稲荷山公園

今回の散策にあたっては、狭山市を良く(全く)知らないことからかなり綿密な計画を立てました。
勿論、主たる目的は「七夕まつり」ですが、それを串刺しするような鎌倉街道を縦軸にし、狭山市の歴史を横軸に置いた散策を考えました。これによって、ある程度狭山市の歴史と文化が窺えるのではないかと思っています。
と言うことで、まず最初に訪れたのが狭山市を知るには一番うってつけな場所です。

狭山市立博物館

最初に到着したのが「稲荷山公園」です。
公園の直ぐ近くには西武池袋線「稲荷山公園駅」があり、公園にしては非常に便の良い立地にあります。
稲荷山公園駅方面

元々は戦後アメリカ軍が使用していたジョンソン基地にあった公園が返還されたものです。戦前は1938(昭和13)年、陸軍所沢飛行場に開設された陸軍士官学校分校がこの地に移転し、陸軍士官学校として開校したところです。
それが戦後米軍に接収されたわけですが、通常接収された全国各地の航空基地は地名を元に命名されていたそうですが、ここは太平洋戦争中敵機22機を撃墜し「ジャングルエース」と呼ばれた25歳で最年少大佐となったジェラルド・R・ジョンソン大佐が1945年10月7日に東京湾上空でB-25搭乗中に事故殉職したことを悼みジョンソン基地と命名されたものなのだそうです。
その後、1945(昭和29)年:航空自衛隊発足、1958(昭和33)年:入間基地が発足、1961(昭和36)年:入間基地日米共同使用協定成立、1963(昭和38)年:飛行場地区の管理運用がアメリカ空軍から航空自衛隊へ移行し、1978(昭和53)年にジョンソン基地は全面返還となったのです。

そのジョンソン基地と共に返還されたのが、先の稲荷山公園なのですが返還当時は「稲荷山公園」ではなく「Hyde Park」という名称だったそうです。
何故、セントラルパークではなくハイドパークなのかが理解に苦しむところですが、いずれにしてもアメリカンな公園って、(芝生が一杯あると言うことでしょうか)言われていたようです。
稲荷山公園 稲荷山公園

現在、この稲荷山公園では毎年11月上旬の日曜日に「さやま大茶会」が開催されているそうです。埼玉県主催の野点による茶会で物産展も兼ねた公園最大のイベントだそうです。狭山茶ブランドの面目躍如といったところでしょうか。
かつては「ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル」というロック・コンサートも行われていました。本家のハイドパークのコンサートにならって行われたものなのでしょうが、2005年、2006年と開催されたのですが、2007年は資金難のため開催できず、今後の再開についても未定のままだそうです。
ちなみに2006年には、今は亡き加藤和彦と足柄金太こと北山修、そして和幸の坂崎幸之助によるフォーク・クルセーダースが出演していたそうです。もう、2度と見られないグループになってしまいましたね。
このような歴史をもつ稲荷山公園ですが、この公園を散策するのが目的ではなく、また、今日は暑いですから…、今回は、この公園内にある「狭山市立博物館」を訪れることが主目的なのです。

公園の駐車場の直ぐ目の前が「狭山市立博物館」です。
蒲鉾の切り口みたいな形の博物館は、想像していたものよりかなり大きな博物館です。横から見るとその長さから大きな建物だと言うことがわかります。
狭山市立博物館 狭山市立博物館 狭山市立博物館

現在、夏休み時期とあって高校生までは無料との事、しかし大人でも150円ですからありがたいことです。
狭山市立博物館 早速入館料150円を支払って入館します。

エントランスと言えども所狭しと展示物が並んでいます。
早速のお出迎えがこの恐竜で、「メタボサウルス」というオッサンには耳の痛い恐竜です。
エントランスのメタボサウルス

発見されたのが2011年4月で7月にここ狭山市立博物館で生まれたという…、オッサンに警鐘を鳴らす張り子恐竜です。
これは平成23年度の夏期企画展として7月から9月まで開催されている“恐竜アート展”にちなんで作成された恐竜です。これは館のスタッフが総力を挙げアケボノゾウのレプリカを改造した、涙ぐましい…! 作品のなのだそうです。

更にもう一体、カラフルな恐竜がおりますが、こちらは「メタボン」だそうで、どこまでオッサンを虐めれば気が済むのでしょうか。
メタボン

これは埼玉県のキャラクター「コバトン」を改造した恐竜だそうで、ついに埼玉県のゆるキャラまで手にかけてしまった館長の責任は如何に…、と人ごとながら気になりました。

しかし、こんな恐竜如きで驚いてはいけません。
如何に博物館とは言えどもここはエントランスです。更に恐竜は企画展のテーマですから仕方ないとしても、その恐竜2体の中間に何故このようなものが鎮座しているのか、実に摩訶不思議な空間です。

