庭園温室 #3

ここまでが大温室と小温室を繋ぐサンルームでの解説です。若干汗ばみながらも貴重な情報を知ることができました。
ここから先は小温室での展示となります。

バラの香り

サボテン 小温室に入ると中央に様々なサボテンが植栽されています。

何となく温室にいることを思い出させてくれる光景です。
そしてこの小温室では、やはりバラに関する展示がされています。

ルドゥーテの「バラ図譜」 こちらにあるバラの絵の額は、歴史の中で知ったルドゥーテの「バラ図譜」の中の3点です。

地中海の黄色いバラ 左側の絵は「地中海の黄色いバラ」と題された絵で、「ロサ・スルフレア」と言う品種だそうです。

八重咲きの丸いピンクバラ 中央の絵は「八重咲きの丸いピンクバラ」というタイトルで、品種は「ロサ・ケンティフォリア」です。

淡いピンクの古代バラ 右側の絵は「淡いピンクの古代バラ」と題された「ロサ・ケンティフォリア・ブラータ」と言う品種で、ルドゥーテの最も有名なバラとして知られているようです。

特に絵画そのものは貴重なものでもないようですが、普段あまり見かけることが無いので、そのような意味では非常に価値のある絵でしょう。

温室内 他にも様々なバラが展示されていますが、その中の一画にバラの香りの体験・説明コーナーがあります。

バラの魅力のナンバーワンはやはり香りでしょう。しかしバラの香りと言っても結構多種あり、今更ながら驚いてしまいました。
流石にこれだけは実際に嗅いで見ないと理解できないでしょうが、一応説明でイメージしてみましょう。

バラの香りの系譜パネル 先にあったようなバラの系譜と同じ、バラの香りの系譜パネルがあります。

この香りの系譜によると、そもそもの祖は3つのバラに行き当たるようです。
「ロサ・モスキャータ」「ロサ・ガリカ」「ロサ・フェニキア」という3品種のようですが、競馬のサラブレッドがやはり祖が3頭の馬に行き当たるのと似ています。
そしてその後紆余曲折を経て、ハイブリットティローズから7つの香りに分類されたようです。

展示台には7つの香りのテスターが置かれています。

香りのバラ体験
◆ブルガリアンローズ
香料採油用の代表品種ロサ・ダマスケナが早朝に開花した時の香りを再現。コクのある甘さの中に爽やかなグリーン調のかおりがある。
<代表品種:ロサ・ダマスケナ>

◆スパイシー
ダマスク・クラシックの香気が基調であるが、グローブ(丁字)様の香りがやや強く出る。
<代表品種:ハマナシの類、デンティベス、粉粧楼、ロサ・ムルチフローラほか>

◆ブルー
青バラ系の品種は、類似した香気を持っている。ダマスク・モダンとティーの香りが混在する。
<代表品種:ブルー・ムーン、ブルー・パフューム、シャルル・ド・ゴールほか>

◆フルーティー
ダマスク系の香気成分とそのエステル化合物を多く含有。ピーチ、アプリコット、アップルなどの香気を想起させる。
<代表品種:ダブル・ディライト、ドゥフト・ボルケ、ハーモニー、マリア・カラス、アーレン・フランシスほか>

◆ティー
中国由来のキネンシスやギガンティアの香りの特徴成分を含む。上品で優雅な印象を与える。
<代表品種:レディ・ヒリンドン、ジオラマ、グラン・モゴール、ガーデンパーティ、ロイヤルハイネスほか>

◆ダマスク・モダン
ダマスク・クラシックの香り成分を受け継いでいるが、より情熱的で洗練された香り。
<代表品種:パパ・メイアン、クリムゾン・グローリー、ネージュ・パルファム、レディ・ラックほか>

◆ダマスク・クラシック
ダマスケナやケンティフォーリア系の強い甘さと、ガリカ系の華やかさを併せ持っている。現代バラは、ティーの香りが程よく含有する。
<代表品種:芳純、セシル・ブルナー、香久山、ティファニー、ザ・ドクター、ハワイほか>
(説明キャプションより)

系譜にある「ミルラ」といのが恐らく「ブルガリアンローズ」のことでしょう。
それでもやはり個人的には「ブルー」の香りがお気に入りです。 当然と言えば当然のことですが、フレグランスの選択肢と同じような方向性です。
ただし、フレグランスとしてだけでなく、やはり効能もあるようです。

バラの香りの効能
ローズの効能
バラは古代から薬として用いられてきました。煎じ薬や粉末にしたり、また、ローズオイルやローズウォーターの人体へ与える効果に関して多くの伝承や記録が残されています。
資生堂リサーチセンターではバラの香りの「癒し効果」を実験で確認し発表しました。ストレスを与えた被験者にバラの香りを嗅がせた場合と、そうでない場合について血中コルチゾール濃度を比べると、香りなしでは、血中濃度は平均35%増加し、香りがある場合は増加しませんでした。コルチゾール濃度はストレスの最も一般的な指標なので、バラの香りはストレスを緩和する効果があることが証明されました。』(現地案内パネル説明文より)

今も昔もストレス社会であったことは間違いないようで、それと知って使われていたのかもしれません。そういった意味でも人類は賢いのですが、賢い故に様々なストレスに悩まされるでしょう。
小温室 何となくリラックスした気分で、温室を後にしました。

正門周辺

温室を出るとそこは正面入口の前の広場になっています。
バラの苗木販売 正面広場ではバラの苗木などが直売されているようで、大勢の人が品定めをしています。

正面広場の一画には管理事務所と並んで「カルチャーコーナー」があり、普段は緑化相談所として使用されているようです。
今日は、ここで「グラスフラワー展示会」が開催されていましたのでちょっと覗いてみました。
グラスフラワー展示会 グラスフラワー展示会 かなりすばらしいグラスフラワーが並んでいます。

ただ、これがドライフラワーなのかプリザーブドフラワーなのかを聞くのを忘れてしまいました。
いずれにしても生花にはこのような本当の青いバラはありませんから。

随分ゆっくり散策してしまいましたが、既に12時も廻っていることからここで昼食にすることにしました。
cafe&dining MATE CAFE】 一旦、バラ園を出て7,8分ほど歩いたところにある【cafe&dining MATE CAFE】という初めてのドッグ・カフェで昼食をしました。

勿論、ドッグ・カフェであったことは気が付かずに入ってしまったのですが、かなり美味な昼食をいただくことができました。

ゆっくり昼食をとってから再びバラ園に戻ります。
正面入口 南噴水庭園 こちらが正式な正門です。

正面の南噴水の前には、人もいないので広々とした光景が望めます。
ここからは南噴水庭園の右端のイングリッシュローズエリアを抜けて北門入り口へ向います。
苗木販売 こちら側でもバラの苗木の販売が行われています。

虹と子供たち 虹と子供たち 通路をのんびり歩いているとバラの木の間になにやら彫刻が点々と置かれています。

しかも、中にはダンシングベイビーのような彫刻もあります。
通路の傍らにタイトルの書かれた石碑があり、そこには「虹と子供たち」と刻まれていました。
可愛らしさもあるのですが、何となく不気味な雰囲気も漂っているような・・・。

と、その中に「ノイバラ」を見つけました。
ノイバラ ノイバラ 今更説明することも無いでしょう。日本の誇る野生種の代表です。

何の説明も無く、ましてバラ園などではないそこらの路地に咲いていたら、何人の人がこれをバラと気付くでしょうか。
花としては可憐ですが、バラの煌びやかさはありません。最もそこが野生種の良いところで、余りバラらしいと面白みがありませんから・・・。
最後の締めくくりに良いものを見られました。

イングリッシュローズ この後はイングリッシュローズを眺めながら駐車場へと戻ります。

萩原朔太郎記念館

萩原朔太郎記念館 北門の手前の端に「萩原朔太郎記念館」があるので寄ってみました。

せっかく近くにあるので寄らないのも勿体無いですから。
というよりは、多少興味はあったのです。特に朔太郎のファンということではなく、とある小説の中で朔太郎の詩を知ったのです。 それは内田康夫の「“萩原朔太郎”の亡霊」というミステリー小説で、浅見光彦ではなく岡部警視が主人公のものです。
この中で掲載された詩が朔太郎の「公園の椅子」「死」「天上縊死」「およぐひと」でした。その中でも強烈な印象だったのが「死」です。


