モダンローズエリア #4

なかなか先に進めないイギリス・ニュージーランドゾーンですが、それだけ興味深いことが多い証拠でしょう。
知れば知るほど奥の深いバラですが、それが多くの人を魅了しいつまでも人気の衰えない理由なのかも知ません。

イギリス・ニュージーランドゾーン:2

ニュージーランド 「チョコレート プリンス」の後は文字通りの「ニュージーランド」です。

当然、ニュージーランドで1989年に作出されたバラです。
特筆すべきこともありませんが、グラデーションの掛かったオレンジ系ピンクが上品で、国名を背負った誇りを感じるバラです。

隣には各ゾーンにあった元首・皇族を冠したバラがありますが、このゾーンでは当然こちらです。
プリンセスオブウェールズ 「プリンセス・オブ・ウェールズ」で、あのダイアナのバラです。

ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ しかしながら、隣には「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ」というバラも植栽されています。

前者がイギリスのハークネス社の1997年作出のバラで、後者がアメリカのJ&P社の1998年作出のバラです。たった1年の間に2品種も作出されたようです。
ダイアナは1997年8月31日に交通事故により亡くなったのですが、まさに虫の知らせとはこのことでしょうか同じ年の生前にイギリスのハークネス社がバラの品種をダイアナに献呈していました。そして苗木の売上の一部を彼女が活動をしていたイギリス肺病基金に寄付をするという条件の元に「プリンセス・オブ・ウェールズ」の品種名をいただいたのです。これに関しては当時ダイアナから直筆の謝辞を受けていたそうです。
こうして発表された「プリンセス・オブ・ウェールズ」もつかの間、ダイアナが亡くなったことから今度は翌年の1998年、アメリカのJ&P社で作出された品種が、同じように苗木の売上の一部を途上国支援の為の“ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ記念基金”に寄付する条件で「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ」と命名することが許されたという品種なのです。

どちらの品種も中心がクリーム色掛かった白色ですが、「ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ」の方に若干赤の差し色が見えるのは何かの暗示なのでしょうか。
確か「ジョン・エフ・ケネディ」も同じような色合いでしたが・・・。

ゾーンに戻ります。
セクシー レキシー この一列に植栽されているのが「セクシー レキシー」で1984年ニュージーランド作出のバラです。

セクシーレキシーといっても女性ではなく、作出者マグレディの夫人の友人であるレックス・ホッチンに捧げたバラなのだそうです。
その友人のニックネームが「Sexy Rexy」という所謂“魅力的”なという意味合いだったようです。

先の「ニュージーランド」も同じマグレディナーサリーの作出だったので、ここでマグレディナーサリーについて調べてみました。
初代サミュエル(サム)・マグレディは北アイルランドに果物やパンジーなどが主な生産品だったナーサリーを1880年に開設しました。
バラの育種に関してはサム・マグレディ2世が1895年頃から始め、「アイルランドの魔術師」と呼ばれるほどの名声を得たようです。3世もまた優秀な育種家だったようですが、若くして亡くなり後継者である4世は僅か2歳だったためにナーサリーは3世の妹の夫、ウォルター・ジョンストンが引き継いだのですが、育種について見るべきものは無かったようです。
バラについて殆ど関わりの無かった4世ですが、荒廃した育種用温室を見て一念発起しバラの育種に研鑽したそうです。
こうした努力が実り1958年には4世最初の作出バラが誕生し、1959年作出の「オレンジエード」が英国ばら会賞の金賞を受賞し一気にナーサリーを盛り返したのです。そして1963年に作出された赤いつるバラには、これまでナーサリーを守り続けた叔父ウォルターへの感謝を込めて「アンクル・ウォルター」という叔父の名を付けたそうです。
その後も優れたバラを作出してきたのですが、一方ではバラ作出者の権利についての活動も始めたようです。
フランスではメイアン等の働きかけで1950年代には新品種の作出者がその特許を取れる法整備が整っていたのですが、イギリスでは当時、まだバラの作出による収入は法的に保証されていなかったのです。
これに対してマグレディ等は権利獲得についての運動を展開し、1964年に植物ブリーダーの権利に関する法案が可決し、その後、イギリスの育種家達は作出バラのロイヤリティを受けることができるようになったのだそうです。
このような中で、マグレディのナーサリーのある北アイルランドでは紛争などによる流血の惨事が続き、嫌気のさしたサム(4世)は1972年ニュージーランドに移転したのでした。
この移転は大成功をおさめ、この後「セクシー・レキシー」や「ペントハウス」などの数々の名花を作出したのです。
このように育種家としても名声を得たのですが、やはり育種家の著作権を認めさせたところに多大な功績を認められるマグレディなのです。

