樹齢800年のケヤキに見守られ平方河岸の繁栄をしのぶ

概要

「ぐるっとくん」を「平方神社前」で下車すると、北方100メートル先に石造の大鳥居が見える。ケヤキやクスノキの樹林に囲まれているのが橘(たちばな)神社で、これは植物名を冠した、近隣でも余り見られない珍しい神社名である。
橘神社のある境内地は、元は平方村の鎮守である氷川神社の所在地である。江戸時代の上尾市域の村々では、鎮守は大半が氷川神社であるが、平方村も同様ということになる。
明治期に神社の社格の制定や合祀が行われるが、明治22(1889)年成立の新平方村でも、村社一社への合祀運動が展開されている。この合祀運動の中で、それまで五大字に所在した氷川社・神明社・稲荷社などが一社となり、旧平方村の氷川社の地に橘神社が成立している。神社名は、この地で古くから称されていた「橘の里」から付されたもので、明治41(1908)年5月に認可されている。戦後、村社の社格は廃され、合祀した神社は解体されるが、橘神社の社名はそのまま残されることになる。平方地区の人々が、「橘」という名称によほど愛着を持っていた結果ということになろうか (『上尾市史』第9巻・『上尾百年史』)。

この神社境内には、平方村民と河岸出入りの商人たちが奉納した石祠が祭られていることでも知られている。かつて平方村は荒川・入間川の舟運で栄えた集落で、江戸時代初期の寛文9(1669)年には、河岸場が設置されていたという記録も残されている。河岸場は船が発着する所というだけでなく、荷物の輸送を扱う河岸問屋が所在して初めて成立するが、平方村にも河岸問屋が置かれていたことになる。延宝8(1680)年、川越城主松平信輝は入間川の流路を替え、それまで下老袋村(川越市)地先で荒川に合流していたものを直流化し、平方村地先で荒川に合流させている。この結果、平方村は荒川・入間川の合流点となり、二つの川の船の発着でにぎわうことになる。平方村民と河岸出入り商人の石祠は、往時の平方河岸繁栄の証ということになろうか(『新編武蔵風土記稿』・『川越市史第3巻近世編』)。

境内の大ケヤキは、市の指定文化財になっている。御神木(ごしんぼく)で主枝の一部が昭和54(1979)年の台風で折れたため切断されているが、樹齢 800年と推定される古木である。なお、本殿前に石造の御神灯(ごしんとう)があるが、これは安政4(1857)年の建立で、伊勢太々(だいだい)講中の寄進となっている(『上尾の指定文化財』)。

◆橘神社 : 上尾市大字平方2124 

橘神社

橘神社 交差点の角にある橘神社。大鳥居が目に付きます。


参道と社殿 社殿真直ぐ伸びた参道の先に社殿が見えます。それほど大きな社殿ではありませんが、狛犬がそれとなく歴史を感じさせます。


橘神社・文化財

大けやき

大ひのき 本殿と大ひのき 本殿の後ろにあるのがその「大けやき」。
本殿の重厚さと相まって荘厳な雰囲気を醸し出しています。


『上尾市指定天然記念物 大けやき 上尾市大字平方2124 橘神社 昭和42年5月1日指定
橘神社はもと平方村の氷川神社で、土地の古い人は氷川神社と言っている。明治41年(1908)の神社の合祀の時に当時の村内の十社がこの社に合併し、社名は土地の旧名「橘の里」をとって橘神社とした。
橘神社の神木となっているのがこの大けやきである。指定は、埼玉県がけやきを県木にしたのにちなみ、上尾市でも古く、大きく、かつ由緒のあるけやきを選んだ。
幹周りが5.75メートル、直径1.8メートルの大木で、中央の主たる幹が落雷のため上部を欠いているものの高さ約20メートル余である。樹齢は800年と推定される。
旧平方村(明治22年合併前)の鎮守である旧氷川神社の神木として、しめを張られ、長い間村民の信仰の対象として敬慕されていたことを考えると、市内の大けやきの代表としてふさわしい。
昭和54年8月1日 上尾市教育委員会』(現地案内板説明文より)

平方村河岸出入商人衆奉納の石祠

平方村河岸出入商人衆奉納の石祠 本殿の左側にその石祠があります。
意外と古さを感じないのは、雨ざらしにならない様に屋根で覆われているからでしょうか。


『上尾市指定天然記念物 平方村河岸出入商人衆奉納の石祠 上尾市大字平方2124 橘神社 平成5年7月1日指定
平方は、上尾と川越を結ぶ主要道路が荒川を渡る所に位置し、陸送と荒川の舟運によって発達した町場である。この平方に設置された河岸は上尾とその周辺の歴史を考える上で重要である。平方河岸の成立は不明であるが、17世紀前半にはその存在が確認される。桶川領と指扇領の年貢米運搬の河岸としても使用され、明治以降も他の河岸が鉄道の開通で衰退していくなか、戸田河岸とともに繁栄を続けた。しかし、大正時代になると、次第に舟運が衰退し、荒川の河川改修に関する砂や砂利の運搬を最後に消滅した。
この「平方村河岸出入衆奉納の石祠」は、総高166センチメートルで、神明社を祀っている。形状は笠付角型石祠であるが、笠の部分については後補の可能性がある。石祠に向かって左側面には、享保2(1717)年に平方村及び平方村河岸出入の商人が願い出てこの小祠を建立したことが記されている。右側面には、200字余りにわたって小祠建立の主旨が、「平方村河岸の繁栄は、大神宮の御神徳によるものでそれに報いる為、そして、舟運の安全や家内の安全を願う為」と記されている。
荒川の舟運により発達した平方の河岸場に関する資料が少ない中で、この石祠は平方河岸の隆盛を今に伝える歴史資料として貴重なものである。
平成6年9月30日 上尾市教育委員会』(現地案内板説明文より)

こう言った奉納は各地にあって、ここに出てくる桶川領(現在の桶川市)では、当時隆盛を誇った“べに花商人”が石灯篭を奉納しており、確かにその頃の文化を知るにはうってつけの資料ということでしょう。

2010.8.10記
関連記事
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメントの編集・削除時に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)


    トラックバック

    Trackback URL
    Trackbacks