みつめる土地《つち》の底から、奇妙きてれつの手がでる、足がでる、くびがでしやばる、諸君、こいつはいつたい、なんといふ鵞鳥だい。
みつめる土地《つち》の底から、馬鹿づらをして、手がでる、足がでる、くびがでしやばる。
(青空文庫より)

この詩が見立て殺人に使われたという設定なのです。
勿論、小説の面白さは然りですが、この詩の存在感に圧倒されたことを憶えており朔太郎とは一体どんな詩人・・・? 、と興味を持っていたのが事実です。
そういったことから、是非とも見学したい施設でもあったわけです。

萩原朔太郎記念館 近くに寄ると門の前に案内板があります。

「萩原朔太郎記念館」案内
萩原朔太郎(1886から1942)は、明治19年前橋に生まれ、40歳までをこの地に過ごしました。大正6年(1917)、詩集「月に吠える」によって詩壇に登場し、数多くの詩集、評論を発表し近代日本文学史上に大きな足跡を残しました。
詩人の生家は、昭和43年、(1968)まで市内千代田町1丁目にありました。往時の姿は左図に示したとおりですが、現在は跡かたもありません。生家の一部であった「土蔵」・「離れ座敷」・「書斎」をこの地に移築復原し、「萩原朔太郎記念館」として永く保存しました。「土蔵」内部は、詩人の遺愛品をはじめ、その生涯と文学業績がたどれるよう展示されています。
前橋文学館には、「萩原朔太郎展示室」があります。
(現地案内板説明文より)

いただいたパンフレットからもう少し詳細なプロフィールを引用します。

はぎわらさくたろう 詩人
1886(明治19)年11月1日、前橋生まれ。旧制中学校在学時代に、従兄弟である萩原栄次から短歌の手ほどきを受け、文学の道に入る。後に詩に転向し、1917(大正6)年に第一詩集『月に吠える』を刊行。口語の緊迫したリズムで、感情の奥底を鮮烈なイメージで表現し、後の詩壇に大きな影響を与えた。さらに、1923(大正12)年に出版した『青猫』で、口語自由詩の確立者として不動の地位を得る。音楽にも熱心で、マンドリン楽団を主宰して演奏活動を行い、また、趣味の写真の実力も並々ならぬ物があり、多才の人だった。1942(昭和17)年5月11日、肺炎のため死去。享年55歳。
(パンフレットより)

萩原朔太郎生家見取り図 こちらがパンフレットにあった生家の見取り図です。

かなり大きな屋敷だったことが窺えますが、父親が開業医だったこともあって病室がるのでしょうが、病室の数からすればそ結構大きな病院だったのでしょう。

以前調べたところによると、先の「死」と「天上縊死」は月に吠えるに収録されていたような記憶があります。
まあ、いわれてみれば口語の緊迫したリズムって、生々しい描写ということになるのでしょうか。はたまた、生家が病院ということもあって、このような詩がうまれたのでしょうか。
また、ここには書かれていませんが、朔太郎は大のミステリーファンで、江戸川乱歩の「人間椅子」や「パノラマ島奇譚」を賞賛し、朔太郎自身、しばしばパノラマを詩・散文詩のモチーフとして取り上げているそうです。その朔太郎の詩をモチーフとしてミステリーを書いているのですから、文学は持ちつ持たれつとでもいうことでしょうか。
確かに内田康夫はあとがきに、この詩を知ったので、この詩をテーマに小説を書いたと言っていますから間違いないでしょう。
一方でマンドリン楽団を主宰というのも意外ですが、何をやらせてもそつなくこなすっていう人はいますから・・・。

