていますが、今回はこれにて終了です。

今回はヘリテージを初めとして主に江戸時代中心のいわき市を散策しましたが、まだまだ奥深い歴史と文化を持っていることが、これからの散策のモチベーションを更に上げてくれそうです。

2011.02.04記

関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks