庭園温室 #1

温室外観 庭園を散策し終わってからは園内にある温室を散策します。

温室は大小の温室が2つあり、奥で2つが小さな温室の通路で繋がっているようです。
まずは大温室から入場します。

バラの歴史-1

先月の神代植物公園にも温室があり様々な熱帯植物が植栽・展示されていたのですが、こちらの温室は若干意味合いが違うようで、サボテン等の熱帯植物の展示は勿論あるのですが、主とするところはシーズン以外でもバラが見られるための配慮がされていて、バラ園の温室として、何処までもバラにこだわった温室のようです。
つまりバラのシーズンは当然ながら、バラは無いけれど季節のよい時期はそこそこ公園としての利用はあるのですが、やはり冬時期になるとめっきり来場者は少なくなるようです。
そこで、冬のシーズンでもバラを見ることができ、かつ少しでも集客が上がればということで温室でバラを開花させているようです。これによって観梅と同時にバラも楽しめるという不思議な空間にもなっているのです。

温室内部 白雪姫他 入室すると温室らしい蒸し暑い空間ですが、一服の清涼剤なのか白雪姫が出迎えてくれます。

温室内の噴水 そして温室の中央には噴水と観葉植物で凝った造作がなされています。

テーブルセットもありここでバラを見ながら休憩もできそうです。冬ならこの中にいるほうが暖かくてよいでしょう。 但し今の時期では逆にそれほど見所もありませんので、ただ通過と言ったところでしょう。
サンルーム 大温室を抜けてサンルームのような通路に入ると、そこには様々なバラに纏わるパネル展示がされています。

最初にはバラの歴史について解説がされています。

バラはどこから来たのか
バラは、花色や姿形が美しいことは勿論のこと香りがよいことで、香料植物の女王と称されています。バラの野生種は、日本の16種を含め地球の北半球に200種ほどあります。現在、私たちが植物園やバラ園で鑑賞する品種は、これらの自然交雑種および人工交配種です。18世紀以降、世界の育種家により、生きた芸術作品ともされる新しい品種が創出され、今日では2万種を越えるバラがあるとされています。
バラがいつ頃どこで誕生したかは、定かではありませんが、およそ6500万年前、植物の世界で裸子植物が衰退し、美しい花をつける被子植物が台頭し始めた頃、ヒマラヤの麓、イラン、イラク、シリアあたりの中近東地域だろうとする説が有力です。
人類が誕生するよりはるか以前より脈々と生き続けたバラは、人間の移動とともに各地に広がりました。(協力:財団法人日本ばら会)
(現地案内パネル説明文より)

この裸子植物から被子植物に変った6500万年前と言うのは、地質年代区分の用語で「K-T境界」と言われる時代なのだそうです。この「K-T境界」の“K”は、白亜紀を表すドイツ語のKreideの頭文字で、英語で第三紀を意味する Tertiary の頭文字“T”とを組み合わせて白亜紀と第三紀の境目を意味する「K-T境界」と呼び、生命誕生以来何度か発生した大量絶滅のうち最新の事件が起きたことを表す用語なのです。
白亜紀の時代は、大型派虫類の時代で、地上では恐竜、空中では翼竜、そして海中では首長竜や魚竜などが繁栄していた時代でした。しかしその「K-T境界」を境にして大型爬虫類のすべてが絶滅し、生き残ったのは爬虫類の系統では比較的小型のカメ、ヘビ、トカゲやワニなどに限られたようで、この時期に絶滅した生物種は、全体の70%ほどと考えられているようです。
そしてこれらの生物がいなくなった後、それらの生物が占めていたニッチは哺乳類と鳥類によって置き換わり現在の生態系が形成されたのだそうです。
こうしたことから植物においても現在の生態系の元となるこの時期を、ある意味バラにおいても発祥時期としているのでしょう。現在の生物の元は6500万年前といっても中らずと雖も遠からず 、と言ったところなのでしょう。
ちなみにこの「K-T境界」の原因は、メキシコのユカタン半島付近に直径約10kmの巨大隕石が落下したことと言われてきていますが、その影響の大きさには諸説あるようです。

こうして6500万年前に発祥したバラが、人々の前にバラとして存在を誇示し始めたのが古代で、最初にバラに目を付けたのがあの「クレオパトラ」です。
クレオパトラ 《写真:「クレオパトラ」案内パネルより》

