江戸時代に市域で最高の村高を誇った市場町

上尾市原市の歴史概観

現在の上尾市域は中世まで農村地帯でしたが用水の確保が困難なため、水田よりも麦などの畑作が行われていたようです。
鎌倉時代の上尾周辺は源頼朝に仕えた足立氏の勢力下で、室町時代になると足利尊氏の所領となり、この頃になって現在も上尾市に残っている「菅谷村」などの地名が文献に登場してきます。
江戸時代となり5街道が整備されると中山道整備の一環として(現在の旧中仙道)69の宿場町の5番目の宿「上尾宿」として人口約1,000人の宿場町ができました。また、この頃は水運が貨物輸送で有利だったため江戸との運輸交通は荒川を利用した船が中心で、船着場のあった「平方河岸」が上尾宿より賑わい人口も約1,300人だったそうです。

一方、戦国時代から町ができていた原市も江戸時代には中山道の脇往還として機能していたそうです。
「原市」の由来は、中世末期(戦国時代)に原村といわれていた吉野原村(現・さいたま市北区吉野町)から「宿」の部分が分離して「原宿」という名前が生じ、江戸時代になって”三・八”の六斎市(月6回開催)で穀物や前栽等が交易されて大変にぎわうようになり「原宿」の”市”として「原市村・原市町」と呼ばれるようになったそうです。
元禄十五年(一七〇ニ)年の「原市村」村高は千三十一石余りで、上尾市域の村々では最高の村高を誇り、郡内では「与野町」(現・さいたま市)と並んで大変賑わった市場町だったそうです。

この辺りの小字は北から「上新町・上町・中町・下町・下新町」の五町で構成されていて、このことからも当時の上尾宿の三町構成と比して格段に大規模な市街地形成をなしていたことがうかがい知れます。
そして、この地域は当時、天領・旗本領・寺社領・近隣の大名の所領が入り組んでいましたが、江戸時代後期には上尾宿のための輸送負担を負う助郷としてまとまりが生まれてきたそうですが、明治16(1883)年、日本初の私鉄日本鉄道が開通し上尾駅が開業したことから、上尾町周辺が発展し始め平方は荒川水運の衰退にともなって町としては停滞し、原市も上尾の繁栄から引き離されたのです。
(元埼玉県立博物館長・黒須茂)-「公報あげお」より引用-

上尾歴史散歩・原宿を歩く

”上尾歴史散歩”の「原宿を歩く」を実際に歩いてみます。

原市通りアーケード 現在の原宿にあたる場所は、上尾市原市の”原市大通り”沿いです。
【原市大通りアーケード】
この”原市大通り”は、通称「運動公園通り」(埼玉県道323号上尾環状線)の交差点”がんセンター入口”から南下する「さいたま菖蒲線」(埼玉県道5号線)をいいます。
ガンセンター交差点 ガンセンター交差点 「さいたま菖蒲線」(埼玉県道5号線) 【埼玉菖蒲線の一部の「原市大通り」とがんセンター入り口交差点】


”がんセンター入口”交差点をから原市交番派出所を通り過ぎた三差路の角に「庚申塔」が建てられています。
はっきり言って文字はよく読めません。
三差路の庚申塔 三差路の庚申塔 【三差路の庚申塔】


”上尾歴史散歩”では、天保11年(1840)の建立とありますので江戸時代末期ですね。正面の下には確かに「上新町」と刻まれていますので、この辺りが五町の中の一番北側の上新町です。
右側面には「松山へ六里・上尾へ十八丁」と刻まれていて、当時上尾の中心(上尾宿)方面へ約2Kmとあらわされているようです。なお、これは当時の「庚申講中」の立てたものと考えられているそうです。

更にこの「庚申塔」の反対側には「原市新道」と書かれた標柱が建っています。それ程広い道でも無いので、やはりかなり昔開通された道ではないかと推測しますが、この新道を行くと現在の原市一区公民館方面から陣屋方面となりますので何か意味の有る通りだと考えます。
原市新道・道標 【原市新道・道標】
そしてこの「上新町」が現在の「原市一区」ということになります。因みに現在「上新町」という地名はありませんが、バス停名のみ「上新町」名が残っています。

この原市一区公民館には「原市山車彫刻五基」のうちの1基が保管されています。
原市一区公民館【原市一区公民館】
5基は現在の一区から五区にそれぞれ1基ずつで、これはかつての「上新町・上町・中町・下町・下新町」の五町に相当し、この五町一つずつ1基の山車を保有していたということになり、当時の繁栄ぶりが伺えるというものです。
現在その山車は上尾市有形文化財に指定されています。

「庚申塔」三差路からしばらくすると右手(西側)に土蔵の有る蔵つくりの酒店があります。田中酒店です。
安政6年創業ですからかなりの歴史を持たれており、元々は造り酒屋だと言うことですが、現在は販売のみをされている様です。敷地もかなり広く店舗もそうですが、敷地内にも蔵が沢山あるようです。
歴史有る田中酒店】田中酒店の蔵のある角の道と妙厳寺山門 【歴史有る田中酒店】
この酒店の店の塀に沿って”原市大通り”を右折する横道があります。
”原市大通り”からもうっすらと見えるのですが、市内では唯一の大名の墓所の所在地として知られている「妙厳寺」の山門です。
有る意味この横道が参道だったのかも知れません。
妙厳寺山門 【田中酒店の蔵のある角の道と妙厳寺山門】