何と地蔵尊が置かれているのです。
エントランスの地蔵尊

「奉修念仏供養為二世安楽也同行拾五人 元禄十四辛巳三月廿四日武州入間郡入間川村 右ハおうぎ町屋通 左ハふ志さわ通」というキャプションがあります。
レプリカではないですよね。江戸時代のお地蔵さんが恐竜に挟まれている構図もなかなか見かけませんから、実にユニークと言えるでしょう。
何となく先行きに期待感が高まって来る思いです。

エントランスから展示室に入るとそこはホールになっていて、様々な恐竜が展示されています。
展示と言うと大げさかもしれませんが、ホールにあるのは恐竜クイズの壁画や恐竜の張り子などです。
企画展 企画展

また、一方には大胆にも“恐竜釣り”や輪投げなどの遊具も置かれており、小さい子供には喜ばれそうなホールです。
企画展

さてこのホールには中央に広いスペースがあり、そこから螺旋状のスロープで上に昇っていく仕組みで、サザエやカタツムリの殻の中にいると言うイメージです。

それもそのはずで、このホールは「舞い舞いホール」といい、「七曲井」や「堀兼之井」などの狭山市に残る古代井戸をイメージしたものなのだそうで、なかなか凝ったつくりのホールです。
舞い舞いホール

そのスロープの壁には、市内各所の名所が版画で描かれています。
名所版画

「八幡神社」「新富士見橋」「広瀬神社」…などなどですが、先ほどの「七曲井」なども含めて後ほど訪れる予定ですから楽しみです。

階上に上がると、ホールの舞い舞い振りがよくわかります。
舞い舞いホール

そしてその先は企画展と常設展に分かれていますが、ここはこのまま企画展の恐竜アートに向かいます。

企画展の入口付近には恐竜のジオラマが置かれています。
恐竜ジオラマ 恐竜ジオラマ

江戸時代に現れた恐竜や、昭和21年富士見橋に現れた“トリケラトプス”が進駐軍と鉢合わせといった、結構シュールなジオラマが展示されています。
恐竜ジオラマ 何故かゴジラまで登場と言う何でもありありのユニークなジオラマでした。

その先の比較的大きな展示室の中央にはやはり恐竜のジオラマが置かれていますが、メインは壁面の恐竜画です。
恐竜アート展

かなり迫力のある恐竜画が展示されていますが、これは市川章三という方が書かれた作品です。
恐竜アート展

1947年生まれで「恐竜最新全百科」など恐竜図鑑を描いている日本では数少ない恐竜画家なのだそうです。
個人的には余り見る機会もない絵画ですから目から鱗的な機会でした。

企画展を見てからは常設展に移ります。
常設展 ここから先が常設展示室なのですが、ここからは撮影禁止なので概要だけです。

いただいたパンフレットに常設展示の基本構想というのが記載されていますので引用しておきます。

常設展示の基本構想
狭山で発見された最古の地層は、約150万年前から70万年前に堆積した仏子層です。これが形成された時代の狭山の地はメタセコイア、エゴノキ、オオバタグルミなどの樹木が繁殖し、ナウマンゾウやマンモスなどが出現する以前の比較的小型のアケボノゾウが生息していました。
時代がくだり、紀元前約1万年前ごろから日本に出現した縄文文化を持つ人々は狭山にも生活の拠点を築き、入間川両岸の台地にその足跡を残しています。
これ以降、狭山の地には多くの人々が生活を営み、文化を築いてきました。狭山市立博物館の常設展示は、「入間川と入間路-その自然と風土-」を大きなテーマの中心に構成されています。
太古の時代、人々の生活の痕跡が残されはじめた原始時代、そして、次第に多くの人々が住み、開墾が進み、多くの歴史の上に現在の狭山市が形成された、その折々のありさまと歴史の流れがあたかも、時間を辿るタイムトンネルのような展示場から、見て頂けるものと期待しております。
(パンフレットより)

