モダンローズエリア #3

小休止も終えて再び庭園を散策します。
見た目もそうですが、実際に散策するとバラ園の大きさが実感できます。ことにこの日は気温も高く日差しも多少強いことから、疲労も早いようです。水分も補給して散策の続きです。
イギリス・ニュージーランドゾーン 次は噴水を境にして向こう側のゾーンです。

イギリス・ニュージーランドゾーン:1

バラ園の左側にあったガゼボから右側のガゼボの方へ先ずは移動しますが、その付近に目立つバラがあります。
あかぎの輝き あかぎの輝き まえばしのバラで「あかぎの輝き」です。

平成20年開催の「全国都市緑化ぐんまフェア」を契機としてオリジナル品種の“まえばしのバラ”を選定し、平成22年3月に人気アンケートにより決定されたバラだそうで、同時に愛称も公募されこの名称となったそうです。
このバラの特徴としては、つぼみの時は黄色で、花が咲くと黄色からオレンジのグラデーション状となり、更にオレンジから赤のグラデーション状になるという3段階楽しめるバラなのだそうです。
あかぎの輝き つぼみはもう無いようですが、1株でこのように様々な色合いを楽しめるのもまた選ばれた一因であるかもしれません。

赤城山の朝日や夕陽をイメージしたといったところでしょうかね。

ここからイギリス・ニュージーランドゾーンを散策します。
ブルガリアのバラ ブルガリアのバラ 最初のバラはイギリスの誇る・・・、ではなくブルガリアのバラでした。

ブルガリア共和国 ヴェリコタルノヴォ市からのバラ
このバラは、国花がバラであるブルガリア共和国のヴェリコタルノヴォ市のルーメン・ラシェフ市長から、市の花がバラである前橋市に贈呈されたものです。
平成19年6月2日 前橋市
(現地案内板説明文より)

ブルガリアといえばヨーグルト、ヨーグルトといえばブルガリアというくらい日本ではメジャーなブルガリアヨーグルトですが、意外にもバラの国であったとは驚きです。
ブルガリアが何故バラの国なのかというと、現在ブルガリアはトルコとともにヨーロッパ随一の「バラ香油」の産地だからなのです。そして「バラ香油」の産地ブルガリアでの一大産地が「バラの谷」と呼ばれるエリアで、ブルガリアの首都ソフィアから東へ約3時間程のところで、国の中央を東西に貫くトラキア平原の中のクリスウラからカザンラック一帯をいうそうです。
「バラの谷」とまで言われるのは、北に標高の高いバルカン山脈、南になだらかな丘の連なるスレドナ・ゴラ山脈に挟まれた地形が、冬は温暖、昼夜の温度差が大きいという気候、水はけの良い土壌を生み、つねに清らかな水に恵まれていたという立地から香油用のバラの生育に適していて、多くのバラがここで栽培されたという理由にあります。
また、この谷の中心都市である「カザンラク」という地名も香油を精製するために用いる蒸留釜“カザン”に由来しているそうで、いかにこの地がバラを中心としたエリアなのを窺えることができる地名の由来です。

その様なこの「バラの谷」では現在、ローズオイルの生産量は全世界の70%、供給量では80%を占めているといわれています。バラの収穫は早朝4時頃から始まり昼前には終わるのが一般的で、バラは陽に曝されると香り成分が消えてしまうためだそうなので、まさに時間との勝負なのです。摘まれた花はその日の内に工場に送られ、釜で蒸され、蒸留されて香油となります。
1gの香油を造るのに約3.5kgの花弁が必要となるようですから、いかに大量のバラが必要かが窺えます。
日本でもかつては北海道の石見地区ではハッカの産出が盛んな頃があり、やはりハッカの葉を蒸して蒸留してペバーミントオイルを製造していましたが、それと同様なものでしょう。

そしてこの香油用に使われるバラの品種が「ダマスク・ローズ」といわれるバラで、観賞用のバラとは違い、小振りで淡いピンク色しているのが特徴で見た目の華やかさこそありませんが、当然その香りが絶品で、特に濃厚で甘い香りを放つ品種として古代から世界中のセレブリティに愛されていたそうです。
ダマスク・ローズ ダマスク・ローズ 《写真:「ダマスク・ローズ」(C)ブルガリア観光局》

そもそもこの「ダマスク・ローズ」とはシリア原産のダマスカスのバラなのですが、現在では別名「ブルガリアンローズ」とも呼ばれるほど、すっかりブルガリアのイメージが定着しているようです。