◆古代のバラ
クレオパトラのバラ
エジプトの女王クレオパトラは大のバラ好き。バラ風呂やバラ香水を愛用しました。ローマからシーザーやアントニウスを迎える時には宮殿全体にバラの花びらを敷きつめて歓迎したと言います。特にアントニウスを迎えた際は宮殿全体をバラで飾り、廊下にはバラの花弁を20cmも敷きつめたと言われています。

ギリシャ神話のバラ
ギリシャ神話にはバラがたくさん登場しています。貝殻に乗って現れたビーナスを見た陸の神が、「地上で最も美しいもの」とし、空から降らせたのがバラの花でした。
ルネッサンス時代の画家ボッティチェリの「ビーナスの誕生」に描かれておる場面はあまりにも有名です。西風の神ゼフロスとその妻花の女神フローラが風に乗り、バラの花を蒔きながらビーナスの誕生を祝福しています。
(現地案内パネル説明文より)

ヴィーナスの誕生 この「ビーナスの誕生」は、通路に大きく掲出されています。

確かにバラが降り注いでいるのが判りますが、今まで全く気付きませんでした。
この後も、クレオパトラと同様にバラを愛した人物に古代ローマにおいては暴君として知られている第5代ローマ皇帝ネロがいます。貴族を招いた宴会では庭園にバラが浮かべられ、バラ水が噴き出す噴水があり、部屋中がバラで飾られ、料理にもバラが使われたと言われるほどで、暴君には似合わない姿かも知れません。

このように古代ギリシャやローマ時代に栽培されていたバラは、小アジア・南部ヨーロッパ・コーカサス原産でヨーロッパにおける園芸品種の祖先といわれてい「ロサ・ガリカ」という品種であろうと考えられているようです。
ロサ・ガリカ 《写真:「ロサ・ガリカ」案内パネルより》

バラの絵手紙 パネルのとなりには、一般の方が書かれたいくつものバラの絵手紙が掲出されています。

古代のバラから始まったバラの歴史の解説はまだまだこれからが佳境です。
比較的簡単な説明ですが、なかなか奥の深い要素がたくさんありそうです。1つ1つ噛み砕きつつ見てみます。

バラの歴史-2

古代のバラの通路の反対側には、日本のバラの歴史についても説明がされています。

◆日本のバラ
万葉のバラ
日本の文献のなかでバラの登場は、5世紀から8世紀にかけて編纂された万葉集に「茨」として登場するノイバラが最初といわれています。万葉集には、草花を愛でる歌が多く詠まれていますが、バラ(茨)は2種だけです。
「道の邉の荊の末に這ほ豆のからまる君を別れか行かむ」 丈部鳥
(道端のうまら(ノイバラ)の先に絡みつく豆のように、私に絡みつく君をおいて別れゆく)
「からたちと、茨刈り除け、倉建てむ、屎遠くまれ、櫛造る刀自」忌部首
(からたちと茨を刈り除いて、倉を建てるぞ。屎は離れたところでしなよ、櫛を作るお姉さん。)

源氏物語のバラ
「源氏物語」、「枕草子」、「古今和歌集」など、日本の古典文学には、バラは薔薇(さうび)の名で登場します。
源氏物語「賢木」には「はしのもとのさうび、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、うちとけ遊び給う」と記されています。
(現地案内パネル説明文より)

万葉集に登場する以外にも、「常陸風土記」には茨棘(うばら)を使って賊を退ける様子が記されていて、この故事にちなんで茨城(うばらき)という地名があり、茨城県の県名の由来となったと言われています。
この茨は現在のイノバラと考えられているとありますが、元々はトゲのある低木の植物を意味していたそうです。
源氏物語・賢木 ノイバラ 《写真:「源氏物語・賢木」(案内パネルより)と「ノイバラ」》

日本のノバラの代表的な品種で、沖縄以外の日本各地の山野に多く自生しているバラです。
しかしながら、万葉集で取り上げられた茨は2首だけなので、それほど注目される存在ではなかったと考えるのが一般的なようです。

その「茨」が平安時代となると「さうび」に変ってきました。これは奈良時代の「茨」がノイバラを指していたのに対し、「さうび」は中国との交易で持ち込まれたコウシンバラなどの渡来種だといわれているからです。
コウシンバラとは正式には「ロサ・シネンシス」という品種で、貴州省、湖北省、四川省の中華人民共和国中部を原産地とする四季咲きの常緑低木です。
ロサ・シネンシス 《写真:「ロサ・シネンシス」案内板より》

中国では紀元前から月季花または長春花としてこのバラが栽培されていたようで、18世紀に中国からヨーロッパに伝わり西洋バラと交配され、それまで一季咲きしかなかったヨーロッパのバラに四季咲き性をもたらした重要な品種で、こうして生まれたのがあの「ラ・フランス」なのです。
こうして2種を比べれば、どちらが注目を浴びやすいかは一目瞭然でしょう。
このように徐々に日本でも注目を浴びつつあるバラですが、世界に並ぶ日本の本格的な育種が始まるには明治時代まで待たなければなりませんので、日本でのバラ文化は低かったと言えるのでしょう。
それにしても「・・・屎は離れたところでしなよ、櫛を作るお姉さん」とは“あ然”とさせられる俳句です。

そしてやがて中世になると、バラもまたより一層広がっていったようです。

◆中世のバラ
ヨーロッパのバラ
古代ギリシャで愛の象徴だったバラは、中世のキリスト教ではユリとならんで聖母の花、純潔の象徴となり、教会のステンドグラスや聖母像などに描かれました。
イスラム世界では、白いバラがムハンマド、赤いバラが唯一神アッラーを表すとされていました。
ヨーロッパでは、11世紀からの十字軍の遠征などで、ガリカ・ローズ、ダマスク・ローズ、キャベジ・ローズ、アルバ・ローズなどの多くの野生のバラを持ち帰り交配や品種改良が行なわれました。現在オールド・ローズと呼ばれる品種はこの頃に作り出されたものです。

イギリスのバラ
15世紀、イギリスの薔薇戦争では、ランカスター家が赤いバラを、ヨーク家が白いバラを紋章としていました。ランカスター派のヘンリー7世が王位の座に付き、ヨーク家のエリザベス1世を妃として迎えることで30年続いた戦争は終結しました。争いの終結を表して両家の紋章を組み合わせたチューダーローズを紋章としたチューダー朝が始まることとなりました。
シェークスピアは、薔薇戦争を歴史劇「ヘンリー6世」と「リチャード3世」として描いています。』(現地案内パネル説明文より)

ガリカ・ローズとは前述したようにフランスからヨーロッパ南部に自生した最も古い品種で、ローマ時代から貴重品種だったものです。
ダマスク・ローズは前述したブルガリアでのローズオイル陽としての品種で、アルバ・ローズは16世紀以前からヨーロッパで栽培されている白色大輪の系統だそうです。
そしてダマスク・ローズとアルバ・ローズの交雑種がキャベジ ローズといわれ、花弁数が多いことからこう呼ばれたそうです。 十字軍のもたらしたものは”ダヴィンチ・コード”だけではなかったようです。

そして、その後の薔薇戦争におけるランカスター家の赤バラが「ロサ・ガリカ」で、ヨーク家の白バラが「ロサ・アルバ」だと言われています。
ロサ・ガリカとロサ・アルバ 《写真:「ロサ・ガリカ」と「ロサ・アルバ」案内パネルより》

紋章 そして2つの紋章はこのような紋章でした。

チューダー朝の紋章 それを組み合わせたチューダー朝の紋章がこちらです。

現実のチューダー・ローズは無いようですが、薔薇戦争末期には、赤白混じりの「ヨーク・アンド・ランカスター」が咲き始めたと伝承されていて、内乱終結のシンボルとして現在も人気があるそうです。
ヨーク・アンド・ランカスター 《写真:「ヨーク・アンド・ランカスター」(C)村田バラ園》

もっとも歴史学者の間では、白バラはヨーク家の紋章の一つですが、当時、ランカスター派の赤バラは実在しなかったというのが定説だそうです。つまり「紅白合戦」はシェークスピアの創作で、「薔薇戦争」 の名も、後に芝居の影響から付けられたと考えられていて、日本の源平の合戦といい、紅白○○合戦は昔から好まれていたようです。
とはいいながらも、現在のイングランドの国花はバラですから、このチューダー朝の歴史がそのまま息づいていると言ってもよいのでしょう。
因みにグレートブリテン…にこだわるイギリスとしては、ウェールズはラッパズイセン、北アイルランドはシャムロック、そしてスコットランドはアザミと言う具合に国花が違います。サッカーのワールドカップと一緒ですね。

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