アケボノゾウの骨格標本から始まり、HONDAの未来コンセプトカーの展示で終っている展示室です。まあ、狭山市でトップクラスの固定資産税納税者であるホンダの埼玉工場があることからHONDAの車を展示しているのはご愛嬌としても、その手間にある馬車鉄道の展示などは、かつて汽車が敷設できなかった明治初期の上野-新橋間に多く走っていた馬車鉄道が狭山にもあったということに非常に興味深い展示品でした。見ごたえは十分で、まさに狭山市のタイムトンネルと内容も形状も言えそうです。
しかも特筆すべきことは、節電と言うこともあって極力照明を落としているのでしょうが、それが返って非常に展示物を見やすかったということです。
一般的には、ディスプレイ台に非常に凝る場合とおざなりとなっている2通りを見かけますが、ここでのディスプレイ台はガラス(アクリル板?)とステンレススチールをコアとした綺麗でいながら展示物をスッキリ目立たせる効果を生み出しています。キャプションも非常に判りやすいのです。(同じ内容のものが形状違いで2種あるのは、やはり分にくいというクレームがあったのでしょうかね)
意図的に配慮されたものかどうかは知りませんが、ミュージアムの1つのあり方かもしれません。別な意味でも大変勉強になりました。
なお、狭山市のオフィシャルサイトに何点か写真が掲載されています。ちょっと節電時とはイメージが違いますが…。

参考:【狭山市】-狭山市立博物館- http://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/museum/tenji/

予定もありますので、隅から隅までじっくり見ている余裕もありませんが、それでも1時間ばかり狭山市の歴史に浸ることができました。

最後に素朴な疑問です。
今まで県内のミュージアムにを随分回りましたが、多くは郷土資料館といった感じで、図書館に併設と言ったところもあり、自治体によって千差万別ではありますが、凡そ市立としてかなり立派な資料館は余り見かけたことはありませんでした。しかしながら、それらに比べると市立と言えどもここの博物館はかなり立派な建物で、展示内容もかなり豊富です。
そこで、一旦県内で“博物館”と名のつくミュージアムを検索してみました。
すると、さいたま市立博物館(さいたま市大宮区)、さいたま市立浦和博物館(さいたま市緑区)、川越市立博物館、川越歴史博物館(川越市)、秩父市立民俗博物館(秩父市)、戸田市立郷土博物館(戸田市)、朝霞市博物館(朝霞市)、入間市博物館(入間市)、狭山市立博物館(狭山市)の9件(これ以上あるかもしれませんが…)が該当するようです。
この中で戸田市立郷土博物館(戸田市)は図書館に併設ですから省き、さいたま市、川越市、秩父市などは、それぞれ埼玉県を代表する都市ですから文化的必要性、そして財政的なゆとりを考えれば、さもありなんと言うところでしょう。
ところが、残った3市については、それほどの必要性(必要ないということはありえませんが…)や、財政的な余裕があるとも思えないのですが、何故“博物館”(朝霞は見ていませんが、入間は確かに見学したところ立派でした)の建設が可能であったのかを、とりあえずこの3市に何か共通するものが無いかどうかを紐解いて見ました。すると面白い共通点が浮かび上がってきました。

それは、この3市は長い間、地方交付税交付金不交付団体だった自治体だったということです。つまり税収が豊かで交付税を受けない財政的には豊かな町であったということなのです。
その理由は、やはり共通していて企業の固定資産税などの税収入と自衛隊の基地があると言うことになります。
狭山市を例に取ると、航空自衛隊入間基地があることにより、国有提供施設等所在市町村助成交付金(基地交付金)及び施設等所在市町村調整交付金(調整交付金)、そして特定防衛施設周辺整備調整交付金(防衛省補助金)という交付金が入るのだそうです。
そして先にも述べたHONDAの工場などの固定資産税などの収入があるわけです。
入間市も同様で、この入間基地とフジパンなどの工業団地での税収入があり、朝霞市は陸上自衛隊駐屯地とHONDAの研究センターががあるという、全く狭山市に良く似た状況なのです。
勿論、かつてのバブル時代の恩恵と言うこともあるでしょうが、それなりに余裕のある市運営ができたと言うことになるのでしょうかね。
このような事実から言えば、是非は別として沖縄の基地問題や福島の原発などもある意味では同じ解釈が成り立つかもしれません。

因みに埼玉県における今年度の地方交付税不交付団体は戸田市と三芳町の2市町だけだそうです。昨年度不交付だった朝霞、和光、八潮の3市は厚生費の需要増で転落したそうです。そしてその前年の2009年には、狭山市をはじめ、さいたま市(旧岩槻市相当分を除く)・入間市・川越市・川口市・所沢市・戸田市・朝霞市・和光市・八潮市・入間郡三芳町の11市町が不交付団体だったそうです。
余談ながら、「週刊ダイヤモンド」2007年3月10日号特集「全国市町村“倒産危険度”ランキング」において、狭山市は全国1821市町村のなかで1720位で、入間市(1654位)、川越市(1660位)、所沢市(1719位)等と共に「倒産危険度」は極めて低く、財政力のある市であると紹介されたそうです。
これだけがすべての理由ではないでしょうが、これだけ立派な博物館を開設・運営していける1つの要因であることは間違いないでしょう。
いずれにせよ、折角、狭山市を訪れたなら是非見学することをお勧めします。

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