という事で肝心のバラは「ダマスク・ローズ」で・・・、は無くて「ロサ・ガリカ・ウェルシコロル」です。
ヴェリコタルノヴォ市はカザンラクから車で20分程度の距離ですから、このバラの谷をイメージしてヴェリコタルノヴォ市から贈られたのでしょうが、観賞用としてこちらの「ロサ・ガリカ・ウェルシコロル」にされたのでしょう。
16世紀に作出されたものだそうですから、まさしくオールドローズです。
一見したところ、最初に見たモダンタイムスのような霜降りかと思ったのですが、それよりはもう少し淡いピンクで、中央に黄色があしらわれているのがアクセントとなっています。
いずれにしてもヨーグルトだけではないブルガリアを知ることができたのも、こういった機会があったからでしょう。
ちなみに大相撲の琴欧州がこのヴェリコタルノヴォ市の出身なのだそうです。ヨーグルトとバラのほかにも意外な繋がりがあったのですね。

銅像 ブルガリアのバラの後ろ側にも、先ほどと同じような銅像があります。「パイドパイパー」という名前です。

「パイドパイパー」って一体誰? と調べてみれば「ハーメルンの笛吹き男」のことのようです。なるほど何となく納得です。

チョコレートプリンス チョコレートプリンス 今度こそ間違いなくイギリスのバラで、「チョコレートプリンス」という名前も色も一風変わったバラです。

文字通りのチョコレートカラーが印象的なバラでカカオの香りが漂ってきそうな雰囲気です。先にあったカフェとかチョコレートとか、飲食系のネーミングだけのバラを集めるのも面白いかもしれませんね。
他にもあるのでしょうか・・・。

2001年というのでかなり新しく“仏、メイアン”作・・・、って、フランスが混じっているではないですか。何かおかしいなあと調べてみましたらきちんとした理由がありました。
確かにプレートには「仏:メイアン 2001年作出」と記載されているのですが、このメイアン社はこのバラの販売者で、本来の作出社はニュージーランドのノラ・シンプソンなのだそうです。恐らく権利を譲渡したのでしょう。したがってこのバラ園ではニュージーランド作出としているようです。
また、一方このチョコレートプリンスという名称は、別なバラ園では「テラコッタ」と表記されているところもあるらしく、チョコレートプリンスはニュージーランドでの作出時での表記で、その後メイアン社の販売用としてヨーロッパ圏ではイタリア語のテラコッタと命名されたと言われています。誇り高いフランスのことですから、単に英語の名称で販売するわけは無いということでしょう。

余談ながら、ここでバラの作出者(社)について調べてみることにします。
業界的にはバラに人工的な交配を行うなどして、新たな品種を作り出すことを「育種」といい、その育種を行う人を「育種家」と呼びます。そしていくつもの新品種を創出しビジネスとして確立していくとそれが企業となるのです。

現在のバラの体系の中で、「野生種」や「オールドローズ」「モダンローズ」あるいは「ハイブリット・○○系」などといった言葉を耳にしてきましたが、一般的に素人でも良く聞く単語に「イングリッシュローズ」があります。
この「イングリッシュローズ」とは、歴史のあるイギリスのバラを他国とは差別化した総称と思っていたのですが、実はイギリスの育種家であるデビット・オースチンによって作出されたものだけを言うのだそうで、それ以外のイギリスのバラは「イングリッシュローズ」と言ってはいけないという実に不可思議な系統なのです。
したがってオースチン作出でなければイングリッシュローズと名乗れないというトンデモな系統と認めることがそもそも不可思議ではあるわけですが、植物の分類学上では「イングリッシュローズ」という系統は存在しないようです。
つまり、「イングリッシュローズ」とは、ある意味の商標登録であるということになるのです。
それでもイングリッシュローズの人気の触発され、1980年頃からフランスの育種家によって造り始められたバラをあえて「フレンチローズ」と呼ぶようにしているのですから、イメージ的には英国のバラ全てと思ってしまいます。

当然、両者の大きな違いはイングリッシュローズがオースチン社の独占であるのに対して、フレンチローズには様々なフランスの育種会社が存在しているということなのです。言葉どおりに考えれば後者のほうが正しいのですが。
そのフランスの育種会社を代表するのが「メイアン」「ギヨー」「ゴジャール」「デルバール」の4大ナーサリーといわれる育種会社なのです。

◆メイアン
世界的に有名なバラ育種会社で、アントワーヌ・メイアンによって1850年創立され代々バラの育種を家業としており、現在は南仏プロヴァンスに本社と広大なバラ育種場があるそうです。
アントワーヌの息子が銘花中の銘花といわれる「ピース」を作出したフランシス・メイアンで、フランシスが早くに亡くなった後、祖父アントワーヌを父親がわりとして育ったのがアランで、現在のメイアン・インターナショナル社の社長を務めている人です。
ちなみにアランの妹ミシェルは苗育種会社の息子、リシャルディエ氏と結婚しメイアン・リシャルディエ社を設立したことにより、現在フランスには「メイアン・インターナショナル社」 「メイアン・リシャルディエ社」というメイアン冠の会社が2社あるのだそうです。