更にこの酒店から僅か先の左手に「氷川神社」と火の見櫓が見えます。
氷川神社は江戸時代から、この原市の鎮守として祀られ、当時からこの原市の人たちに親しまれていたようです。 事実、氷川神社境内には”原市五町内神輿会館”があり、原市の鎮守であることが伺えます。
氷川神社鳥居と火の見やぐら 【氷川神社鳥居と火の見やぐら】


また、この氷川神社の裏には”原市不動尊”で知られている「長久寺」があり、当時の賑わいぶりが目に浮かびそうです。
長久寺 【長久寺】


しばらく歩くと道沿いには蔵造りの住宅や店舗が見受けられます。勿論、川越の蔵造りの町並みとは比べようもないほどですが、やはり蔵作りの造作を見ると歴史を感じます。
蔵造りの家々 蔵造りの家々 【蔵造りの家々】
そして程なく信号機のある三差路に到着します。この周辺が所謂「上町」周辺です。この三差路を右手に曲がって進むと原市二区の広場の方向です。
因みに前出の2基目の山車は氷川神社境内に保管されていますので、氷川神社が二区、いわゆる「上町」の中にあったのだろうと推測します。
上町辺りの三差路交差点 【上町辺りの三差路交差点】


ここから150mくらい更に進むとまた信号機のある交差点につきます。交差点を左に進むとニューシャトルの沼南駅になります。
中町辺りの三差路交差点 【中町辺りの三差路交差点】
この交差点の角の床屋の先に「原市三区公民館」があります。この辺りが当時の市場町・原市の中心である「中町」です。
現在、路線バス停にだけ地名がありますが、現在は”仲町”と書かれていました。
原市三区公民館には件の「原市山車彫刻五基」のうちの3基目が保存されています。
仲町バス停 三区公民館 【仲町バス停と三区公民館】


そして公民館の先にあるのが矢部家の「長屋門」といわれる壮大な門です。
矢部家は原市の旧名主だそうで、この矢部家のように街道と門の間にスペースのあるつくり「広庭」と言うそうですが、矢部家以外でもこの「広庭」を持っている家がいくつか見受けられます。この広庭は市が開かれた時に利用されたものだそうで、ここでも往時の隆盛ぶりを現在に伝えているとも言われています。
矢部家の長屋門と広庭 【矢部家の長屋門と広庭】
矢部家の敷地は広く、ちょうど矢部家の左側で、先の三区公民館の裏手にあたる場所には、上尾市指定保存樹木として、ケヤキ(第254号)とミズキ(第255号)が指定されていますが、所有者はどちらも矢部基久氏とありますので矢部家のものなのでしょう。
矢部家の指定保存樹木 矢部家の指定保存樹木 【矢部家の指定保存樹木】


矢部家から先に進むと途中、蔵の家などがあり小さな三差路が現れます。
蔵の家 【蔵の家】
この左折する道が”蓮田・岩槻道”だそうです。実際この辺りのバス停名も”蓮田新道”と書かれていました。
蓮田・岩槻道三差路 バス停・蓮田新道 【蓮田・岩槻道三差路とバス停・蓮田新道】


ここは実際に”蓮田・岩槻道”を進んでみます。道幅3mくらいの小道を2、30m進むと、新幹線高架下の交差点にでます。
交差点の角には”観音坂”と書かれた道標が立っており、この先の道路は対面道路の広い道路となります。
高架下交差点 【高架下交差点】


交差点から左方面10mくらいのところに「佐四良稲荷神社」があります。
この神社は元々新幹線工事のため移築・改築された稲荷社で、そこには、やはり工事のため移転されてきた「庚申塔」があります。
佐四良稲荷神社 【佐四良稲荷神社】
その「庚申塔」には”ここからさって(幸手)みち・これからいわつき(岩槻)みち”と書かれていることから、この”蓮田・岩槻道”の高架下周辺にあったものではないかと推測されます。
佐四良稲荷神社にある庚申塔 【佐四良稲荷神社にある庚申塔】


一旦”原市大通り”に戻って進むとすぐ左折する道があり「宝蔵寺」の本堂屋根が見えます。
宝蔵寺への小道 宝蔵寺 【宝蔵寺への小道と宝蔵寺】
そしてすぐ先の三差路の右側には「相頓寺」の山門が見えます。
どちらも古くからあるお寺で、文化財なども多くあります。これも参道だったのでしょうか。
相頓寺への横道 相頓寺山門 【相頓寺への横道と相頓寺山門】
この”蓮田・岩槻道”あたりが「下町」でしょうか。”蓮田・岩槻道”の左方向に原市四区公民館があり、先ほどの「佐四良稲荷神社」境内に「原市山車彫刻五基」の4基目が保管されています。

いよいよ”原市大通り”も終りになります。
「相頓寺」三差路から進むと程なく新幹線高架下で第二産業道路との交差点”原市駅前”に到着します。
原市駅交差点 【原市駅交差点】
交差点を第二産業道路沿いに左折して高架をくぐると左手にすぐ「日枝神社」が見えます。
原市駅高架下 日枝神社 【原市駅高架下と日枝神社】
この日枝神社も工事により移転したのですが、ここの境内に「原市山車彫刻五基」の5基目が保存されていて、境内裏手が原市五区公民館となっています。従ってこの辺りが「下新町」ということになり、ここが市場町原市の最南端になるそうです。
山車保管場所の町名看板 【日枝神社境内にある山車保管場所の町名看板】


普段何気なく暮らしている町に、江戸の文化や産業など、歴史が残っていることに感動すら覚えます。
我が町、上尾…結構侮れません。

2009.2.28記
関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks