古街道の名に由来する橋

概要

「新編武蔵風土記稿」の「与野町」の項では「当所ハ相模・甲斐ノ二国ヨリ陸奥国ヘノ往来ニシテ、人馬ノ宿次ヲ勤ム。此道ハ古ノ鎌倉街道ナリ」と記されているので、鎌倉街道は与野町から北上して、現上尾陸橋交差点付近と結ばれていたとも考えられる。
天保9年の上尾宿絵図では、この辺りに「横並木」の文字があり、此れは「並木」の記載と見られるので、古街道は並木道であったことになる。絵図での古道は曲折しているが、現「県道上尾環状線」を500mあまり歩き、国道17号線の交差点を渡る。
この辺りの集落が、上尾村の小字「片足」(東町1-3丁目)で、交差点から100m北上すると右手に東町会館が見え、傍らにムクノキの大木がそそり立っている。この地はかつて「勢至堂」のあったところで、お堂の裏の池をさらった時に発見された「月待供養塔」(文明10年)と「むくの木」の大木が市の指定文化財になっている。案内の標柱もあるが、この元勢至堂前の細い道路が鎌倉街道である。
古道である狭い道路は住宅地と畑地の間を縫い東北に向かうが、300m歩くと三叉路があり、右折して公園の広場前を通り、なお、150mほど歩くと前方に芝川の橋が見える。コンクリートの立派な橋になっているが、此れが「鎌倉橋」である。
明治初年の記録では「長三間・幅二間・石造り」とあるので、小さな橋であった事になる。
鎌倉橋を渡り上尾村の「二宮」の集落に入るが、現芝川は江戸時代には「中悪水」と称されている。鎌倉橋は鎌倉街道の名から付されたとみられるが、江戸時代の上尾宿絵図を見ると、中仙道から東へ向かう「幸手道」が橋のたもとで合しており、鎌倉橋は幸手道の橋と成っている。
橋の正面200mほど先に氷川社があるが、これは、上尾三宿村の総鎮守で、本殿の彫刻は市の指定文化財になっている。
(元埼玉県立博物館長・黒須茂)-「公報あげお」より引用-

上尾歴史散歩・鎌倉橋を渡る

国道17号線の「愛宕交差点」から望む県道上尾環状線。この先が上尾陸橋交差点で道路の左側が上尾運動公園。
「横並木」の地名に相応しい並木道。
愛宕交差点から望む県道上尾環状線 【愛宕交差点から望む県道上尾環状線】


県道上尾環状線から愛宕交差点を左折し国道17号線を北上。”JACK”の看板のある建物の裏に東町会館があります。
愛宕交差点から望む国道17号線 【愛宕交差点から望む国道17号線】


国道17号線の右手にある東町会館。会館の横に「むくの木」が見えます。
東町会館とむくの木 【東町会館とむくの木】


会館脇に鎌倉街道の道標があり、「むくの木」の前の細長い道が鎌倉街道の始点です。
鎌倉街道の道標 鎌倉街道始点 【鎌倉街道の道標と鎌倉街道始点】


始点からホンの10m程度の交差点に文化財の「月待供養塔」の標柱がありますが、実際の供養塔が見当たりませんでした。
「月待供養塔」の標柱 【「月待供養塔」の標柱はあるのだが・・・】


住宅街の中の細い古道を進み三叉路を右折します。
住宅地の古道 三叉路 【住宅地の古道と三叉路】


東町公園前の道標 東町公園 三叉路から望む古道 三叉路を右折後の東町公園前の鎌倉街道道標と公園前の古道。


公園から70、80m先の住宅地の中の鎌倉街道と道標。
住宅地の中の鎌倉街道と道標 住宅地の中の鎌倉街道と道標 【住宅地の中の鎌倉街道と道標】


現在でも小さな橋ではあるが、誇らしげに「かまくらばし」の銘板がついています。
鎌倉橋と橋の銘板 鎌倉橋と橋の銘板 鎌倉橋と橋の銘板 【鎌倉橋と橋の銘板】


鎌倉橋から芝川を望む。下流には三井金属の塔がうっすらと見えます。
菜の花も綺麗に咲き始めていよいよ春本番も間近です。
すっかり気分は春。左:上流、右:下流 すっかり気分は春。左:上流、右:下流 【すっかり気分は春。左:上流、右:下流】


鎌倉橋から望む古道。突き当たりに判りにくいが赤い屋根で白い建物のひかわ幼稚園が豆粒のように見えます。
鎌倉橋から見る古道 【鎌倉橋から見る古道】


小さく鳥居が見えます。二ノ宮の氷川神社です。
古道と氷川神社は良く似合う!?氷川神社 【古道と氷川神社は良く似合う!?】


実際、鎌倉街道がこの先何所に続いているのかを調べていませんので詳しいことは判りませんが、幸手道に続いているということで北東に向っているのではないかと推測します。
そもそも関東地方の鎌倉街道とは主要道として、上道、中道、下道も三本が通っているそうです。
上道は所沢・狭山方面を抜ける道。中道は川口から岩槻・幸手を抜ける道で、外道は千葉・茨城を抜ける道です。ですから埼玉県内では上・中道の二本の主要道があったといわれています。
そして、それ以外に「上道」の所沢から富士見、浦和、大宮、上尾、白岡、加須を通り 「中道」に繋いでいた「羽根倉道」という連絡路もあったようですので、恐らく上尾の鎌倉街道はこれに当るのではないかと考えられます。
何と言っても「いざ鎌倉」の鎌倉時代の古道ですから不確定な要素はあるにしても興味深い事には違いないようです。

2009.4.5記
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