◆ギヨー
ギヨーも1829年、南フランスで創業という名門の育種会社で、初代はJ.B.ギヨーで、その息子であるJ.B.ギヨー・ジュニアが1867年にあの世紀の「ラ・フランス」を作出した人なのです。
といっても実は同じギヨーの会社ではなく、J.B.ギヨー・ジュニアは1852年に父から独立し、ギヨー・ジュニアの更に息子のピエールとともにギヨ&フィス社を設立していたので、実際に「ラ・フランス」はギヨ&フィス社で作出されたということになるのです。
一方の初代のJ.B.ギヨーは1871年に弟子のジョセフ・シュワルツに事業を買い取らせたため、ギヨーの正式な継承会社は「ギヨ&フィス」社ということになるのです。
父の元から独立した理由はわかりませんが、弟子と息子ということを想像すればありがちな理由にたどり着くのではないかと考えられます。
その後、ギヨ&フィス社はバラの発展に多大な貢献をしながら、3代目ピエール、4代目マークと続き、現在は5代目のジャン・ピエール・ギヨーと6代目で従兄弟にあたるドミニック・マサが育種家として活躍しているそうです。

◆ゴジャール
フランスのリヨンに一時期初代J.B.ギヨーにも師事したことのあるジャン・ペルネという育種家がおり、その息子ジョゼフが育種家であるデュッシェ家の娘マリーと結婚し、ジョゼフ・ペルネ・デュッシェとして19世紀末頃「ディッシュ社」を起こします。
ジョゼフは「リヨンの魔術師」との異名を持つすばらしい育種家として歴史に名を残したのだそうです。
その一つは、ハイブリット・ティ系の第1号である「ラ・フランス」が実をつけない品種だったため、ジョゼフが1890年に新たに作出した「マダム・カロリーヌ・テストゥ」が実をつけることができる品種となったことから、ハイブリット・ティ系の交配親として後世の発展に寄与したことです。
そして、もう一つは、アメリカゾーンでの「ヘンリー フォンダ」にあったように、黄バラの第1号を1900年に作出したことです。
これらの業績は、ジョゼフの息子が亡くなった後、ジョゼフの娘と結婚したジャン・マリー・ゴジャールに引き継がれ「ゴジャール社」となったのです。このゴジャール家も17世紀末のヴェルサイユ宮殿初代園長まで遡ることのできる名門なのです。
その後、その息子のジャン・ジャックを経て、現在はジャン・ジャックの娘アヴリンヌが後継者となっているそうです。

◆デルバール
「デルバール社」は当初、パリで果樹の通信販売とし1935年にジョルジュ・デルバールによって設立され、バラの育種は1954年から始め、香り・艶やかな色・優れた資質の品種を見つけ出すことに生涯情熱を傾けたそうです。
その中で生まれたのが1986年に作出されたベルベットの花弁の赤いバラ「マダム・デルバール」で、世界中で最も植え付けの多い赤系品種の一つとして歴史にその名を留めているようです。
現在はジョルジュの息子アンリと孫のアルノーに引き継がれ、創業以来の変らぬ哲学と、フレッシュなスタイルで2005年には創立70周年を迎えたそうです。

これらの4大ナーサリーを中心に様々なナーサリーが凌ぎを削って「フレンチローズ」の発展に寄与しているのです。
ついでといってはナンですが、イギリス・ニュージーランドゾーンでもあることから「デビット・オースチン」についても少し調べてみました。

◆オースチン
デビッド・オースチン・ローゼズ社は1969年に創立され、父のデビッド・CH・オースチンは、バラ育種家・栽培家・著述家の3役をこなしているそうです。
最初の品種である香りの高い「コンスタンス・スプライ」が1961年に発表されてから現在まで200種近いイングリッシュローズを生み続けているそうです。
現在は父とともに息子のデビッド・JC・オースチンがおり、ファミリービジネスとして展開しているようです。
やはり四季咲き性を持つことにより何度も咲くバラが人気となり、イングリッシュローズという商品名といいえるくらいですから、如何に世界的な人気なのかが窺えます。

意外と新しいナーサリーだったのが驚きでした。育種家としても勿論名声があるのでしょうが、イメージ的にはビジネスのスキルが高いといった感じです。いわゆる“商才に長けた”というイメージでしょうか。

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