リップルス その次に見える「リップルス」もまた、2006年アメリカ・リップトゥー作出とあります。

こういったものは端からいわく付と考えられます。
詳細はわかりませんが、確かに元々はイギリスのE.B.レグリスが1971年に作出させたとありますので、イギリス作出には間違いないようです。恐らくこれも著作権、あるいは販売権の関係で作出者が変更になったものでしょう。
パープル系ですが無造作な花弁が印象的で、それ程大きな花ではないので中輪というものでしょう。

アンバークイーン アンバークイーン こちらの黄色のバラは「アンバークイーン」でイギリスの1984年作出です。

アンバーというくらいなので基本的には琥珀色なのでしょう。奇を衒ったものでもなく極オーソドックスなバラですが、1984年のイギリスのローズオブザイヤーの受賞や1988年のAARS受賞などは伊達ではないようです。

ディンティベス 次は少し変わった形状の「ディンティベス」です。イギリスの1925年作出ですからかなりの歴史を持っていそうです。

ソフトピンクで一重咲きというのが返って新鮮で、何かヒラヒラと優雅なバラです。分類上では現在の「モダンローズ」と同じ分類なのですが、やはり100年近く年代が違うと趣も随分違ってくるものです。

ジャスト・ジョーイ その隣にあるのが「ジャスト・ジョーイ」で1972年イギリス作出の殿堂入りのバラで、殿堂入りは1994年です。

育種家のロジャー・ボーセイがジョアンナ夫人の名前をつけようと熟慮の末、結局そのままの愛称「ジョーイ」になったという“そのまんま東”風のバラです。 何といってもそのパステル調のアプリコット色が印象的であり、かつ人気の秘密でもあるようです。

オフェリア 次も古いバラで1912年作出の「オフェリア」で、まさに1世紀の時を経たモダンローズです。

白地にベージュがかったソフトピンクの穏やかな表情は、その名の通りハムレットのオフェリアを思わせるような清純な美しさを表しているかのようです。
100年の至宝の歴史は伝説とエピソードに包まれており、嵐で落ちた実を蒔いたらこの品種が生まれたといわれているそうです。
四季咲き系、強健な直立性、「オフェリア香」とも呼ばれるモダンダマスクの強い香りが、交配種として非常に優れていて現代のハイブリット・ティ系の約半数がこの品種をルーツに持つとされている歴史的な銘花なのです。

シンプリー ヘブン このゾーンの最後は「シンプリー ヘブン」です。
ハッとするようなアプリコットイエローのグラデーションが美しいバラで、文字通り天国とはこのようなイメージなのでしょうか。

イギリス王立バラ協会金賞、ぎふ国際コンクール金賞を受賞しています。

流石に歴史と奥深いストーリーを持ったイギリス・ニュージーランドのバラでした。

ここからは次のフランス他のゾーンに移るのですが、その間に左側と同じように有名人の名を冠したバラが植栽されています。

イングリット バーグマン イングリット バーグマン イングリット バーグマン 最初は「イングリット バーグマン」でデンマークの1984年作出のバラです。

映画“カサブランカ”で有名な1982年に亡くなったスウェーデンの女優イングリット・バーグマンを讃えて名付けられたバラです。
バラ自体は真っ赤な、というより深紅といった色合いですが、同じ年に亡くなったグレース・ケリーとともに“クールビューティ”といったイメージがあったので、このような情熱的な色合いとは意外でした。
殿堂入りは2000年のヒューストン大会で選定されたようで作出から短時間で殿堂入りしたのは、このバラの持つ褪色しない性質の特異性といわれているようです。
バーグマンの自伝には「私はかねがね命あるかぎりいつまでも演技を続けようと思っていた。・・・私は生涯の終りにあっても、いつでも演技をする用意だけはできている」と。
いつまでも褪せない情熱といったところが、このバラと共通するところなのかもしれません。