萩原朔太郎記念館 門の中に入ると3棟の建物が並んでいます。

萩原家の建物三棟
土蔵
萩原家の敷地の南東の位置にあり、表通りからもはっきり見えた。鬼瓦の下の「萩」の文字が萩原家の所有を物語っている。朔太郎の妹、津久井幸子さんの回想によると、明治34年(1901)もしくは35年(1902)頃建てられた。昭和20年(1945)の前橋空襲の際、この土蔵が延焼を食い止めた。ここに保存されていたノート、原稿など数多くの朔太郎資料が、今日残ったのもこの土蔵があったればこそである。

離れ座敷
母屋と接続する渡り廊下で結ばれた萩原家の客間である。朔太郎の父密蔵が明治25年(1892)ころ建てたもので、八畳の部屋と床の間、円窓のある水屋がある。この部屋からは築山をあしらった立派な庭園が眺められた。北原白秋、若山牧水、室生犀星などがこの部屋で歓談した。土蔵と離れ座敷および池の位置は往時のまま復元されている。

書斎
生家の裏庭にあった味噌蔵を改造したもので、大正2年(1913)秋に工事をはじめ約3ヶ月を要して完成した。内部は全てセセッション式統一され二重カーテンレールが施され、カーテンは東京三越から取り寄せた。机、椅子も朔太郎の考案による特注品をあてた。「月に吠える」「青猫」などの作品はこの書斎で書かれたのである。またマンドリンのレッスンにも使われ、「音楽室」とも呼ばれた。北原白秋、室生犀星も来訪した。
前橋市
(現地案内板説明文より)

書斎 順序は逆となって手前にあるのが書斎です。

この書斎を使用していたのは朔太郎27歳から32歳のころだそうで、主には朔太郎が創設した「ゴンドラ洋楽会」の集会所として使われたようです。従ってこの書斎を使っていた頃の朔太郎は、詩人としてよりも“マンドリンを弾く人”として知られていたようです。
書斎 中にある机も椅子も確かに特注品のような形状です。“人間椅子”をイメージしたわけではないでしょうが・・・。

離れ座敷 離れ座敷 真ん中にあるのが離れ座敷です。

円窓 これがその円窓です。

築山は当然ありませんが、円窓や築山などかなり風雅でもあった萩原家なのでしょう。
ここには特に北原白秋が大正4年1月に約1週間滞在したようで、白秋は萩原家の人々にも好印象を与えたそうです。白秋の妹北原家子にあてた朔太郎の手紙にこの時のことが「一同お陰さまにて近来になき面白き正月を過したりとて大よろこびに御座候/母より御宅さま御一同によろしく兄上さま御滞留中不行き届きの段幾重にも御用捨下され度との伝言に候」と書かれていて、白秋と朔太郎、そして白秋と萩原家のエピソードの残る記念の建造物ともいえるようです。

土蔵 奥の正面にあるのが土蔵で、現在この土蔵が展示室となっていています。

残念ながら写真撮影は禁止ですので内部の状況は写せませんが、詩集などは勿論のこと書簡や写真などが展示されていました。特にマンドリン曲“A Weaving Girl”のスコアがあり、作曲までしていたとは実に驚きでした。
当時、父密蔵は名医として信望が篤く、一時期は患者に整理札を出すほど繁盛したそうです。しかし、大正8年密蔵が老齢のため開業医を止めたため、萩原家は現在の紅雲町に移ったのだそうです。この時千代田町の生家には妹である津久井幸子・惣次郎夫婦が入り「津久井医院」を開業し「萩原医院」を継承したそうです。

「死」などといったおどろおどろした詩を創作する詩人ですから、もっと荒々しく漂泊の詩人のようなイメージでしたが、蓋を開けてみればいわゆる“ボンボン”だったようです。それはそれでイメージギャップが非常に面白いですが、若干拍子抜けといった感も無きにしもあらずです。
かなり貴重な記念館を訪ねることができて非常に満足でした。

今回の散策は、これにて終了です。
バラや庭園の美しさを堪能できたのは当然ですが、バラについての新たな魅力、或いは新たな興味がわいてきた散策でもありました。またおまけではありましたが、2つの記念館もかなり貴重な知識を得ることができました。
そう、何回も来れるところではありませんが、次の機会には前橋や群馬の別な魅力を見つけたいものです。

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