都内にも広がる氏子集団と「平方のどろいんきょ」

概要

「ぐるっとくん」を「平方神社前」で下車し、北へ100メートルほど歩くと、橘(たちばな)神社前に出る。左折して歩を進めると、左前方にケヤキとエノキの巨木叢林が見えてくる。左折してから200メートルほどで石造の鳥居前に到着するが、ここが目指す八枝神社である。
巨木に囲まれた拝殿で参拝するが、それにしてもケヤキとエノキの大木には圧倒される。根は地表に盛り上がり、梢は天を突いている。
境内は巨大な緑の傘に覆われて森閑としているが、これらの巨木群は市指定文化財でもある。ケヤキの巨木は3本、エノキは4本であるが、樹齢は400から500年といわれ、樹高は約30メートルほどである(『上尾の指定文化財』)。

江戸時代の八枝神社は天王社であるが、ここは天下の奇祭「平方のどろいんきょ」があることで知られている。悪疫退散を願う天王社の夏祭りであるが、近在の天王社の祭礼と全く異なるのは、通常の神輿と白木作りで何の装飾もない「隠居神輿」の2基の渡御があることである。この隠居神輿はお神酒(みき)所や民家の庭先で、神輿の担ぎ手ともども水を掛けられ、しかも隠居神輿そのものを地面に執拗なほど転げ回す。ここで神輿も担ぎ手も泥だらけになるが、この勇壮な渡御から「どろいんきょ」の名が生じたという。隠居神輿は荒川に入ったり、垂直に立てられその上に歌舞伎役者に扮)した若者が乗ったり、変化に富んだ見せ場を繰り返し、午後9時ごろ八枝神社に還御する。この珍しい「どろいんきょ」の渡御がいつごろから始められたのか不明であるが、江戸時代の平方は河岸場として栄えた所で、その河岸文化の影響があったともいわれている。この奇祭は、市指定無形民俗文化財でもある(前掲書・『上尾市史』第9巻)。

八枝神社は「平方の御獅子様」として近隣でも知られているが、それは同社の特大のお獅子が、悪疫退散に霊験あらたかであったためである。獅子が各地の村々に貸し出されるのは、村々の願いに応えるためである。
ところで八枝神社で特筆されるべきことに、非常に広範囲に氏子集団を持っていることが挙げられる。氏子集団は埼玉県域はもちろんのこと、東京都の各地に所在している。嘉永4(1851)年に別当寺の正覚寺(しょうがくじ)役僧がお札を配布しているが、その範囲は現清瀬市にまで及んでいる。大社でもない地方の神社が、これほど広範囲に氏子集団を持っている例は全国的にも珍しい(『上尾市史』第3巻)。

◆八枝神社 : 上尾市平方488 

八枝神社

ここは先月の7月、「平方のどろいんきょ」で訪れた神社です。
平常時の神社は、あの祭りの喧騒がうその様に静かで、それでいて神秘的な気分に浸れるのが、また違った意味での楽しみです。

八枝神社の鳥居 誰もいない鳥居は、入るのを躊躇わすような無言のパワーを秘めているかのようです。


広い境内 境内はこんなに広かったのですね。>


社殿おシシ様 改めて社殿を参拝しますが、これが「平方の御獅子様」です。


神楽殿 こちらが神楽殿で、どろいんきょの御輿が置かれているところです。以外に古い、というか…


八枝神社・文化財

八枝神社境内大ケヤキ・エノキ群

北側の大エノキ 神楽殿と社殿の間の大エノキ 社殿の前と左右に巨木が立ち並んでいます。それだけ歴史ある神社であるという証です。


『上尾市指定天然記念物 八枝神社の境内ケヤキ・エノキ群
上尾市大字平方488 昭和56年3月31日指定
八枝神社は、もと牛頭天王社と言い、元禄7年(1694)の「平方村社寺御改覚」の中に社名があるので、それ以前の起源をもつことは明らかである。明治初年に八枝神社と称するに至ったが、その名は八坂神社(京都)の枝社の意であるといわれる。
当社は狛狗大神とも呼ばれ、古くから、おシシ様で名を知られ、今日でも広く講社を有している。
境内には、ケヤキやエノキが群生していて社苑に美しさを加えている。
社殿の北側に4本、南側に1本、社殿と神楽殿の中ほどに2本あり、いずれも大木である。高さは一部を除き20メートルを超え、四方に枝をのばして境内の空を覆っている。幹周りは平均して3.5メートルに及び、森厳さを引き立てている。樹齢は推定であるが、400年から500年と見られる。これだけの群生は、市内でもめずらしいものといえよう。
昭和58年9月30日 上尾市教育委員会』(現地案内板説明文より)

平方のどろいんきょ

P1200653.jpg 「平方のどろいんきょ」の記事はこちら【No.18 平方のどろいんきょ


『上尾市指定無形民俗文化財 ひらかたのどろいんきょ
上尾市大字平方 平方地区 昭和57年3月31日指定
八枝神社の夏祭りには、奇祭とも言うべきめずらしい「どろいんきょ」が挙行される。その起源については、不明な点も多いが、八枝神社が牛頭天王社と呼ばれた江戸時代にはすでに始められていたらしい。7月の中ごろの日曜日に挙行されるが、当日は、ふつうの神輿のほかに白木の屋形をのせて頑丈に作られた「いんきょ」が担ぎ出される。若者たちが、これを担ぎ回り、神酒所の広場では、地面にひっくり返し、終始水をかけ、泥の中をこねまわす。つまり「どろいんきょ」である。
まず神社の仮屋というヤグラから担ぎ出され、境内を練ったあと町内に出るが、これをオヤマダシという。いんきょは水を浴び泥まみれになって巡行する。これをワタリという。
山車というのは、いんきょの担ぎ棒を竪に立て、そのてっぺんに扮装した人が乗り、これを綱で引くことである。
また、近くの荒川にほうり込まれて洗われるという壮大な様も見ごたえがある。こうして最後に神社へ戻りお仮屋に納められるが、これをオオヤマオサメと呼んでいる。
当市のみならず県内でもめずらしいものといえよう。
昭和58年9月30日 上尾市教育委員会』(現地案内板説明文より)

残念ながら、暑さで山車までは見ることができませんでしたが、確かに一度見ておいても損はない奇祭でした。

2010.8.10記
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