はじめに

「加藤保男」はジャンルDにおいて得票数4,868票を集め、第10位にランクされました。

大宮市出身の登山家。1966(昭和44)年に初渡欧しアイガー北壁のダイレクトルート初登頂に成功。その後、マッターホルン北壁、グランドジョラス北壁にも新ルートを開拓。1973(昭和48)年秋には、日本エベレスト登山隊長として同山東南稜から秋季初登頂に成功。凍傷で手足の指を失いながらも、1980(昭和55)年春にはチョモランマへ。1982(昭和57)年末、エベレスト冬期登山隊長として登頂を目指したが、登頂後南峰のピーク付近で消息を絶つ。
1983(昭和58)年、こうした彼の勇気と生きる希望を人々に与えた功績が称えられ、第1号の市民栄誉賞受賞となる。
(本書より)

確かに本文での説明を知ると埼玉県の偉人であることは理解できますが、はっきり云って今まで全く存在を知りませんでした。特に登山となれば生まれてからこの方、私とは一番縁のないスポーツの1つともいえるものですから、興味もあまり湧かないわけです。
しかしここは折角の機会で、加藤保男氏とその生まれた故郷を知る良いチャンスとばかりに今回の散策を計画したのです。
旧大宮市は現在のさいたま市で、さいたま市の中での旧大宮市街は、大宮区、西区、北区、見沼区、そして中央区の極一部に分割されています。
大宮区は【大宮氷川神社】、西区は【青葉園の藤】、北区は【若田光一】で訪れており、今回で4回目(旧与野市、浦和市を含めれば、さいたま市を訪れる回数はもっと多いはずです)となります。
となればやはり今回は残った見沼区となるのですが、本来「加藤保男」氏の生まれは現在の大宮区のようなので大宮区を散策すべきなのですが、ここは不確かな生家周辺を散策するより、実際に墓地のある周辺という確実な事象を捉えれば見沼区になると言う、やや強引ではありますが、今回の散策はさいたま市見沼区を中心にとなったのです。

散策の前にやはり概略でもプロフィールを確認しておきます。
加藤保男 《写真:(C)山と渓谷社「エベレストに消えた息子よ」より》
加藤保男(1949年3月6日-1982年12月27日?)は、日本の登山家でエベレストを始めとする地球上にある標高8000メートルを越える14の山の総称である「8000メートル峰」に4度、エベレストに3度の登頂を果しました。特にエベレストをネパール、チベット両側から登頂したのは世界初で、大宮市市民栄誉賞第1号を受賞しました。

略歴
1971年(昭和46年)、日本大学文理学部体育学科を卒業。兄で登山家の滝男の影響で登山を高校時代に始める。在学中に大学の山岳部には入部せず、滝男が主催するJECC(ジャパン・エキスパート・クライマーズ・クラブ)で登攀経験を重ねる。
1969年(昭和44年)から1972年(昭和47年)にかけて、アルプスの三大北壁(アイガー、グランド・ジョラス、マッターホルン)を登攀。
1973年(昭和48年)10月26日、第2次RCC登山隊で、石黒久隊員とともに、エベレスト(サガルマタ)のポストモンスーン期(秋季)初登頂を果たす(ネパール側、東南稜)。日程上、強行軍であったために、サウスコル(7,986m)のキャンプからの一気の登頂であり、8,650m地点でのビバークを余儀なくされ、翌日、長谷川恒男隊員に救出される。奇跡の生還と言われたが、この時、凍傷で足指すべてと右手の指3本を失う。
1975年(昭和50年)、インドヒマラヤ最高峰(7,816m)のナンダ・デビ登頂。
1980年(昭和55年)5月3日、エベレスト(チョモランマ・珠穆朗瑪)にチベット側の北東稜から登頂。
1981年(昭和56年)10月には、尾崎隆ら三人による遠征隊でマナスルに無酸素登頂。
1982年(昭和57年)12月27日、厳冬期エベレストに登頂を果たす(東南稜)も、下山中に小林利明隊員と共にビバーク。消息を絶つ。
1983年(昭和58年)、大宮市(さいたま市)から市民栄誉賞第一号が贈られた。
1990年(平成2年)、小惑星(5743)が加藤と命名された。

チベット側からチョモランマ登頂に成功して春・秋の2冠を達成した後、チャレンジしたのは当時世界中で誰もいなかった冬のチョモランマでした。
そして、冬のジェット気流が吹き荒れるチョモランマに挑戦して見事に頂上にたったのでした。しかし、下山は難しく8,763m付近でビバークに入ったのでした。
その晩のジェット気流は凄まじく、第2キャンプのテントですら吹き飛ばされたほどだったようで、最初のチョモランマと同じように、ようやく座れる程度の場所を作っただでビバークをしたそうです。
そして「非常な寒さです。…明日の朝、また交信します。おやすみなさい」という言葉を最後に消息を絶ったのです。

壮絶な生と死をイメージさせるのですが、本来の加藤保男とはを訪ねるために、今回は近いこともあって7月23~31日の休みにかけて何回かに分けた散策です。
壮絶な生と死をイメージさせ、死と隣り合わせに生きてきた人の心中を理解することは出来ませんが、本来の加藤保男とは…、を探しに、この散策で一端でも知ることができれば幸いだと思います。


この後、2013年9月に加藤保男氏の実姉の古沢智美様にお会いすることができ、いろいろな思い出話をお聞きすることができました。
その模様は【“大宮盆栽だー!!”と天才クライマーの関係!?】に掲載していますので、あわせてお読みいただければ幸いです。
筆者より


mapさいたま市見沼区】オフィシャルサイト:http://www.city.saitama.jp/index_minumaku.html


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