カトリーヌ ドゥヌーブ カトリーヌ ドゥヌーブ その隣はフランスの大女優である「カトリーヌ ドゥヌーブ」で1981年フランスの作出です。

映画「シェルブールの雨傘」などで有名なフランスの女優の名前を冠したバラで、その名に恥じない華やかで品のあるオレンジ色のバラです。

大地真央 大地真央 そしてもう一つは「大地真央」です。

薄いピンクのカラーが清涼感と品のよさを漂わせていますが、これは元宝塚女優・大地真央の舞台生活30周年を記念して名付けられたバラで、大地真央の実姉がこのナーサリーに所縁のある方だったことからのようです。

作出者は寺西菊雄とありますが、日本でも指折りの育種家だそうです。
現在、寺西菊雄氏が園主を務めるイタミ・ローズ・ガーデンは、菊雄氏の叔父である致知氏が創設したようで、致知氏の父が寺西福吉氏で現在の「東リ」の創業者の一人だったようです。
イタミ・ローズ・ガーデンは致知氏が兵庫県伊丹市に「伊丹ばら園」を開園し、世界中からバラを蒐集し苗木を増殖し販売したことから始まり、1960年には菊雄氏がハイブリッド・ティー系の黄バラを作出して注目を浴びるようになったようです。当時、この黄バラは阪急百貨店の品評会で注目され、その縁で同じ阪急グループの当時の宝塚歌劇の大スターであった「天津乙女」の名が付けられ、50年以上経た現在でも国内外で人気のある品種なのだそうです。
天津乙女 《写真:「天津乙女」(C)花ひろば本店》

その後も菊雄氏は日本・ドイツゾーンで最初に見た美空ひばりの愛した「マダム・ヴィオレ」や、2006年、世界バラ会議大阪大会のシンボル・ローズに選ばれた「ローズ・オオサカ」など、日本のトップブリーダーとして今なお現役で活躍されているそうです。

フランス・その他欧州ゾーン

イギリス・ニュージーランドゾーンを終って、ゾーンの最後はフランス・その他欧州ゾーンです。

チャールストン 最初のバラが「チャールストン」で1963年作出のバラです。

全体的に黄色がかった赤や深紅の色合いですが、この品種は変色品種の代名詞ともいえる有名な品種なのだそうです。
変色品種とは花の色が開花とともに変化するもので、このチャールストンは蕾はクリーム黄色で、徐々に黄色からオレンジへ変化し、最後には赤となるそうです。ですからここにあるのは最後に近いものなのでしょう。
チャールストンといえば“5匹の子豚”(古っ!!)ですが、リズミカルに七変化というところでしょうか。

シャルル ドゥ ゴール 何も言うべきこともない「シャルル ドゥ ゴール」です。

1974年フランス、メイアン社の作出で、とにかく香りのよいバラです。
ドゥ・ゴールは偉大なるフランス大統領だったようで、シャルル・ド・ゴール国際空港、シャルル・ド・ゴール広場、シャルル・ド・ゴール橋、シャルル・ド・ゴール(原子力空母)などに名を冠され、ドゴールの名の道路や広場などは無数にあるそうなので、むしろバラがあるのは当然なのかもしれません。

マリア・カラス 次も有名人のバラで「マリア カラス」です。

著名なオペラ歌手としか知らないのですが、この「マリア カラス」の作出された1965年は実際のマリア・カラスにとっては事実上の引退状態の時代であったようです。
最後の一花だったのでしょうか。

イブ ピアッチェ 近くにあるのが「イブ ピアッチェ」です。

フリルのような切れ込み弁が妙に艶かしい濃いピンクのバラです。
1982年のバガテル国際コンクール芳香カップ、ジュネーブ国際コンクール金賞及び芳香賞等などの受賞歴のあるバラのようです。

シルバ 最後が「シルバ」です。

オレンジ掛った薄いピンクが綺麗で華やいだ雰囲気です。

フランス・その他ゾーンの元首・皇室はこれしかありません。

プリンセス ドゥ モナコ グレース・ケリー 「プリンセス ドゥ モナコ」です。

1982年に作出され、モナコ王妃である元女優のグレース・ケリーに献呈される予定だったそうですが、その発表前に交通事故で亡くなってしまいました。ピンクと白の2色はモナコの国旗をイメージしたものだそうです。
先のイングリット・バーグマンとともに2代クール・ビューティとして相応しいバラです。

以上がバラ園のメイン庭園である4つのゾーンでした。
1株1株の間隔がゆったりしていて、品種ごとにじっくり眺めるには実に見やすいバラ園です。逆にバラの絨毯を、と言う感じではありませんが、これから年月を経ていくとともにさらに充実していくのではないでしょうか。

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